第28話冗談と悪意の境界線
事前に覚悟していた以上にサッカーの授業は衛にとって過酷なものとなった。
A組B組の男子総勢32名を3チームに分けて、足りない1人は運動のできる者に協力してもらうという、少々変則的組み合わせとなった。
運悪く衛は志信とは別のチームとなってしまった。
その上柳光流とA組サッカー部の田中と同じチームとなってしまったことで、衛のモチベーションは底が見えそうもないほど深く沈んでしまった。
田中と言えば先ほどの志信との会話の中で、結衣を茶化した者の内の一人だ。
光流と連れ立って行動しこちらにニヤニヤと気味の悪い笑みを向ける姿は、衛を不安な気持ちにさせた。
そして試合が始まるやいなやその不安は見事に的中した。
それは田中と光流がやたらと衛にボールをパスしてくることからはじまった。
田中と光流のポジションはゴールキーパーそ側のディフェンスよりだった。
勝手に陣取ってしまったため、他のチームメイトはしぶしぶ別の場所で位置につく。
衛は誰もいない前線へと追いやられてしまう羽目になった。
そしてボールの扱いに不慣れな衛がパスミスをする度に、2人して茶化す。
「石田君それはトラップしないと!」
「何やってんだよ、石田君!」
光流が言えば田中もそれに倣うように駄目出しをする。
「ごめん!俺初心者だから別の上手い人を経由してもらっていい?」
と衛が言うようものなら、
「チームプレイにその発言はないっしょ!別の人が困ることになるじゃん!」
「衛君が動いてフリーになれば問題ない話だから!」
と大声で責め立てる。
その上衛が目に入ったチームにパスをすると
「安田君にパスしちゃ可愛そうでしょ。そこはフリーの川上君にパスしてあげないと」
「俺が今フリーだったんだから、ちゃんと見てくれないダメじゃん!せっかく駆け上がってあげてんだからさ」
「田中の頑張り無駄にすんなよ~」
待ってましたと言わんばかりのセリフを両者とも言ってくる。
初心者の衛にパスを集中させることは可愛そうではないのか?と内心怒りが湧いてくる。中学の頃から志信の通う道場に夏休みの間顔を出す衛だが、決して運動神経の良い方ではなかった。
頻繁に集まるボールを前に、あたふたとボールに振り回されるように相手ゴールを目指す。
再びボールが飛んできたので、何とか足元におさめて前へ進もうとする。
・・・・・・ふと自分の周囲が静かなことに気付いた。
(・・・え!?みんなは・・・?)
すっかり足元のボールに集中してしまい視野が狭くなっていたようだ。
直ぐにサッカーフィールドの真ん中より少しだけ相手陣地に自分がいることを確認する。そこで可笑しなことに気付く。
前方に味方がいないのだ。
後ろを振り返るとチームメイトが後方に陣取っていることが分かった。
「足を止めるなよ!そのまま行けって」
「衛君点取り屋でしょ」
と柳と田中が笑いを押し殺したような声で盛んに促す。
「バレたよ。うけんな」
と言う声が聞こえた気がした。
そこで分かったことは2人と同様にチームメイトも相手のチームも小さな笑いを堪えていることだった。
そう言えばこのボールは衛と同様にスポーツのできない生徒からのパスだったことに思い至った。
自分より下の者ができたことで便乗でもはじめたのだろうか?
その気持ちは衛にも理解できた。
ボールに振り回されフラフラと駆ける自分の姿は酷く滑稽に映っているのだろうと、そんな役に進んでなりたいものはいないと思った。
そして光流の言っていたカースト制度が脳裏によぎり、自分は今最下層にいるような気がした。
決して認めたくはなかったがこの惨めな気持ちがそうなのかもしれないと思った。
色々と理解ができたことで衛は逆に心が軽くなった。
この試合はもはや衛1人をいかに困らせるかという趣旨のもと、相手チームも真面目にやる気がないようだ。
それが分かれば例え相手チームからも見世物にされたとしても、自分は自分なりの真面目なサッカーをしようと思えた。
これは衛の意地だった。
「おい、お前たち!何で石田だけしか攻撃に参加してないんだ!」
体育教師の鴻池が衛たちのチームに口を挟む。
「俺たちのチームはディフェンスを重視して、縦ポン一発で決める戦術なんです」
「石田君にはカウンターの起点になってもらってるんです。サッカー部の俺が全員の動きをまとめてますよ!」
とさもチームの方針のように言う光流と田中。
そしてそれを聞いて失笑をもらす多くの生徒たち。
そこには敵味方もない1つの意思があるようだった。
鴻池先生もそれ以上追及することはなかった。
例えピエロを演じることになろうとも自分らしくと覚悟を決めた衛であったが、意思とは裏腹に溢れ出そうになる涙を止めれそうになかった。
本気で止めようとしない敵チームを前にぎこちなくボールを蹴り進める。
今や衛だけアウェーだった。
そこに大男が体格に似合わず俊敏な動作で衛のボールを綺麗に奪い取った。
伊藤志信だった。
ここで動いてくれる人は彼以外には考えられなかった。
「これは・・・・悪質だな」
