第33話羽柴結衣の過去 後編

変わる要因は沢山あった。

男の子より先に来る成長期を経て伸びる身長。

比例するように伸ばした髪。

体つきの変化も少しずづ生じ始めていた。。

すらりと伸びる手足が自分のものとは思えなかった。

服に袖を通すのが楽しくなっていた。


盛んに自分に話しかけててくるようになったクラスメイトたち。

そこに性別の違いはなかった。

彼が言ったとおり今度は私がちやほやされる番になった。


この頃の私は活発で会話の中心が自分にあることにただ喜びを感じていた。

彼の後ろにいる存在ではなくなったことが嬉しかった。

もう彼との噂話や陰口などはなくなっていた。

この頃、母がよく言っていたことを憶えている。

衛ちゃんはうちのお惣菜をお食べてくれるから、あんたも料理したら?衛ちゃん喜ぶと思うよ?と。

私はそれを拒絶した。

母まで彼と私を一括にすることに煩わしく感じた。


むしろよく話す男子との間に噂話が流れるようになった。

この年2人の男子生徒から告白された。


一人はサッカーの少年団に所属している明るい少年だった。

おしゃべりをすることが多かったが、告白される前は執拗に好きなやつはいないか?と質問されたのを覚えている。


もう一人も話す機会の多い子だった。

私が手持ち無沙汰にしていると必ず彼が話しかけてきた。

抜け目のないタイプといえるだろうか。


2人とも放課後の教室で告白をしてきた。私は2人にその場で断った。

まだ人を好きになるという気持ちが分からなかったからだ。

それに不安もあった。

親に怒られてしまう気がした。

それに引き返せない道に踏み入るような不安が胸を占めたのだ。


ただ告白してもらえたことで他の女の子よりも可愛いんだと優越感と自信が持てた。

また相手を拒絶し傷を与え自分も傷を負う、ということが大人の階段を登らせた気にさせていた。

彼らとはそれきり疎遠になっていった。

振られて恥ずかしかったのだろう。

私も無理に以前の関係になろうとはしなかった。

他の子たちも何かあったのかを察しているようだった。


これも今だからこそ思うことだが、本当に振り向いて欲しい相手はやはり彼だったと思う。

あの小学3年生の時の帰り道以外、彼から可愛いとは言ってもらえていなかった。

むしろ私にはなしかける相手が増えたことで彼と話す時間は減った。

まるで遠慮しているように別の相手を探しているようであった。


彼のその態度に私は不満だった。

彼の頬を赤らめた表情は私の見間違えだったのだろうか?

私が告白されたということを知って思うことはないのだろうか?


ある時学校からの帰り道を一人で帰る時があった。

偶然帰り道が同じ方向の子と予定が合わなかったのだ。

もちろん彼は私を誘うことなく帰ってしまっている。

誰にも相手にされないことがつまらなくて不満で早足で下校した。

その道の途中に彼がいた。ひょっとしたら私は知らず彼を追っていたのかもしれない。

そこには彼に手を惹かれるように帰る妹もいた。


紅美ちゃんだ。

昔から顔を合わせることも多く私とも仲が良かったので会話に混ざってもよかった。

しかし、仲睦まじい2人の姿に疎外感を覚え歩調を合わせ彼らの後ろを付いていくかたちとなった。

紅美ちゃんは幼い頃から体が弱かった。

親に言われているのか2人は下校時一緒に帰ることが多いことに今更気づいた。

彼にしきりと声をかけられる紅美ちゃん。

そんな姿を羨ましいと感じる私がいた。


紅美ちゃんは昔の私がそうであったように彼を邪険にしている。

彼女も彼ににて容姿が優れていた。

こんな妹をいつも見ていたら他の女の子に興味は湧かないのかな?と思った。

彼の妹と代わりたいと思った。

例え自分の背丈が既に彼を追い越していても、昔のように彼にかまってもらいたかった。。

 

どんなものにも限界はある。

人間にも。

分かりやすく例えるならコップに注がれた水だろう。

並々と継がれた水の水位はコップのふちから先は、表面張力のみで支えられることとなる。

その状態にすら気付かず水を注げば、コップから水が活きよいよく溢れ出してしまう。

肥大した自尊心と厚顔で周囲の人の器に、不満という水を注ぎ続ける行為を止めなかったのは私だ。

要はしっぺ返しだ。


中学1年生になり私は注目を集めた。

クラス・学年・性別を飛び越えて。

運動部の勧誘は私の高い身長が優位に働き、盛んに上級生から声を掛けられた。

文化部の勧誘は悪くない外見が優位に働いたようで、同じように声を掛けられた。

教室の中では男女ともに声を掛けられた。

彼は隣のクラスになり小学校が同じ生徒以外、私と彼をセットで考える人はもういなかった。

小学生の時とは明らかに違う変化に心が震えた。

彼も同じように話題となっているようであったが、彼への関心は私の中に薄れていた。

自分だけの照明を浴び、周囲は私の動向に注目している錯覚に陽気になっていた。


彼は小学生の時と変わらずに私に気にかけてくれていた。

しかし、彼のそんな態度は周囲を驚かせ、私は注目を浴びることで気分がよくなっていた。

彼のことも引き立て役くらいにしか感じなくなっていたのかもしれない。

高身長で外見も良く活発な私に、大人しく容姿の優れた幼馴染の彼がまるで傅く(かしず)ようにいてくれる日常は、酷く心地が良かった。

彼との立場が逆転したようだった。


あの時は天下を取った気にでもなっていたのだろうか?

