第3話 新しい生活

 「お母さん、ただいま〜」

と颯太が玄関のドアを開けて中に入っていった。颯太ってなかなか立派な家に住んでるんだな〜などと颯太の腕の中で考えていると

「おかえりなさい。遅かったじゃない」

と女性の声が家の奥から聞こえてきた。ちょうど夕飯時だったのか、美味しそうな匂いが家の奥から漂って来て、僕の鼻とお腹を刺激する。颯太は玄関で靴を脱ぎながら

「ちょっとクマが車の中でオシッコしちゃってさ。掃除とかしてたら遅くなった。」

「一体何の話をしてるの?」

と、颯太のお母さんらしき人がエプロンを着けたまま、美味しい匂いのする部屋から出てきた。玄関先でチョコンと座っている僕の存在に気づくと、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにふやけた笑顔になって

「この子が、颯太が飼いたいって言ってた仔犬??可愛いわね〜。」

と僕の頭や体を優しく撫でる

「だろ?クマって名前にしたんだ。似合ってるだろ?」

「そうね、本当に熊みたいな顔をしてるから、似合ってるわね。」

などとと二人が話をしていると、玄関のドアが開いて、今度は、颯太のお父さんが帰ってきた。

「お父さん、おかえりなさい。」

「おっ、颯太がお出迎えとはめずら、ん?」

とようやく僕の存在に気が付いた。

「この仔犬が例の仔犬か?」

「そう。今日迎えにいってきたんだ。クマって名前」

「クマ君か〜犬嫌いのじいちゃんの遺言で、生き物は飼うなって言われてたけど、そのじいちゃんの三回忌も済んだし、そろそろ犬を飼っても良いか。責任持って世話をするんだぞ。」

「これで晴れてクマも上木原家の一員だ、みんなに自己紹介しないとな。これが僕のお父さん。」

「広宣です。ヨロシクなクマ。」

ワンワン!

(ヒロか、ヨロシクな!)

「そして、これが僕のお母さん。後、俺には香奈って言う妹も居るんだが、今は、東京の大学に通っているんだ。全部で、四人家族だ。」

「クマちゃん、 瑞穂です。よろしくおねがしいします。」

ワンワンワン!

(おう!ヨロシク!腹が減ったぞ!ご飯にしよう!)

「さぁ、お父さんも着替えて、夜ご飯にしましょう。クマちゃんの分も用意してあるから安心してね。」

と優しく微笑むお母さん。美味しそうなご飯が食卓に並び、家族が席についた。僕はそのすぐ横の僕専用のテーブルに座り、皆んなで一斉に

「いただきます。」

と声を揃え、暖かい家族に見守られながら世界一美味しドッグフードを食べた。夕食を楽しんでいる時、颯太がお父さんにじいちゃんは何でそんなに犬嫌いだったのか聞いてみた。お父さんにもよく分からないそうだ。お父さんも、一度だけ子供の頃に犬が欲しいとお願いした事があったそうだが、しかし、じいちゃんは物凄い剣幕で“駄目だ”と怒り、それ以降、犬を飼うことは諦めたそうだ。

「まぁ、何かあったんだろう。」

ど、お父さんはビールを飲みながら話していた。


 次の日は、颯太が家の中を案内してくれた。。まずは二階の颯太の部屋(と言っても僕もここで寝てるのだが)、妹の部屋、両親の寝室、お父さんの書斎(この部屋に入ったら怒られるらしい)、トイレ、そして一階へ降りて、大きな裏庭、台所、お風呂、トイレ、リビング、客間、8畳二間の日本間へと続いた。十年前まで、その日本間には動物嫌いのおじいちゃんが住んで居た、と颯太が説明してくれた。体の丈夫なおじいちゃんで、100歳まで生きるんじゃないかと近所でも評判だったらしい。そんなおじいちゃんだったが、急に体調が悪くなり、半年と持たずに他界してしまったそうだ。あっという間だったと颯太は悲しそうに話していた。その日本間の奥には仏間があり、そこにじーちゃんとばーちゃんが眠って居る事も教えてくれた。そしてどうやら、颯太の家は何か商売をしているようだ。僕に教えてくれたのだが、何のことか全く理解できなかった。まぁ、颯太も今は修行中の身だと言う事だ。

ワンワン

(颯太、精進しろよ)

とぼくが言うと

「そうか、この家が気にいったか。良かった良かった。」

と頓珍漢なことを言っていた。


 毎日が、あっという間に過ぎて行った。颯太も忙しい中、色々と僕の世話をしてくれた。今までで散歩を欠かしたのは、雨の日だけだった。そんなある日、なぜかその日は、朝から僕は誰かに見られている様な気がして落ち着かなかった。憎悪にも似た感覚が、常に僕の周りを歩いている様な感じ。颯太は仕事に行っているし、家に居るのは専業主婦の瑞穂母さんと僕だけだ。匂いを嗅いでも、感覚を研ぎ澄ませても原因は全くわからなかった。

