第3話 REAL 03
佐山は夢を見なくなった。
〈リアルワールド〉の中で気絶するように寝落ちし、携帯のアラームで起こされる。
本村が死んで二か月が経ち、佐山は自宅でも〈リアルワールド〉にログインしていた。
泣きぼくろの少女は、まだ見つからない。
年末間近の忘年会に集まった人数は六人に減っていた。雪になりきれない雨が店の外を濡らしている。
「お前、律義だなあ。まだそんなことやってんの?」
遅れてきた営業マンは、疲れた顔で鍋をつつく。
佐山が泣きぼくろの少女を探していると告白すると、そんな言葉が返ってきた。
まだそんなこと、と言われてむかつくと同時に、徒労感が強くなる。
「会社の同期でデータ管理やってるやつとかいないのか?」
面倒くさいが仕方ないといった口調で、営業の男が冷めたおでんに箸を伸ばす。
「そういうのは厳しいんだよ。データ管理部は部外者以外立ち入り禁止だし、データの閲覧はたとえ親の頼みでも無理って言われたよ。何もできないんだよ、俺」
酒が過ぎたのか、余計な言葉が出た。
「本村くんのことは、佐山くんのせいじゃないし」
「そうよ。できるだけのことはしたんだし、もういいんじゃない?」
女子たちが交互に慰めのの言葉をかけてくれる。
「でも、本村は最後に……」
佐山はポケットの中の携帯を握りしめた。
[見つけた。やっぱり彼女だ]
そのメッセージは消せずに、今も残っていた。
「あらあ、珍しい人がいる」
出勤前の会社近くのコーヒー店で声をかけられた。店内はまだ客が少ない。
「あ、山部さん。お久しぶりです」
「ここ、いい?」
トレイを持った山部に聞かれて、佐山は頷いた。山部は佐山の向かいに座った。
「十二時からのシフト?」
「はい。山部さんも?」
「そうなのよ。これからいくさの前の腹ごしらえ」
山部のトレーにはサンドイッチとカフェオレが載っている。
「どう? 管理課は」
「うーん。結構大変なんですけど、傍目には寝てるようにしか見えませんね」
やっぱりそうなんだ、と山部は笑った。
「あそこは二十四時間体制でしょう? シフトはどんな感じになってるの?」
現在佐山がいる管理課はサポセンとフロアが違うので、派遣社員の山部にはよくわからないことも多いのだろう。いろいろ質問をしてくる。
「タイムリミットもあるので、〈ワールド〉の中に入っているは計六時間くらいですね。三~四時間入って、交替で休憩してから、また三時間。引き継ぎとか報告とかしてたら一日が終わりますね」
「〈ワールド〉内には常に誰かいなきゃいけないから、大変よね」
「そうですね。六時間ごとにシフトを区切って、二週間ごとに交代していくって感じです」
「じゃあ、夜中の勤務とかあるわけ?」
「ありますよ。夜の方がお客さん多いし」
運営管理部管理課は〈リアルワールド〉中での管理がメインのため、社内では『現業』と呼ばれていた。
「そっちのほうはどうなんですか? 変な質問は相変わらずですか?」
佐山が逆に質問する。まとめたレポートなら読んでいるが、今は部署が違うために細かいデータまでは見ることはない。
「ホームページのFAQで明確な否定文載せてから少なくはなったんだけど、相変わらず来るのよ。FAQ読めないユーザー様から」
「そういうのは秋山課長に回してるんですか?」
秋山は、まだ若いが切れ者という噂で、笑顔と一緒に目に見えない刀をぶら下げているような雰囲気があった。
「ううん。今はオペレーターが普通に対応してるっていうか、否定してる」
「そうですよねえ」
あははと二人は声をあげて笑った。
「でもね、ネットが趣味の友だちに聞いたんだけど、メンヘル系のブログやSNSにはやたらあの手の書き込み多いみたい。質問って形でね。あんたの会社大丈夫って聞かれたけど、お前の頭こそ大丈夫かと言いたかったわ」
とほほと言わんばかりの表情で、山部はサンドイッチにかじりついた。
仕事を終え、家に帰って調べてみると、メンタルヘルス系のSNSやブログには必ずといっていいほど「死んだ後、〈リアルワールド〉で生きられるのか?」という質問が投稿されていた。反応は「バカバカしい」から「それが本当ならいいのに」「信じれば叶う」といったものまでさまざまだった。
今度は『リアルワールド』『幽霊』のキーワードで検索する。今度は心霊系のサイトやブログ、SNSの投稿がひっかかってきた。
内容は、「自殺した人間を〈リアルワールド〉内で見た」「〈リアルワールド〉には幽霊がいる」というものだった。
両方の書き込みを見ていて、佐山はふと違和感を覚えた。
心霊系のほうは噂話と目撃情報が主で、書き込み内容も文章もばらばらな印象なのに、メンタルヘルス系は質問者のIDや語尾は違うものの内容はほぼ同じなのだ。
これは、記事を自動生成するロボット・プログラムを使って、誰かが故意にそういう噂を流しているのではないだろうか。
しかし、誰が? 何のために?
