第39話石田家兄妹と羽柴結衣

若葉泉と下校した翌日。

衛はこれまでと違う時間に目覚ましで起きた。

前日は2時間ベッドに潜ることにしたので、それほど起きることが苦痛ではなかった。

決して寝付きの良い方ではない。

むしろ就寝時には悩みグセがあるため、物思いに耽ってしまうといつまでも寝れなくなることの方が多かった。


止めた目覚まし時計の針は5時を表示していた。

まだ上りはじめたばかりの太陽は東から優しい暖かみを降り注いでくれている。

いつもより肌寒く感じる早朝の空気を衛は新鮮に感じる。

鼻を通る冷たい空気をいつもより美味しく感じる朝だった。

窓からのぞく見慣れた町並みは静けさの中に胎動が感じられるようでもあった。


衛はいつものように一階の洗面所に行き朝の支度を始める。

まずは顔を洗い髪を濡らす。

ドライヤーで乾かしながらしっかりと寝癖を直す。

そして結衣と登校が重なってから手に取る量の増えたワックスを手になじませてから、髪全体に馴染ませる。

もともと髪質が太いため然程変化が生じる訳ではないが、分け目をしっかりさせることで清潔感をだすように心掛けるようにしていた。


最後にヒゲのチェックをする。

もともと顎先や上唇の上部にひっそりとだけ生え、これまであまり気にしていなかった。しかし、最近ではそれも気になり出したため鏡で確認するようにしていた。

妹に押し付けられた雑誌にも”女子の気になる男子の身だしなみ”の項目があり、ヒゲが書いてあったことも影響していた。


一通り支度を整えたところで、部活に行く妹の紅美が洗面所に現れた。


「……え?お兄さん何してるの?」


寝ぼけ眼だった瞳が驚き見開かれている。

元が大きいだけにより顕著になる。


余談だが紅美が衛をお兄さんと呼ぶようになったのは彼女が中学生に入った頃からだった。

それまでお兄ちゃんだった呼び名が急に変わり驚いたのを衛は覚えている。

彼女なりに面倒見のいい衛を慕っての呼び方らしいのだが、いまいち違和感を感じてしまい、衛は素直にその呼び方を喜べないでいた。


「おはよう。……俺も今日から早目に学校に行こうと思っててさ。多分お前と同じ時間帯に出かけるかな」


「あ、そうなんだ……」


結衣と登校したいとは言えず少し濁した調子になる。

そんな衛の微妙な変化は簡単に紅美にはバレてしまう。


「私と結衣さん毎日出かける時間重なるからね。……安心した?」


洗面所を妹に譲る際そんなことを言われ、衛は一瞬固まってしまう。


「う、うん、そうなんだ。それは参考になるな」


素直にありがとうとは言えず、ぎこちなく返事をするしか衛にはできなかった。


「結衣さんとはいつも途中まで一緒に登校するんだけど、今日は止めといた方がお兄さんのためだよね?」


ニヤリと悪い笑みを返す妹に、


「そ、そんことはないから、お前さえ良ければ一緒に登校しような!」


と慌てて返して衛は着替えるために2階へと向かった。

その後方からふふふという妹の機嫌のいい笑い声が聞こえてきていた。


制服に着替え一階のリビングで食卓の席に着く衛と紅美。

まだ起きていない父は別として、母弓子のリアクションも紅美と同じもとだった。

一瞬いつもより早い衛の姿に驚いたものの、直ぐにニヤニヤと口元を歪め衛の居心地の悪い態度を楽しんでいるようであった。

その場から逃れようと急いでトーストとサラダを食べ終えようとする衛。


「お兄さん。そんなに慌てても私の登校時間にはまだ余裕があるんだから、大丈夫だよ」

母と結託して紅美が自分のことで遊ぶのも今日だけだろうと思い直し、衛は直ぐに大人しく食事することにした。。

石田家では女性の方が発言力が強い傾向にある。

それは強いというよりも父の雅治と衛に家族を引っ張っていくという意思が皆無であるという問題があった。


昨日に引き続き今日の天気予報は曇り時々雨とテレビのニュースが告げている。

どうやら折りたたみが必要になるなと、朝から仲良く話す弓子と紅美の会話をそっちのけでそんなことを考えていた。



5時45分に朝練がある日は家を出ているようで、妹に食事後そう告げられて支度を済ます。

先に羽柴家に向けて玄関を出る紅美の後を追うように衛も家を出た。

何か言ってくるかと思っていた母弓子からは、満面の笑みで送り出されるだけだった。

それはそれで気味の悪い気持ちになるのであった。


どうやら羽柴結衣は先に玄関先で紅美のことを待っていてくれたようで、2人で挨拶をしている声が聞こえてくる。

しかし、いつもと違い一向に歩きださない紅美のことを結衣は不思議がっているようだ。そんな気配が遠目から衛には感じられた。


昨日、衛は出回っている若葉泉との下校画像について説明の電話を結衣にしている。

まるで浮気の言い訳をしているようで情けない気持ちに衛は襲われながらも、一生懸命説明をした。

結衣が一体どんな態度になるのか全く想像ができなかったが、電話をする前に抱えていていた不安は拍子抜けするほど直ぐに払拭されることとなった。

