十四章 手綱
ウェイグが話している間中、ラーナはずっと固唾を呑んで男たちを見守っていた。
ハガーにとっての賊はトラウマであり、ウェイグにとっての過去もまた大きな傷らしかった。
幸いにして、ハガーが気を取り乱すことも、ウェイグが自暴自棄になることもなかったが。
「……それで、どうなったんだ?」
訊ねたのはハガーだった。
ウェイグは一度だまり俯いてしまうと、なかなか顔を上げなかった。木の棒で炎の中の薪をかき回し続けているうち、辺りはすっかり闇に覆われていた。
三人の旅人の眼前に火の粉が散る。
そこで、ようやくウェイグの眉がぴくりと動いた。
僅かに顎を上げたかと思えば、また俯いてしまったが、燃え始めた棒を新たな薪にすると、重たげに口を開いた。
「……俺にもよく分からないんです。彼女、急に走りだして行って」
「それは何と言うか妙だな……。この森に入ったのは間違いないのか?」
「ええ、それは間違いありません。とび込んでいくのを見ましたから」
ラーナとハガーは一瞥を交わした。
「もしかして、折れ枝を追ってきた?」
ラーナの問いに、ウェイグは頷いた。
ラーナはふたたびハガーを見た。
二人は眉を寄せ合った。
奇妙だった。
ここへ至るまでに確認できた足跡は二つだ。
一方は、ウェイグのものと見て間違いない。
とすれば、もう一方は彼のパートナーという事になる。
しかし足跡は、中途で途切れていた。
ラーナは地面に指を当ててみた。しっとりと湿った赤土。泥というほど柔らかくはないが、踏めば確実に跡が残るはずだ。
「樹上を移動したのかな……?」
ラーナは、パートナーに囁きかけた。
折れ枝には擦過痕があった。てっきりロープをかけた痕だと思っていたが、あれはブーツを擦った痕だったのかもしれない。付着していた血のようなものは、赤土と考えれば辻褄が合う。
「だが、何のために?」
問いの答えは、すぐに浮上した。
〈ガラスの靴〉だ。
目的地を目の前にして、富の独占を考えたとしても不思議ではない。
「……」
しかし目の前の冒険者に、それを告げるのは憚られた。彼の双肩は、孤独に沈んでしまっている。裏切りの痛みを、ラーナは知っている。
きっと、大切な人だったんだろうな……。
ラーナはパートナーの横顔を盗み見た。
もしもハガーが突然姿を消してしまったら、と想像をめぐらせた。
別れには慣れている。
裏切りなら、なおさら。
なのに、胸の奥を冷たい風が過ぎった。
かすかな痛みがあった。
そうか……。
それを自覚した瞬間、
別れにも裏切りにでも、ただ慣れただけなのだと。傷は消えたわけではないのだと。
痛みを感じなくなったとしても、それは残り続けているのだ。慣れや暗示によって隠すことができても、心は蝕まれ続けている。
だが、こうも思えた。
その純真な部分は、絶望的な苦痛である一方、自分が自分であるための命綱ではないかと。
足を踏み外してしまっても、かろうじて自分を保ち続けさせてくれる、最後の希望ではないかと。
それすらも断ち切ってしまった者こそが、真にバケモノと呼ぶに相応しい存在へと堕したものではないかとも。
ラーナはメイプルの林で、ハガーと再会した瞬間を思い出す。
あの時の自分は、正しく最後の手綱を手離そうとしていた。
『……消えろ、バケモノめ!』
ハガーに出逢えていなければ、本当のバケモノになっていたかもしれない。
「……捜そう」
人には、誰かが必要だ。
出会ってしまえば、いつかは別れ。
裏切られるのも、裏切るのも怖く。
でも、まだ信じたくて。
まだ愛したいと思えるうちは。
差し伸べられた手をとり、誰かに手を差し伸べていくべきなのだ。
「一緒に捜そう」
ラーナは立ちあがり、孤独な冒険者に熱心な眼差しを注いだ。
どんな結末が待つにせよ、この人の心に寄り添いたいと思った。
ウェイグの視線が返った。
初めて、心が交わったような気がした。
……ビョウ!
しかし、それを風の音が引き裂いた。
「ぐあぁッ!」
そして、悲鳴。
ハガーが倒木の上から転げ落ちた。
「ハガーさん!」
ラーナはとっさに、その身体を抱きかかえた。
弾かれたようにウェイグが立ちあがり、剣を抜き放つ。
「これは……!」
ラーナはハガーを見下ろした。
その肩に短剣が突き刺さっていた。柄に血塗られたロープが結ばれていた。
それが今、ビクビクと蛇のごとく
「な、なんだ……?」
刃がずぷりと抜け落ちた。
引きずられるように離れていく。
木々の薄暗い間隙の中へ。
「ッ!」
と同時、闇の中に火花がともった。
ウェイグの剣が何かを弾いた。
宙にはね上がった、それもまたロープに結ばれた短剣だった。
「……外したか」
くぐもった声は、ロープの先から聞こえた。
木々の狭間から、ぬっと人影が姿を現した。
「次は外さん」
それは一見すれば旅人のように見えた。
しかし一目で、冒険者の刺客でないと判った。
尋常な冒険者とは、決定的に違った部分があった。
「こ、こいつ」
覆われているのだ。
頭が。
「〈ウズマキ〉……!」
目許にそれぞれ渦を巻いた、赤い仮面に。
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