第38話部活の帰り道

夕食後に志信から連絡があり、A組でもB組同様に衛と泉の写真が話題となっているようであった。

俊介同様に衛は志信に事情を説明することで、納得してもらえることができた。

志信からしてみれば自分の発言が切っ掛けとなってしまったことに、心が傷んでいるのか申し訳無さそうに謝られた。


しかし、泉と話すことで衛は勉強になったことが沢山あったことを志信に告げ、しっかりとタイミングが悪かった自分の落ち度を告げフォローをした。

志信も俊介と同じように衛の行動に落ち度がないことをハッキリと言ってくれた。

やはり2人は似たところがあるなと衛は感じた。


志信の話を聞きながら、衛は頭の片隅でそんな事を考えていた。

そして心の中で1つの決意を行動に移す覚悟を決めることにした。



少し時間は遡り、丘陵高校の部活動後の下校時刻。

雨雲が上空を覆っているものの、雨は止んでいる。

部活帰りの多くの生徒たちが駅への通学路である大通りを歩いている。

彼らの姿は一様に疲れがにじみ出ているが、その表情は明るく拘束から解放された喜びが見られた。


その集団の中に女生徒と肩を並べる羽柴結衣の姿があった。

少し後方には伊藤志信と空手部の友人たちの姿もある。

事前にA組の教室で結衣に断りを入れ、志信は結衣の下校時刻に合わせて帰っていた。


それは衛が望んだことでもあり、志信が友人のためにしたいことでもあった。

結衣にとっては大袈裟に感じる気持ちもあったが、衛と相談したことだと言われると嬉しい気持ちが勝った。

それにやはり心強い気持ちも今はあり、志信の行動に感謝していた。


結衣と志信の友人たちにはそれぞれの口から説明してあり、弓道部の女生徒は大いに賛同してくれた。

そして空手部の友人たちは何か重要な使命を帯びたように、ギラギラと周囲に異変がないか会話の合間に探ってくれていた。

志信としてはそんなにしなくてもと思ったが、友人たちの行動をありがたく感じた。


逆に言えば結衣と志信の友人たちがそれぞれぞれ危惧を覚えるほど、羽柴結衣の周囲は騒がしくなっていた。


昨日に引き続き今日も部室に2学年の男子生徒3人ほどが、時折野次を飛ばしながら見学と称して結衣の姿を見に来ていた。

昨日と違い休み時間まで教室に来てちょっかいを出してくることはなかったものの、放課後の部活動に来られることで返って終始行動を見られていたような気持ちになった。


弓道部の先輩方は昨日は困惑していたものの、結衣の説明と事情を知る友人の援護もあり納得してもらえることができた。

それでも弓道部内に厄介事を持ち込むことに結衣は心苦しい気持ちになっていた。

7月の引退を前に余計な迷惑をかけたくなかった。


丘陵高校の弓道部は顧問の先生の意向で、基礎体力作りに力を入れている。

”弓道は見かけの美しさに目がいってしまうもの。しかしスポーツ選手としてしっかりとした下地を3年掛けて築いてもらいたい”


その先生の考えを一年生の時に先輩から口を酸っぱくして教えられる。

自分の精神を鍛える目的でいた結衣にとっては望ましいことであった。

これまで部活動を最優先に考え打ち込んできた。

弓道における弓を射るまでの様式である射法八節を、体に嫌というほど体に馴染ませ染み込ませたつもりだった。


もちろんそこに至るまでに苦い思いも経験している。

初めて試合で出た時のことは今でも忘れない。

終始体がふわふわとした感覚で足が地面を掴んでいる気がしなかった。

引き分けから会の動作(弓の弦を引き射る直前の動作)の時は手が小刻みに震え、緊張から解放されたい一心で矢を放った。

それまでに先生や先輩から言われた細かな支持は全く頭にはなかった。


全ての動作を終えた後、結衣の心にあったのは色味のない虚しさだった。

ただ胸に虚無が広がるばかりであった。

プレッシャーや緊張に負け、勝負の場から逃げたことへの後悔がその後じわじわと押し寄せてきた。。

少しずつ手や足に力が戻ってきた時に思ったのは”もう一度やり直したい”という強い気持ちだった。


自分の実力はこんなものではないという葛藤が黒い影となって、無色だった虚しさに付着する。

そしてまともに的を射ることができなかった羞恥や、応援してくれた友人や先輩方の期待を裏切ってしまったことへの罪悪感など、時間が経つにつれて募る負の感情は暗い色となって虚しさに次々と着色されていく。


