二章 呪いを避けて

 酒場は賑々しく、酒や汗や焦げた肉の臭いが充満している。給仕の青年はあくせく駆け回り、酒を注いだり料理を運んだりと忙しい。冒険者の手許の淋しさを慰めるのは、悲しいかな、給仕青年の貧相な尻だ。


 しかし今日の賑わいは、どこか普段以上に浮き立っている。

 酔いどれどもの視線は、総じて窓際に縫いつけられていた。


「……おいしい」


 大豆とカボチャのスープを味わい、艶然と微笑むその女が、酔漢の注目の的だった。


 むさ苦しい酒場不毛な大地に萌した一輪の華だ。


 美女だ。

 それも並の美貌ではない。

 神の手に彫られた像のような珠玉の相の持ち主である。

 長い睫毛の下には黒曜色オブシディアンの瞳、鼻梁は滑らかに歪みなく、艶やかに照る唇が淡い牡丹一華色アネモネの色香を漂わす。肩のうえに流れる髪は溶いた飴のごとく滑らかで、世にも珍しいストロベリーブロンドの輝きを放っていた。


 そして今、小花のような耳にかかった髪束が頬にこぼれる。

 周囲に、匂やかな香りが充ち満ちる。


「まったく、あのナリだってのに、最高だなぁ……」


 一方、可憐な相貌に反し、美女の装いは華やかさからかけ離れていた。黒、茶、灰など地味な色合いの装束は、酔いどれどもの風采と変わりない、安全性や機能性を重視した旅装束だ。

 それも却って酔漢の期待を煽る。

 キャラバン加入の望みが膨れあがる。


「……」


 しかし失敗に対し臆病なのが人の性。

 そこここの卓上で「お前が行け!」の目配せが交錯し、美女の対面席は一向に埋まる気配を見せなかった。


「……あ、あの、」


 ところが、勇敢にも美女へ声をかける猛者はいた!

 否、勇敢にでなく、幸運にというべきか。


「お注ぎしましょうか?」


 給仕青年だ!

 彼はその立場上、忌憚きたんなく声をかけることができたのだ。

 酒場に羨望と嫉妬の歯ぎしりがこだまする。


「ありがとう。いただきます」


 それを、鈴を転がすような声色が洗った。美女が微笑めば、青年は美貌に見惚れ、苛立っていた外野までも恍惚こうこつとさせた。

 給仕青年は、そそくさと酒を注ぎに行った。逆立ちで踊り狂わんばかりの優越感が、青年を満たしていた。

 まさかこの直後、事件が起ころうなどとは思いもしないまま。


「……おい、あいつ〈ひと喰い〉じゃねぇか?」


 酔いどれの一人が言った、それが凪いだ水面に投げ込まれた礫だった。波紋はたちまちに拡がる。間もなく酒場全体が野太い悲鳴に揺れた。


「やあ」


 ついに現れたのだ。

 猛者が。

 それも美青年が!


「白肌の綺麗なお姉さん」


 おまけに気障な挨拶ときた!

 酔いどれどもは顔をしかめた。給仕は一瞬のうちに、美青年が追い払われる場面を百と夢想した。


 果たして美女の答えは、


「こんにちは」


 の一言であった。

 無念、素っ気ない挨拶ではなかった。首をかくんと斜めに傾げた愛らしい仕種しぐさが、酒場の連中の胸に痛かった。それは紛れもない同席の赦しだった。


「こんにちは。俺はウェイグ・アンダーボルト。冒険者でね、一緒に旅してくれる仲間を探してるんだ」


 ウェイグと名乗った青年は、人懐っこく笑い腰を下ろした。

 そこへ給仕がふらついた足取りでやって来て「どうぞ……」と酒を置いた。美女からは礼と微笑が返ったものの、給仕の魂はもはや内にない。茫然自失の体で踵を返した。


 パリィン!


