リアルライフ

黒木露火

第1話 REAL 01

「ねえ、佐山くん、〈リアルワールド〉に幽霊がでるってホント?」

 焼き鳥を手にした元ゼミ仲間の発言に、佐山浩司は怪訝な顔をした。

「そんな話聞いたこともないなあ。うちの会社、二年前にできたばっかの新社屋だよ? 幽霊話が出るには早すぎるって」

 笑い飛ばした佐山は、ジョッキをあおる。

 VMMOR〈リアルワールド〉は十年前の設立以来、順調に業績を伸ばしていた。ゲームだけではなく、電脳空間内のコンテンツが教材に使われるようになり、近年では特に伸び率も著しい。

 大学近く居酒屋は、夏休みの土曜日にしては学生が多かったが、その姿は自分たちとはどこか違うように佐山は感じた。

 それは集まったゼミの卒業生も同じだったのだろう。はしゃいで祝杯をあげる学生たちを、皆、少し遠い目で眺めている。

 新人研修後、やっと現場に出してもらるようになり、少し落ち着いた夏。

 彼らは以前より少しだけ引き締まった顔をしていた。

「だーれが会社っつったよ。中だよ中。ゲームの中」

 佐山の後頭部を軽く叩いて、左の隣に座ったのはOA機器メーカーの営業部に配属された男だ。今日も出勤だったらしく、気楽な私服の集団の中のスーツ姿は目立った。

「ああ、でも俺も聞いたことあるよ、その噂」

 佐山の右隣に座っていた本村が、冷酒を口に運びながらぽつりと言った。

 市役所に勤めている本村は、おとなしくて目立たないタイプだったが、同じく地味な佐山とは気が合った。

 住む場所が近いこともあり、今でも一緒に食事をしたり酒を飲んだりする。しかし、本村がそんな話をしたことはない。研修で疲れていた佐山の耳には入れたくなかったのだろう。

「そんなに有名なんだ。でも、そこまでに大きなバグは考えられないし、意図的に作られたオブジェクトでなければ幽霊なんてありえないよ」

 0と1で完全にコード化された世界に、そんな不確定なものが存在する余裕はない。

「幽霊がどうかわからないけど、うちの学校でも噂が出てるわ。〈リアルワールド〉で死んだはずの人間を見たって」

 斜向かいに座った女が言う。彼女は高校教師になっていた。

「一昨年、自殺した子がいたらしいんだけど、その子の姿を去年美術の授業中に〈リアルワールド〉で見たって生徒がいるのよ」

 〈リアルワールド〉には、歴史的建造物を自由に見ることができたり、美術品や工芸品にも気兼ねなく触れることができる学習用コンテンツがある。そのため、美術や歴史、地理の授業に使われる機会も増えていた。

