第29話出口俊介

体育教師の鴻池と話したことで気持ちは少し楽になったが、イジメと呼べる経験をした後の教室へは足取りが重かった。

衛は校庭からトボトボと下駄箱に一人で俯き気味に歩いていた。

一人でボールを追いかけていたこともあり、肌寒い日にもかかわらず汗を大量にかいていた。

肌を通り抜ける爽やかな風が心地良かった。

まるで自分を無関心に慰めてくれているように感じられた。

今の衛にはなによりも求めていることであり、止めて欲しいことでもあった。


(鴻池先生の言う通り例え無様な姿であっても俺は追いかけることを止めなかった!)

(俺は間違ってない!)

(分かってもらえなくてもいい、俺には俺なりの生き方があるんだ!)


それこそ30人を超える人間の前で恥をかいたからだろう。

衛は一生懸命自分を鼓舞することで悔しさに立ち向かう。

夢中でボールを追っていた時と違い今は周囲に人はいない。

熱を持った思考は行き場をなくし頭を駆け巡る。

ドクンドクンと脈を打つ音がうるさい。

悔しい!

虚しい

悲しい!

到底1つに絞ることができない形容のできない胸の痛み。

あらゆる色の絵の具が綯い交ぜとなって黒く黒く光の決して届かない虚(うろ)のような色へと変色する。

そんな感情。

視界はその心の隙間を埋めるようにみるみる溢れるもので霞んでいく。


(・・・・ここで泣いたら負けだ!)


その気持ちだけが瞬時に頭を貫いた。

今、涙を一筋でも流したら堰を切ったように溢れてしまうだろう。

そんな自分は許容できない。

光流に負けたことを意味するのだから。

・・・・大きく鼻から空気を吸い込み下腹部をぱんぱんに膨らませる。

そしてゆっくりと口をすぼめ吐き出す。

そして鼻から吸い込みゆっくりと吐き出す行為を2度3度と繰り返す。

いつの間にか聞こえていなかった、周囲の喧騒や狭くなっていた視野がクリアになっていく。

煩かった脈も大分落ち着いてきた。。

無理にでも心に仮面をかぶる気持ちで、前を向き機械的に足を運び下駄箱へと向かう。

そこに一人の生徒が立っていた。

一瞬、伊藤志信かと思った。

しかし、室内で影を落とすシルエットでも志信ではないことが分かった。

衛はとっさに頬を触り涙の滴がないかを確認した。

大丈夫なようだ。


「・・・・・・・よう、お疲れさん」


声を掛けてきたのは同じ組の男子生徒である出口だった。

出口俊介。

身長は衛よりやや大きく170㎝前半に見えた。

両もみあげから後ろまでを刈り上げ、前髪から頭頂部付近の髪は短めにしワックスで後方に流している。

吊り上がった眉と奥二重の瞳、そしてしっかりとした顎のラインもあって人相は気合の入った強面に見える。

体格はややふっくらとしていて、身長以上に彼を大きく見せている。

その風貌とは裏腹に将棋部に在籍していて、部内でも強いことは聞いたことがあった。


「・・・お疲れ」


出口が2度めの挨拶を口にする。

最初、衛は自分に声を掛けられているとは思っていなかった。

2年生から同じ組であったが、それまで彼から話しかけられた記憶がなかったからだ


「えっと、俺・・・・お前に一言謝りたくて・・・・」


「え!?」


最初の言葉から妙に緊張した雰囲気が伝わってきていたが、それがまさか謝罪とは思わず衛も驚くことしかできない。


「俺、柳や田中の雰囲気に流されてさ。同じチームだったのにお前だけ見世物みたいにして。ずっと走らせてさ・・・悪かったなと思って・・・」


「いや・・・・気にしてないよ」


頭の整理が追いつかずそう返事をすることしか衛にはできない。


「・・・あんなこと皆にされたら素直に受け取れないよな。まるで手の平返すような態度だもんな。もし俺だったら教室に戻れないかもしれないし・・・・このまま靴を履き替えて家に帰るかもしれないから・・・さ」


「出口君はそれを心配してるの!?」


「いや、そうじゃないけど・・・一人で教室は行き難いだろ?A組の伊藤も流石に着替えでB組までついて行くことはできないだろうし」


「それで待っててくれたの!!?」


「お前が嫌じゃなければ話し相手にでもなろうと思ってよ」


「そっか・・・・・ありがとう。本当は心細かったから助かるよ」


「いや、心細くしたのは俺たちの方だから感謝されることじゃねぇよ」


出口は自分を恥じているように目を背け、下を向く。

まるで衛よりも思いつめているようですらあった。

2人で下駄箱に向かいそれぞれ靴を履き替えて階段に歩いて行く。

出口の言い方は少しぶっきらぼうであったが、逆にそれが衛には素直な優しさに思えた。

「・・・・俺、将棋をやってる時は色んな手を思いつくことができるんだ。でもよ・・・お前が一人で歩いてて・・・そんで鴻池から話し掛けられる姿を見るまで、自分が悪いことしてるって実感がなかったんだ!・・・そんな認識すらなかった・・・・・言っとくが教師が恐くてお前に近づいたんじゃねぇからな!」


「教室で見る出口君はそういうタイプじゃないって思えるから、俺はそんな風には思わないよ」


俯きながら懺悔する出口。

衛は彼の繊細なところに驚いていた。

彼の強面な外見による勝手なイメージでそんな人ではないと決めつけていた。

これには外見で人を判断したくないと思っている衛の方が申し訳ない気持ちになった。


「・・・・。ハッキリと言い切るんだな・・・・お前ってちょっと変わってるな。他人に関心ないって態度取ってるくせに、人の事よく観察してるっていうか・・・目敏いというか。うまくは言えないけど」


