十三章 急襲

 悲劇は風の音から始まった。

 シュッと風を切る音を、ウェイグは聞いたのだ。


「危ないッ!」


 とっさにレイラを押し倒すと、うなじに鋭い痛みが走った。

 ウェイグはすかさず左手の森へ向けナイフを投げ放った。

 木々の間隙を白い軌跡が縫った。


「ぐあ……ッ!」


 森の暗がりの中、蹲る人影が見えた。


「大丈夫っ?」


 ウェイグは胸の下のレイラに問いかけた。彼女は目を白黒させながら頷いた。

 パートナーに手を貸し立ちあがる。その手を握ったまま、ウェイグは街道を引き返しはじめた。


「な、なにが起きたんですか?」


 上擦った声でレイラが訊ねた。

 答えるまでもなかった。

 街道は森をきり裂く形で延びている。東西は森に挟まれている。その中から、ぞろぞろと抜き身の曲刀を構えた男たちが姿を現しつつあった。


「野盗……!」


 退路はすぐに断たれた。ニヤついた賊どもが、前後を遮った。

 ウェイグは足を止め、敵の戦力を分析した。

 目視できる限り、前後に四人ずつ計八人だ。


「ヒヒ」


 佇まいを見る限り、大した相手ではなさそうだった。

 が、森の中にどれだけ伏兵が潜んでいるかは解らない。射手もおそらく先の一人だけではないはずだ。


「……ウェイグさん」


 そして、こちらにはレイラがいる。

 彼女は決して庇護されるだけの弱者ではない。手合わせした際の感触は、むしろ強者のそれだった。しかし実力があれば、命の取り合いに生き残れるとは限らない。

 巻きこむわけにはいかない。万が一などあってはならない。彼女を守りつつ戦わなければ。

 ウェイグの額に脂汗が浮かんだ。


「よぉ、お二人さん。荒っぽい挨拶で、すまなかったなァ」


 一人の男が進み出てきた。

 背丈は六フィートほど。線が細く屈強そうには見えなかった。しかし爬虫類じみた不気味な目は、悪の快楽に耽溺たんできする外道のそれだ。ある種、芯が通ってしまっている。善悪に依らず、芯の通った人間は油断がならない。


「兄ちゃん、冒険者だろ? きっと腕が立つンだろうなァ」


 男は口の端を歪ませ、取り巻きたちの顔を見回した。

 ウェイグたちの周囲で嘲笑が波打った。やはり囲まれている。


「だからよ、こっちも物騒なやり取りはしたくねェ。置くもの置いてってくれりゃ手荒な真似はしねェと約束するぜ」


 傲岸な態度だ。気に入らない。

 とはいえ、ウェイグとしても争いは避けたかった。交渉の余地があるのなら、そこに懸けたい。

 問題は、この男が約束を守るかどうかだ。

 そして、相手が何を欲するか。

 ウェイグは腰の小袋を叩いた。


「……宝石なら幾らかある。硬貨も少し」

「イイねェ。宝石は簡単に換金できて助かる。現金は言うまでもねぇや。しかし冒険者なら、得物の類もあるだろ。腰のそれとかよ」


 ウェイグは臆せず肩をすくめた。


「これは勘弁してもらいたい。冒険者の証のようなものだから。代わりにナイフや短剣が幾つかある」


 男は目を眇めた。口許からゆっくりと笑みが引いていく。

 ウェイグはその様をじっと見た。レイラの手を固く握りながら。


「……ハッハァ!」


 やがて爬虫類じみた男は楽しげに笑った。


「なるほどな、解ったぜ。その剣は冒険者の矜持ってわけだ?」

「ああ」

「確かに、それは奪えねェや。俺たちみたいなクズでも、大事なもんは解る。あるよなァ、傍から見ればクソみたいなもんでも、そいつにとっちゃ守り通さずにいられねェ宝ってやつが」


 男はそう言って肩をすくめた。


「……だがよォ!」


 ところが次の瞬間、手にもった曲刀で地面を叩きつけた。

 ガキン、と耳障りな音がウェイグの胸を掻きむしった。


「矜持だの誇りだの、そんなもんは一つありゃあイイよなァ? 生きるのに必要なのは、てめェを貫くまっすぐな芯ただ一本だけだ。兄ちゃんの芯が、その剣だって言うなら、他は全部いただいてもイイ」


