第2話 REAL 02

「はぁ?」

 本村は気にする様子はない。

「昨日、たまたまリアルステーションの前を通りかかったとき、店頭のデモで見たんだ。高校のときに死んだはずのミホが画面の中を歩いているのを」

 リアルステーションは〈リアルワールド〉の直営店で、契約手続きの他、データ作製を行う。

 ビジターと呼ばれるビギナー向けデータ作製には、前面と背面の全身像が二枚必要で、あとは登録時に身長と大まかな体型を選択するだけで、アバターに近く、携帯電話やPCからの登録も可能だった。

 インターフェースも簡易ゴーグルと触覚再生用のグラブだけという手軽なもので、学校の授業でもよく使われている。

 もう一つの、レジデントと呼ばれる一般ユーザー登録をするには、リアルステーションに出向く必要がある。

 3D写真で全身像を撮影し、そこからデータを起こしていく。

 よりリアルな感覚が再生できるように、個人別にインターフェースの調整やカスタマイズも行われてる。

「で?」

「そのままステーションに入って、契約してきた」

 疲れた顔の本村がうっすらと微笑んだ。

「それはそれは、ご契約ありがとうございます」

 佐山は思わず丁寧に頭を下げた。

 回線とスターターキットがあれば、〈リアルワールド〉はその日からプレイできる。

 この様子では、本村は昨日から徹夜でプレイしていたに違いない。

「でもお前、何のために〈リアルワールド〉やってるんだ? その、ミホちゃんを探すためか? 他人の空似なんじゃないのか?」

 自分のコーヒーが冷めているのに気がついた佐山は、一口含んでその苦さに顔をしかめた。

「高一の夏から二年間、彼女が死ぬまでつき合ってたんだ。見間違えるはずがないよ」

 かすかに震える声で本村が続ける。

「制服も、同じだったんだよ」

 本村は涙を堪えるように俯いた。

「自殺したんだ、彼女。死ぬ前に俺のところに電話をかけてきた。『私、生きていてもいいのかな』って。俺……なんて言ったらいいかわからなくて黙ってた。そしたら翌日死んだんだ。手首を切って。今でもあの声、憶えてるよ」

 穏やかな優しい人柄で、学生時代の本村はそこそこモテた。にも関わらず、誰とも付き合おうとしないのが、佐山には不思議だった。

 重すぎる話に、佐山は冷めたコーヒーをまた口にする。

「どう見ても彼女だったよ。ミホだった」

「……で、お前、その子を〈リアルワールド〉の中で見つけてどうするんだ? 十八歳以下の子に迫るとアカウント即停止されるぞ」

「わかってるよ」

「それに〈リアルワールド〉は所詮バーチャルだ。現実じゃないんだよ」

「わかってる。ただ、どうしても彼女に会いたいだけなんだ。もう一度」

 テーブルの上にうずくまり嗚咽する友人を正視できず、佐山は窓の外に目をやった。


 しばらくはこまめに本村と連絡をとっていた佐山だったが、十月に入り、部署が変わって忙しくなると、その回数も減った。

 〈リアルワールド〉での人探しなど、すぐに飽きてしまうだろうという予想もあった。

 しかし、キンモクセイの香りで目覚めた佐山が目にしたのは、本村からの最後のメッセージだった。

[見つけた。やっぱり彼女だ]

 履歴は午前三時すぎ。

 今日は平日だから、役所の仕事には障りがないはずがない。

「あのバカ。まだ諦めてなかったのか」

 イライラしながら電話を入れる。早朝だからまだ家にいるはずなのに、応答はない。留守電にもならない。不吉な予感がした。

 会社帰りに本村のマンションに寄るつもりの佐山が業務終了後に目にしたのは、見慣れない番号からの着信履歴だった。

「宅配のドライバーさんかな?」

 ひとけのない休憩室で、残されていた伝言を再生する。

 録音の声は知らない男のものだった。自分は警察官で、本村が死んだので確認したいことがあり、連絡がほしいということだった。

「嘘だ……」

 本村の携帯に何度か電話をかけて聞こえてきたのは、「この電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあります」というアナウンスだった。

