// 11 白い少女

 ヴァーヴス・ストラグルの公式大会は、それぞれ四季の中ごろを見計らって年に4回開催される。

 春のスプリングカップ、夏のサマーカップ、秋のオータムカップ、冬のウインターカップの計4大会の総称をシーズンカップと言い、それらの大会で目覚ましい成績を残したデザイナーは運営であるヴァーヴス・エンライト社からオファーがあり、デザイナーの最高位である《トレイルブレイザー殿堂入り》として認定を受ける。


 《トレイルブレイザー殿堂入り》の認定を受けたデザイナーは公式ランキングから除外され、運営であるヴァーヴス・エンライト社から高額な賞金が贈られる。さらにアトリエ内での知名度も爆発的に上がり、クリエイターとして大きな名声を得ることができる。

 それだけでも創作者としてはかなりオイシイ話だが、さらに噂では、NinephニンフArtsアーツの生みの親であるヴァーヴス・エンライト社のCEOと直接面会するチャンスが与えられ、今や日本有数の一大アミューズメント企業となった同社の社員として雇用されるチャンスまで与えられるというのだから、この四つの大会はまさにデザイナーの人生を変えてしまうほどの大きなイベントであるわけだ。


 大会はシンプルなトーナメント形式。アトリエ中から大勢のデザイナーが出場するため、対戦は各地区ごとに設けられた即席のグランドマッチ・フィールドにて一斉に行われる。今回僕が割り当てられた会場は、毎年ストラグルの会場に指定される観客席付きの広い市民体育館だった。

 出場するデザイナーたちのヒリつくような熱気が会場を満たす中、僕は相棒の白い幼獣を膝の上に乗せ、会場外の通路に設けられたレストスペースに一人、項垂れながら座っていた。


「はぁ……どうして僕はこう、くじ運が悪いんだろ……」


 力なくため息を吐く僕にしっかりしろと言っているのか、前足の先をぺろぺろとグルーミングしていたユニが短く「ミョオン」と鳴く。


 ツバサとの一件から6日が経過した。

 今日、僕はついに初のストラグル公式戦へと挑む。これまでも何度も出場しようとしてきたのだが、ゲーセンでの出張大会とは違い、年四回の公式大会では出場に際してArtsアーツとのシンクロ値に下限が設けられており、シンクロ値80以下のデザイナーとArtsアーツではエントリーすることができないのだ。

 ユニを描く前まで最高シンクロ値が33だった僕は出場すら許されなかったため、今日のスプリングカップトーナメントがある意味デザイナーとして真の初陣ということになる。


 のだが。


「まさか、ユーリたちと別々の会場になるなんて……」


 視界の隅に投影された出場者向けの大会案内の文面を眺めながら、僕は再び深いため息を吐いた。

 webエントリーを済ませた二日後、ビビッドで大会へ向けての特訓を行っていた僕とユーリのもとに、対戦会場の案内が運営から届いた。内容は、細かい会場の場所や当日のタイムテーブル、出場に当たっての細かい規約などの注意書きだったが、案内された会場の場所が僕とユーリでは異なっていることに気付く。


 同じ地区からエントリーしたのになぜ!?とストラグルの公式サイトを調べてみたところ、例年通りなら住む地区ごとに同じ会場が割当てられるのだが、今年は地区ごとの出場人数に偏りがあるとかで、会場の負荷を分散するために一部のデザイナーは隣接する地区の会場へと割り当てられた、という事らしい。

 そういう経緯から、僕は例年通りの市民体育館、ユーリは隣の地区の大型アミューズメント施設からそれぞれ出場することになってしまったのだ。


 別に、会場が違うからといって戦えないわけではない。大会はトーナメント形式なのだから、お互い順当に勝ち進めばいつかは対戦することになるだろう。

 だがそれとは別に、初めての公式大会出場という極大の緊張を共有できる知り合いがこの会場には一人もいないと思うと、急に足が笑い出し、首筋から冷や汗が滲み出してくる。


 現在の時刻は十三時二十八分。僕の最初の対戦は十四時からなので、あと三十分弱で出番となる。

 ユーリは今どうしているだろうか。ツバサはもう、一勝くらいした頃だろうか。

 思考があちこちに飛ぼうとする。余計なことばかり考える。試合開始直前の今こそ、一番集中してユニとのシンクロ値を上げなくてはいけないのに。


 トーナメント表を確認した時、気になった僕はツバサの名前も一緒に探した。

 デザイナーネーム『フリューゲル』。本名をドイツ語に直したその名は今や公式ランキングの上位常連として有名で、きっと僕の他にもマークしているデザイナーは多いはずだ。

 フリューゲルの名は隣区の大型アミューズメント施設、つまりユーリと同じ会場のトーナメント表で見つけた。順当に勝ち進んだ場合、準々決勝でユーリとツバサがかち合うことになる。