結衣の関心ははじめから泉との会話の内容にあるようで、その説明をすると直ぐに納得してくれたのだ。


「やっぱりそんなことだと思ったんだ。えへへ、衛くんのことだからそんなことだろうと思ってたんだよね」


と笑顔が容易に想像できる声音で言われ、衛の胸は形容できない気持ちで一杯になり泣きそうになった。

その時に明日の朝一緒に登校することを口にしようと思ったのだが、万が一寝坊した時に落胆する結衣の顔を想像するとグッと堪えて、黙っていることにしたのであった。


「羽柴さんおはよう。今日は俺も一緒に登校してもいい?」


立ち話をしている紅美と結衣へと小走りに近づくと衛は挨拶した。

約2週間前の登校時に声をかけた時を思い出した。

同じ緊張感がそこにはあった。


「え?え、ええ?」


全く予想していなかったようで衛と紅美の顔を見比べ困惑する結衣。

紅美は悪戯を成功させたようにニヤニヤと結衣のリアクションを楽しんでいるようだった。


「今日はお兄さんも一緒に学校行きたいんだって。”今日から”って言った方がいいのかな?」


ニシシといった笑いをしながら、兄をおちょくる。

それじゃあ行こうかと結衣の返事も聞かずに紅美は駅へと向かう。


「……よろしく……お願いします」


目を見合わせた結衣からは小さく肯定が返ってきた。

しきりにストレートの髪をいじる仕草が愛らしかった。


「こちらこそ突然ごめんね。起きれるか心配だったから、昨日伝えなかったんだ」


結衣には結衣の都合があることに申し訳なく思いながらも、衛の心は喜びで一杯であった。

それはそれとして


「おい紅美!!今日は雨が降るって天気予報でやってたから。ほらこれ!」


先を歩く紅美に追いつき折りたたみ傘を手渡す。

羽柴さんは持ってきた?と衛は聞いたところ、結衣はどうやら持っているようで、うんと返事がきた。


「はぁ、もう、お兄さん羽柴さんの前で妹扱いするの止めてよ。恥ずかしい……」


どうやら結衣をビックリさせた手前バツが悪いらしく、頬を赤らめて口を膨らませている。

天罰だなと衛は内心ほくそ笑む悪い感情が芽生えた。


「なんか2人のそんな様子って小さい頃を思い出すね。懐かしいな……」


結衣は何が嬉しいのか満面の笑みで懐かしむような感想を漏らす。


「私は羽柴さんにそう思われたくなかったのに~」


と紅美は不満を漏らす。

少し後方を歩く結衣は兄妹の歩く姿を改めてまじまじと眺めるようにして


「なんか石田くんと紅美ちゃんが並ぶと様になるね。私……一緒に歩くの少し…気が…引ける…かも」


と奇妙なことを言う。


「様になるってどういうこと?兄妹だから顔の作りが似てるってこと?それとも俺たちと一緒だとやっぱり身長差が気になる?」


言葉通り受け取ったポンコツな衛は慌てて眉を下げて困惑する。

そんな衛の見当違いなセリフにギョッとなり、兄を見つめる紅美。


「なんか……残念なお兄さんでごめんなさい。結衣さん、お兄さんはしっかりしてて優しいところもあるんだけど、鈍感なところはとことん鈍感なの……」


憐れむような表情と声音で酷いフォローを妹からされたことで衛の心は抉れる。

何故か志信の姿が衛の脳裏には浮かんでいた。


「え、う、うん。石田くんが優しいのはちゃんと分かってるよ」


真摯に紅美に謝られ気圧されたように両手を振って返事をする結衣。


「……でも、私はお兄さんほど顔は整ってないと思うよ。それに顔もスタイルも良い結衣さんとの方が様になると私は思うな~。通行人の視線が楽しみだね」


妹のそんな言葉にようやく納得のいった衛は、素直に喜んだらいいのか複雑な心境になった。

見慣れた妹から素直に容姿を褒められたことにも驚き、結衣と様になると言われ嬉しい気持ちにもなった。

弓子と違い含みのない紅美の言い方は受け止めやすかった。


そうかな?と聞き返す結衣にそうだよ!と熱心に頷く紅美の様子は微笑ましかった。


「はぁ~、結衣さんはやくお兄さんをもらってやってね。正直な話し兄がこんな顔してるから私の理想って他の人より高いみたいで……なかなかお兄さん以上の人っていないんだよね……」


ポツリととんでもないことを話す妹に、衛も結衣も凍りついたように固まってしまった。

「紅美ちゃんてひょっとして……ブラコン…なの…かな?」


苦笑いで遠慮がちにコソコソと結衣が衛に聞く。

自分だけではなく妹もポンコツであることが結衣にバレてしまい、羞恥で穴があれば入りたくなる心境になった。


「えっと、俺としてはそれを認めたくはないんだけど……やっぱり……そうなのかな?……あいつの将来が心配になってきたな…大丈夫かな?」


多分、衛くんのそういうところがダメなんだよと結衣は口に出して言いたいところをぐっと堪えて優しく石田家兄妹を見守っていた。

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