第20話羽柴剛史と縁側にて
自宅最寄りの駅で降り衛は足早に家に向かう。
光流の最後の笑みが忘れられず、振り払うように足を速めて進む。
しきりに光流のセリフが脳内で繰り返され、その度に歯を強く噛みしめる。
悟がくれた温かな気持ちが今ではすっかり冷えてしまっていた。
遠目から家が見えてきたことで、少し安堵する。
見えない何者かから一心不乱に逃げるように歩を進ませていたためか、駅からここまでの景色がまるで思い出せなかった。
衛は少し息が上がっていた
「衛ちゃんこんにちは。学校帰りかい?随分急いでるみたいだね」
家の目前で突如横から声を掛けられた。
自分の名を呼ばれたことに気付き、とっさに顔を向ける。
そこには結衣の父、羽柴剛史(つよし)が垣根から顔を覗かせていた。
その手には軍手をしており庭の草むしりをしていたようだった。
結衣の父親だけあって剛史は身長が180㎝を超える大男で、恰幅も良かった。
短髪に髭を少し生やしている相貌は柔和で、まるで達磨を連想させた。
声もどこかのんびりとした口調だ。
家が隣同士、子も同い年ということもあって、衛が小さい頃から何かと目を掛けてもうことが多かった。
また、子供が結衣一人ということもってか”衛ちゃんのような男の子が欲しかった”という冗談を口にするのが剛史の口癖だった。
一度幼いころの結衣がそれを聞いてしまい、大泣きするという事件が起きたこともあった。
今となっては微笑ましい思い出だ。
衛が手放しで称賛できる、数少ない大人の内の1人だった。
「おじさん!?どもうもこんにちは!あの、ちょっと考え事してて・・・・・。草むしりをしてたんですか?。自分も手伝いましょうか?」
剛史の呑気な顔を見たら自然とそんな気持ちになった。
衛は剛史のことが好きだった。
駅前の店舗で総菜屋を羽柴家は夫婦で営んでいた。
通勤時間の早い早朝7時頃から夕方の16時半までが営業時間だが、安い・上手い・量が多いという三拍子揃った繁盛店ということもあり、お昼過ぎには店じまいすることが良くあった。
もちろん羽柴家夫婦の評判もいい。
そのため疲れているにも関わらず、衛達は小さい頃からよく遊んでもらった。
動作は遅くかけっこなどでは俊敏な衛・美紅(みく、衛の妹)・結衣に、振り回されてばかりだった。
それでも腰を降ろして衛たちの話を熱心に耳を傾ける様は仏のようでもあったし、丸まった熊のようでもあった。
衛たちが歳を重ねものの見方が変化しても、剛史はその度に根気強く精神年齢を自分たちのところまで降りてきれくれた。
そんな気がする。
結衣との関係が疎遠になっていた時も、剛史とは顔を合わせれば挨拶なり立ち話なりをする間柄は続いていた。
果たして自分が大人になった時に、剛史と同じ態度を幼い子どもたちに取ることができるか?