 別の卓から回収した空き皿を割ってしまう始末だ。

 失態を咎める者はなかった。皆、同情の一瞥をやってから、黙して目を伏せた。


 ただ一人歩み出たのは、如何にも屈強そうな偉丈夫だった。

 彼は給仕の肩を優しく叩いた。目が合うと、共に皿の破片を拾い始めた。二人の目尻には、見る見るうちに涙が溜まった。哀しい絆の印であった。


 美女はそれに気付いているのかいないのか、両手を打ち合わせ華やかに笑んだ。


「ちょうどよかったです。アタシも仲間を探してたんですよ。レイラ・サンディと申します。よろしくお願いします!」


 どこか大人びて妖艶さを匂わせる彼女だったが、話し始めると少女のようだった。快活な口調で表情もころころと変化し、やたらぺこぺこ頭を下げた。


「よろしくね。やっぱりレイラちゃんも〈ガラスの靴〉を?」


 一方、初対面にもかかわらずウェイグの心の距離は近い。


「もちろんです!」

「そっか。でも、レイラちゃんくらい綺麗だと〈ガラスの靴〉を履く必要はないね」

「履く?」

「あれ、知らない?〈ガラスの靴〉を履くと美人になれるってさ」

「ああ! 高い褒賞金を約束してでも、女王陛下が欲しがるわけです。美貌は女の憧れですから!」


 頬に手をあて恍惚とするレイラ。

 いまいち会話が噛み合わない。

 おまけに、彼女が美貌に焦がれるのは嫌味というものだ。

 ウェイグは酒場に他の女性の姿がないのを見て取って、ほっと胸を撫でおろした。


「……しかし女王陛下のお望みが叶うかは疑問だね。〈ガラスの靴〉は欠片だし、今のところ、ひと欠片でも王宮に献上されたなんて話は聞かない」

「ええ、ですからアタシたちが頑張らないと!」


 これにはウェイグも呆れを通り越しおかしみを覚えた。


「建前は、そうだね。でも大抵の人は、自分のために動いてる。俺だってそう。冒険者になったのは金が欲しいからだ」

「ええ、お金は大事ですから」


 なおもレイラは合っているような、合っていないような微妙な返事を寄越した。


「ハハ、そうさ。俺の家は貧しくてね。冒険者になるのも大変だった。道具が買えなくてさ」

「へぇ」

「そんな家だから、楽をしたくなったし、家族にも楽をさせてやりたくて」

「……なるほど」

「弟と妹もいて。まだとても小さいんだ。辛いよ。子どもが貧しいことほど哀しいことってない」

「そう、ですね……」

「……?」


 妙だと思ったのは、その時だ。

 つと酒杯に落としていた顔をあげると、レイラが手許を見下ろしたところだった。

 彼女の瞳はひどく潤んでいた。


「え、えっと……」


 ウェイグは狼狽した。何が彼女を傷つけたのか解らなかった。

 が、それを訊ねる必要はなかった。

 レイラのほうから先にこう切り出してきたからだ。


「……猟師なんです」

「え?」

「アタシ猟師なんです」

「……! そう、なのか」


 その意味まで解らぬウェイグではなかった。

 猟師は、方々を渡り歩くことで口を糊する狩人だ。

 獣ばかりでなく、各地に植生した植物を市場に卸して賃金を得たり、それらを煎じて薬とし売り歩いたりする者を総じてそう呼ぶ。


 ゆえに、冒険者時代を迎えた現代には引く手あまたの人材だ。