ようやく脚光を浴びたことで酔っていたのかもしれない。

・・・私の態度が悪かった。

ただその一言で片づけられる。


発端は同じクラスの男子と他クラスの男子への私の態度だった。

どちらも同学年だった。

この時も人を好きになるということはまだ分かっていなかった。

ただ恋をするという状態もしくは関係に夢と理想を持っていた。。


その2人の男子にいつまでもどっちつかずの態度をとっていた。

2人ともスポーツ部に所属しており同学年では人気があった。

そんな彼らに思わせぶりな態度や言葉を仲良くなるにつれしていた。

弄んでいたと言われればそれまでだ。


その姿を多くの生徒が目にしていたのだ。

傍から見れば二股をかけて調子に乗った女に写っただろう。

そして私は孤立した。


あっという間にかである。

本当に”あっと言う間”の出来事であった。

前の休み時間に平気で話していた友人が、次の休み時間には自分んを避けるようになる。それも皆が示し合わせたように。


ひょっとしたら兆候はずっと前からあったのかもしれない。

しかし有頂天の私はそれに気付くことができなかった。

私の自慢話に笑う友達の目に光がないことに。

もしくは目は笑ってすらいなかったかもしれない。


談笑する友達の膝が貧乏ゆすりをし、頻りに立ち去りたいと訴えていることになぜもっと早くに気づけなかったのかと今なら思う。

ただ今となっては後の祭りである。

中学1年生の夏休みを前に私の境遇は様変わりしていた。


小学6年生の時に告白をしてきた2人も運悪く同じ中学校だったこともあり、加わって4人が悪い噂を流し始めた。

幸い携帯を持っている生徒がまだ少なかったこともあり、より悪質ないじめには至らなかった。

それでもそれまで会話の中心だった私は、今度は私を中心に教室で大きな輪ができるようになっていた。

まるで目に見えない溝があり、私の近くに足を踏み入ることができないようであった。

はじめこそ勘違いだと信じたかった私も、休み時間に話かけても直ぐに話を切り上げ別のグループに言ってしまう友人たちや、トイレに誘われることがなくなったことで違和感では済まされないことに気づいた。

食事も一人で取るしかなかった。


教室が息苦しくて自分の席で俯き髪で表情を隠し目立たなくするしかなかった。

当時、肩の長さだった髪を腰の位置まで伸ばすことに決めたのは、こと時だ。

私への態度は日に日にエスカレートしていった。

廊下を歩けば好奇の目でみられ、ビッチと男子から呼ばれた。

言われた事が分からず、こっそりと意味を調べ凄く恥ずかしくなったことを覚えている。授業でペアを組む時は最後まで余り、消しゴムなどが後ろから飛んでくることもあった。

そんなことが続いたある日、3年生の先輩に廊下で話しかけられた。

噂を聞きつけ不憫に感じたようで、居場所がないなら自分たちとどうだ?と言われた。

救いを感じた。

そんな話を真面目な口調で話す彼に安堵しそうになった。


ただ、だらし無く着崩ずした制服や軽薄な口元、本当に笑っていない目が怖かった。

その目には覚えが合った。

教室や廊下で同級生が向けてくることで、嫌でも敏感になっていた。

結局、私は先輩の話を丁寧に断った。


彼の姿が見えなくなった廊下から「ちくしょー失敗したー」「賭けは俺の勝ちな」などと聞こえてきて、遊ばれたことにその時気づいた。

この時は悔しくて涙がでた。

一瞬上級生に付いていこうと思ってしまった自分も許せなかった。

自分が軽薄な女だと思われていることがショックだった。


毎日が地獄に様変わりしてしまった。

ただ、幸運にもそんな日々は2週間ほどで終わった。

もしこの日々がもう少し続くようなら不登校になっていたかもしれない、と今なら想像できる。

 

