ニ十章 最後の晩餐
「わあ、素敵! とってもキレイ!」
シンデレラは感銘し、両手を打ち合わせた。
親友のレイファが「特別に」と見せてくれたペンダントが、とても美しかったからだ。
宝石の類など付いているわけもなく作りは簡素だが、決して豊かでない農奴の娘にとって、それは美と贅沢の極みだった。
何よりそのペンダントは、村一番と称されるレイファの美貌によく似合っていたのだ。
「ジェフさんがね、くれたの。領主様の決めた結婚でも、ぼくの気持ちは本物だよって」
レイファははにかんでペンダントを衣服の中にしまうと、シンデレラの手をとり上気した頬を寄せた。
「あなたにだけは知っていて欲しかったの。他の子たちに見せたら、自慢だなんだって妬まれるでしょ? でもシンデレラなら、きっと祝福してくれると思って」
「……そうなんだ」
シンデレラとて妬ましい気持ちがないわけではなかった。
レイファは美しい。髪の色ひとつとっただけでも違う。シンデレラの髪はくすんだ灰色だが、レイファの髪は見事なブロンドだった。
おまけに素敵な伴侶にまで恵まれたとあっては、妬むなというほうが無理だ。自分には似合わないと解っていても、一度くらいペンダントを身に着けてみたいと思う乙女心だってある。
でも、シンデレラは笑顔が好きだ。人は誰だって怒っているより笑っているほうが可愛い。レイファが笑ってくれれば、自分だって笑顔になれる。それはきっと美貌に恵まれるより、ずっと素敵なことだ。
「よかった。ホントによかった。自分のことみたいに嬉しい! アタシ、レイファがもっともっと幸せになるように、愛の女神様に毎日お祈りする」
「ありがとう。やっぱり、あなたを信じてよかった。大好きよ、シンデレラ」
レイファが抱き返してくれた。その温もりが愛おしかった。シンデレラは、自分がここに生きていることを、この上なく幸福に感じた。
「そろそろ行かなきゃ」
とはいえ、いつまでも抱き合っているわけにはいかない。
お互いもう十四歳の女だ。それぞれに仕事がある。仕事を抜け出してきたのが知れたら、温厚な両親もさすがに顔を真っ赤にして怒りだすに違いなかった。
「……またね」
そっと身を離し、名残惜しく親友と指を絡め合った。恋人以上の親密さで視線を交わし微笑み合う。
二度と会えなくなるわけではない。むしろレイファの婚姻は、村との結びつきを絶対のものにしたと言える。
それでも暫しの別れでさえ淋しかった。
「早く帰らないと……」
親友と別れたシンデレラは、慌てて家に戻った。
村の家々には、製糸作業を営む小さな作業場があった。作業場と言っても、大きな棚と台と桶があるだけの簡素なものだ。村の女たちは、綿花から手作業で糸を作っていた。
「……ただいまぁ」
シンデレラは恐るおそる家のドアを開けた。
幸い、父とは出くわさなかった。農作業のため、畑か小屋に出ているはずだ。今ごろは、母も買い物へ出ている。だから仕事を抜け出してきたのだ。
ところが。
「……お、お母様」
作業場に入ると、棒で綿花を伸ばす母の姿があった。
シンデレラの胸は、たちまち畏怖と罪悪感で満たされた。
「ごめんなさい!」
きつく目を瞑り、頭を下げた。
間違いなく拳骨ものだと覚悟した。
「シンデレラ。お仕事の意味は解ってるわね?」
案の定、母の声音は叱責のそれだった。荒々しくなくとも、静かであることが却って恐ろしさを際立たせることもある。母の静けさは、そういった類のものだった。
「わたしたちは領主様から、ここに住むことを赦されているのよ。これは領主様が与えてくださる大切なお仕事。わたしたちを生かしてくださる領主様を裏切って、あなたは何も感じないの?」
「……いえ」
実際に胸が痛んだ。
レイファや父、そして村人たちの顔が浮かんできたからだ。
……領主様は、アタシ一人がこの土地に住むことをお赦しになってるわけじゃない。家族や隣人と一緒に生きることを赦してくださってるんだ。