まるでわからなかった。
座標マップがあっても、脳は視覚的な情報に支配される。
ヴァーチャル空間での感覚のズレは、脳が簡単に補正されてしまう。だからこそ、ログイン中の〈リアルワールド〉はユーザーにとって
毎日ログインするヘビー・ユーザーも少なくないが、六時間程度のプレイなら現実の実感は失われることはない。
にもかかわらず、連日業務でログインしている現業部門のスタッフたちは現実が〈リアルワールド〉に浸食される感覚に蝕まれていた。
うっかり恋人を怒らせるようなことを言ってしてしまい、思わずアンドゥをかけようとした話を「ありえない」と笑い飛ばせなくなったとき、その感覚は危機感へと変わる。
だから彼らはプライベート・アカウントを持っていても、社外では〈リアルワールド〉にログインすることはない。
佐山を除いては。
自宅からもログインし、泣きぼくろの少女を探してさまよったせいで、佐山は〈リアルワールド〉について、部署内では誰にも負けないほど詳しくなっていた。
いくつかの心霊系サイトやブログ、SNSのキーワードも定期的にチェックしていたが、「幽霊」の出現情報は少なかった。せいぜい一か月に五件。
ビジターとレジデントを合わせた〈リアルワールド〉のユーザーは五〇〇万人を突破していた。
「よう、まだ働く気か?」
帰ったはずの佐山が戻ってきたのに気づいたチーフの野間は笑った。
擦りガラス風のパーテーションの向こうは暗く、等間隔に四角いモニターの画面がぼんやり光っている。そこでは同僚たちが〈リアルワールド〉にアクセスしているのだ。
「忘れ物しちゃって」
「忘れ物? 何?」
何台も並んだモニターの後ろから野間が出てきた。チーフの仕事は作業の管理と監督で、親分肌で気さくな野間は後輩たちの面倒もよく見ていた。
そのため、シフトがばらばらな管理課を実質まとめているのは、プログラマー出身の神経質そうな課長ではなくチーフの野間といえた。
「緑色のシステム手帳、見ませんでしたか?」
「あ? あれ、佐山のなのか?」
驚いた様子で言う。
「ええ、僕のなんです」
「しまったなあ。あれ、サポセンに持っていっちゃったよ。秋山んのだと思って」
「え?」
怪訝な顔をする佐山に野間は言った。
「だって秋山の妹の写真が入ってたから、てっきり秋山のかと思ったんだよ」
今度は佐山の驚く番だった。
まもなく、手帳を持って帰ってきた野間は微妙な顔をしていた。
「さっきはいなかったから秋山の机に手帳置いてきたんだけどさ。今行ったら、これ俺んのじゃないぞって返された。ごめん。中身、見られたかも」
これで勘弁してくれと、野間は温かい缶コーヒーを佐山に渡す。
「ところで、なんで秋山の妹の写真を持ってたんだ?」
モニターの向こうに引っ込だ野間が、立ったまま自分の炭酸を開ける音がした。
「僕も誰だか知らなかったんですよ」
少し迷って缶を開けた。
「あの写真、この間事故で死んだ友だちが持ってたんです。〈リアルワールド〉の中であの女の子を探しているって言ってたから、見かけたら彼が死んだことを伝えようと思って」
甘いコーヒーは少しだけ嘘の味がした。
「見かけたっていつの話だ? だいぶ前のことだろう?」
「いえ。今年になってからです。夏くらいに」
「それは妙な話だなあ」
「妙って?」
「彼女は亡くなってるんだ。確か五、六年前だぜ?」
モニターを覗き込んだ野間の顔が、下からの明かりに照らされて、不気味な陰影を作っていた。
「またまた。野間さん、冗談はやめてくださいよ」
やはりそうなのかと思いながらも、殊更に明るい口調で言い返すと
「いや、それがマジなんだよ。秋山と俺って同期で、バージョン3から4に変わるとき、データとりのために社員の家族の協力も募ったわけ。そんときに秋山の妹も参加してくれたんだけど、それから割とすぐ後に亡くなったって聞いたな」
「事故ですか?」
うーん、これ言っていいのかなあ、と渋りながらも「自殺だったらしい」と野間は教えてくれた。誰にも言うなよ、を付け加えて。
「そういうわけで、彼女のデータが残ってるわけないんだよ。ユーザーが亡くなる=退会=データ削除なんだからさ」
「でも、最近ネットで変な噂が立ってるじゃないですか。〈リアルワールド〉の中で死んだはずの人間に会った、みたいな」
あれか、と野間は渋面を作った。
「なんか変な噂が流れてるよな。もちろん、そんなことあるわけないんだけど、ここだけの話、ユーザー死亡による退会というケースがここ半年で増えてるらしい。しかも、入会して二、三ヶ月後の若年者が多いらしい。こっちでは死因まではわからないが、自殺が多いんじゃないかって話もある。〈リアルワールド〉の中に自分のバックアップを作ったからって、安心してこっち側の自分を消去してるみたいだって、登録管理の連中がウツになってたよ」
これも他のやつには絶対話すなよ、と野間は念を押して仕事に戻った。
それを機に佐山も退出したが、冷たくなってしまったコーヒーは何となく気持ちが悪くて、給湯室で流して捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます