// 14 特殊能力《スキル》

 どすっ、どすっ、と指をめり込ませる重低音を響かせながら、アルデバランは筋肉隆々の巨躯を壁面にぴったりと張り付かせ、廃墟の壁をよじ登り始めた。フィールドの反対側でゴズ氏が満足そうな笑みを浮かべる。

 指を掛けられる凹凸などない廃墟の壁面に、自らの指をめり込ませてよじ登るとはなんという力技か。中が駄目なら外からだと言わんばかりの、徹底した脳筋ぶり。


 しかし同時に、なるほどとも思った。アルデバランのパワーなら廃墟の壁や柱を壊しながらでも進むことはできただろうが、その場合途中で建物自体が崩壊し、アルデバランが下敷きになる可能性もある。ユニが巻き込まれればHP全損は確実だろうが、ゴズ氏はユニのステータスの事を知らないし、相手にとってもリスクだったのだろう。

 壁を登れば建物へのダメージは最小限で済むし、入り組んだ内部を通ることもなく、最短距離でユニへと追いつける。それどころか、あの速度で登られたら屋上へ先回りされてもおかしくない。


 僕は外壁を猛然とよじ登るアルデバランから、廃墟の内部を進む自分の相棒へと視線を移した。

 ユニはもう全体の三分の二ほどを駆け上り、屋上までもうすぐというところに来ていた。屋上に先回りされれば相手に先手を許すことになり、作戦が失敗どころか致命的な一撃を受ける危険すらある。それだけは絶対に避けたいところだが、瓦礫の合間を進まなければいけないユニに対して、アルデバランは障害物のない壁面を真っ直ぐに進むことができる。スピードにアドバンテージがあるユニでも、じわじわと差を埋められてしまう。


 そして、ついに残り5mほどの高さに差し掛かった時、壁面を登るアルデバランがついにユニに追いついた。


「ユニ、注意しろ!相手のArtsアーツがすぐ近くにいる!」


 ヘッドセットに向けて叫ぶと、瓦礫を駆け上がるユニの動きがさらに速さを増す。

 屋上までは、もうあとワンフロアぶんの距離のみ。ユニのジャンプ力なら一気に到達することも可能だ。

 これなら、相手方よりも数秒だが早く屋上にたどり着けるはず――――そう思った時だった。

 空気を震わす轟音が響き、最上部近くの錆びた外壁の一部が爆発したように無数の破片をまき散らした。


 戦塵が巻き上がった外壁へと目を動かすすと、そこは数秒前までアルデバランが壁をよじ登っていた地点だった。まさか!と再びユニの方へと視線を動かすと、透過した壁の内側にユニではない巨大な影が映り込む。

 迂闊だった。てっきり、相手も屋上に先回りして僕らよりも先に地の利を得ようとしているのだと思い込んでいた。まさか単純にユニを追いかけるためだけに壁登りしていたなんて。


 相手の脳筋ぶりを甘く見ていた。あのミノタウロス型Artsも、それを描いたゴズ氏も、根っこからのパワーファイターであり策を弄するようなタイプではないのだ。ただひたすらに対戦相手を追いかけ回し、障害は壊すか強引に乗り越えるというシンプルなゴリ押し戦法。半端なArtsアーツなら愚策だが、ことゴズ氏とアルデバランのコンビにおいてそれは必勝の型なのだろう。


 廃墟内部へと侵入したアルデバランの巨影が、身体を捩じるように大きく動く。ユニとの距離はフロアの端から端までなので、接近戦タイプのアルデバランはリーチの外であるはずだが……いや。


 いや、まずい!


「ユニ!今すぐ屋上へジャンプしろ!急げ!」


 ヘッドセットへと叫ぶと同時に、フロアの端に立つアルデバランが振りかぶった大木のような腕を勢いよく振りおろし、持っていた大斧を凄まじい速度で投擲した。宙に真紅の燐光を残し、分厚い刃が計り知れない威力を内包してユニへと殺到する。

 しかも最悪なことに、とっさにジャンプしたユニは空中で身動きが取れない。僕の指示が一瞬遅れたせいで、飛び上がるタイミングが投擲に重なってしまったのだ。

 凶悪なまでに鋭い刃の射線上に、宙に浮いたユニの身体が重なった。その距離はもう、1mもない。

 加速する意識の中で、ユニの胴体が真っ二つに切り裂かれるイメージが頭を過る。さらに一週間前、出張大会で小学生の竜人型Artsアーツに身体を両断された騎士型Artsアーツの姿もフラッシュバックし、視界から色が消え失せる。