 伝言にあった番号に電話すると、本当に警察署だった。刑事の氏名を告げると、聞き覚えのある声が電話を替わった。

 まず、解剖の結果、本村の死因が衰弱死だったことが告げられた。

「亡くなったのは今朝の七時くらいのようですね」

「どうして……」

 ひょっとしてあのメッセージが届いてすぐに気が付いていたら、出社前に本村を訪ねていたら、彼を助けられたのではないかと思った。胸が焼けるような、激しい後悔だった。

 本村も恋人を亡くしたとき、きっと同じだったに違いない。

 言葉に詰まった佐山に、刑事は気の毒そうに続けた。

「〈リアルワールド〉ってご存知ですか? 飯も食わんとそのゲームをやっとったんですなあ。勤務先の役所のほうはここ一週間ばかし体調不良で欠勤しとったそうです」

「そんなまさか。あいつはそんなことで欠勤するようなやつじゃないです。それに〈リアルワールド〉には六時間の時間制限がついてるんですよ。その後は二時間のインターバルを置かなければ再ログインできないはずです」

「それがですねえ。ヤミソフトというんですかねえ、リミットブレーカーちゅうのを使ってまして、うちのそういうのに詳しいのが履歴を確認したら、九十時間以上ぶっ続けでゲームをやっとったらしいです」

「リミットブレーカー、ですか」

「ほら昔、若者がゲームのやりすぎで死んだことがあったでしょう。あれが九十時間近かったそうで、何事もやりすぎはいかんということでしょうなあ。で、本村さんの最後のメッセージの内容ですが、『見つけた。やっぱり彼女だ』って何のことかおわかりになりますか?」

「高校のときに自殺した彼女だそうです」

「はあ」

 刑事は気の抜けたような声を出した。

「その女の子にそっくりな子を〈リアルワールド〉の中で見て、探してたみたいなんです」

「事件性は……やはりないようですねえ」

 ご愁傷様ですという言葉とともに、電話は切れた。


 休日だったこともあり、佐山は告別式に出席した。

 本村の実家は、車で三時間ほど離れた町の大きな二階家だった。

 斎場ではなく自宅で執り行われた葬儀には、ゼミでは佐山の他に営業の男も参列することになった。仕事柄運転は慣れてるから車を出すというので、同乗させてもらうことにした。

 目的地に近づくと、刈り入れを終えた稲が天日干しされて行儀良く並んでいた。

 誘導された空き地に車を止め、黒白のくじら幕が張られた家のほうに歩くと、並ぶ花輪の中には、佐山たちのゼミ有志の名の入ったものもあった。

 一人息子の突然の死に、本村の両親は憔悴しきっていた。その横で気丈に頭を下げる若い女性に、佐山はそっと声をかけた。

「本村君のお姉さんですね?」

 棺を安置してある座敷からうなずいた女性を連れ出し、廊下で頭を下げる。

 四つ違いの姉は、しっかりしすぎてなかなか彼氏ができないのだと、本村が笑いながら話していた。

 想像していたよりも彼女は穏やかな印象で、面差しも本村に似ていた。

「お姉さん、本村君が亡くなった理由を警察からお聞きになりましたか?」

「ゲームをやりすぎたとか……信じられないです。あの子、ほとんどゲームなんかしてなかったのに」

 納得いかないと言うように頭を横に振る本村の姉に、佐山は自分の知っていることを話した。

「ミホちゃんを? 幻でも見たんでしょうか」

「それを確かめるために、僕もそのミホさん……に似た人物を探してみたいんです。写真があったら見せていただけないでしょうか?」

「それならあったはずです」

 ちょっと待っててと、本村の姉は二階に上がっていき、すぐに戻ってきた。

「これです。うちにあっても仕方のない写真です。お持ちください」

「ありがとうございます」

 差し出された写真には、セーラー服の少女が写っていた。肩までの髪に泣きぼくろ。撮ったのは恐らく本村だろう。かわいらしい笑顔だった。

 佐山は写真を喪服の内ポケットに丁寧に仕舞った。

 読経の中、泣きたいのになぜか涙は出なかった。

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