第21話それは一瞬のできごと
柳光流が丘陵高校に来てからの一週間(厳密にいうと月曜日から金曜日)は、衛にとって日に日に光流の影響力を実感し、驚かされる日々でだった。
まるでオセロゲームの様に自陣のマス目を白から黒へと、裏返しにされ身動きの取れなくなる状況へと変わっていくように感じた。
柳光流はそれだけ周囲を変える力があった。
その理由は第一に彼の容姿が人並み外れて優れていたこと、次いで彼の性格が陽気で笑いをとることに秀でていたからだろう。
衛に実害があった訳ではなかったが、光流を媒介に友人たちの違う一面を見せられ寂しい思いになった。
それは光流が衛のことをどこか軽視しているために生じていることだった。
光流は登校する時間が遅い。
彼が出席する時間はホームルームのギリギリになることが多かった。
そのため彼が教室に姿を見せる時は、ほぼ生徒が席にいる状態だった。
そこで男子に挨拶をするのだが、衛の席が近くなると決まって衛を茶化すのであった。
今日も静かだねー、姿勢が綺麗だね、のっぽ(志信)はどこいったの?と言った具合だ。
衛には何が面白いのか分からなかったが、周囲はわざとらしい口調と動作をする光流のリアクションに笑顔を見せた。
その内、それまで普通の会話をしていたクラスメイトたちの衛への態度が、偶にどこか馬鹿にしたものに感じることがあった。
それは決まって光流との会話の後に生じていた。
どうやら光流と楽しげな会話をしたことで、気が大きくなるようだ。
その証拠に光流がいない時は彼らは決してそんな態度は見せなかった。
そんな彼らの姿を見ることは衛にとって、酷く悲しいことであり滑稽に見えてしまっていた。
それまで普通に会話をする中だっただけに、衛もそんな評価をしたくなかった。
光流が学校で見せる仕草や行動は、どんな場面でも周囲の人間を魅了した。
彼と廊下ですれ違う女生徒の多くは盛んに手櫛で髪を撫でる者が多く、中には光流と目が合い立ち止まってしまう者もいた。
これは低学年に多く見られる傾向だった。
衛ですら光流の唇の奥から覗く白く美しい歯で満面の笑みを見せられると、“自分に見せた一面は誤解からくるものではないのか”と自分に非があったのではないかと感じてしまう。
そう思わせるほど彼の笑顔は純真で、一見すると裏のないものであった。
彼の言葉を借りれば、まさにスクールカーストの頂点に彼は君臨していた。
その一方で誰にでも愛想のいいはずの彼の周囲には、自然と限られた人間だけが側にいるようになった。
野球部やサッカー部のお調子者や、素行の悪い者が取り巻きのように彼の近くにいた。
彼らの外見も光流に及ばないものの優れており、どこか制服を着崩しピアスを付けていたりしていた。。
女生徒も同様に髪色の派手で胸元のボタンを外し、スカート丈は短くしていた。
そして靴の踵を潰して履く者が大半だった。
化粧が濃いためはっきりとは言えないが、彼女たちの容姿も良く見えた。
彼ら彼女らは常に2人~3人ほど光流の周りにいて場を盛り上げていた。
まるで蛍光灯に群がる蛾の様だと彼らを見て衛は思った。
それは前述の通り光流と出会う前と後で大きく態度に変化が見られたからだ。
光流の影響を一身に浴び羽化したことで言動が大きく変わっていた。
因みに朝比奈椿は光流と教室で会話することが多かったが、彼らとはどこか距離を取っているように見えた。
そして2日目以、降衛と光流はほとんど会話をすることがなかった。
話しをしても表面的なことで留まり、お互いに仲が深まることを決して期待も望みもしなかった。
そんな空気を周囲は敏感に感じているようで、クラスメイトの多くは光流へとなびいているように感じられた。
結衣とはその後登下校を共にすることはなく、学校でも見かける程度だった。
スマートフォンでの連絡は頻繁にするようになっていた。
光流が転校してきてから次の月曜日を迎えた。
そして衛の人生の分岐点となる出来事が起こる日が訪れた。