それは定期試験を終え夏休みも目前に迫った金曜日だった。

私は教室ですっかり大人しくなり、一人で帰る準備をしていた。

皆が帰るのを座りながら待っていた。

以前逃げ出すように帰ったところ、教室から笑い声が聞こえてきたことがあった。

自分のことを笑いのタネにされたのかは分からなかったが、この時覚えた屈辱感が忘れられず、最後の一人を見届けてから誰もいなくなった廊下を静かに帰るようになっていた。

ただ、この日は運動部の男子生徒2人と時間を持て余した女生徒2人が、何時までも教室に残っていた。

嫌な予感がしたため、帰ろうと腰を浮かそうとした時に女生徒の1人から声が掛かった。

長めの髪にパーマを軽くかけている女生徒だった。

その女生徒は机に腰を下ろし、それまで友人と話していた。

丁度会話が一区切りし、教室に沈黙が訪れていたタイミングだった。

酷く退屈なものでも眺めるように私に向けて言った。


「あんたほど都落ちって言葉が似合う娘いないわよね~」


ぽつりと呟かれた彼女の一言が静寂に広がる。

まるで池に小石を落しその波紋が広がっていくように、その言葉が他の3人に伝播していきどっと笑いが生まれた。

都落ちとは大富豪というトランプのルールで、トップから最下位に転落することを指す言葉であった。

つまり栄光から一転どん底を経験すること。

悔しいがうまい喩えだ。

私は直ぐにカッと頬が赤くなるのを知覚した。


「っちょ止めろよ!そんなこと言うの!!」


「直球ど真ん中の言葉をいきなり放るなよ!ウケんだろ!!」


男子2人が直ぐさまつっこみ会話が盛んになる。

一人はスポーツ部の単発の生徒で、もう一人は長髪の生徒だった。

心が急速に冷えていく私には、何が楽しいのか全然分からない。

目的もなく時間を潰していた各々が、一つの標的に狙いを定め遊びを考えついた瞬間に感じた。

私は自然と奥歯を噛み締めていた。

全身に力が入っていた。

いや、硬くなったといった方が適切かもしれない。

これから自分に襲いかかる言葉の暴力に身構える準備をした。

自分が招いたこととはいえ悔しかった。


「握り拳なんか作ってどうしたの?あんたが悪いんでしょ?」


もう一人の女生徒が目敏く私の変化を口にする。

こちらはショートカットの髪型だ。

こちらも机に座り、椅子に足を乗せていた。

頬杖を付いて何でもないことのように言う。


「いや~、同時に複数を相手に思わせぶりな態度はビッチっしょ!擁護できないっすわ、俺」


と長髪でいクラスのお調子者男子も合いの手を入れる。

”お前なんかに私の何が分かるの”と今度は私の頭に血が登ってきた。

しかし、そうは思うものの目はみるみる霞んでくる。

光が乱反射してキラキラと眼前を映す。

泣くなんて格好の悪い姿は、絶対にこいつらの前で見せたくなかった。

でも……それすらもできなかった。


「あ~、お前泣かしてやんの!」


丸刈りの運動部の男子が大きな声をだす。

別に泣かされたつもりはなかった。

ただ自分が情けなくて泣いているだけなんだから放おっておいて欲しかった。


「何それがどうしたの?本当に泣きたい男子は複数いるんだから、気にすることないでしょ?」


「うわ、女って女に厳しくね!」


パーマの女生徒は平然と言う。

まるで自分も被害者のように。

全くが関係ないのに。

確かに私は2人の男子生徒に軽薄な態度をとった。

それは認める。


ただ関係のない人は一体なんなんだろう?

何で村八分にでもしたいのだろうか?

私の言動と彼らへの態度が許せなかったとしても、正義の味方のように私をイジメる理由はどこにあるのだろうか?

それまでの私に対する態度を180度変える理由になるのだろう?


教室後方にいる彼ら4人に体を向け、私は自分の靴を見つめていた。

頭は自分の置かれている理不尽な立場に疑問しか浮かんでこなかった。

彼ら4人ともつい2週間前まで普通に会話をしていたというのに……


早く彼らの興味が私から失せることを願い私は俯いていた。

彼らはなおも私に対して色々と言っていた。

その言葉は言葉として私の耳の入りはしなかった。

もはやただの雑音でしかなかった。


そんな我慢を強いられている時、突如教室前方の扉が静かに開いた。

そこには衛が立っていた。


一番はじめに考えたことは、こんな私の姿を見られたくないという気持ちだった。


(ああ……情けないな…。恥ずかしいな……。…………こんな姿みられたくないな)