 そんな日が暫く続いたある日の事だった。この日は朝から雨が降っていた。その雨もお昼過ぎには小降りになり、瑞穂母さんは、今がチャンスと夕ご飯の買い出しに出かけた。僕は初めてこの家で独りぼっちになった。特にする事もないので、リビングのソファーで寝て居ると、突然、日本間から“ガタッ”という何かが落ちる音が聞こえてきた。

 首を持ち上げて匂いを嗅いでみたが、特に何も臭くはない。どうにも確かめないと気が済まない性格なので、一応、日本間の様子を見にいく事にした。日本間に続く縁側を歩いていると、急に体が動かなくなった。これが噂の金縛り?初体験じゃんなどと思っていると、日本間から、初めて颯太が僕を見に来た日に、颯太の後ろに浮かんでいた黒い塊が、フワフワと出て来たのだ。

 何とか金縛りを解こうと頑張っているが、どうにもこうにも動けない。その黒い塊はまるで僕を観察するかの様に、僕の周りをフワフワと浮いている。それは、僕の周りを何回か回ったあと、まるで付いて来いと言っているかのように、フワフワと日本間に消えて行った。その瞬間金縛りが解けた!

ワンワンワン!

(なんでお前がこの家にいる!?ここで何してる?フワフワ浮いてやがて、卑怯だぞ!!)

とその塊を追いかけながら僕も日本間に入って行く。その塊は、まるで人をバカにしているかの様にフワフワと浮いている。

ワンワン!

(降りて来い!!)

と身構えていると、その黒い塊はフワフワと揺れながら、そのまま奥の日本間から、さらに奥の仏間へと消えて行った。

ワンワン!

(待て〜〜〜〜〜!!)

と声を上げ、奥の日本間に飛び込もうとした瞬間、何か強烈なエネルギーで僕は跳ね返され、さっきまで居た日本間にゴロゴロと転がっていった。一瞬何が起きたのか分からず混乱していると、

(悪いことをした。お前がクマか。可愛い犬じゃな。)

と誰かが僕の頭の中で話しかけて来た。驚いて立ち上がり、奥の日本間を見ると、その中央に兵隊さんが着るようなを服を着たおじいさんが座って居た。そのおじいさんが座っている奥の日本間は、憎しみにも似た強烈なエネルギーで満ちているのに、なぜかおじいさんの僕を見つめる目は、悲しみで一杯だった。そのおじいさんの目を見ていたら、何故だか僕も悲しくなってた。色々な思いや感情が僕の中に入り込んできた。それを振り払おうと“ワン”と声を発する。何かを言いたげに僕を見つめるおじいさん。その時、玄関の開く音がして、

「クマ、ただいま〜。今帰ったよ〜。」

という大好きな瑞穂母さんの声が聞こえてきた。尻尾を大きく振って、玄関に向かって走り出そうと立ちあがると

(良い子じゃ)

という言葉が頭の中で響いた。ハッと奥の日本間に目をやると、そのおじいさんはどこかに消えてしまった後だった。


 その夜、僕は夢を見た。夢の中で、再びあのおじいさんが出てきた。相変わらず軍服を着て、厳つい顔をしていたけれど、不思議と恐怖は感じなかった。おじいさんは奥の日本間に座っていたが、僕に気付くと

(お〜クマか。こっちにおいで)

と優しく話しかけてきた。

 そこで僕は目を覚ました。颯太を見ると、気持ち良さそうに眠っている。気がつくと、閉めたはずの颯太の寝室のドアが開いている。そっと颯太に気づかれないようにベットから這い出し、僕は部屋を出て行った。

 家の中は凛と静まり返っている。トイレの前を抜け、階段の上を通り過ぎようとした時、一瞬の強い突風と共に、一階から何か獣の様な匂いが立ち込めてきた。僕は自慢の鼻をクンクンと鳴らし、階段を降りて、この匂いの出所を突きとめようとさらに鼻に意識を集中させた。匂いはどうやら、例の日本間から漂ってくるようだ。僕は、足音をたてないように静かに日本間に向かって歩いて行った。そっと日本間に入って行く。奥の日本間には、さっき僕が見た夢と同じようにおじいさんが座っていた。何かを待っているかの様に固く口を閉ざしている。僕に気づいている様子は全く無い。僕はゆっくりと奥の日本間に向かって進んで行った。日本間を真ん中で区切る襖を超えた時、僕は得体の知れない怒りと悲しみに包まれた。僕に気づいたおじいさんは優しい声で

(クマ、そこに居たのか)

と話しかけて来た。僕はおじいさんに聞いた。

(おじいさんはここで何してるの?)