 六日前、僕はツバサに宣言した。この大会でツバサとそのArtsアーツに勝利し、ツバサの引退を阻止すると。そして、僕というデザイナーとそのArtsアーツであるユニを、ツバサのライバルであると認めさせると。

 勢いに任せて宣言したとはいえ、あの時の気持ちは嘘じゃないし、ユニがツバサを呼び止めてくれなければきっと伝えることすらできなかっただろうから、言ってしまったことに後悔はない。

 しかし、会場が別となると少し複雑な気分になる。僕がツバサと戦うにはお互いが決勝まで上り詰める必要があるが、その場合ユーリが準々決勝でツバサに負けなければならない。

 もちろんユーリにだって勝ち残ってほしいし、結局あれから一度も勝つことのできなかったユーリのArtsアーツ、青い戦乙女の《イゼル》にリベンジしたいという思いもある。だがそうなるとツバサへの宣戦布告も空振りに終わってしまい、ツバサの引退は阻止することができるかもしれないが、僕とユニの力を認めさせることはできない。


 どうにもならない歯がゆさを無理やり押し殺しながら、僕はまたもや脱線した思考を軌道修正し、深呼吸して意識を集中させた。

 何心配してる!大丈夫だ!僕の幼馴染二人はどちらも強い。デザイナーとしても、クリエイターとしても。

 どちらが勝っても、どちらと戦うことになっても僕がやることは変わらないのだ。全力で戦い、勝利する。ユニと一緒に。それが、僕がこの大会でやらなければいけないことだ。たとえユーリが勝ってツバサとの再戦が叶わなくても、大会が終わった後で改めてグランドマッチを申込み、そこで思いきり戦って力を証明すればいい。


 そのためにはまず集中だ。マイペースなユニと呼吸を合わせるため、こうして対戦前からヘッドセットを装着しユニと僕の脳を馴染ませているんじゃないか。あと三十分しかないんだ、時間を無駄にはできない。

 気合を入れ直すために両手で頬をばちばちと叩いてから、僕は大きく深呼吸して胸に手を当てた。大丈夫、平常心……平常心。

 しかし、膝の上の相棒に意識を集中させようとした一秒後、せっかく落ち着き始めた僕の心臓は、再び胸郭から飛び出さんばかりに跳ねた。


「ユニッ……!?あいつまた……!」


 ついさっきまで膝の上にいたユニの姿が、ない。僕はすかさず周囲を見回し、あの純白の幼獣の姿を探した。

 ユニを描いて一週間が経つが、未だにこの自由過ぎる振る舞いが治る気配はない。いくらユニが本物の動物と見紛うほどの自然な動きや仕草を行うといっても、僕の意識から生まれたAIである以上、ある程度はデザイナーである僕の指示や言動を優先して行動するはずだ。

 なのにこの一週間、ユニがまともに僕の言うことを聞いた事は一度として無い。


 ツバサへの宣言の翌日から、僕はユニとの戦い方やシンクロ値を上昇させるために毎日ユーリとフリーマッチ・フィールドへと通い、対戦を行った。

 しかし、シンクロも息もぴったりなユーリとイゼルに対し、僕とユニの連携はてんで上手くいかない。

 初戦では対戦が始まると同時にぐっすり眠っていたユニだが、その翌日の対戦では眠るどころか機敏に動き回り、イゼルの光矢を何度も躱してみせた。昨日からの大きな進歩に一瞬素直に喜びかけたが、調子づいた僕がそのまま撹乱するよう指示を送ると、ユニはそれを無視して一直線にイゼルの矢の中に突進していき、案の定良い的になって敗北してしまった。

 ある程度性能の高いAIが自己判断で戦術を変えるのはよくある事らしいが、数回攻撃を食らっても体力に余裕のある他のArtsアーツたちと違って、ユニは最初の三撃がそのまま敗北に繋がる。攻撃力特化のArtsアーツなら一撃死もあり得るし、スピードと正確性重視のイゼルの光矢ですら三本受ければHPバーが全損するほど、ユニの装甲の薄さと体力の無さは致命的なのだ。