そう後悔や失敗はいつだってその時を思い出す毎に、より黒く塗り固められていくのだ。その湧き上がる負の感情に絶えきれなくなくなった時、堪えきれず結衣は涙を流した。

人知れず会場の隅でひっそりと。


スポーツに限らず初心者なら誰しもが通る苦い経験だろう。

それを血肉に変えてきたつもりでいた。

しかし、昨日から続く柳たちからの執拗な嫌がらせは、結衣の心を平常とは遠いものにした。

それは試合に臨む時の心境ともまた違っていた。

昨日から練習で慣れ親しんだはずの的までの28メートルの距離が遠くに感じるようになっていた。


体の隅々まで神経が通い集中できている時は、まるでこれから放たれる矢の放物線が頭の中で描けるような、そんな気持ちのいい状態で射ることができるのだ。

まるで予め決められたことのように的に刺さる瞬間は、融通無碍の心境とでもいうような気持ちのよさがあった。


それが好機の目に晒されることで、心のみならず体の自由も奪われているような状態に、結衣は身動きのとれない不自由さを感じていた。。


「結衣、ちょっといい?」


そんな苦しい精神状態は結衣の顔に出ていたのだろう、遠慮するような声で名前を呼ばれハッと我に返る。

同じ組でもある友人の神津理華からだった。


「……これ、うちのクラスのグループトークなんだけど、ちょつと見えてもらえる?なんか石田君が他の女子と帰ってる写真が載ってるんだけど……盗撮みたいで感じ悪いよね?」


顔を曇らせながら手に持つ自分のスマートフォンを理華は結衣に手渡す。

それを受け取り画面に表示されている画像を見てみる。

確かに傘をさす後ろ姿は石田衛のものであった。

その隣にいる小柄な女生徒の後ろ姿に結衣は見覚えがあった。

小学生の頃からの幼馴染である若葉泉であった。


そしてその画像の前後にはクラスメイトたちの勘繰ったコメントが表示されてもいた。


結衣と泉はそれほど仲の良い関係という訳ではない。

話したことがある程度の付き合いであった。

衛が泉に小学生の頃、苦手な算数について教えてもらっている姿は何度か見ており知っていた。


奇妙は組み合わせであることは間違いないが、決して親密な関係でないことは両者の間に生じている少しの空白は物語っている。

それに奥手な衛が突然泉に好意を寄せるとは結衣は思えなかった。

何か泉に聞きたいことがあったのだろうと予想ができた。


ただ少しだけチクリと胸が痛むのは止めることができなかった。

結衣はその感情に蓋をする。

それよりも人の行動を監視しまるで自分たちが正義であるように、衛の行動を非難するクラスメイトたちに嫌な気持ちになった。


結衣はスマホを理華に返す。

結衣の友人である神津理華は衛と泉の画像に対してコメントしていなかった。

しかし、衛の性格をよく知らない彼女はどこか衛のことを批判したい様子がうかがえる。結衣に画像を見せたのも”結衣の衛への気持ちを知っていながら、他の女生徒と親しく帰るなんて”という憤りを結衣と共有したかったが為だろう。


その彼女の心境はよく分かる。

自分も逆の立場ならそう思っていたかもしれないと思った。

ただ、衛の正確をよく知る結衣は彼を非難する気にはなれなかった。

それよりも彼女とどんなことを話したのか、そっちの方が余程興味を惹かれた。


一応結衣は友人たちには衛の正確を話し、自分がこの画像を取り立てて重要視していない旨を伝えることにした。

熱心な反発を受ける気でいたが、そのようなことはなかった。

むしろ結衣の一途な衛への姿勢とどこか余裕のある態度に、彼女らはキャーキャーとテンションを上げ、結衣を困惑させた。

どうやら幼い頃から衛をよく知る結衣の態度が、彼女たちからすれば羨ましいようだ。


勝手に妄想を膨らませ会話の弾む友人たちの言葉をどこか遠くに感じながら、結衣は恐らく今日の夜に必死に謝りの電話をくれる衛の姿を思い浮かべひっそりと喜びを感じていた

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