 一方で、住処を築かず、獲物をもとめ彷徨う本性は、すべからく孤独なものとして知られる。

 技をたのみにすり寄ってくる旅人はいても、旅立ちを引き留めてくれる友や家族はいないのだから。


「……軽率だった」


 ウェイグは下手な繕いは口にせず、素直に己の軽率さを恥じた。

 悪意ある言葉は当然人を傷つけるが、時には無意識にこぼした一言のほうが、相手の心を鋭く抉ることもある。


「すまなかった」


 ウェイグは卓に手をつき、深く頭を下げた。

 レイラは洟をすすり、頭を上げてくださいと言った。


「ウェイグさんが悪いんじゃありません。アタシの事情なんて知るはずがないんだし」

「……」


 ウェイグは、しかしすぐに頭を上げなかった。

 自責の念からではなかった。

 苦悶に歪んだ顔を見られたくなかったからだ。

 彼女の声色に滲んだ諦念は、巧まずしてウェイグの心を刺激していた。


『ワシらを置いていくんか!』


 胸の奥深くに打ちこまれたくさびが、糾弾きゅうだんの声となってウェイグを苛んでいた。

 手首に乾いた指の感触が絡みついてくるような気がする。

 ウェイグは自身の手首に爪をたてた。


 ……きっと帰るさ、親父。


 忌々しげに瞬くと、ようやく面をあげた。


「……」


 相手にかけるべき言葉を探した。

 どんな言葉も相応しくない気がした。届かない気がした。

 何も言えなかった。

 二人の間に、沈黙の幕が下りる。


「……アタシ逃げてきたんです」


 ところが意外な事に、レイラがそれを破った。

 ウェイグは驚きを隠した。

 彼女の告白を遮りたくなかった。


「逃げてきた?」

「はい。売られそうになって」

「売ら、れ……」


 衝撃的な事実に、ウェイグは顔をしかめた。


「実の親に、だよね?」

「ええ、アタシの家も貧しかったので、きっと……」


 貧困の苦しみを改めて突きつけられる気がした。

 貧しいことは、明日の飯に困窮するばかりではない。

 時に、家族の絆さえ不確かにしてしまう。

 心が先にあっても、生活が成り立つとは限らない。

 生活が先になければ、廃れていく心もあるのだと。


「辛かったろうね……」


 が、それを理解したところでウェイグにできる事は多くなかった。

 所詮、他人。所詮、別人だから。

 苦しみを想像し寄り添う努力をするのが精一杯だ。

 レイラの残酷な過去を肩代わりする事はおろか、知ることさえできない。

 彼女が実際に経験してきた地獄を、我が事として追想することができるのは、彼女をおいて他にいないのだ――。


「……」


 そして彼女は今まさに、あの日の出来事を脳裏に反芻はんすうしているのだった。

 両親から向けられた眼差し。

 石礫を投げられた痛み。

 誰かが言った、


『殺してやる……!』


 の一言までも鮮明に。

 二度と思い出したくない過去を。

 けれど、思い出さずにいられない。

 ふいに襲い来る悪夢に抗する術がないように。過去は突として現れ、脳裏に根を張る生き物だから。


「……ぁ」


 我に返れば、延長線上の今が待っている。索漠さくばくとした現在が。

 あの頃と比べたら、孤独は多少和らいだ。時代の趨勢が、猟師の価値を高めた。レイラには無二の美貌もある。


 だが価値をもてば、利用される。