 だめだ――――また、僕は――――自分のArtsアーツを……


「……!」


 瞬間、止まりかけた思考の外から弾けるような歓声が飛んできて、僕の意識は一気に現実へと引き戻された。

 見ると、壁から突き出した鉄骨に尻尾を巻きつけてぶら下がるユニの姿があった。投擲されたアルデバランの大斧が、反対側の壁を突き破って廃墟の外へと放り出されていく。

 ユニはとっさに尻尾を鉄骨に巻き付け、空中で急制動をかけることで飛んでくる斧を回避したのだ。


 信じられない機転……否、発想だ。AIどころか人間でさえ、さっきの状況から尻尾を使って回避するという発想に至る者はそういないだろう。ましてやデザイナーである僕が予想外の投擲攻撃で思考停止してしまったというのに、単独であれほどの判断をしてのけるとは、ユニの知性の高さには毎度驚かされる。


 相棒のウルトラCに唖然としながらも、僕は視界の端に伸びるユニのHPバーへと目を向けた。さっきまで無傷だったライムグリーンのHPバーは、左端から5分の1ほど減少して少し短くなっていた。

 やはりあの速度の攻撃を避けるにはタイミングが悪かったのか、ユニの機転を利かせた回避でも完全に避けきることはできなかったようだ。たったこれだけのHP減少で済んだのが幸いだが、きっと2度目はないだろう。


 次の一手を警戒すべく視線を廃墟の上層へと戻すと、すでにユニは尻尾をロープのように使って高い瓦礫の足場へとジャンプし、屋上へ向かって走り出していた。それを追って、フロアの端からアルデバランの巨体が猛烈な勢いで迫る。


 ユニが、あの小さな身体であそこまで必死に戦ってるんだ。今度は、デザイナーである僕がそれに応えてやらなきゃいけない。

 一瞬怖気づいてしまった自分に心の中で活を入れ、僕は右手に持ったスタイラスペンでNinephニンフ表面に浮かんだARアイコンの一つをタップした。視界の中央に薄く透き通るアートボードが出現し、周りにいくつもの描画ツールアイコンが浮かび上がる。

 インターフェース類が立ち上がるのを確認しながら一瞬だけ視線を廃墟の屋上へと戻すと、すでにユニとアルデバランは揃って廃墟の屋上に到達し、お互いに数メートルの距離を保ちながら威嚇の態勢で睨み合っていた。

 作戦の第一段階はひとまずクリアだ。ここから先は僕次第。少しのミスが命取りになる。


「ユニ、そのまま距離を保ちながら時間を稼いでくれ!合図したら、フィールド中央側の縁から飛び降るんだ!」


 ヘッドセットに向かって叫んでから、僕は視界の中央に展開されたMRアートボードの内側に素早くペン先を走らせた。

 長い直線がアートボードを斜めに突っ切る。同じように二度、三度と、動かす腕と手首のスナップを殺さないよう勢いに乗って宙に滑らかな線を描いていく。

 線を描く時に大事なのは、迷わないことだ。ペンを走らせている最中に少しでも余計なことを考えると、ペン先はわずかに狂い、意図しない歪みや狂いが出てしまう。たとえそれが素人目には気付かないような狂いでも、心の中で自分が納得できていなければ、それは分かる人には伝わってしまう。人口の殆どがクリエイターであるアトリエではなおさらだ。


 だから、まず理想の線を頭の中に組み上げてから、それをトレースすることに集中する。途中で想定とは違うデザインのアイデアが出てきて惑わされないように、一つの完成形だけを頭に浮かべてそれを目指す。ユーリやツバサには「融通の効かない真面目過ぎる描き方」だと笑われるが、作品の作り方はクリエイターの数だけ存在するし、自分に一番合っているやり方で描いた方が結局はいいものが出来上がるのだと僕は信じている。


 特に、ヴァーヴス・ストラグルにおいては「作品に対して自分が納得しているか」がとても重要となる。

 Ninephニンフのヘッドセットが僕らデザイナーの脳から読み取っているのは、つまるところ『好きな物を描いているか』『楽しんでいるか』という感情の部分であり、それは出来上がったArtsアーツやオブジェクトへと如実に現れる。

 少しでも迷いがあったり納得していない部分があれば、それはシンクロ率やオブジェクトの性能へと反映され、ストラグルの勝敗を大きく左右するのだ。それを僕は、これまで嫌というほど痛感してきた。


 だから、もう後悔するような線は、一本たりとも描きたくない……!


 僕は頭の中に描いた完成形を目指して、無心にペンを動かし続けた。

 ストラグルにおいて、デザイナーが描くオブジェクトの耐久値や攻撃力は、デザイナー自身が込めた想いと同等にディティール精巧さによっても大きく上下する。適当に描いた棒線としっかり質感を描き込んだ剣とでは、オブジェクト化した時に設定されるパラメータに雲泥の差が出るのだ。


 特に、これから実行する作戦においては僕の描いたオブジェクト次第で勝敗が分かれると言ってもいい。

 デザイナーがオブジェクトを描いてストラグルに介入することが認められているのは、Artsアーツとデザイナーがお互いを支え合って戦えるようにするためだ。ここまで、僕の指示通りに事を運んでくれた相棒のためにも、半端な物を描く訳にはいかない――――!


