第3話 アイツらが悪いんだよ
僕が家にいなかった間に、大学生の姉が帰ってくることが顕著的に増えた。
それに際して思うのは、弟と姉の関係は正に理不尽だということだ。
僕は家に帰るなりリビングのソファーに横になった。散々だった学校生活に疲れていたのだ。しかしそんな僕にもこの世界の住民は休みを与えたくないらしかった。リビングのどこからか、僕を咎めるような強い声が聞こえてきた。
「オマエさぁ、まず家に帰ってきたら手ぐらい洗いなよ、汚いんだよ。それにその制服のままベットに横になるのやめてくれない?制服明日使うんだしそもそもベットが汚れるんだけど。」
どうして女はいつも文句を一つ二つぐちぐち言わないと気が済まないんだろう?
いくら身内と言えども疲れていた僕の神経を逆なでするには彼女の言葉は十分だった。
「これはベットじゃなくてソファーだ。」
僕はどうにか相手の間違いを指摘することで、姉に反撃しようと試みた。
「で?」
僕はこれを言われてしまうと困ってしまう。何も言い返せないのだ。何故かはわからないけど、このたった一文字にたくさんのニュアンスが含まれているようだった。
「で、学校はどうだったの?何かは変わった?」彼女は興味があるわけでもなくまた揶揄するわけでもなく、ただの世間話のつもりらしかった。
しかしどうだろう、僕にとってはその話題はなによりも避けがたい話題。上手く話を逸らそうと思った。
「いや、まあ、あっ、そういえばさなんで姉ちゃんはこんなに家に帰ってくるの?大学は大丈夫なのかよ」
姉は一瞬表情が固まり、思い悩んだ顔をした。僕はそれを疑問に思ったけど口にはしなかった「。
「いやウチはオマエに聞いてんのは学校はどうだったの?ってこと。ウチのことはオマエに関係ないでしょ?で、どうだった?その髪の事は誰かに言われた?」
僕は口を閉ざすしか他になかった。なんて言うべきだったんだろう?もう僕には何もわからなかった。
「ま、ウチにはどうでもいいんだけどさ、ウチは海外留学だって大学進学だって応援してるんだからさ、それだけは覚えておいてね。」
「うん、わかってるよ、うんありがと」
何故だか分からないが妙にこの会話が心に残った。学校でのあの不快感なんてどこか遠いものに感じた。姉の言葉にはなにか他の意味が含まれているように思えたけど、僕には見当さえつかなかった。
「わるいんだけど、すこし疲れたからさ、夕ご飯の時間になったら呼びに来てくれない?ウチは休んでるからさ。」
「めんどくさ、まあいいけど」
姉は見た目だけで言うなら何も体調が悪そうでもなさそうだった。きっと僕との会話に疲れたんだろう。よく言われることだし、されることだった。
「じゃ、おやすみ。」
一時間ほど経っただろうか、晩御飯の準備は整ったようだった。母に促され姉を呼びに行くことにした。
リビングから廊下を出て、つきあたりの階段を上る。まだ秋だというのにやけに寒い夜だった。何よりも寒さが嫌いな僕を憂鬱にさせるにはそれだけで十分だった。
姉の部屋は元々階段の手前の部屋のはずだったが、最近は一番奥の客様用の部屋で寝ている。僕はそこまで歩いていくのも億劫だった。正直なところはやく暖かい部屋に戻りたかった。
僕はある種の非日常性を感じた。それは海外留学とかお祭りだとかそういう気分を高揚させるような種類のものではなかった。なにかひどく悪い夢のようにも思えた。
奥の客室からは何かもだえ苦しむ声が聞こえた。それは女性の声のように思えた。紛れもなかった。姉の声だ。姉が何かに苦しんでいる。僕はわからなかった。このまま部屋に入って介抱をしてあげるべきか?それとも階段を下って母に助けを求めるべきだったのか?
後ろから忍び寄る不幸の訪れを感じながらドアを二度三度ノックをした。うめき声が一瞬やんだ。かすかな声だが姉の返答が聞こえた。しかし僕には上手く聞き取ることができなかった。
恐る恐るドアを開けることにした。姉は頭から布団をかぶっており詳しい様子まではわからなかったが、その布団の形からどのような姿勢で苦しんでいるかは想像できた。
「大丈夫?何か持ってこようか?」僕はこれ以外の言葉が見当たらなかった。
長いうめき声の後に姉は口を開いた。
「いいから、お母さん、呼んできて」
僕は駈け足で部屋から出て母の方へ向かい事情を話した。母はテキパキと色んな準備をし(そこには僕の晩御飯も含まれていた)、姉のいる客室へと向かっていった。
僕は何が起きているか分からなかった。
しかしただ一つ、僕はこれから何も知らないふりをして生きていくことはできなくなった、ということを痛感した。
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