「志信、俺のことは大丈夫だから」
お互いに小声で声を交わす。
志信は一度動きを止めたが、軽快な動きでボールを敵陣地へと運んで行った。
「簡単にとられんなよ~」
「衛君なにやってんの!」
予め言われることは分かっていたため、衛はチームから一人離れ志信とボールの行方にだけ意識を向ける。
志信は味方のチームとパスを交換し粘り強く得点を入れようと試みていた。
見方を変えれば守備に力を入れ数多くいるの衛チームを相手に、時間を稼いでくれているようでもあった。
衛は懸命に走り大量に汗をかいていたが、それを拭うフリをして涙を拭いた。
「本当に・・・志信には助けられてばかりだな」
と小さく声を出しチームをまとめる志信の背を衛は見ていた。
ただ、志信のこの行動がさらに柳と田中の嫌がらせに拍車を掛ける結果にもなってしまった。
サッカー部の田中がパスをもらおうとした志信へのボールに反応し、それをカットする。すかさず近くにいた光流が「へい!」と気取った調子でボールを要求する。
そして受け取った光流はまるで衛がサッカーゴールでもあるかのように、強烈なシュートを放つ。
一直線にまるで弾丸のような速度で飛んでくるボールは、衛の1メートルほど後方で跳ねてコートから飛び出していった。
「田中が奪ってくれたボールなんだから反応しろよ!」
全く反応することのできなかった衛に声を荒げる光流。
そして無茶苦茶なこと言っている自分に対して大爆笑する。
側にいる田中は声を上げて笑っている。
周囲のチームメイトも「流石にあれは無理だろ」と衛を擁護しつつも笑いだす。
志信チームのスローインで再開されたゲームはここから、志信チームが時間をかけてボールを支配し、衛チームがボールを奪っては柳と田中を筆頭に他のチームメイトも衛に向かって強烈なシュートを放ち、笑うようになった。
衛はその都度懸命にボールを追ったが、彼の行動は返って周囲の笑いを誘う結果としかならなかった。
試合結果は2点を奪われて衛たちのチームは負けた。
衛は予期していた通り光流と田中に戦犯として茶化されることとなった。
試合後にA組B組の集団から一人離れて衛は校庭を下駄箱に向かい歩いていた。
1得点を決めた志信は衛の心配をしてくれているようだったが、先を歩くAクラスの友達に連れられ会話の中心にいた。
いつの間にかゼッケンなどが入ったケースを抱えた体育教師の鴻池が隣に来ていた。
「お前クラスで浮いているのか?」
と話しかけてきた。
衛にとって鴻池からそんな言葉を掛けられるとは思ってもいなかった。
そして少し嬉しかった。
体育の鴻池は陸上部の顧問をやっている。
黒のジャージをいつも着ており、細身の引き締まった体をしている。
50代で白髪の交じった頭髪を丸坊主にしているがよく似合っていた。
自分にも他人にも厳しい姿勢が特徴で、生徒たちを贔屓せずに接するので人気があった。衛に対する少しぶっきらぼうな質問も、鴻池なりの気を遣ってのことだろう。
「やんちゃな柳君と田中君がたまたま今日は俺に目を付けたみたいです。運が悪かったなと思ってます」
と何でもない様子で衛は誤魔化した。
内心の動揺を感じさせない迫真の演技だと思えた。
「・・・・そうか。取り敢えず今はお前の言葉をそのまま信じるぞ。ただ何かあれば直ぐに相談しにこいよ!・・・・生徒にこんなことを言ってはいけないのだろうが、お前は授業態度よく他の先生からも評判いいからな。できれば真面目に臨む生徒たちには楽しい学校生活を送ってほしいと俺は思っている」
と真面目な口調で真っすぐと衛を見つめた。
衛の顔に仮面が張り付いていないか確認しているように見えた。
「気にかけてくれありがとうございます!・・・・・来年俺の妹がこの学校にお世話になるかもしれないので、その時は今日みたいに面倒を見てもらえると嬉しいです。」
感謝の言葉を口にしつつも話題をそれとなく逸らしてみた。
このままだとつい弱音を言ってしまいそうだと思った。
「妹がいるのか。お前に似て真面目で優秀そうだな」
意外な顔をしつつも嬉しそうに鴻池は笑った。
「俺と違って運動のできる奴ですからね。ただ少々気の強い妹なんです」
「運動ができるかどうかは関係ないぞ!最後までボールを追いかけたお前の姿勢は決して間違っていないからな!」
と急に真面目な口調になり力を込めてそう言った。
ケースをわざわざ脇に抱え、右手の拳を丸めてポーズまでとっている。
衛が何かを隠していることは薄々分かっているのかもしれない。
それでも言い出さない生徒の自主性を尊重したのだろう。
鴻池は今からお前の妹が楽しみだと笑みを漏らし去って行った。
教師というだけでこれまで壁をつくり厚い仮面をかぶってきた衛だった。
しかし教師といっても自分のような人間の延長でしかないんだなと当たり前のことに思い至った。
少しだけ体育で生じた悲しみが軽くなった気がした。
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