 この世には味方など一人もいない。

 他人への信用は、自らを窮地にさらす油断でしかない。


「……ところで」


 だからこそレイラは問う。


「ウェイグさんは、何ができるんですか?」


 相手の価値を。

 自分が利用するために。


「……うん」


 ウェイグは、こちらの思惑を知らない。だが、シリアスな気配だけは感じとれたらしい。爽やかな若者としてでなく、一人の冒険者としてその瞳に怜悧れいりな光を宿らせた。

 外野も益の匂いには敏感だった。愚か者が意図せず塩を送ってはくれまいかと待ち構えた。

 一息に酒を飲みほすと、ウェイグは言った。


「場所を変えようか」



 ――



「この街はいいよね」


 酒場を出るなりウェイグが言った。

 レイラは首を傾げ、何がですと率直に返した。


「いやぁ、何というか力強くてさ。サルーガは人口の山だなんて言われるけど、まさにそんな感じがする」

「確かに、力強い印象は受けますよね」


 ここサルーガの街付近には、石切場の禿山がある。その影響から石材の流通が著しく、建物は木造より石造のものが多いらしい。

 実際、景観はおよそ鈍色で華やかさこそ皆無だが、重厚で堅固な印象だ。


「男は、こういう無骨なものに弱いんだ」

「はあ」

「まあ、それはいいや。行こうか」


 ウェイグはうんと伸びをすると、サルーガの広々とした道を歩きだした。

 通りの向こうから、顔面毛むくじゃらの男に連れられ三頭のウシがやって来た。レイラはそれを避け、ウェイグの隣に並び歩いた。

 間もなく勾配の厳しい坂に差しかかると、ウェイグはその頂上を指差した。


「この通りの先に、牧草地があるの知ってるかい?」

「え、この先ですか?」

「そうさ」


 サルーガは地面までびっしりと石が敷き詰められている。ひび割れから覗く緑一つない。


「ずうっと遠くにあると思ったろ? でも違うんだ。信じ難いことに、ちょっとこの先を上れば、石の景観なんてすっかり姿を消してしまう。さっきウシが歩いてたよね?」

「ええ」

「あの子たちに充分な餌を与えるのに、サルーガの隅から隅まで歩かせてたら手間だ。遠路はるばるやって来た騎獣は飢えてしまうしね。だから、近く広大な草地を残してある。水もあそこから来てるんだよ」

「へぇ」


 レイラは道端に切られた水路を観察する。確かにそれは坂の上から流れており、方々で枝分かれして、街を潤しているようだった。


「えっと、猟師は街へ来ることはあまりないのかな?」


 ウェイグが遠慮がちに訊いた。

 変に気を遣われても、却って気分が悪くなる。

 レイラは努めて快活に笑った。


「アタシは北から下ってきたばかりなので、この辺りに詳しくないだけです。街に寄るかどうかは人それぞれじゃないでしょうか。最低限の物資調達のためにしか集落へ下りない人もいれば、商人気質の人もいます。〈ガラスの靴〉が目当てなら、アタシみたいにスカウトを待ってる人も多い」


「なるほど。やっぱりレイラちゃんはスカウト待ちだったか」


「猟師だって言っても、なかなか信じてもらえないんです。声をかけるだけ無駄で……。だったら、声かけてもらうの待ってたほうがいいかなって。フラれるより、フッてやるほうが気持ちいいですから」