その日もいつものように支度をして母に見送られて家を出た。
一人で登校し自分の席に着く。
少し早い時間のため、教室には数名の生徒のみ。
いつもと違ったのは、引き出しに両手で今日の授業の教科書を仕舞った際に異物が指先に触れたことだった。。
金曜日の帰りには決してなかった。
どうやら一通の白い封書が机の中にあり、衛の手がそれに触れたようだった。
机の上に一度仕舞う予定だった教科書を置き、中の封書を掴む。
衛の頭にあったのは、座席近くの生徒が間違って入れてしまった私物であろう、という考えであった。
そういうことにしておきたかった。
そのため机から出てきた物が、白く長方形の紙にフタが三角形のダイヤ張りをしてある、ザ・ラブレターの見た目だったことに、ギョっと身を硬くしてしまった。
そして“石田衛くんへ”と可愛らしく書いてある文字を見て、さらに驚きを表してしまうこととなった。
幸い周囲の生徒は衛の様子が急に変わったことを目撃していないようだった。
衛は急いで机の中に封書を隠し、手探りで中を開けた。
開ける際手が緊張で震えた。
今や衛の頭は手紙の内容への興奮と、思いもよらない出来事で真っ白になっていた。
非日常的な状態に置かれ高速回転する頭の影響か、喉はカラカラに乾いてしまいいつのまにか口で呼吸をするようになっていた。
唾液を飲み込むことが難しくすらあった。
横目で友人たちの様子を用心深くうかがい、机の中から便箋を垂らし膝の上に載せ、手紙の冒頭に目を向ける。
読み終わった部分を机の中にスライドさせながら、瞬時に内容を読んでいく。
緊張による手汗が紙の滑りを悪くさせ、震える指はカサカサと音を生じさてしまう。
衛にはその小さな音が教室中に聞こえてしまうのではないかと、ハラハラすることで益々緊張してしまっていた。。
どうやら聴覚も鋭敏になっているようだった。
席の遠いクラスメイトたちの会話がまるで隣で聞いているかのように、感じられる。
びっしりと書かれた内容をなんとか速足で読み終えることができた。
文末には羽柴結衣の名前が書かれており、衛の目が驚愕に見開かれる。
正直悪戯か?
という疑惑を覚えていた。
しかし丁寧に書かれた文字と一生懸命考えられたであろう文章が、衛の中にある悪戯の文字を二重線で打ち消す。
それに結衣が悪ふざけでこのような行為をするはずがないのを衛は確信している。
(・・・・・・・・・・・)
なんとも言えない気持になった。
この封書を見付けた時に、心のどこかで結衣の名前を期待している自分がいた。
ただ頭の片隅にはこの出来事を冷静に受け止められない自分がいる。
夢なんじゃないか?
本当に結衣が手紙で気持ちを伝えるだろうか?
言い知れない違和感を感じ自分の気持ちの整理が一向に追いつかない。
差出人の名前と文章を吟味するため、もう一度机から手紙を垂らし、はじめから読み進めようとした。
いつの間にか衛は自分の世界にすっかり入り込んでしまっていた。
衛の失態はここで“背後からの迫りくる黒縁眼鏡の大男”の接近に気付けなかったの一言に尽きる!
いつもの慎重な衛なら、毎日のようにこの時間に顔を見せる友人の存在を失念したりはしなかったことだろう。
惜しむらくは“初めての恋文を味わって読みたいな”という下心を出してしまったがためであった。
「衛君、それはラヴ・レターというやつではないのかい?」
巻き舌を使い英語の発音を強調したこの一言を聞いた時、衛の時間はピタリと停止した。永遠ともいえる延びた時間で思考できたことは“おもちゃにされるな”という恐怖とその確信だけであった。
未だスローモーションで知覚される中振り返る。
仰ぎ見る相手の瞳は朝の陽ざしで反射するレンズで見えないものの、印象的な黒縁眼鏡がこちらを向いていた。
そして衛の心の推移を完璧に把握しているかのように、相手の口もは嫉妬に歪んだかたちから、みるみる内ににやけ出し白い歯が覗きだしていた。。
醜い笑顔だと衛は本気で思った。
きっと眼鏡の奥は“標的を発見した猛禽類”のような目をしているに違いないなと思った。