そんな気持ちが次から次へと私の胸から溢れたしていた。


中学生になってから一緒に登下校することもなくなり、彼のことを一方的に忘れようとしていた私に、このタイミングで彼の方から来て欲しくなんてなかった。

放おって置いて欲しかった。


彼は静かに私の教室を見回すと


「結衣一緒に帰ろう」


と一言しゃべった。


まるで何でもないかのようにいつも話しかけてくる調子だった。

その瞬間胸の中心に心地のよい温かみが流れ込んでくるのが分かった。

そのくすぐったくむず痒く感じる温かみのせいで、余計に涙が溢れてしまうのを抑えることができなかった。

彼は一番必要な時に声を掛けてきてくれたのだ。

ひょっとしたら今までもそうだったのかもしれい。


「ひゅ~、すげータイミングじゃん。ナイト様じゃん!カッコいい!!」


長髪の男子が囃し立てる。


「は~つまんない。なんで悲劇のヒロインみたいになってんの、こいつ!」


パーマの女子が愚痴を漏らす。

ショートカットの女子もそれに同意する。

衛は彼女らの言葉を全て無視して、まるで私だけしか教室にいないかのように真っすぐ向かってくる。


「ねぇ、石田君そいつじゃなくて私たちと一緒に帰ろうよ」


ショートカットの女子が彼に明るく声を掛け、男子たちもそうだ、そうだとそれに同意を示す。

私の隣にやってきた彼は彼らを一瞥すると


「ごめん、興味ないから」


と聞いたこともないような冷たい声音で呟いた。

私も聞いたこともない声だった。


「え~冷たい。石田君って羽柴さんのことが好きなの?」


そう言うパーマの女子の茶化したセリフを吐いた。

しかし声音は冷ややかなで”調子に乗るならお前もイジメるよ?”という意思が暗に籠っているようであった。


「好きがどういうことかはよく分からない。でも結衣は特別だから」


その言葉が結衣には最初信じられなかった。

幼い頃からずっと変わらない態度をとる、彼の言葉とは思えなかった。


「うわ!恥ず!よくそんなこと言えるな!やっぱりイケメンは言うことが違うわ!」


ロンゲの男児が大げさに腕を上げる反応をし、丸刈りの男子も何度も頷く。


「そんな言葉言われてみたいわ~。そうだよね羽柴さんだけには明らか態度違うもんね。うちらと。女子にあんまりにも絡まないからそっち系って噂されてたけど、そうでもないんだ」


ショートカットの女子が本音を漏らした後、やり返すように言葉を紡ぐ。

変わらない彼の態度が、自分だけにはやはり特別なものなのだと、結衣は改めて気付かされる。

彼女の話すそっち系の意味は結衣には分からなかった。


「ねぇ……あんまりお前たちと話したくないから最後にするけど………」


抑揚のない声で衛は話し出した。

一呼吸置く。

4人の男女は衛が教室に入って来た後も見た目の態度に変化はなかった。

ただ、口数の少ない衛がプレッシャーを放っているのは間違いなく、彼の言葉に場が静かになる。


「これからも結衣のことをイジメるようなら……俺は怒るから」


よく通る声で彼は言った。

彼らの視線を真っすぐ受け止めていた。

衛が人に立ちして”お前”という言葉を使ったところを、結衣は初めて聞いた。


「「「「…………………」」」」


「……はぁ!?もう中二病始まってんのかよこいつ!!怒るって何すんの?俺らをボコボコに殴るってこと!?退学処分じゃん!!」


一度4人とも黙った後、ロンゲが茶化すように大袈裟に言う。


「別に何もしないよ。取っ組み合いのケンカとかしたことないから、俺」


何でもないことの様に話す衛。


「はぁ?意味わかんないんだけど?それじゃあ脅しになんねぇだろ!!」


パーマの女子が半笑いで男子の方を見て同意を求める。


「何もしない……けど今後お前らのこと人として見ない。今後一切………」


「「「「……」」」」


彼の力のこもったセリフに再び黙る4人の生徒。

彼の言葉の意味を理解し、4人ともその後の自分たちを必死に想像しているように見えた。


「…………それって例えば今後教室が同じになっても、俺たちとの相手はしなってことだよな?」


少しの間を置いて丸刈りの男子生徒が落ち着いた口調で尋ねる。


「……そういうことだと思う」


自分のセリフを吟味するように考え衛が呟く。


「今の俺たちに対する……石田君の態度ってもう…そうなりつつある…よな?」


さらに確認を衛にする、丸刈りの男子生徒。


「うん…そうだと思う。俺も口にするほど…何がしたいかのは自分でも分かってないけど……」


衛は自分の胸の内と必死に相談しながら答えているようだった。

ただ、それでも毅然とした雰囲気は変わらない。

その答えに女子生徒2人と長髪の男子生徒は、それがどうしたと言わんばかりに3人で顔を見合わせて言える。


「それって要はその辺の石と一緒の扱いってことか・・空気扱い。石田君にそれをされるのってヤバくね?」


相変わらず話すのは丸刈り生徒のみ。

他の生徒と違い少し焦っているようにも見えた。

私は彼の初めてみせる態度に困惑し成り行きを見守ることしかできなかった。

頭も働いていなかったと思う。


「はぁ、俺は別に石田一人にそんなことされてもどうも思わねぇよ!!顔と頭が良いからってお前まで調子に乗んなよ!!お前もイジメてやろうか!!?」


身を乗り出して彼に挑むように口調はきつく、声を荒げて長髪の生徒が言う。


「バカ!冷静になれよ。お前と石田君とじゃ全然周囲への影響力が違うだろうが!!成績も良くて教師の印象も良いんだぞ!それに石田君と仲良くなりたいって思ってるやつは大勢いいるぞ。上級生にもな。正直…俺も仲良くなりてぇよ。そんなやつに明らか冷たい態度をされたら、今度は俺たちに変な噂が立つぞ」