 空中に拳を繰りだすレイラを見ながら、ウェイグは苦笑した。


「なるほどね。お眼鏡にかなわないと俺も即ポイってわけだ?」

「もちろんです! 旅は命懸けなので」

「ハハ、おっしゃる通り」


 そこで束の間、会話が途切れた。ふらついた足取りの男に目を奪われたからだ。

 袖口を赤黒く滲ませた負傷者。

 その姿が雑踏の中に見えなくなると、ウェイグがこう切り出してきた。


「ブナ林の事件は知ってる?」

「ブナ林? 事件?」


 レイラが首を傾げると、ウェイグは目を伏せた。


「ここからちょっと南東へ行ったところにね、ブナの群生する林があるんだ。べつになんて事ない場所なんだけど、そこで遺体が見つかったらしい」

「遺体、ですか……?」


 レイラは蒼褪めて返した。


「ああ、身許はギース商隊のものだった」


 次いで目を剥いた。


「えっ、もしかして国営キャラバンですか?」

「うん。国営の連中と言えば、国に見初められた腕利きだ。それが全滅して見つかった」

「全滅……。まさか、魔獣ですか?」


 恐るおそる訊ねると、ウェイグは俯きがちにかぶりを振った。


「遺体はいずれも首を斬られていた。明らかに獣の仕業じゃないらしい」

「じゃあ、もしかして〈ウズマキ〉……?」


 一拍の間を置いたあと、ぎこちない首肯が返った。


「……」


 二人はそれきり口を噤み、憂鬱に項垂れた。

 冒険者にとって〈ウズマキ〉は、魔獣にも劣らぬ恐怖の象徴だ。

 魔獣が災厄と呼ばれるのに対し、〈ウズマキ〉は呪いと呼ばれる。

 欠片を手にした者の前に現れ、その命を刈ってゆく。

 ゆえに〈ガラスの靴〉の呪いだと。


「……あ」


 しかし憂いは長く尾を引かなかった。

 鈍色に埋もれた景色が豁然かつぜんとひらけたからだ。

 見渡す限りの草原。

 秋の最中に、未だ色づき続ける緑の園。

 草地と蒼穹の色彩が、世界を二分していた。

 吹きつけた風が肺に淀んだ空気を払い、濃厚な牧草の香りで胸を満たした。


 レイラは咄嗟にここへ至るまでの道程を見返し、色彩の明暗に舌を巻いた。

 自然の中ならば嫌というほど歩いてきた。緑は見慣れ、飽いていた。


 なのに、何故だろう。

 何もない一面の原っぱや丘陵を新鮮に感じた。


 動物たちを囲う柵、ぽつぽつと建った小屋、巨大な袋に詰めこまれた牧草ロール、地平線の果てにかろうじて窺える外壁――。


 人の手が加わった箇所は当然あるものの、ここはまるで支配や管理といったものから遠く隔てられているようだ。人や動物を桎梏しっこくする窮屈さを感じない。


「穏やかなところですね」

「ああ、本当に。気に入ってもらえたかい?」

「はい!」


 レイラは〈ウズマキ〉の噂を忘れ、一面の緑に魅入った。

 ウェイグも遠くを見据え、静かな感銘を噛みしめている様子だ。

 二人はしばし緑の和やかさを共有した。


「さっきの話」


 先に口を開いたのはウェイグだった。


「驚かせるつもりはなかったんだ」

「〈ウズマキ〉ですか?」

「ああ」


 レイラはすでに恐れを胸の奥にしまい終えていた。

 気を引きしめウェイグを見返していた。

 ここからが交渉の時間だった。


「わざわざ〈ウズマキ〉について触れたのには理由があってね」


 ウェイグが柵に寄りかかり地図をとり出した。


「今、冒険者の多くが目を付けているポイントは知ってるかい?」

「ごめんなさい。知りません」

「いいんだ、これを見て」


 ウェイグが地図を拡げる。主にベルターナ州を記したものだ。およそ中央に長大な山脈が横たわっており、その僅か右手上方に「サルーガ」の名がある。ウェイグは、そこからやや右下、南東の位置を指し示した。


「ここが例のブナ林のある辺り。そして」


 指先はさらに南東へ。


「ここが今、冒険者に人気のある〈海蛇の舌〉だ。王都学者の訳文を頼りに人が集まってる。あっちの訳文は解りやすいし信憑性が高いからね」

「なるほど」

「でも見てくれ、例のブナ林から三十マイルほどしか離れてない。これは危険だと思わないかい? 単に近いだけじゃない。実際に探索する者が多ければ、〈ガラスの靴〉発見の可能性は高まる。〈ウズマキ〉が、それを見逃すとは思えない」