 そんなユニが自己判断だけで動けば、対戦がどうなるかは明白だ。実際、この6日間の間で何十回と対戦をしたが、ユーリとイゼルに勝利できたことは一度もない。全戦、ユニが僕の指示を無視し勝手気ままに戦ってしまうからだ。


 悪いのは僕だ。ユニとのシンクロに集中できていないから、ユニは言うことを聞いてくれない。今まで描いてきたArtsアーツ達だって、シンクロ値が低いせいで指示が届かず本来の性能を発揮できなかった。

 ユニとのシンクロ値は対戦を重ねるごとに少しずつ上昇していき、昨日の最高値は《119》。初心者のボーダーラインはギリギリ超えているが、数値としてはまだまだ低い。ユニはその自然な仕草や高度な動作処理から考えて間違いなく高い知能とポテンシャルを秘めているが、それを最大まで引き出すにはデザイナーである僕がもっと集中力を高め、ユニとのシンクロ値を上げる必要がある。


 だから対戦が始まる直前までシンクロを高められるよう、レストスペースでユニとの交感を試みていたのに、あの白ネコときたら!

 ユーリやツバサたちの事に思考が引っ張られて集中を切らしてしまったのは僕の落ち度だが、せめてどこかへ行くなら鳴き声で知らせてくれてもいいじゃないか。動きが自然すぎてつい忘れそうになるが、ユニはあくまで視界に投影されたMRモデルなので膝の上に乗ってても重みは感じないし、感触も温度もないため膝の上から動かれても気付きにくい。おまけにストラグルの時以外は本物の家猫サイズに自動スケーリングされているため、好き勝手に動き回られるともはや本物の子猫よりも見つけづらいのだ。


 テーブルの下、リュックの中、隅に設置された観葉植物の裏と、目につく潜り込んでいそうな所を続けざまに確認するも、あの純白のモフモフしたライトエフェクトは見当たらなかった。ユーリ曰く、世界の猫の中でユニと最も似ている品種はアメリカ原産のネベロングという種類らしいが、写真を見せてもらってもモフモフ可愛いだけで、やはり初めて見る造形だった。

 一週間前の僕が一体どういうつもりで四足の幼獣型のモチーフを選んだのかは未だに思い出せないが、こうして日に何度も探し回るハメになるとは全く考えていなかっただろう。

 一度MR化ソフトを再起動させてもう一度近くに出現させるという手もあるにはあるが、そうすると集中まで一緒に切れてしまいそうで少し不安だし、そういった電子的な扱いをユニにするのは結構抵抗がある。事実3Dモデルなので変な話ではあるが、不思議とそう思ってしまうのはユニの動作が本物の動物にとても近く、自分の脳を元に生み出された高度な知性が宿っていると理解しているからかもしれない。


 ソフト再起動の最終手段が頭を過りつつも、それを思考の隅に追いやってあちこち視線を彷徨わせていると、レストスペースから少し離れた二階観客席へと続く登り階段の影に、見覚えのあるケーブル尻尾がふよふよと揺れているのを見つけた。

 あんな離れた所に!と思わず声を上げてしまいそうになるのをぐっと堪え、僕は観客とデザイナーでごった返す通路を苦労してすり抜け、気まぐれな相棒の尻尾がはみ出た階段の影へと駆け寄った。


「ユニ!お前、勝手に動き回るなって何度言ったら…………!」


 階段の影へと回り込みつつ自由過ぎるユニへの文句を言いかけた僕は、そこでとっさに言葉を切った。

 そこには、床にちょこんと座るユニ以外にもう一人、小柄な女の子が屈んだ姿勢でユニの鼻先に手を伸ばしていたのだ。


「あ……え……っと…………?」


 固まる空気。というか僕。

 女の子と目が合ったまま硬直しているこの状況を「なんだこれ」と妙に客観的に頭の隅で認識しながら、とりあえず何か言わなきゃと思い浮かんだ言葉をそのまま口にしてみる。


「あの……すみません、そいつ僕のArtsで……何かご迷惑をおかけしました?」


 女の子は聞くなり、やたらと澄んだ大きな瞳をこちらに向けたまま、色の薄い唇にニンマリと人懐っこい笑いを浮かべて立ち上がった。

 同じ中学生くらいだろうか。背は僕よりもやや低く、グレーのパーカーとレギンスに包まれた手足は驚くほど細く白い。小さく整った顔立ちは西洋っぽさが伺え、ショートボブに切り揃えられた髪は透き通るような銀。まるで2Dの世界からそのまま飛び出してきたような、端的に言ってめちゃくちゃ可愛い女の子だった。