ロンゲ生徒を嗜めるように短髪の生徒が捲し立てて説明する。

私も彼の話には信憑性があるように思えた。

彼から冷たい態度を人に取るところは一度も見たことがないのだから。


「それはあんたの考えでしょ。そうなるかなんて分からないじゃない!!羽柴と2人でイジメられるだけかもしれないでしょ」


パーマの女生徒がムキになって反論する。


「・・・・そう思うならそうしろよ。俺はそうは思わない!この学校には石田君と同じ学校から来たやつも大勢いる。みんな石田君のこと良く言うのを俺は聞いたことがある。…それに……そもそも俺たちが羽柴さんをイジメているのも可笑しな話しなんだよ……。石田君、俺は羽柴さんのことをもう弄ったりしない。約束する。………ごめん羽柴さん心無いこと言って。………一応お前らにもそうした方がいいとだけ言っとくぞ」


丸刈りの男子生徒が彼を正面から見つめ、ハッキリと私をイジメないと約束を口にする

そして3人を見回し、自分につづくよう勧める。


「…………分かったよ。悪かったよ羽柴さん。俺もこれきりにする。・・・・お前らもそれでいいよな?」


丸刈りの男子生徒が頭を下げたことで、長髪の生徒も冷静になったようだ。

長髪の男子生徒も頭を下げ2人の女子に同意を求める。

2人の女生徒は納得のいっていない顔はしているものの、無言でうなずいた。


私はこの急な展開についていけず一人遠くから眺めているような気持になったいた。

どうしてこんなことになっているんだろう?と他人事のように感じていた。

涙はもう流れていなかった。

衛は彼らのそんな態度に少し戸惑い申し訳なさそうに


「…………。どう言ったらいいのか分からないけど、ごめん。ありがとう。……俺も決して自分が正しいことしてるとは思ってないから……」


と言った。


「別にいいって。羽柴さんのことが特別だって石田君なりに伝えたかったんだろ?」


「………うん」


「……因みに少し聞きたいんだけど、羽柴さんとはいつから仲良いの?」


少し打ち解けたことで、衛の行動に興味ができたのだろう。

丸刈りの男子生徒が質問する。


「家が隣だから、生まれた時から一緒なんだ」


「やっぱり、そうなのか!?石田くんと同じ学校の人からそういう話を聞いたことあったからさ……そっかそれは特別な人だな」


丸刈りの生徒はさっぱりした口調で衛の言いたいことをきちんと受け止めたようだった。私は衛の言葉に改めて彼と幼馴染なんだということを頭の隅で思った。


「それから今後一緒のクラスになった時は・・・・仲良くしてくれよ」


少し言いにくそうに、照れたように、遠慮気味に、恐がるように丸刈りが衛に尋ねた。

衛からはもう険悪な雰囲気はなくなっていた。

それどころか酷く申し訳ない沈んだ表情をしている。

その表情に私の気分は暗くなった。


「うん…もちろん……俺もできるたけ君たちに誠意を持って接するから。俺、面白いこと言えないけど、話を真面目に聞くことはできるから……。自分からはなかなかできないけど、いつでも話し掛けてくれていいから。」


「十分に変なやつだよお前」


少し顔を赤らめて一生懸命伝えようとする衛に、長髪の生徒が少し茶化して答える。

驚いたことに、そこには先程まであったギスギスとした口調がなくなっていた。

女子生徒の2人は会話には加わらなかったものの、満更でもないような表情をしている。

教室の空気がいつの間にか和やかなものになっていた。


「恐いこと言ってごめん!!結衣・・・行こ」


と最後にもう一度衛は彼らに謝ると、私を促し教室を足早に出ていく。

少し遅れて弾かれたように私も彼につづく。

私の背後からは


「ありゃ勝てねーわ!謝っといて良かった!」


「だろ!!なんか不思議な展開だったけど良い気持ちになれたわ」


長髪の生徒の喚き声と丸刈り生徒の感想が聞こえてきた。


「なんかすっごい敗北感。羽柴さん羨ましすぎる」


「本当!!家が隣ってズルいわ!!」


と口々に女子生徒も盛んに会話を繰り広げていた。


「でも、これから気軽に話しかけていいんだよね?」


「いや、親身に相談に乗ってくれるだろうけどそれだけっしょ。彼の場合」


「そうだよね~」


パーマの女生徒と思われる声と長髪の男子生徒の返答と思われる声をドア越しに聞き、私は廊下で待つ彼の元へと足早に歩を進めた。

この時私はどんな気持ちで彼の元に行ったのか思い出せない。

喜びだったのか、優越感も感じていたのか、もしくは罪悪感が押し寄せていたのか、それともただただ大きな存在に思える彼に圧倒されていたのか。

 

2人で校庭を歩く。

そこに会話はなく彼はどこか思いつめたような、それでいて遠くの景色を楽しむような歩調だった。

彼より背の高い私はそんな表情の彼を見下ろしながら、必死に何を考えてているのか頭を思い巡らしていた。

叱られる前の子供のような居心地の悪さを感じていた。

彼に軽蔑されているのではないかと内心恐怖していた。


「・・・結衣は何も悪いことしてないのにね。教室では居心地悪いと思うけど堂々としてるといいよ」


彼はポツリと呟いた。

夕暮れの校庭に響くその声は、オレンジ色をしているような暖かみがあった。


・・・・・急に我慢ができなくなった。

教室で流した時よりも勢いよく涙が零れた。

なぜだろう。

なぜこの人はこんなにも私のことを信じてくれるのだろう。

私が招いたことで孤立しているというのに。


「衛は何も知らないでしょ!?私が菊池君と本木君にいい加減な態度とったんだから!