母はさらにこう説いた。
「わたしたちに仕事を与える事が、領主様のお勤めでもあるの。わたしたちは、領主様に支えられるばかりでなく、支える立場でもある。ひいては隣人の生活さえ支えていると言えるわ」
その言葉はずしりと重かった。
シンデレラはレイファと会いたいがために、仕事を抜け出してしまった。それが廻りめぐって、自分ばかりでなく親友の首すらも絞めていたなんて考えもしなかった。
「ごめんなさい。アタシ、ひどく軽率な事をしてしまいました……」
「そうね。わたしたちは目に見えるものばかりではない、触れられるところばかりでもない、遠い人たちとも手を取り合って生きている。そして生かされている。それを肝に命じなさい」
「はい、お母様……」
シンデレラは、しょんぼりと項垂れた。母に叱られる事より、こんなにも大事なことに気付けなかった自分が恥ずかしくてならなかった。自分で自分の頭に拳骨をくれてやりたかった。
けれどシンデレラが拳を握ると、母の温かな手が頭を撫でた。
「顔をお上げなさい、シンデレラ」
母の声に、もう恐ろしげな静けさはなかった。
シンデレラは恥じ入りながら顔を上げ、おずおずと母の目を覗きこんだ。
母は優しい微笑みをくれた。
「でもわたしは、あなたを赦します。あなたはどう? 自分を赦せる?」
シンデレラは胸に手を当て、痛みに触れた。俯き、ふるふると首を振った。
「ダメ、赦せないわ……」
「じゃあ、赦せるようになるまで励みましょう。手伝ってあげるから」
母の優しさに、自然と笑みがこぼれた。母は間違いを正すときでさえ優しかった。
きっとアタシは、たくさんの優しさや恵みの中で生きてるんだ。
シンデレラは母を抱きしめた。
「アタシお仕事頑張るわ。それが自分を赦す、唯一の方法だと思うから」
母もまた娘を抱きしめた。
そしてその頭を、もう一度撫でてやるのだった。
「ええ。あなたは聡い子ね。そうやって少しずつ、賢く美しい女性におなりなさい」
――
父と顔を合わせたのは、日も暮れてからだ。
夕餉の食卓でシンデレラを呼んだ父の声は、大きかったけれど親しみと愛しさの滲み出た穏和なものだった。
「昼間のことは聞いたよ」
「ごめんなさい、お父様。もう勝手なことはしないわ」
だが、父からも叱責があると覚悟していた。シンデレラは罪の意識から深く頭を下げた。
「安心なさい。頭をお上げ、シンデレラ。お父さんは、お前を責めたりしない。私の叱責など意味がないからね」
しかし父の口から、叱りつけるような文句は聞かれなかった。
シンデレラはそれを不思議に思った。
罪を犯せば、罰を受けるのが道理だ。
それを指摘すると父は、「まあ食べながらお話しよう」と食器を手にとり、なぜか嬉しそうに頷いた。
「お前の言うことは正しい。だが先も言った通り、私の叱責には意味がない。外からの罰というのは、たぶん害を被った者のための慰めだからだ。人は他者の心を知ることができない。罪人の罰を確かめることができない。だから時には法によって、外からの裁きを必要とする」
シンデレラは前のめりに父の話を聞いていたが、とても理解することはできなかった。
母の作ってくれた大豆とカボチャのスープを飲みながら、シンデレラは眉根を寄せた。
すると父は、性急過ぎたなと頭を掻き、こう訊ねてきた。
「ではシンデレラ。お前は誰が人を裁くと思う?」
「え? 自警団のおじさん……じゃなくて、教会の審問官様でしょ? それとも神様かしら?」
「うん。自警団はともかく、法の裁きを与えるのは審問官様だ。でも、それは外からの裁きだ。神様は解釈にもよるが……例えば、運命の神様が、罪を咎め罪人を不幸な運命に導くのであれば、それもまた外からの裁きと言えるだろう」
外からの裁きは、害を被った者のための慰めだと父は言った。
つまり、それは罪人に対する罰ではないようだ。
だが、罰の実体が他にあるのだとすれば、それはどこにあるのだろう?