 残忍な眼差しが、レイラへと注がれた。


「……つーわけだ。その姉ちゃんも置いてってもらうぜ。それとも男の矜持のほうが、冒険者のそれより大事か?」


 ウェイグは男を睨みつけ、おもむろにレイラを見た。

 返る視線に恐れはなかった。怯えもなかった。

 彼女は平静を取り戻していた。

 いつかサルーガの牧草地で打ち合ったときのように、その眼差しはいっそ冷徹ですらあった。


 レイラは頷いた。

 ウェイグは頷き返し、握った手を離した。


 そして、その腕を下から上に振り上げた。

 袖の中からナイフが飛び出した!


「なッ……!」


 爬虫類じみた男は、それを曲刀の反りで弾いた。火花が散った。直撃はしなかったが、肩口を裂いた。


「クソがァ! っちまえェ!」


 男は肩を押さえ、曲刀を掲げた。

 野盗たちが一斉に動き出した。


「こっちだ!」


 ウェイグはレイラに呼びかけ、森の中へとび込んだ。


「うらぁッ!」


 そこに刃が待っていた! 木陰に潜んでいた伏兵だ!

 ところが、ウェイグはすでに身を縮めている。低姿勢から繰り出された水面蹴りが、伏兵の足許をはらった!


「おが……ッ!」


 倒れ込んできた顎を真下から殴りつけた。


「おっと!」


 転がる伏兵を、レイラが跨ぎ越した。

 ウェイグはレイラを先に奥へ行かせると、街道側へ向き直りスティレットを抜いた。


「レイラちゃん、逃げてくれ!」


 そこへ野盗がひとり斬りかかってきた。

 ウェイグは、スティレットの柄で刃の側面を打った。斬撃が逸れ、相手の懐がひらく。そこへ大股で踏みこみ、喉許目がけ拳を叩きつけた!


「イヤです」


 野盗の苦悶する声に、レイラの抗言が重なった。

 説き伏せる時間はなかった。

 たて続けに、野盗が二人襲いかかってきた。

 ウェイグは後退った。


「え」


 その時、何故か背後にレイラの姿はなかった。

 では、さっきの声は? まさか――!

 動揺がうごきを鈍らせた。


「ッ!」


 敵の振り下ろした一刀が、わずかに胸をかすめた。

 斜め前方からは体当たりが迫る!

 ウェイグは片足を軸に半身となり、かろうじて直撃を免れた。


「う……っ!」


 しかし肩に衝撃を受けた。痛みはさほどでないが、バランスを崩しよろめいた。

 目端に、三人目の人影。

 その手に握られた曲刀が、斜めに振り下ろさた!