「俺ってそんな風に見える?どうかな・・・・そうかも・・しれないのかも。俺、人一倍臆病だと思うから。平静を装いつつもクラスの雰囲気とか変わりがないか気にしるんだ」

「そのくせ実際変わってもあんまり態度が変わらないのな・・・」


「多分だけど・・・・それが自分のことだから・・かも。・・・それに臆病だから心のどこかでいつも覚悟してたのかもしれない」


「それ本当かよ!それって臆病って言うのか!?・・・・・・・・。お前に駒を持たせたら強いかもな!一度俺と対局してみるか!!」


どういう思考回路で将棋へと行き着いたのか衛には分からなかったが、出口の晴れた表情を見ることができて衛はホッとした。


「え、なんでそうなるの?多分、考えがいつまでも終わらないで出口君イライラしちゃうと思うよ」


「俺の名前は呼び捨てでいいよ。それよりも熟考するタイプか。問題ないぜ。俺は過ぎてく時間や外の景色眺めるの結構好きだからな!そうじゃなけりゃこんな体格になってないしな。ふふ!ふはは!」


豪快に笑う出口に対し衛は好感が持てた。

また対局中の楽しみ方も羨ましく感じた。

見た目で敬遠していた自分が酷く恥ずかしく感じた。


「俺さ、出口君って恐そうな人だと思ってたから話しやすくて驚いてる。見た目で判断しててごめんね」


「お前って本当に変なやつだよな。そんな内心の考えなんてわざわざ俺に伝える必要なんてないだろ。ましてや謝る必要もないだろ。それに俺も今までお前に関心があった訳でもないんだからよ。お互い様じゃねぇか」


「・・・・そう言われればそうなんだけど、言わずにいられないというか・・・失礼なことだからさ。自分が許せない気持にもなるし・・・」


「心底真面目なやつなんだな。びっくりするぜ」


そこで2人はB組の教室ドアに着いた。

そこで出口は足を止め真っすぐに衛を見つめた。


「・・・・最後にもう一度言うけど。石田済まなかった。ごめん!俺は流れに任せてお前をイジメたんだ。自覚もなくやった事が自分でもショックだ。だからここで誓うことにする!次からは俺は頭を働かせて自分の良識で行動する!こんな嫌な気持ちになるとは思ってもなかった・・・・」


「うん、許すよ。出口君の気持ちはよく分かったったからもう気にしないでね。・・・・・自分の良識で行動するっていい言葉だね。俺もその姿勢を目指すよ!!」


「本当に変な奴だな、お前って。あんな目に合ってもうそんな事が言えるのかよ。恐ろしくすら感じるな。・・でも・・・許してもらえてよかった。お前にしっかりと謝らなければ俺は自分を許せなくなるところだった」


「そうだったんだ」


そのセリフを聞くと共に出口がドアを開ける。

一瞬教室の空気が変わったように感じられたが、衛はそれがさほど気にならなかった。

既に着替え始めているクラスメイトが目を向けてくるが、それも体育の時ほど不快には感じられなかった。

それよりも出口との会話で得られた心の安堵感や会話の続きが気になった。

出口は自分の席(窓側、前から2列目)から制服を抱え、衛の席で一緒に着替えを始めた。

それを目にした柳や他の生徒は意外な組み合わせに驚いていた。

先ほどまで誰も衛に手を貸す者はいなかったのだ。

それが急に出口が親しげに衛と話しているのだ。

驚くのも当然なことかもしれない。


「さっきの話だがもしお前に謝っていなければ、俺は将棋が弱くなったはずだ。必ず!!でも・・・・お前と話せたことで俺は1つ強くなった。絶対に!10分程前の俺より俺は将棋が強く成れたんだ」


「出口君も変な人だと思うよ。俺には言ってることが良くわからないもん」


衛はもはや周囲の目は気にならなった。

一人の時に比べたら数が一人増えただけで百人力に感じられる嬉しさを、心の底から感じていた。

出口の言うことは酷く難解なものであったが、それも新鮮で面白かった。。


「心のう~ん何て言えばいいのか・・・・心のありどころの話だと思う」


「その言葉もいいね」


「・・・・。お前って・・・もう言わねぇよ。それより昼食は俺の将棋に付き合えよ!俺は強くなった自分の将棋を実感してぇ」


「いいけど、将棋盤はどうするの?」


「授業中が暇だから、ノートに書いた盤と手作りの駒があるから安心しろ」


「授業中にそんなことしてたの?」


「ああ、国語の時間とかな?明確な答えのない授業に付き合う気にはなれないからよ。それなら棋譜を並べてた方が有意義だろ!」


満面の笑みで同意を求める出口には悪いが、素直に頷くことが衛にはできなかった。


「でも、駒の動かし方は知ってるけど初心者に変わりはないからね・・・あ、そうだ志信と悟が来たら3人で相手になるよ!!志信は学年1テストの点いいし!」


父親が週末になると将棋の対局様子をテレビで見ているので、衛も自然と駒の動かし方やルールを憶えている。


「おお、それは面白そうだな!羽生九段も幼いころは家族相手に対戦したって聞くしな。伊藤も強そうだしな!」


しきりに衛と出口の会話を弾むことで、教室にあった衛に対する変な空気感が霧散していくようであった。

いつもと変わらない日常の風景へと変わっていくようであった。

そう衛には感じられた。

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