 普通なら純粋な銀髪は珍しいし目立つが、ここアトリエはクリエイターの街だけに奇抜な髪型や染髪は当たり前で、むしろ銀髪など地味めなくらいだし珍しくもない。


 それにしても不思議な子だった。なぜか初めて会う感じがしない。ここまで美人な子は一度会っていれば、いや一目見ただけでも覚えてそうなものだが、そういうわけでもない。なのに、いつも会っているクラスメイトの様な、奇妙な親近感がある。

 そういえば、先週橋の上で出会ったデザイナーの青年と纏っている雰囲気が似ている気がする。まぁ単に、髪色や口元に浮かんだ人懐っこい笑みが似ているだけかもしれないが。


「なるほどー、です」


「……へ?」


 女の子は何かに納得したように頷くと、妙に滑らかな動きで僕に急接近してくる。とっさに身を引こうとしたのだが、まるで意識の隙間を縫うような絶妙な足運びに避ける事も出来ず、一瞬でほとんど抱き合うような距離にまで接近されてしまう。


 来年から高校生になる男子としては些か物足りない身長の僕よりも、なお低い小柄な身体を背伸びして近づけ、謎の女の子はじっと僕の顔を覗き込んでくる。

 やたらに長いまつ毛の下で、ライトグリーンの大きな瞳が真っ直ぐに僕の瞳に向けられる。まるで、その奥にある別の何かを見ようとしているかのように。


「あ……あの……?」


 初対面の女の子に、しかもこんな綺麗な子に至近距離にまで近づかれたのはちょっと経験がない。ただでさえ人見知り気味な僕の心臓がこの緊急事態に耐えられるわけがなく、僕は彼女から注がれる澄んだ視線をただ正面から受け止めながら、緊張で身体を硬直させるしかなかった。


「確かに、似ていませんねー。いや……面影はある、といったところでしょうか」


「…………???」


 女の子はまたも一人で納得したように頷き、鼻先が触れそうなほど近づけていた顔をすっと引き戻した。僕は無意識に止めていた息をぷはっと吐き出し、飛び出しそうなほど跳ねる心臓を服の上から押さえながら、離れる彼女を目で追った。


「じっと見たりしてごめんなさい。そちらの美しいArtsアーツを描かれたデザイナーがどのような方なのか、興味があったものですから」


 そう言って女の子は綺麗な銀髪を揺らしてぺこりと頭を下げると、先ほどとは打って変わって貴婦人のような気品のある笑みを向けてくる。


「私はイヴと申します。あなたは《ススム》さん、ですね?」


 イヴ、というらしい美少女のとても優雅で礼儀正しい挨拶に面食らい、僕はつい言葉に詰まってしまう。

 どこかのご令嬢なのか、所作の一つ一つから育ちの良さが伺える。歳が近そうと思ったが、精神的には一回り以上も離れていそうな余裕のある佇まいで、逆にこっちが緊張してしまう。

 僕に対して色々と無礼な言動をするどこかの幼馴染も、この子のようにもう少し品よくしてくれたらなぁ。

 などと、本人には絶対言えない愚痴を心の中で零した所で、ふと、このイヴというらしい女の子の奇妙な言葉に気づく。


「な、なんで僕の名前を……?」


 たった今、このイヴという子は僕のことを確かにススムと呼んだ。

 一瞬、知らないうちに自分から名乗ったのかとも思ったが、今さっきのやりとりでそんな暇はなかったはずだ。情けないことだが、これだけ綺麗な子が顔を近づけてくれば緊張で名乗るどころじゃない。

 動揺する僕に、イヴは少しだけ眉をひそめながら振り返り、床にちょこんと三つ指座りして僕らを見上げていたユニを見た。


「彼から聞きました」


「はえっ!?」


 予想外の返答に不意を突かれ、思わず奇妙な声を上げてしまう。

 何だこの子、礼儀正しそうに見えて実はアンタッチャブルな子だったのか――――!?


