第41話川越一哉の野望

洗面所の鏡に向かい正面の自分を見つめる。

丸坊主から半年ほど伸ばした髪はようやく目に掛かる長さになっていた。

茶色く染めたお気に入りの髪を大切に撫で付ける。


小学生の頃からずっと短髪だったため知らなかったことだが、猫っ毛な髪質はワックスで動かしやすく、自由に毛先を遊ばせることができた。


川越一哉はまるで宝物を愛でるように何度も何度も執拗に鏡の前で髪をいじっていた。

そしてその都度鏡の自分を見つめることで、自身の一番映える角度を探っていた。

潰れた特徴的な鼻に野球部に所属していた時からしている細い眉、お世辞にも一哉の容姿は優れてはいない。


20分ほどそうしていただろうか母親からのしびれを切らした遅刻を注意する言葉に1つ舌打ちをすると彼はようやく学校へ行く支度を始めるのであった。


川越一哉は高校一年生の時まで野球部に所属していた。

ハードな練習の中でも明るい性格で場を明るくするムードメーカーな存在であった。

それが上下関係の厳しいスポーツの世界では大いに役にたっていた。

しかし一哉はお調子者な性格と言われればそうではなかった。

確かに目立ちたがり屋ではあったがバカにされることを彼は嫌っていた。


そしてその気持は思春期を迎えることで余計に大きくなっていった。

気になる女子が現れても部活内でのポジションが学校内でも影響し、なかなか距離を詰めることができずにいた。

仮に仲良くなったとしても告白する前から彼女たちから自分が友達扱いされていることは、目に見えて明らかであった。

そしてそれ以上進展が見込めないことも…


そして高校2年になる頃には好きだった野球よりも、女子と仲良くなりたいという願望の方が大きくなっていた。

遂に部活を辞め髪を伸ばし始めたのは一哉なりの決意であった。

女と仲良くなり彼女を作るという。


ただそれだけで全てが好転するほど世の中は彼に甘くなかった。

一度学年に認知されたお調子者の印象はなかなか彼から離れてくれず、元部員たちからはチャラくなった見た目をイジられてしまう羽目になった。


そのため彼は次に学校の先輩か後輩に狙いを絞ることにした。

しかしそうすると今度は日常で接点がないことで悩むこととなった。

部活動という繋がりがなくなったことで先輩や後輩たちと話す口実すらない状態が、部活動を辞めてから半年以上続いていた。


そんな彼の悶々とする日々は柳光流の登場で大きく変わることとなった。

当初まるで芸能人のような外見をしている柳と仲良くなれるとは一哉は思っていなかった。

それが偶然トイレで鉢合わせたことで話をする仲になれたのである。


光流を通じて知り合うことがでた女子は数多く、それは学校という垣根を超え他校にも及んでいた。

”これなら俺にもすぐに彼女ができる”と一哉は柳の転校してきた2週間前から、毎日舌なめずりする獣のように日々を愉快に過ごしていた。


朝の食事を1人取る一哉はスマートフォンを片時も離さず机に乗せしきりにスライドさせている。

友人たちの学校外での様子をしきりにチェックしてコメントを残す。

部活動を辞めてからというもの息子の姿や態度が悪くなる一方であることに、その都度注意していた母親も最近では言っても無駄と諦めるようになっていた。


ようやく自分に脚光が浴びる番だと考えている一哉であったが、彼の最近の関心事は専ら石田衛と羽柴結衣の関係になっていた。

尊敬する光流が結衣に興味がありその応援を頼まれたのだ。

彼はその要請を快諾するとともに衛に嫌がらせをすることを決めた。


応援のカタチは何も嫌がらせだけではないだろう。

光流の人としての魅力を結衣に伝えることの方がこの場合は合っているかもしれない。

その過程で羽柴結衣と仲良くなれる可能性もありえるのだ。

しかし一哉がそれを選ばなかった。

理由は簡単で単に衛のことが気に入らないという私怨でしかなかった。


外見が優れいている上に真面目その上人当たりもいい、それでいてどこか影のある表情は彼の知らないところで女子や男子の話題となっていた。

恐らく石田衛は周囲が彼の話題で賑やかなのを知りもしないだろう。

そして極めつけは外見を褒められることを嫌う性格であり、彼の好む友人が恋愛に興味のない奴ばかりということであった。


一哉は強く思う。

その思考は生まれつき顔のいいやつに許されたものでしかなく甘えだ!!

モテるのであればそれを自覚していっそのこと大胆に行動すればいい!!

なよなよと病床で臥せった人でもあるまいし、何をそんなに悲観することがあるのか!!

そういうところに惹かれる女子も気に入らないが、一哉はなによりも衛の真っ直ぐ人と向き合えない性格が嫌いでしょうがなかった。


2階の自室で制服に着替える。

光流を手本に着崩して着る。

ただ小柄な彼がすると不格好にしか映らないものの、そこには目を瞑る。

ズボンを引きずるようにして階段を降りると、見送りに来た母に”ってくる”とぶっきらぼうに告げ踵の部分が潰れたローファーを地面に擦り付けるようにして出ていった。


この2日間で石田衛の性格は大方把握できた。

バカ正直でこちらが強引に話を進めても遮ることまではやってこない。

呼び捨てにしようが渾名を付けようがキレる心配もなさそうでイジるのは簡単だと思えた。

最悪喧嘩に発展したとしても鍛えてきたこちらが勝てる。

いくら外見が良くても殴られた跡があれば学校中で腫れ物扱いされるだろう。


そして昨日の帰宅時からクラスのグループトークで出回っている衛と若葉泉の画像。

アレを撮った張本人である一哉としてはB組の教室で衛がどんな顔をしているのか、今日が楽しみでしょうがなかった。


あの場に居合わせたのは偶然ではない。

下校する衛の後姿を見かけイジろうと思い後を追っていたのであった。

ひと目見て衛が泉に好意を寄せていないことは理解できた。

しかしそれでも画像として残すと不思議と傘をさして歩く2人の姿が男女のそれのように映った。


話し込む彼らの後ろで吹き出しそうになる衝動を必死に堪えるのは大変であった。

まるで浮気現場を調査している探偵のような気持ちになり、自然と息を潜めて動向を伺っている自分が物語の主人公のように感じられた。

川越一哉にとって石田衛のは存在は悪評で暴落寸前の株のように風前の灯火にかんじられて仕方がなかった。

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