 レイラはウェイグの狙いを察して頷いた。


「つまりウェイグさんは、〈ウズマキ〉出没の可能性が低い、別のポイントを知ってるんですね?」


 地図から顔をあげ、ウェイグは微笑んだ。


「ご名答。地方の訳文を買ってね。やっぱり都市部のやつと比べると解りづらくて、ケツを拭くのに使ってしまう連中も多いみたいなんだけど……」


 目をすがめたレイラを見て、ウェイグは苦笑した。


「おっと失礼。とにかく、俺にはピンと来たんだ」

「でも、地方の訳文だと貴族のお墨付きはないですよね。デタラメを書いてある恐れがあるのでは?」

「ああ、その懸念は正しい。だから、レイラちゃんの選択肢は四つだ。俺を信じるか、地方学者の良心を信じるか、神を信じるか。あるいは俺を切り捨てるか」


 指折り数えて見せたものの、実質二択だ。

 レイラは苦笑する。


「じゃあ、ウェイグさんを信じるために、もう一つ訊かせてください」

「ああ、いいとも」

「どうしてアタシを選んだんですか? 交渉材料があるなら、より優秀な猟師をスカウトできたはずです」

「より優秀な猟師、か……」


 ウェイグは原っぱに目を転じ、額を掻いた。

 やがて観念したように、ゆっくりと瞬いた。


「……よし、正直に告白しよう。俺は最初レイラちゃんと旅しようなんて、これっぽっちも思っちゃいなかった」

「でしょうね」


 別段驚くような内容ではなかった。

 レイラは自身の美しさを自覚している。

 むしろ美貌を利用してきた。とんちんかんな受け答えも演技だ。男の卑しい下心を露呈させ、早々に一蹴するための。


「でも、それがどうして?」


 先を促すと、ウェイグは僅かに視線を下げた。


「猟師だと打ち明けられたあと、俺はすぐに君の手を見た。そして、解った。この子は、ただの女の子じゃないんだって」

「手ですか?」


 レイラは自らの手を見下ろす。

 美貌に反して、無骨なそれを。


「俺はまだ冒険者としては未熟だ。共に旅した猟師の数は、そう多くない。だけど長々と酒を舐めていれば、多くの猟師を見ることはできる。酒場をすぐに去っていく猟師の特徴が判る。レイラちゃんの手は、それさ。目利きの冒険者に見初められる猟師と同じもの」


「そうですか?」


「ああ。まず、硬そうなのにマメ一つない。潰れた痕さえない。でも、親指と人さし指の間、小指の付け根に渡る横のラインは皮膚が軟化してる」


 レイラは内心愕然としながら、おもむろに頷いた。


「ナイフを持ち慣れてる証拠だ。指にも厚みがあって、女性にこう言うのはなんだが、力もあるね? そのくせ手の甲には傷一つない。君が旅に慣れ、自然を知っているからだ」


 実際、皮膚は使い続ければ硬化し、さらに使い続けると順応して軟化する。やわい手のひら自体が柄を包みこむ滑り止めとなる。

 ものとの接触を避けるのも事実。自然界には毒性の生物も潜んでいるし、小さな傷でも感染症の原因になる。


「……」


 レイラはそれらの事実を誰から教わる事なく、己が経験から学んできた。

 今のこの手が出来上がるまでに、数えきれない痛みや苦しみや失敗があったのだ。

 もう随分と時が経ったのだと思い知らされる。


『〈ガラスの靴〉を探しなさい』


 に、そう導かれたのも、もう七年も前のことだ。

 レイラは、ウェイグの目をまっすぐに見つめ返した。


「すごい観察眼です。驚きました」

「実の猟師から言われると恐縮だな」

「手を組んでもいいですよ」

「えっ、本当に?」


 ウェイグは目を輝かせ距離を詰めてきた。

 レイラはその肩を押して一歩後ずさり、ただしと付け加えた。


「実力を示してください」

「実力?」


 ウェイグが首を傾げると、レイラはおもむろに低く腰を落とした。指を鉤状に曲げ、表情を削ぎ落とし、五感を研ぎ澄ませた。


「ええ、こういう事です」


 たちまち内に秘められていた殺気がどっと溢れだした。

 異様な変わり様に気圧されたのか、ウェイグの片眉がぴくりと動いた。困ったとでも言いたげに頭を掻いた。


「実力か。ま、当然だよね……」


 ところが突如、好青年然とした爽やかさは霧消する。

 薄い笑みが浮かび、周囲の温度がぐっと下がる。

 緑の匂いまでもが淀む。


「いいさ。未熟でも腕は立つんだと証明してみせようじゃないか」


 肌が、ひりひりと粟立つ。

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