これは私のせいなんだよ!!」


噛みつくように言ってしまった。

何故か悔しい気持ちになった。

何でも受け止めてやるとでもいうような彼の態度が許せない気持になった。

・・・本当は安堵しているはずなのに。


「それと今日のことは関係ないでしょ。周りの結衣への冷たい態度も何か原因があるの?」


私の逆上にも冷静にたんたんと話す。

まるで私がそういう態度をとることも彼の想定の範囲内のように感じられた。


「それは・・・・つけが回ってきたってことだと思う」


「……結衣はその説明で…自分を納得できるの?」


綺麗な瞳が真っすぐ私を射抜く。

顔を上げこちらを見る彼の顔は、まるで今日はじめて見たような錯覚を私に覚えさせた。その顔は本当に見慣れた彼の顔だった。

そこには私に対して微塵も不信感を抱いていないようだった。


「納得で・・・きな・・い」


再び感情が氾濫し涙となって溢れてくる。

今度は顔がくしゃくしゃに歪んでしまうのを抑えることができない。

こんな顔を彼には見られたくないが、背の小さな彼には目に入ってしまうことだろう。

慌てて両手で隠す。


「結衣は2人にはきちんと謝った方がいいと思うよ。俺も一緒に付き合うからさ。…でもそれ以外のことは気にしなくていいんだよ」


2人歩きながら私が落ち着いたタイミングで、彼は何でもないことのように話す。

自分の話すら聞き逃しても構わないような、そんな潔さだった。


「・・・・・・・うん」


どうしてだろう。

どうして彼の言葉には素直に耳を傾けてしまうのだろう。

どうして親に叱られた時よりも罪悪感でこうも胸が一杯になっているのだろう。

できるなら小学6年生の頃からもう一度自分をやり直したいと思った。

こんな私になる前に戻って彼の側にいたいと思った。


「・・・結衣、もう泣くことはやめること!・・・・ねぇ・・・もし良かったら俺の話聞いてくれる?」


歳の離れた妹に言うように少しわざとらしく口調を強めて言う。

その言葉のなんと優しいことか。

そしてどこまでも丁寧に人に接してくる。

また新たな涙の波が押し寄せてきた。


「・・・・」


溢れる感情に翻弄され返事を返せない。

それに構わず彼は話を始める。

絶対に聞き漏らしたくなかった。

それにだけ集中しようと思った。


「俺さ・・・・小学生の時にさよく教室から校庭を見下ろしてたんだ。一人の女の子のことが気になってて…」


衛についての話を聞くのは新鮮に感じた。

いつも一緒にいた彼だが、自分の話をすることは今までなかったことに、今更私は気が付いた。

それも異性の話だということで、余計に頭が混乱しそうになった。

今、彼の口から恋の相談をされるようなことがあれば、私は発狂してしまうのではないかと思った。

決してそんな話は聞きたくなくて、胸がドキドキした。


「その子は特別学級の子らしくて、片足に補助器具を付けて、その足を引きずるように歩くんだ。校庭の真ん中を。一歩、一歩全身を使って。襟には前掛けが用意してあって、口からは自然と零れるよだれから、服を守ってあるんだよね。それでも口の周りをよだれで汚してたと思う」


異性の話だが恋とは全然ちがうようで安心した。

悪いとは思ったが喜びもした。

でも話の先が読めず彼が何を言い出すのかさっぱり分からなかった。

彼女にいじわるをしてその懺悔の話なのだろうかと思った。

思ってしまった。


「俺の周りの友達は彼女を気味悪がってたし面白がってた。・・・・でも俺は素直に笑えなかった。自分は善人だって言いたい訳じゃないんだ!!彼女のその姿を今も鮮明に覚えてる。一生懸命歩く姿が楽しそうに俺には映った。それに命を燃やして歩く姿が羨ましいとも思ったし、尊敬できると思った。毎日適当に過ごしている自分が恥ずかしい気持ちになって、その子に謝りたい気持ちになったんだ。自分が代わってやりたいって無責任に同情までして。・・・その子と話したことはないんだけど、もし話せたらどうやったらそんなに一生懸命に生きれるのか聞いてみたいんだ。・・・今でも」