「そんな噂が広がると困るよ。教育向けコンテンツの開発には力入れてるっていうのに」

「そんなことないのがはっきりすればこっちも安心できるから、何かあったら教えてよ」

「会社で聞いてみるよ。なんかわかったら連絡するから」

 そんなやりとりがあったことを佐山が思い出したのは、飲み会から数日経ったある日のことだった。


 佐山の仕事場は、カスタマーサービス部。いわゆるサポセンである。

 研修を終えて以来、三か月はまずメールやSNSでの対応、次の三か月は電話での対応に追われることになる。

 ストレスは溜まったが、この経験がやがて〈リアルワールド〉の中でのサポート業務へと繋がると思うと、それなりのやりがいも感じられた。

 その日も佐山はエアコンのきいた室内で、冷や汗かきながら客との対応に追われていた。

「はい。〈リアルワールド〉カスタマーサポート担当の佐山でございます。ご用件を承ります」

 最初の頃は舌を噛みそうだった部署と自分の氏名も、今ではすっかり馴染んでいた。

「……あのう」

 若い女の子の声だった。若いというより幼いくらいの。中学生くらいだろうか。それっきり黙ってしまう。

「はい。どのようなご用件でしょうか?」

 明るく、しかし急かさないように応対する。

「ええと……」

 言いにくそうに口ごもる。

「……プレイヤーが死んだ後も〈リアルワールド〉では生きていけるって、ほんとですか?」

「はい?」

 思わず佐山は返答に詰まった。そんな突拍子もない質問に当たったのは初めてだった。

 回答例を探すため検索をかけようとして、キーワードをなんとしたものか悩んでしまう。そして思い出したのが先日の飲み会のときの話だった。

 『幽霊』とPCに入力してエンターキーを押す。候補に上がったのは二十一件の過去の問い合わせ。その概要を見ると似たような質問も入っていて、全て「処理:秋山課長」となっている。

「少々お待ち下さい」

 保留にして、タイミングよくレポート作成中だった隣のブースの山部に小声で聞いてみる。

「山部さん、『プレイヤーが死んだ後、〈リアルワールド〉では生きていけるのか?』っていう問い合わせ入ってるんですけど、これは課長送りでいいんですよね?」

 ベテラン契約社員の山部は三十代の女性で、このフロアでは一番古く、応対もしっかりしている。その山部がうなづいたので課長の秋山を呼び出す。同時に聞き取った質問内容をまとめたデータも送る。

「他の者に代わりますので、もう少々お待ちください」

 断わりを入れて再保留にするとほぼ同時に、秋山が引き継いだことをPC画面で確認した。ほっと安堵の息をつく。

 すると隣の山部がキーボードを叩きながら小声で語りかけてくるのが聞こえた。

「最近、変な質問多くなってるみたいなのよね。そろそろ警戒対象に入ると思う、その手の質問」

「ありがとうございます」

 小声で礼を言ってPCに目をやると、さっき検索結果がそのまま表示されている。

 これまでの報告を見ると、どの対応も一言でいうなら「そのような事実はありません」だった。実際の言い方はもっと上手いのだろうが、秋山のような上の人間が出てくるのなら面倒な何かがあるのだろう。それが何かは気にはなったが、PCの画面を見てもこれ以上の何かがわかるわけでもない。

 同期の高校教師には「やっぱり事実無根だった」と帰宅してからメッセージすることにして、佐山は業務に戻った。


 九月になり、やっと残暑も抜けてきた土曜日のこと。

 夜八時までの遅番を終えると、佐山の携帯にメッセージが四件届いていた。

[久しぶり。元気か?]

[今日、仕事?]

[食事でもしないか?]

[連絡をくれ]

 差出人はすべて本村。市役所に勤務する本村は土曜日は休みのはずだ。サポセンに配置になってからは変則勤務で休みが合わないため、しばらく会っていなかった。

「なんか急用かな?」

 少し考えて、メッセージではなく電話を掛けてみることにした。呼び出し音の後、留守番電話に変わる。

「あ、俺、佐山だけど、なんか用? 今、仕事終わって明日は休みなんで、いつでも連絡ください」

 メッセージを残して切ったが、本村からの返事が来たのは結局翌日の午後になってからだった。

 待ち合わせのコーヒー店に行くと、本村は窓際の席で眠り込んでいた。テーブルの上にはアイスコーヒー。氷はまだ溶けていない。

 向かいの席に座ると同時に、本村は目を覚ました。

「どうかした?」

 まだ眠そうな本村に、佐山は声をかけた。

「先月、ゼミのやつらと飲んだときに、変な話があったじゃないか、〈リアルワールド〉のことで。あれ、どうなった?」

 妙なことを聞くと思いながらも、高校教師には事実無根だったというメッセージを送ったと話した。本村は黙って聞いていたが、目の下の隈が、普段規則正しい生活を送っているはずの彼らしくない。

「それで? 〈リアルワールド〉がどうかしたのか?」

 なかなか話だそうとしない本村を佐山は促す。

「あれ、本当だった」

「あれって?」

「〈リアルワールド〉では死んだ人間が生きているっていう話」

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