第17話噂話と怒れる椿
ホームルームの始まる5分ほど前、Aクラスの生徒たちは水を得た魚のように,彼らの眼前で行われた男女のやり取りについてヒソヒソと噂話をしていた。
石田衛のカチカチに緊張した事務的な口調は、およそ同級生に対して接する態度ではなく、明らかに結衣を意識しているのが見え見えであった。
その見ている方が恥ずかしくなるような初(うぶ)な仕草がまた噂話に拍車を掛けた。
衛は自身の分かりやすい行動によって、恐れていた噂話を現実に起こってしまったっていた。
その渦中のもう1人の人物である羽柴結衣も、先ほどまで談笑していた女子生徒である、菊川素子から執拗な質問攻めにあっていた。
「急に来て急に去っていったね」
ポカンという擬音が似合うほど素子の口は開いていて、衛が去って行った方のドアを凝視している。
「うん」
結衣も同様に視線を向けて頷いた。
わざわざ衛が他教室にまで顔を出して貸したルーズリーフを返しに来るとは結衣も思っていなかった。
酷く緊張していた衛には悪いが、貸したルーズリーフは既に終わった範囲であり、今日の授業に必要かというとそうでもない。
ただ、こちらのことを心配して一限目の古文の授業に間に合わせるために行動してくれたことと、その優しさが何よりも嬉しくかった。
大人しい彼の見せたあんなに緊張した姿を新鮮に感じた。
そんな衛の姿を思い出したことで、結衣の頬も赤く染まり、心臓が急速に早鐘を打ちはじめだしていた。
「結衣、いつの間に石田君にノートを貸す間柄になってたの?」
「・・・・昨日からだけど?」
「奥手で男子とも話そうとしないくせによく”あの石田君”と話せたね?」
「ま・・・石田君とは家が隣同士だから幼馴染で昔はよく遊んでた仲なの。・・!?それよりも“あの石田君”ってどういう意味よ!?」
女同士の会話には普通にバカ話もできる結衣だが、男子についての会話には口数が減る傾向があった。
今も質問相手である菊池素子の関心をどう変えようかと、頭をフル回転させて悩んでいた。
そして、気付かなかったが周囲の人間も自分たちの会話にどこか興味を惹かれているようで、耳をそばだてている気配がする。
そして衛と一緒に登校した志信も、当然教室の隅で結衣と同じように男子の質問攻めにあっている。
「だって石田君と言えばこの学年でも上位の美男子で有名じゃん。あんなに緊張してる彼の姿なんて初めて見た私。結衣と似て奥手な性格してるんだね。勉強もできるし男子への人当たりも良さそうだから、悪い噂なんて聞いたことないし。・・・運動は苦手って聞いたことあるけど。それでいてどこか影のある雰囲気がミステリアスで不思議な人って印象だよね。掴みどころがないっていうか。しかも自分の顔について言われるのを嫌うっていうのも謎だよね。・・・それで結衣は今の彼の行動をどう思ったのかな?」
早口言葉で捲し立てると、人の悪い笑みを向けて素子が詰め寄ってくる。
「それは素直に嬉しかったよ。学校で話すのも久しぶりなくらいなんだしね」
あくまでもそっけない態度で大したことではない風を装う。
「ふ~~~ん、そうなんだ。あの様子だと随分と結衣のこと意識してるみたいだったよね?」
「石田くんは女性に対して誰とでもそっけないなずだよ。慣れないことさせちゃったから緊張したんだろうね」
[そうなのよね。女子に全く関心がないって話だったけど、それは結衣への態度を見るとそうでもないみたいね。うちのクラスの伊藤といつも一緒だから変な噂話もあったくらいなのにね」
「え、伊藤君との噂話ってどういうこと?」
「結衣にはまだ早い世界のようね」
下卑たと形容してもよさそうな笑顔をして、素子は鼻息も荒く早口に話し出した。
結衣も衛のことについて女子の間で度々話題になることは知っていた。
しかも学年を飛び越えてである。
たまに後輩や先輩が話をしているのを部室で聞くこともあった。
衛についての噂話は大抵良いものであり、褒められて自分のことのように嬉しいような焦るような気持ちにさせられた。
しかし素子の言った最後の伊藤との噂話は初耳であり、同意を求められても反応できなかった。