はじめて聞いた彼の悲痛な・・・願望?に驚いた。

そんなことを考えていたなんて全然知らなかった。

ふと小学生の時彼がよく窓から校庭を覗いていた時のことを思いだした。

あの時、そんなことを思もいながら外の様子を見ていたのかと感心してしまった。

その一方で自分とは根本から考えていることが違うことに愕然となった。

急に彼との距離が遠くに感じられた。

私を突き放そうとしているのだろうか?とさえ思えてしまった。


「・・・・でも一番今思っているのは・・・彼女に何か手伝えることはある?って聞いてあげられなかったことなんだ」


それまでの勢いがウソのように肩を落として彼は呟いた。

ずっと隠していたいたずらを白状するような姿に思えた。

ずっと誰かに聞いて欲しいことだったようにも感じた。

私は彼の話に集中するあまり、自分がもう泣いていないことにふと気付いた。


「周りから茶化されたりすることが恐くて結局窓から見てることしかできなかった。その女の子や女の子の親に非難されたらどうしようとかも考えてた。俺は毎日片足を引きずり歩くその姿に勇気づけてもらってたのにさ・・・恐れずに言って後悔するようなら、すればよかったんだ」


このことを私に伝えたかったのだと思えた。

自分も結局は大した人間ではないよと、彼なりに私を安心させたかったのだと思った。


「でも・・・・その後悔があるから俺は、今日をあの時ほど後悔しないで済みそうなんだ。あの時のことを忘れていないから・・」


ぼんやり前を見ていた彼の顔が、こちらに向けられる。


「本当はもっと前に行動してればよかったんだ。結衣の顔が曇ってるのには前から気付いていたんだから。でも、また空想の誰かに遠慮したり揶揄されるのが恐かったんだ。もしくは結衣から非難されたくなかったんだと思う」


「あっ・・・・助けてくれ・・・てありが…とう」


彼と教室で会ってから、自分がまだ一言もしゃべっていないことに気付いた。

お礼さえも言っていない。


「ううん、違うんだ。これは俺の自己満足だから。行動できて少しだけ自分のことを好きになれたんだ。結衣が泣いてる隣で変な達成感を感じてるようなやつなんだよ。俺って最低でしょ?」


こちらをむいてニッと笑う彼の笑顔は、本当に裏表のないものに感じられた。

彼の話を聞きながらとぼとぼと歩いている内に、最寄り駅までの道のりは、残り半分ほどになっていた。

彼の独白に気を奪われるあまり、ここ2週間に渡る自分の孤独感や心の閉塞感がすっかり過去のことのように感じられた。

その時の私の頭にはもう、イジメられていることや自分の過ちではなく、どうやったら彼に近づくことができるのか?という気持ちが多くを占めるようになっていた。


私の心に火が灯ったようだった。

物心付く頃から側にいて彼を見てきたにもかかわらず、彼のことを全然知らないことに気付けた。

随分と彼との思考に距離を感じた。

それでも衛はこれからも優しく驕らず、私に真摯に接してきてくれるのだろう。

でもそれは嫌だった。

許せなかった。

このままでは私が彼のことを真っすぐに見ることができなくなってしまう……

今から生まれ変わろうと思った。

よりよい人となって悠然と彼の側にいられるようになろうと強く思った。

なによりもこんな私のことを”特別”と言ってくれる彼の期待に応えたかった。

この時から私は彼のことだけを目で追うようになっていった。


その後の展開は拍子抜けするほど簡単で劇的な変化があった。

翌週の月曜日に衛と一緒に2人の男子の元行き、へそれぞれの生徒に謝った。

休み時間の教室で彼と2人で頭を下げて「ごめんなさい」と。


男子生徒2人とも”えっ”声を発し同じようなリアクションだった。

それは周囲の私たちのことを見ていた生徒も同様であった。

居心地の悪い教室を出た後に、彼がこれでいいと思うよと笑って言ってくれたのだから、私ももう彼らには何も感じないことに決めた。


彼と一緒にきちんと謝罪をしたこと。

そして先週の金曜日に和解をすることができた、生徒4人の私への態度の変化。

それらがもたらした周囲への影響は大きかった。


翌日の火曜日には教室に私の居場所が生まれた。

それは休みの度に彼が足しげく私の元に来てくれ、丸刈りの生徒・近藤君や長髪の生徒・藤原君、パーマの女生徒・久保田さんが会話に加わってくれたからだ。


そして私をイジメる者には、衛とその仲間たちが激怒するという変な噂が立ったことで、表立って私をからかう者や陰口を叩く者が休み時間の度にみるみる減っていった。

そして夏休みを迎える前には、衛がいなくとも久保田さんやショートカットの女生徒・西原さんと会話を自然とするようにまでなっていた。


ここまでの変化も本当にあっと言う間にであった。

しかし私は再び生じた自分を巡る変化を、単純に喜ぶことはできなかった。

むしろ人の態度の変わりように恐怖を再度認識した。


それでもあの日の彼の行動と、彼の話は私に感謝と謝罪の言葉を口に出す勇気を与えてくれた。

私は機会があれば、私を取り巻く人達に素直に謝れるようになっていった。

ただ、残念だったことは、再び私の周囲に友人が増えるにしたがって、衛の顔を出す回数は減っていった。


そして夏休みが明けた時には、イジメが生じる前の疎遠な関係へと戻ってしまっていた。彼のことだから私に遠慮したのだろうか?