「冗談です」


 一瞬本気で戸惑った僕に今度はいたずらっぽく笑い、イヴは小首を傾げて小さく舌を出す。


「そちらの白い方がお一人でキョロキョロしていたので、迷子のArtsアーツかと思ってプロパティを少しばかり拝見させて頂きました。デザイナーネームはその時に。エントリーナンバーも一緒に確認しましたので、すぐ本人だとわかりましたよ」


「なんだ……そうだったんですか」


 そう言ってイヴは、白く細い指で僕の右胸を指差す。胸にはARで大会のエントリーナンバーを示す《44》という数字が表示されていた。

 会場内は専用のクローズドネットが敷かれており、接続している全てのユーザーが会場内のAR広告やモデル化している他人のArtsアーツを視認することができる。エントリーナンバーもAR広告の一種なので、イヴは僕の胸のナンバーと大会の対戦表を見て僕がユニのデザイナーだと解ったのだろう。


 なるほど、と得心がいって僕はふーっと息を吐き出した。いくら性能が高いとはいえ、3Dモデルであるユニとお喋りしたなどと本気で言われたら反応に困るし、冗談でよかったと胸を撫で下ろす。

 当のユニはというと、いつの間にか僕の足元に移動し、呑気に後ろ足で耳の裏を掻きながらミュンミュンと気持ちよさそうに鳴いていた。


「ユニを見つけてくれて、どうもありがとうございました。すみませんが、僕らもうすぐ対戦の時間なのでこれで――――」


「信じてあげて下さいね、彼のこと」


 お礼を言って立ち去ろうとする僕に、銀髪の少女は優雅な笑みを口元に浮かべながら言った。


「え…………っと、信じるって……ユニの事、ですか?」


「ええ。彼、ちょっと窮屈なようなので。もっとのびのび、自由にさせてあげた方が良いかと」


 そう言って身体の後ろで手を組み、無邪気な笑いを浮かべるイヴ。真っ直ぐに向けられた澄んだ瞳を見返しながら、僕は彼女の言葉の意味を考えた。


 信じる?窮屈?どういうことだ?

 イヴとはついさっき会ったばかりで、言葉を交わしたのも初めてだ。僕とユニの事についてだって、運営が配布している対戦表以上のことは知らないはず。

 なのに、彼女はまるでユニの考えていることが分かっているような口ぶりだ。しかも、ユニが僕のせいで窮屈に感じているという。


 もしや、対戦のことだろうか?

 ユニの事は信じているし、シンクロ値をもっと上げればきっとステータス以上のすごい力を発揮してくれるとも思っている。

 だが、ユニだけの判断で戦わせたら前のユーリとの対戦のように無謀な特攻を仕掛けてしまうかも知れない。Artsアーツの戦いを補助するのもデザイナーの役割なのだから、ユニの耳に指示が届くようにシンクロ値を上げるのは当然のことだが――――それとも、ユニはそれを窮屈に感じているという事なのか?

 それに…………どうしてイヴは、ユニの事を"彼"と呼んだのだろう?確かに性別はオスだろうなとは思っていたが、僕でさえそもそもユニの性別を気にしたことはあまりない。

 それを、なぜ?


「あの……どうしてユニが窮屈そうだって思ったんですか……?あと、なんで彼って……?」


「それも、ユニさんが言ってらしたので」


 僕の問に対し品よく小首を傾げながら、イヴは僕の足元に座るユニを見る。それをまるで肯定するように、ユニが僕の方を見上げながら短く「ミュオン!」と鳴いてみせる。


「……というのも冗談です。ただの勘ですよ。突然失礼なことを言ってしまってごめんなさい」


 一瞬、今度こそ本当に信じ込みかけた僕へ、イヴは申し訳なさそうに微笑みながら再び深く頭を下げた。

 そして顔を上げると、再び足元のユニへと視線を動かす。


「素晴らしいArtsアーツです。言語モジュールはまだ途上のようですが、言葉の意味はしっかり理解している。動きも限りなく生物に近い。相当な潜在能力を秘めているのでしょうね……。ですが、もし先ほど私が申し上げた事に心当たりがおありなら、少し……彼の言葉にも耳を傾けてみると良いと思いますよ。フォーマットは違えど、Artsアーツにもまた、魂は存在するのですから」