衛はいまいち自信が持てない。
「嬉しいこと言ってくれるね。草むしりは丁度終わったところだから、良ければおじさんの話し相手になってもえるかい?」
そう言って話を聞いてもらうのはいつも衛の方だった。
垣根越しで小話をするのも衛は全然構わなかった。
しかし草むしりをして剛史の腰が痛いとのことなので、羽柴家の縁側に腰かけて話をするということになった。
剛史と会話する都合上、羽柴家の縁側を利用することはこれまでに何度もあった。
ただ、今日の衛は昨日の通学時に結衣と久しぶりに出会ったことで妙に意識してしまい、羽柴家の扉を跨ぐ時は少し緊張した。
羽柴家の庭は門扉から玄関までのアプローチにレンガが敷き詰められており、これは剛史の手作りだった。
アプローチを挟んだ両側は青々とした芝が生い茂っており、幼い頃はよく遊ばせてもらった場所だった。
夏になればビニールプールに水を入れて遊び、秋になればコオロギを探した。
結衣とのそんな思い出が沢山ある。
縁側は玄関正面左側にあり、衛はアプローチから芝生を横切り腰掛けた。
少しして、盆に茶を乗せた剛史が家の窓から姿を現した。
先に玄関から家に入り用意をしてくれていた。
衛は礼を言って熱いお茶をすする。
香りのいい熱いお湯が喉を通ることで緊張がほぐれていくのが分かった。
剛史も胡坐をかき前かがみになって目を細め味わっている。
どうやら手入れした庭の様子に満足しているようだ。
その姿はやはり大きな仏に見えた。
「「・・・・・・」」
「・・・・・・一週間ほど前から結衣の様子が変だったんだ」
独り言のように、自分に言い聞かせるように前置きなく剛史が話し出した。
その一言は衛を驚かせた。
全くの寝耳に水の話だった。
「それが中学のはじめの頃を僕に思い出させたんだ」
剛史は一人称が僕だった。
温和な剛史にはその言い方と、とつとつと語る口調が似合っていた。
「あの頃のように塞ぎ込んでしまうのかと思ったんだ。でもね、昨日の結衣は随分嬉しそうに見えて、ホッとしたんだ」
結衣は中学1年生のはじめ頃に、目立つ外見と言動で陰口を言われることが一時期多くあった。人なら大なり小なり陰口を叩かれることはあるだろうが、あの時は酷く悪質なものだったと衛は記憶している。
剛史は安心したようだが衛は何があったのか逆に気になってしまった。
「今朝11時頃だったかな、衛ちゃんのお母さんがお惣菜を買いに来てくれたんだ」
衛には話の流れが読めた気がした。
「“家の息子が昨日結衣ちゃんと登校できたお陰で、今朝もそわそわしながら学校に行った“って聞いた時、僕は腑に落ちたんだ。昨日の部活帰りの結衣の顔が打って変わって晴れていたことに。今朝、部活動の朝練で出掛ける時の足取りに、何か未練があるように感じられたことに」
てっきり母と同じように、おじさんにも茶化されるかと思っていたが、そうではなかった。
もし仮に今朝の結衣が自分と同じ気持ちになっているのだとしたら、どんなに素敵なことなんだろうと、視線を両手に抱えた湯呑に向け、少し嬉しい気持ちになった。
「中学生の時もそうだっけど今回も衛ちゃんのお陰で元気になったようだ。ありがとう。」
剛史は顔を衛に向け優しい笑みで頭を下げた。
「いえ、結衣がおじさんに何と言ったのか分かりませんが、少なくとも中学の頃の俺は何もしてないのと同じようなものですよ!?今でもそのことで後悔してるくらいですから・・・」
慌てて右手を左右に振り剛史の言葉を否定する。
衛の動作に合わせて湯呑のお茶が揺れた。
目を掛けてくれるくれるのは嬉しいが、やっていないことまで感謝されるのは申し訳ない気持ちになってしまう。
「・・・人間だからね。瞳に映る姿は人それぞれ違って見えるものだよね。それが当然だよね・・・・」
衛の言葉をまるで聞いていないかのように、剛史は話す。
「衛ちゃんが自身をどう思おうと、あの時の結衣には何よりも尊い存在だったに違いないよ。親だから分かることもあるんだ。・・・だからねあの時の事を後悔せず、出した自分の勇気に誇りを持って欲しい!と僕は思っているよ」
ほんの少し力強い口調から一転、最後の方は温かみのあるゆっくりとした剛史の声音に変わっていた。
「・・・俺はまだ何者にもなれてません。あの時も考えてしたことではないですし。まだ誇ることはできないと思います。誇るようなことでもないです。・・・でも、おじさんからそう言ってもらえると嬉しいです」
「ふふふ、衛ちゃんは恰好いいね。僕が衛ちゃんくらいの時とは全然違うな」
優しい笑みをこちらに向ける。
傾いた西日がこちらを照らす。
その暖かさに触れてどんなものでも包み込んでしまえるように感じた。
それは決して太陽の眩しさがそう感じさせるのではなく、隣にいる剛史という人間の器がそう感じさせてくれているに違いない。
少し剛史の過去がどんな風だったのか気になった。
“こんな人になりたいな”衛は素直にそう思った。
それからしばらく会話を楽しみお茶のお礼を言って衛は羽柴家を後にした。
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