ぱったりと姿を見せなくなったことで私は混乱した。

私の側に彼がいて欲しかった。


もう自分は必要はなくなったと考えてしまったのだろうか?

それとも自分がもたらす周囲への影響を恐れたのかもしれない。

ただ、いずれにせよ私の彼に対する気持ちだけは変わらなかった。

いつか彼を振り向かせられるくらい人として成長するという目標を持った。

その高すぎる望みがその後の私の人生を、より豊かなものにしてくれた。


その後約中学2年半の時間を費やすことで、失った信頼や評判を回復することができたと思う。

そこには彼への強い憧れが私を支えてくれた。

学年が代わる度に当時の私の評判が話に上ることがあり、それが私の恐怖心と羞恥心を刺激したが、素直に受け入れるよう心がけた。

自分を飾り立てるようなことはもうしたくなかった。

辛いことがある度に彼を遠くから見ることで勇気をもらうことができた。


中学3年間という多感な時期に私が学んだことは、人を蔑ろにすることで信用を失い、その信用を回復することに多大な労力と時間を必要とすることだった。

そして牙を剥く他人ほど恐いものはないという体験だ。

それと自分の迂闊な性格と彼の成熟した考えも知ることができた。


彼は決して私だけのヒーローなんかではない。

”今”なら分かる。

彼もどこか歪な思考を持っているのだ。

普通の人となにも変わらない。

ただ私にはそれが特別に映る。


いつか彼が辛い立場に立たされた時に救うことができる人間が自分でありたい。

そのために自分を磨き続ける。

高校は何か運動部に入ろう。

未熟な精神を鍛えるために・・・。


私は彼と同じ高校に入学したが、決して彼だけが目的ではなかった。

部活の見学週間中に各運動部を見て回り、自分を一番鍛えられる場を求めた。

弓道部に決めたのは袴姿の自分を直ぐに想像できたところと、的に向かって放物線を描く矢が自分に重なって見えたからだ。


高校に入って直ぐの頃、母が心配したように言ってきたことがある。

最近衛ちゃんと疎遠になってるんじゃないの?と。

いつか言ったみたいに胃袋をしっかり掴む用意したらどうなの?と。

私は今度はその言葉を素直に受け止めることができた。

そうだ、料理も身に付けて彼の舌をしっかりと鷲掴みにしようと思った。


柳光流とは彼が入学してくる一週間ほど前に偶然出会った。

家から最寄りの駅の沿線で、比較的栄えている場所で洋服などを買いに、一人で出掛けた時のことだった。

一通り買い物を満喫し、駅に併設している本屋で目に付く本はないか探していた時に、突然話し掛けられた。

ナンパと呼べるものなのかは分からない。

その時の会話も詳細には覚えていない。

ただ、戸惑っている内にどんどん彼のペースになっていっている感覚だけはあった。

引っ越してきたばかりの彼に、道案内を頼まれたが頑なにそれを拒んだことは憶えている。

その代わりに連絡先の交換を断れずに了承してしまった。

彼が去った後に、周囲の目線が恥ずかしくて急いで駅に向かったことと、無性に敗北感が自分の中に広がっていた。

彼は初めから道案内を拒まれる前提で、連絡先の交換が本命だったのではなか?と穿った考えをしてしまうのを止めることができなかった。


駅のホームでようやく冷静になれた時に頭を過ったのは、押し寄せる波に身をまかせることしかできなかった自分の姿だった。

それは中学1年生の時の自分を思い起こさせた。

彼の容姿は完璧と呼べるものだったのかもしれないが、目に宿る光がただ恐かったのだと思う。


これが女性が潜在的に男性に感じる恐怖心なのかは分からない。

自意識過剰なのかもしれない。

そして彼が転校生として入学して素性が分かるまでに、彼から頻繁に来る連絡が私の気を重くしていた。

幸い部活動が忙しかったため断ることに罪悪感はなかったがそれでも、主導権は絶えず向こうにある気がしていた。


衛への告白騒ぎはそんな私の一種の宣言に近かった。

彼に気持ちを知っておいてもらいたいという気持ちと、柳やその周囲にハッキリと自分の気持ちを示したいという気持ち。

例え彼からその場で拒まれることがあったとしても……だ。


あの時あの場面で瞬時に頭を過ったのはそんな気持ちだったと思う。

結果的に私は再び人から揶揄される立場に立たされることとなったが、かつての自分とは環境が違うことがハッキリしている。

あの時いなかった心強い友人たちが今ではいてくれている。


そして何よりも彼も同じ立場にあり一緒にもがいているのである。

こんなに素敵なことはないのだ。

ーーーーふと結衣は浴槽の湯船の中でこれまでの自分のことを考えていた。

今夜もきっと彼から連絡がくるだろう。

学校生活は苦痛だがそれでも構わない。

彼となら乗り越えられるはずだから。

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