「…………よし!出来たッ!!」


 アートボードに最後の線を引き終え、僕は出来上がったイラストを間髪入れずペン先でホールドした。

 ユニの位置を確認するため廃墟の屋上に視線を向けると、巨大な両拳を振り回して狭い屋上を暴れまわるアルデバランと、その拳を胃が痛くなるような紙一重の回避ですり抜けるユニの姿があった。

 普通、Artsアーツは動き続けると隠しパラメータである《疲労度》が少しずつ上昇していき、ピークに達すると動きが鈍くなったりする物なのだが、狂ったように拳を振り回し続ける真紅のミノタウロスからは少しの疲れも見て取れない。パワー型は疲労度の上昇速度がゆるいという噂を聞いたことがあるが、どうやらアルデバランはその中でも特に抜きん出たタフネスのお化けらしい。


 このまま続けていれば、いつかはあの岩石のような拳がユニに命中してしまうだろう。いや、掠っただけでもユニには致命傷になりうる。

 僕はペン先でホールドしたアートボードをNinephニンフ本体上部のスライダー部分へと持っていき、素早くペン先を滑らせた。スライダーの上をアイコン化されたアートボードが滑っていき、その先にある小さな窪みへと吸い込まれていく。


 途端、視界にフィールドの全体マップが半透明のワイヤーフレームで表示された。フィールド手前の端には僕を示す青い人型のアイコン、反対の端には対戦相手であるゴズ氏を示す赤いアイコンがそれぞれ浮かび、そしてフィールド中央から少しずれた位置に白い四足獣型のアイコンと、角の生えた人の顔を模した真紅のアイコンが目まぐるしく位置を変えながら表示されていた。

 見たまま、白いアイコンがユニ、真紅のアイコンが人獣型であるアルデバランだとわかる。二体のArtsアーツの位置をマップ上で確認した僕は、フィールドの右隅に浮かぶ青い門の形をしたアイコンにペン先を合わせてから、ヘッドセットのマイクへと向けて叫んだ。


「ユニ今だ!中央側の縁から飛べッ!!」


 言うなり、ユニは振り下ろされたアルデバランの拳をギリギリで回避し、踵を返して屋上の端へと走り出した。壊れやすい錆びた床にめり込んだ拳を乱暴に引っこ抜いたアルデバランが、背中を向けて逃走するユニを猛追する。


 そうだ、それでいい。追ってこい。

 心の中で祈るようにそう呟きながら、僕は門のアイコンの上で止めたままのペン先をいつでも動かせるよう指先に神経を集中した。

 華奢な四足を必死に動かして走る白い幼獣と、その小さな背中へと鋭い角を突き出しながら迫る巨牛が、屋上の縁へと一直線に走っていく。このまま屋上から落下すれば、荒れた地面に叩きつけられてそれぞれの体重に応じた《落下ダメージ》を負うことになるだろう。

 普通なら、見た目通り屈強な巨体を持つアルデバランにはそれに応じた大ダメージが自身に跳ね返ってくるはずだ。そして、身体が小さいとはいえ体力・防御力ともに低いユニにも相応の落下ダメージが入り、少ない体力が更に大きく削られるか、最悪の場合全損すらもあり得る。


 そう、普通なら。


 昨日まで続けていたユーリとの特訓の中で、僕は対戦で武器になりうるユニの特性の一つに気がついた。

 高所落下によるダメージが、大幅に軽減されるのだ。

 それが、完成以来ずっと文字化けしたままのユニの特殊能力スキルなのか、それとも猫科動物っぽい見た目による隠しパラメータなのかは不明だが、飛行型Artsアーツを除く殆どのArtsアーツに有効な《落下ダメージ》がほぼ無効化同然になるというのは大きな武器だ。これを利用しない手はない。

 そして、運良く高い建物があるフィールドを引き当てた瞬間から、この作戦は動き出していた。


 せわしなく動くユニの小さな前足が、ついに屋上の縁を踏みしめる。僕の白い相棒は、一切の躊躇いもなくその小さな身を宙に踊らせた。その一秒後、アルデバランも太い足を力強く踏み込み、その巨体を屋上の外へと跳び上がらせる。


 二体のArtsアーツはフィールドに設定された慣性に従って、スローモーションのようにゆっくりと宙を滑る。その瞬間だけは、ざわついていた会場が一気に静寂に包まれ、世界は一切の速度を失う。

 無限に続いていくような、長い一瞬。しかし勢いはすぐに減衰していき、空中で静止した後、ユニとアルデバランはそれぞれ緩い放物線を描いて地上へと落下を始めた。

 一瞬ごとに速度を上げながら高速で地上へと墜落していく二体を視界に収め、作戦通り!と心の中で快哉を上げようとした、その瞬間。


 視界の隅に、一行の短いメッセージが表示された。




《【Aldebaran】が特殊能力スキル『アンチ・フィールドダメージ』を発動しました》

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