法が外からの裁きと言われるのであれば、内からの裁きが存在するのかもしれないが。
内とは何だ?
シンデレラは食事もそこそこに腕を組み唸ったが、答えは喉許に引っかかって出てきてくれない。
降参とばかりに父の瞳を覗きこむと、父は穏やかに微笑んだ。
「いいかい、シンデレラ。罪とは、そもそも他を脅かすことだ。例えば……」
父はふいに言葉に詰まり、辺りを見回すと、食卓のスープに目を留めた。
「そうだ、料理にしようか。自分しか食べない料理を作って、失敗したとする。嫌な気持ちになるね?」
「もちろん。自信失くすし、不味いものを食べたら悲しくなる」
ウエと舌を出してみせると、父は目をぐるぐると回して笑ってくれた。
「だけど、それはただの失敗だ。あちゃあと額を叩いても、簡単に自分を赦すことができると思わないかい?」
「そうね、確かに。次は頑張ろうって思うけど、うじうじ悩んだりはしないと思う」
「じゃあ、今度は誰かのために料理をこしらえたとしよう。ここでも料理は失敗だ。そして相手に嫌な顔をさせてしまった。どうだろう?」
「たまたま相手の口に合わなかったのかも」
「ハハ、そうかもしれない。じゃあ、それが明らかに自分の落ち度だと解っていたら?」
「それなら当然、申し訳ない気持ちになるわ。せっかくのお食事の楽しい席に、ごめんなさいって。どうして、もっと上手くできなかったのかって責めるかも」
「うむ。責める、そういう事なんだ。人はね、他者を含んだ行いを誤ると、たちまち自分を赦すのが難しくなるのさ」
「他者を含むと、か……」
シンデレラは父の言葉を舌の上に転がした。
母に叱られたとき、仕事を放棄した事そのものより、自身に返ってくる影響より、領主や村の人々に及ぶ影響を案じて恥じたのを思い出した。
もしも、仕事が自分の生活にだけ影響するものだったとしたらどうだろう。きっと、あんなにも恥じて悔いる事はなかったのではないか?
「人は己のために生きているくせに、案外自分に無頓着なものだ。それが他者を意識した途端、責任を感じる。責任は外から寄越されるものではない。内から湧いて固まるものだ。……ええと、ちょっと話が逸れたが、これは罪と罰の関係に似ている」
いよいよシンデレラにも意味が解ってきた。
「つまり罪人に対する罰は、法によって裁かれることや言葉で責められることじゃなくて、その人自身が罪を悔いて苦しむことなのね?」
そういうことだ、と父は満足そうに頷いた。
「罪は、罪を犯した本人が、それを自覚できなければならない。外からの責は、だから、罪を自覚させるための教えであることが望ましいのだ。でも、お前は罪を自覚したね。そして今も己の行いを恥じ、悔いているだろう?」
「ええ、とても……」
「だから私は、お前を責めないのだ。お前を赦しているし、外からの裁きなど望まない」
ようやく腑に落ちた。
そして改めて、胸の奥の苦いものを自覚した。
同時に、父や母から赦される喜びを感じた。
「人は皆、必ず罪人となる。間違わない者はないから。だがその度に反省し、赦される喜びを知り、正しく生きる事の誇りを知り、清廉になってゆくのだ。私はね、シンデレラ。そうやって清く生きようとするお前を愛おしく思うよ」
父が卓上に身を乗りだし、頭を撫でてくれた。
すると、罪を恥じ、悔い、正しく生きようとする自分を誇らしく感じられた。
シンデレラは幸せだった。
苦いものも抱えながら、成長していく自分すらも愛おしかった。
明日はどんな一日が待っているだろう。
考えるだけで胸は高鳴った。
しかし望んだ明日こそが、シンデレラの終わりだった。
「ごきげんよう。可愛いお嬢さん」
払暁の幽かな明かりを背に、奴は現れたのだ。
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