おじいさんは一瞬驚いた顔を見せたが、またいつものいかつい顔に戻り

(ここで何をしているの?か〜)

と僕の質問を繰り返した。僕が黙っておじいちゃんの返事を待っていると、一つ、また一つ、とおじいさんの目から涙が零れてきた。

(クマよ、儂はな、待っているんじゃよ、誰かに許してもらえる事を。今でもずっと、待っているんじゃ)

おじいちゃんはゆっくりと話し始めた。

(儂は、子供の頃から犬が大好きでのぉ〜、将来は獣医さんになるのが夢じゃった。しかし、時代が時代じゃっただけに、儂は陸軍に志願した。しかも運よく陸軍の軍用犬育成所に配属されたのじゃ)

と懐かしそうに話をするおじいさん

(何千、何百という数の犬を、毎日毎日休み無く訓練してのぉ〜、そして、彼らを戦場に送るのが儂の役目じゃった。犬に情が移ると言う理由で、犬達には名前がなかった。儂は誰にもバレない様に、こっそりと犬達に名前をつけてあげてな、少なくても、この犬達がこの時代に生きて居た事を、お国のためにその尊い命を投げ出した事をな、儂一人でも、記憶に留めておこうと思ってな)

と悲しそうな顔をするおじいさん

(あの戦争で、多くの命が失われた。人間の他にも多くの尊い命がな。結局、儂の育てた犬達は、一匹も戦場から帰ってくることはなかった)

おじいさんの目から、また大粒の涙が零れた

(申し訳なかった、すまなかったと勇敢に戦死した犬達に一言謝りたい。よく頑張ったと、一言褒めてやりたい。その為に、ここで待っているんじゃ、いつかあの犬達が迎えに来てくれるのを、そして許してくれる事を……)

肩を震わして泣いているおじいさんを、僕は何も言えず見つめてた。

(颯太が、犬を欲しがっていたのは知っていた。儂の息子にも飼いたいと頼まれた時がある。しかし、どうしてもダメじゃった。これ以上、悲しい思いはしたくなかったんじゃよ。あの日、颯太が犬を見に行くと言うので、儂はこっそりついて行った。そこで、お前さんに見られたと言う訳じゃ)

あの黒い塊はおじいちゃんだったのか。なるほど、だから颯太は普通にしていられたのか

(いつになったら許して貰えるのか……)

とおじいちゃんが呟いた。僕はおじいさんに近づき、おじいさんの顔を一回舐めてから語りかけた

(その犬達も、おじいさんに会えるのを待っているよ。だって、おじいさんだけが、彼らが生きていた証明なんだもん。おじいさんが何時迄もここに居たら、あの犬達の帰る場所が本当に無くなちゃうよ。悲しい事や辛い事も沢山あったけど、おじいさんを恨んでいる事は絶対にないと思う。だから、もう一度、昔の様に名前を呼んであげて)

黙って僕の話を聞いていたおじいさんが口を開いた

(花子、一郎……よく頑張った。儂を許してくれ……)

おじいさんがまた涙を流すと、部屋の片隅から、“ワン”と言う犬の鳴き声が聞こえてきた。それに続く様に、部屋のあちこちから“ワン、ワン、ワン”という犬の鳴き声。辺りを見回しても、僕以外に犬は居ない。鳴き声はますます増えてくる。その鳴き声は喜びに満ち溢れ、僕とおじいさんの周りを走り回っている。僕はおじいさんを見あげた。懐かしそうに笑っているおじいさん。突然、犬の鳴き声が止み、部屋は静けさを取り戻した。おじいちゃんはもう居ない。僕だけが日本間の真ん中に座って居た。


 その出来事を境に、誰かに見られている様な感覚は無くなっていった。そして、いつもの楽しい日常が戻ってきた。そんなある晴れた日、瑞穂母さんが友達とお昼ご飯を食べに行くと言って出掛けて行って。僕は一人で留守番をしていた。最近、颯太に買ってもらった新しい犬用ベットで寝ていると、日本間から犬の鳴き声が聞こえて来た。おじいさんが戻って来たのかな?とか思いながら日本間に入って行く。案の定、

誰も居ない。ふと見ると、普段は閉まっているはずの仏間の扉が少し開いている。その扉の隙間から、優しい光が溢れ出てきているのが見える。僕は、仏間の扉に近づき、頭でその扉をそっと押し開けた。その時、僕が見た光景は、一面に広がる緑に輝く草原と、そこで幸せそうに犬達と遊ぶおじいさんの姿だった。おじいさんも犬達もとても幸せそうに見える

(クマよ、ありがとう)

おじいさんの声が聞こえてきた。僕は暫くそこに佇んで居た。

 僕は思う。それぞれの時代に、それぞれの人生が、それぞれの想いが存在する。しかし、それらを飲み込むほどの大きな力もまた、この地球上には存在し、それぞれの人生や想いを翻弄する。おじいさんも、平和な時代に生まれていれば、きっと素晴らしい獣医さんとして活躍したことだろう。苦しい時代や辛い時代を乗り越えて、全ての生き物は今、この地球上でそれぞれの命の灯を燃やしている。そしてその命の灯を次の世代に繋げるために、一生懸命に生きているのだと。

(おじいちゃん、良かったね)

おじいちゃんが僕を見た様な気がした。僕は幸せな気持ちで、そっと仏間から出て行った。


つづく

 








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