「あがッ……!」


 ところが斬撃は虚空を裂き、人影は崩れ落ちた。

 突如、樹上から落下してきた影が、三人目の首を両足で絞めあげたのだ。

 手から曲刀がこぼれ落ち、泡を吹いて事切れると、レイラが跳んで隣に立った。


「アタシも戦えます」


 ウェイグは苦笑した。巻きこみたくはなかった。

 だが、彼女がいる事で、腹の底から力が湧いてくる。

 ウェイグは、レイラと背中合わせに立った。


 先の二人が襲いかかってくる。


 レイラは今度こそ後ろにいる。

 胸の闘志が爆発した。

 縦振りの斬撃に、あえて踏みこんだ。その手を真横から殴りつけた。逸れた刃が、もう一人の接近を阻んだ。

 さらにウェイグは踏みこんだ。その瞳が凍てついた。


「あ……」


 スティレットが敵の鳩尾を抉った。

 相手が茫然として曲刀を落とした。その腹を蹴り、刃を引き抜いた。


「……ッ!」


 瞬間、首筋が粟立った。

 とっさに身を沈め、落ちた曲刀を拾った。

 真上に斬りあげると、紅い火花が散った。

 撥ね上げられた矢が地に落ちる。


「隠れろッ!」


 レイラが慌てて木陰にとび込む。

 ウェイグもそこへ向かおうとしたが、立ちあがる前に蹴りが襲ってきた。躱せる姿勢ではなかった。曲刀は手離し、肩で受けた。


「……っつ!」


 かろうじて受け身をとって転がり、膝立ちとなった。

 相手の追撃が速い。蹴り足を引っこめるなり地を蹴って、曲刀を振りかぶった。

 ウェイグはその一瞬、敵でなく左右の空間を見た。

 そして、腰の柄に手をかけた。

 膝立ちのまま、刃を鞘走らせた。

 虚空に一筋の白が閃いた。


「え……いっ」


 野盗の膝から下が両断された。

 駆け寄ってきた勢いのまま、野盗はウェイグの頭上を通過した。


「ぎゃあぁあぁぁああああああぁああああぁあぁぁああぁ!」


 けたたましい悲鳴が森を割った。

 そこに新手が駆けつけてくる。

 ウェイグは返り血に塗れた相貌の中、凍てついた眼差しで敵を睨んだ。

 新手は身をすくませた。

 その隙にウェイグは、レイラの許にまで後退。血を払い、剣を鞘におさめた。


「……おっと」


 レイラの足許に賊が一人倒れていた。

 しかし北方から、また一人ふたりと新手がやってくる。

 ウェイグは西へ駆けだそうとした。


「ん?」


 その袖をレイラが強く引いた。敵のやって来る北方を指差し、あっちへ行きましょうと囁いた。そして耳を半分覆う仕種をした。


「さっさと殺せ、お前らァ! あの女上物だ。男ぶっ殺した奴は、俺の次に抱かせてやるッ!」


 その時とどろいた不快な爬虫類男の怒号。

 声は街道の方向から響いた。

 ウェイグはレイラの意図を察し頷いた。


「死にやがれッ!」


 向かってくる相手に向き直るなり、スティレットを投げつけた。


「ぐわ……ァ!」


 狙い過たず刃が腹を刺す。

 痛みに怯んだ隙にウェイグは懐へ。追い打ちとばかりに二本の指で目を潰した。刺さったスティレットを抜き、その身体をもう一人へ突き飛ばす。賊は仲間を受けとめる。


「あッ……ぐ!」


 そのこめかみをレイラの足が抉った。見事な上段回し蹴りがきまった。

 すかさず二人は北方へ駆けだす。

 先の怒号でわかった。爬虫類男は、街道から動いていない。森から回りこめば仕留められる。頭が討たれれば、賊どもの士気は下がる。撤退してくれれば勝利だ。


「ッ!」


 また一人賊を打ち倒したところで、ウェイグとレイラは二手に分かれた。ウェイグはスティレットを革帯に収めそのまま北へ、レイラは手近な木へとよじ登った。


 レイラが枝を揺らした。ガサガサと音をたてて葉が舞い落ちる。

 ウェイグは姿勢を低くし、木々の間から街道を見た。

 爬虫類男が愕然として揺れる枝を見上げたのが判った。


 ウェイグは腕を真横へ振り抜いた。

 と同時、


「つッ!」


 シュっと風を穿った矢が、二の腕をかすめた。

 袖の中からナイフが飛びたち、


「いっ、でェ……ッ!」


 爬虫類男の脇腹に血を滲ませた。


 ……クソ、外したッ!


 こうなれば、もはや賭けに出るしかない。

 ウェイグは地を蹴り、森の中からとび出す!


「なッ!」


 突如、現れた戦士に爬虫類男はおののいた。

 そこに賊二人が立ちふさがった。


「っらああああッ!」


 雑兵が身構えるより速く、ウェイグは腰の剣を抜いた。横一文字に閃いた斬撃が、雑兵どもの腹を裂き、血と臓物を溢れさせた。

 鋼の遠心力に動きが鈍る。

 ウェイグはあえて剣を投げ捨て踏みこんだ。

 踵を返した爬虫類男の背中を、ウェイグのタックルが突きあげた!


「うぼ……ォ!」


 そのまま相手を押し倒し、腿のスティレットを抜いた。逆手に構え、振り下ろす!