そしてフリーズしている衛の手から覗く便箋の内容を、舐め回すようにして凝視していることも分かっていた。
「・・・・・・・」
衛は額から玉の汗を流し答えることができない。
顔だけでなく上半身も志信に向ける際に、手紙を机の奥にそっと仕舞う。
「どうなんだい?黙ってないで答えてみせたまえよ」
「・・・・・・」
自分の優位を確信したわざとらしい声音と言い方で要求してくる。
「ふむ、衛君に答えることができないのであれば・・・・どらどら私が拝見して明確にしてみようじゃないか。机に隠した物を渡してくれたまえよ」
芝居がかった口調と聞き慣れない方言まで使い手を差し伸べてくる。
手紙を隠したのは当然バレていた。
(くそっこんな眼鏡野郎に屈したくない)
と衛は頭の中で強く思った。
思ったものの衛になす術はなく頭を垂れることしかできない。
志信はその大きな体の腰を曲げ、衛の耳元に口を持ってくる。
「騒ぎが大きくなる前に渡した方が賢明だと思うがな・・・・そうだろ?」
と小さく呟く。
志信はそうは言ったものの、ただでさえ目立つこいつの異変に数の増えてきたクラスメイトの一部は、チラチラとこちらに注意を払っている。
(・・・・ポキン・・・)
澄んだ心の折れる音が教室に響いた。
衛はそんな錯覚を覚えた。
その音に気付く者は衛しかいなかったが、どこか衛自身も他人事のようにその音を聞いていた。
これが茫然自失になるということかと一部分しか稼働していない頭でそう思った。
今や衛は視線と言う名のレーザーサイトをいくつも体に当てられ、両手を上げて投降する犯人のようでしかなかった。
簡潔に言うと“まな板の上の鯉”状態であった。
「・・・・・・これ・・志信だから見せるよ」
悔しさで震える手で手紙を差し出した。
ここで素直に見せてしまうのが衛の人のいいところであり、意気地なしなところでもあった。
本来なら結衣の気持ちを汲んで見せるべきではなかったはずだ。
(そうだ!!自分が結衣の立場なら絶対に嫌なはずだ!誰になんと言われようと見せてはいけない!!)
衛は我に返り手紙を持つ指先に力を込めた。
指先にはもう手紙はなかった。
志信は丁寧に手紙を扱い読んでいた。
(ごめん!結衣!!ごめんなさい!!)
衛は心の中で謝ることしかできなかった。
もはや周囲から一心に注目を浴びていた。
「ほぉ、これはこれは・・・先ほどは憶測でラヴ・レターと言ってしまったが・・・・どうやら恋文で間違いないようだな」
一瞥して言った。
ラブレターの言い方と恋文を周囲に聞こえるよう強調することに、志信に対し強い殺意が湧いた。
今の衛は漫画的例えで言うならば血の涙を流していた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。いや・・・・・悪ふざけが過ぎたな。申し訳なかった衛。俺の態度はこれを書いた相手も馬鹿にし大いに不快にするものだったな。・・・本当にすまなかった。親友でも決してしていい態度じゃなかった。調子に乗ってごめんなさい!」
手紙を読み終えると、志信の態度は一変した。
内容が真摯なものであると分かると、瞬時に自分の態度を反省し衛に謝罪した。
手紙を丁寧にたたみ衛に返す際も、志信は申し訳なかったと折り目正しく頭を下げた。
羽柴結衣にも誠心誠意謝ると付け足した。
衛は志信ならこういう行動に出ることは分かっていた。
やり過ぎることはあるものの、節度と礼儀と良識がしっかりあるところが、志信の長所であり尊敬できる点であった。
たまに調子に乗り過ぎるところはあるが。
逆に志信以外にはこの手紙を見せる気には衛はなれなかっただろう。
書いた人にちゃんと謝ってくれればそれでいいよと、衛もそれまでの不快な気持ちが晴れ、はにかんで応じた。
凸凹コンビは照れたように笑いあった。
・・・ただ・・・・ここで衛と志信の両名の失態は“これでこの件は終わり”と思い込んでしまったの一言に尽きる!