 そう言うイヴの瞳に、一瞬流星のような光が浮かんですぐに消えた、ように見えた。

 その光も、僕はどこかで見たことがある気がしたが、すぐには思い出せなかった。


「君は……」


 意味深な事を言うイヴに、さらに問いかけようと口を開こうとしたその時。

 突如、ヘッドセットからビーッビーッというブザー音が鳴り、視界の端に小さな赤色のウィンドウが表示される。


「ん?…………うわわっ!まずい!」


 立ち上がったウィンドウの内容は、運営からの対戦開始10分前のアナウンスだった。

 もうそんな時間!?と脳内で悲鳴を上げながら、僕は左手首のホルダーからスタイラスを引き抜いて足元に座るユニのうなじをホールドした。そのままひょいと持ち上げ、小脇に抱きかかえる。


「ごめんなさい、イヴさん!僕らもう対戦が始まっちゃうから行くね!ユニを引き止めてくれてありがとう!」


「あら、長々と余計なことを喋ってしまいましたね、すみません。対戦、頑張って下さいね」


「がんばります!ありがとう!それじゃあ!」


「ミューオ!」


 最後にもう一度深く頭を下げてから、僕はユニを脇に抱えて体育館内への入り口めがけて走り出した。抱えたユニが、遠ざかっていくイヴに向けて別れの挨拶とばかりに一声鳴く。

 不思議な子だった。言葉遣いも仕草も上品で人懐っこいのに、どこか心の内側を見透かしてくるような、掴みどころの無い感じがある。ユニの言っている事がわかるっていうのも、九分九厘冗談だとは思うけれど、それを冗談だと思わせない迫力のようなものが彼女の表情にはあった気がする。

 彼女との会話を頭の片隅で思い返していると、ふと彼女に伝え忘れていた事があるのを思い出し、僕はその場で急ブレーキをかけて身体を反転させた。


 イヴはまだ立ったままこちらを向いてくれていた。振り向いた僕に気付き、眉をひそめる彼女へと、僕は精一杯の感謝を込めて叫んだ。


「あの!ユニのこと、褒めてくれてありがとう!」


 階段の脇に立つ銀髪の少女は少し驚いたような表情で目を見開いていたが、すぐに咲くような笑顔を浮かべて小さく手を振った。

 体育館の入口へと向き直りながら僕も手を振り返すと、彼女の姿はすぐに大勢の人の波に飲まれて見えなくなってしまった。


 緊張でガチガチだった身体は、いつの間にか嘘のように軽くなっていた。どんよりと重かった頭も今は不思議と冴え渡り、余計な事を考えていない。


 会場入口へと走りながら、僕は胸の内側にじんわりと温かさが広がっていくのを感じていた。

 久しく忘れていたこの感覚。

 誰かに作品を褒めてもらえた高揚感、多幸感。

 それを創り出した自分への誇らしさ。

 そして、僕のもとに生まれてきてくれたArtsあいぼうへの、頼もしさと、感謝。


 対戦前に、彼女と逢えてよかった。


 走りながら、ふと脇に抱えたユニを見る。ユニもまたイヴとの邂逅で何かを感じたのか、いつものキョトンとした表情ではなく、どこか満足気な笑みを浮かべて満天の星空のような瞳を輝かせていた。


 イヴの言っていたこと、やっぱり冗談じゃなかったのかもしれない。

 たった今この瞬間だけは、僕にもユニの声が聞こえた気がした。


「……がんばろうな、ユニ」


 会場の入口を通り抜けながら、僕は抱えた電子の相棒へと小声で語りかけた。すぐに、「ミュン!」と頼もしい鳴き声が返ってくる。


 それを確認してから再び前へと向き直ると、圧倒的な情報の洪水が僕の五感を飲み込んだ。

 幾百ものライト、閃光、エフェクトが、巨大な空間を埋め尽くすように飛び散り、薄暗い体育館をまるで昼間のように煌びやかに照らす。

 世界を揺らすような大音量のサウンドが鼓膜を叩き、レフェリーAIが対戦終了のアナウンスを告げる。どうやら、前の組の対戦がちょうど終わった所らしい。

 勝利したデザイナーの名前が読み上げられ、会場内が割れんばかりの歓声で満たされる。


 ――――次にこの歓声を浴びるのは、僕だ。


 加速する心臓の鼓動を意識しながら、僕は心の中で宣言した。


「……待ってろよ、ツバサ」


 同じくどこかの会場で戦っているはずのライバルへ向けて呟きながら、僕は意を決して一歩を踏み出した。


 クリエイター達の夢と魂が形を成してぶつかり合う、テクノロジーの闘技場バトルグラウンドへと。

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