「ウェイグさんッ!」


 その背をレイラの声が叩きつけた。

 ぞっと殺気が押し寄せた。

 ウェイグは、その場から跳び離れた。

 次の瞬間、背中を矢がかすめた。


 ウェイグは爬虫類男へと向き直る。

 相手もまた起き上がり、ウェイグを睨み返した。その双眸に憤怒と憎悪が色をなした。


「……ハッ!」


 ところが男は、ふいに顔をゆがめ笑いだした。


「いってェぜ、クソが……。あんたら、バケモノじみてやがンな」


 そして得物を手離すと、おもむろに両腕をあげてみせた。


「参った。ケンカ売る相手を間違えたみたいだぜ」


 ウェイグは目を眇めた。


「……まさか見逃してくれとでも言うつもりか?」

「ハハァ、兄ちゃん察しがいいぜ。道理で矢だって躱すわけだ」

「虫のいい提案だな」

「ああ、まったくな。だが、もちろん俺たちも、これ以上手出ししねェって約束するぜ」

「信用できるか。お前の首はいただく」


 ウェイグが容赦なく吐き捨てると、相手は臆するどころか凄絶な笑みを返した。


「まっ、そうだよな。ここまでやったンだから。だが、それならどうして今殺さねェ? こっちは丸腰だぜ?」


 男は挑発的に肩をすくめた。

 ウェイグは顔をしかめた。

 すると男は、ふいに疲れたように表情を失くした。


「解ってるぜ。話し合いで決着つけたいからだよなァ? 兄ちゃんくらい腕が立っても、うっかりって事はあるだろうさ。リスクは避けてェ。万が一は怖い。俺もだ。死にたくねェ。うちのバカどもが何人やられたか知らねェが、これ以上損害被るのはごめんだ。運よく兄ちゃん殺せたとしても採算取れやしねェぜ」


 ウェイグは相手のぎょろりとした目を見つめる。理屈の上で、相手の言葉はおおむね正しい。盗賊の目的は奪うこと。傷つけ、殺すことではない。利益を見込めず、リスクが大きいのなら、手を引くのは道理だ。

 だが、道理より感情が先に立つこともある。

 先の憤怒と憎悪が原動力にあれば、損得かまわず襲ってくる恐れは大いにあった。


「……」


 双方、膠着状態に陥った。

 いつ終わるとも知れぬ睨み合いが始まったかに見えたが。


「おい、お前らァ!」


 爬虫類男が、すぐにそれを破った。

 身構えるウェイグに、男は首を振ってみせた。


「大人しく出てこい! 兄ちゃんの前で武器捨ててみせろ!」


 男の手勢は従順だった。森の中から、六つの影がぞろぞろと姿を現した。それぞれ得物を捨て、両手を上げてみせた。

 それはおそらく彼ら自身の意思でもあったのだろう。少なくとも、涙する者や震える者は、そうだったはずだ。弓を捨てた者以外の目には、そもそも戦意など残っているようには見えなかった。


「これで全員か?」

「さあな。あんたらにどれだけやられたか知らねェからよ」

「約束を違えたと判断すれば、容赦なく斬るぞ」

「言われるまでもねェぜ。ぶっ殺してェのはやまやまだが、死んだら元も子もねェ。生き抜くのが俺たちの矜持だ」


 何故か男はゲラゲラと笑い、仲間の手を借りながら立ちあがった。

 ウェイグの前を通り過ぎるとき、男は地面に唾を吐き捨てた。

 だが、約束は守った。手下も男に従い、決して反意をあらわにしなかった。

 やがて盗賊たちが街道から東の森へ姿を消すと、樹上からレイラが降りたった。


「なんとか退けられましたね」


 ほっと胸を撫でおろしながら言ったレイラに対し、ウェイグはまだ油断ない視線を辺りに飛ばしていた。


「安心するには早い。隠れている奴らがいるかも」

「ですね」

「慎重に行こう」

「ええ」


 二人は緊張の糸を解かず、旅を再開した。

 サルーガから始まった彼らの旅は、この日で六日目を迎えていた。実に二百マイル以上もの道程を歩いてきた。すでにベルターナ州は北に置き去られている。


 ここはマリンツェ州。


 西の森の向こうには鋸壁――〈悪魔の手〉の稜線がそびえ、その手中には宝が秘められているはずだ。

 旅の終わりは目前だった。

 盗賊の急襲は、最後の難所のように思えた。

 しかし悲劇は、


「わっ……!」


 風の音から始まったのだ。

 一足早い冬の寒風じみた突風が、耳に唸ったとき。

 パキパキと空気が凍てついたかに思えたとき。

 二人の絆は、脆くも崩れ去った。


「……見つけた」


 と、レイラが呟いた。

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