いつもの冷静な2人なら、自分たちの茶番に目を止める者がいるかもしれないと考え、話を尻すぼみに終えていき周囲に溶け込むことができたであろう。
惜しむらくは志信の真摯な態度に安堵してしまった衛、そして自身の度が過ぎる揶揄に対する謝罪を、親友が快く受け入れてくれたことで満足してしまった志信、その両名の間で新たな友情が醸し出されたことで生じた油断に他ならなかった。。
「あんたたち、周りが見えてなさ過ぎでしょ」
朝比奈椿のこの一言を聞いた時、2人の時間はピタリと止まった。
永遠とも呼べる延びた時間の中で2人が思ったことは、“すっかり忘れていた”だった。ギギギギと錆びたネジが回るように2人が顔を向けた先には、半眼で睨む椿と好奇の目を隠しもしたいクラスメイトたちがいた。
そして“お約束”とも呼べるタイミングで教室前方の扉が開いた。
そこにはプリントの束を抱えた羽柴結衣の姿があった。
信じられないものを見たという表情で固まる2人。
その姿を見ることで何となく察する周囲。
そして注目を一身に浴びることが理解できず、えっと声を発し立ち止まる結衣。
「これ書いたの羽柴さんって本当?」
いつの間にか衛の手から手紙を抜き取り、椿がヒラヒラと挙げてみせる。
衛は普段の椿からは想像もできない行動に驚愕した。
しかし、こちらをチラと見る椿の目からは“この展開で逆にあんたにどうできるのよ?”といいう意思が込められていた。
確かに自分と志信の先ほどのリアクションで、周囲に差出人が誰か知れ渡ってしまったことだろう。
衛ではこの先を上手く誤魔化す術が思い付かなかった。
依然として訳が分からず戸口で固まっている結衣は、しきりにキョロキョロとしている。我に返った志信が衛と結衣のことを最優先に考え、衛の肘を掴むと”取り敢えず羽柴さんと2人でここから出ろ”と衛に耳打ちする。
”俺が何とかこの場は誤魔化す”と椿の目を見据え、志信は衛と椿にだけ聞こえるように呟く。
衛は志信を改めて心強く感じ、志信の言葉に頷く椿にも感謝した。
”人の少ない後ろの扉から出ろよ”という志信の指示に従おうと衛は腰を浮かせた。
しかし・・・・立ち上がりかけた衛の肘が再びガシっと掴まれた。
「ここは男として逃げちゃダメでしょ~」
と語尾に音符がつくような愉快な声を上げる者が衛の進行を遮った。
それは光流だった。
ニヤついた口元は周囲の生徒と同じようであったが、衛を掴むその手には力が入っており鈍い痛みを生じさせていた。
そして、ギラギラ光る瞳は口調とは反対に衛に逃げる選択を拒む意思を放っていた。
とっさに動きを止めてしまったことが仇となり、衛は引きずられてしまう。
光流が愉快そうに周囲の生徒をかき分けることで、後に続く衛に男子生徒からヤジが飛ぶ。
志信が”おい!よせ!”と声を発したが直ぐに埋もれてしまう。
衛を引きずりながら結衣の手前2メートルほどで光流は一度止まった。
そして衛を背中から押し、衛と結衣の距離が一メートルほどに近づく。
そこで生徒たちの間から盛んに囃し立てる声が上がった。
衛は周囲の対応に許せない気持を抱き、表情はどんどん能面のように消え失せていた。
そして結衣に対して申し訳ない気持ちで一杯になり、衛は真っすぐ彼女の目を見ることができなかった。
結衣は衛を前に体を緊張させているように見えた。
持っているプリントが小刻みに震えているのが見えた。
その様子は今にもB組を走って去って行きそうにも見える。
「羽柴さんは石田君のことが好きなの?」
柳光流は調子のいい声で結衣に尋ねる。
”こいつ容赦ないな”と衛は教室の床の一点を見つめながらそう思った。
今や生徒たちは成り行きを見守るためか静かになっている。
家に帰ったら結衣に電話で謝ろうと衛は思った。
いや、家に赴き直接謝らなければ許されないことだろうと思った。
それよりも部活の帰りを待って直接事情を説明して、頭を下げることの方が気持ちが伝わるなと荒くなる息と脈打つ心臓の鼓動を感じながら強く思った。
結衣なら許してくれるだろうか。
こんなことになり衛は不安で押しつぶされそうになっていた。
全て自分が招いたことであり、そのせいで結衣を傷つけてしまう。
そのことだけが悔しくて情けなかったーーー
「・・・・はい、私は石田君のことが・・好きです!」
視界が狭まる。
呼吸を忘れる。
心音すらも。
周囲の喧騒も聞こえなくなる。
結衣の最後の一言は、一拍を置いてはっきりと言い切る声だった。
衛は結衣の足元を見ながら今日何度目かになる時間のスローモーションを感じていた。
結衣に言葉の意味を尋ねるように衛は反射的に頭を上げた。
そこには頬を真っ赤にさせつつも、衛の顔を真っすぐ見つめる結衣の姿があった。
まるで衛しか見えていないかのような瞳は、かつて衛が見てきた結衣のどんな表情とも違い、強い意志が込められているように感じた。
その表情は心臓のトクンという鼓動一つの短い間だけだった。
「あの、これ弓道部の人に渡しておいてもらえるかな?」
何気なさを一生懸命装った結衣の声は震えていた。
プリントを衛に押し付けるように渡し、結衣は踵を返し走ってB組の教室戸口から姿を消した。
衛を含む取り残された生徒たちはあっけにとられ、皆呆然としていた。
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