そもそも同性どうしの恋愛が成り立つことにすら結衣は懐疑的であった。
「でも、美男子と言えば昨日B組にきた転校生は、石田君より格好いいって話だけど結衣は昨日B組に見に行った?」
素子は身を乗り出して聞いてくる。
衛がA組を去ってからずっと彼女はテンション高く前のめり姿勢だ。
「え・・ううん、B組の廊下に人が沢山いたから、気にはなったけど覗いてないから見てない。素子はその言い方だと見てないんだよね?」」
マシンガントークの質問攻めに気圧されとうとう結衣は若干及び腰で応対する。
「・・・やっぱりあんたと石田君って実は共通点多い?家が隣同士だから似てるのかな?外見良いのに異性に興味感心の少ないところとかさ」
面白くなさそうに半眼で睨んでくる友人に、もう直ぐホームルームが始めるから準備するねと告げ、そそくさと結衣は自席に腰を降ろした。
実のところ結衣は素子に一つだけ嘘をついていた。
昨日Bクラスの廊下を通りがかった時に、覗くことはしなかった。
それは事実である。
しかし横目でチラと窺った時に柳の姿が目に映った。
その一瞬は時が止まり、胸に拡がる衝撃を今も結衣は忘れることができずにいた。
昼食時いつものように衛は志信と一緒にB組の自身の席で弁当を食べていた。
朝の登校後はそうでもなかったが、授業が終わり休憩に入る度、今朝の行動を噂されているような雰囲気を感じ居心地の悪い思いをしていた。
時折こちらをチラチラとうかがい見る視線と自席で何気なく顔を上げた衛の視線が、ぶつかる機会が休憩を経るごとに多くなるのがそれを裏付けていた。
先程志信からA組のことも聞き、やはり噂になっていると分かり気分が重くなっている。
いつもなら2人で過ごす昼食だが、そこには珍しく椿の姿もあった。
場所は定位置となっている衛の前の席。
ただ、いつもと違いスカートの丈は“短いまま”で、まるで見せつけるように太ももをさらしている。
ブラウスのボタンも2つ目まで開けており、魅惑的な隙間が顔を覗かせている。
これには衛だけでなく自他共に認めるムッツリの志信にも刺激が強いらしく、2人とも会話もそこそこに弁当箱と睨めっこするようにして箸を動かしていた。
そこに目がいかないように自制するかのように。
一見、志信には喜ばしいシチュエーションのようにも見えるが、彼の理想は相手が無防備な状態であり、無自覚なところにスケベのロマンを感じるようだ。
実際の世の中にそんな女性はごく少数だろうと思われるが。
なので見せつけるような堂々とした態度でいられると、返ってへっぴり腰になってしまう。
志信は否定するだろうが要はチキンなのだ。
そして制服の変化だけならむしろ喜ばしいと思えるほど、先程から一切口を聞かず黙々と椿は食事をしている。
そこには不機嫌なことを隠そうともしない雰囲気が漂っている。
伊藤志信は先ほどからしきりに目だけを衛に向け、何かを必死に訴えかけてきている。
衛には気が進まないものの、衛の要求する椿に言わなければならないセリフには心当たりがあった。
昨日の志信とは真逆の要求でもあった。
ただ果たしてそのことと彼女の不機嫌が、関係あるのかさっぱり衛には分からなかった。
「・・・朝比奈さん、今さらだけどスカートが短いままだよ?いつもならこの時間は丈がもう少し長いと思うんだ・・けど・な」
衛が遠慮気味にスカートのことを口にしたとたん、ピタリと椿は箸を止めケースに収め、俯いていた影を落としていた相貌はゆっくりと表を上げる。
次第に教室の照明によって前髪から目元が顕になる。
椿のその瞳は怒気を孕んでいた。
ズドン!
衛は心臓をピストルで射抜かれたような衝撃を受けた。
言葉尻は自然と窄んでしまった。
「へぇ、“朝もこの丈で”マモと会話したと思うけど?あたしと話したことマモは忘れちゃったのかな?それともあたしの方が丈を注意されたことを忘れてるのかしら?」
その声音はいつもと変わらない椿のものだった。
しかしその瞳に宿る負の光は衛に有無を言わせない迫力がある。
衛はどっと全身の毛穴から汗が噴き出すのを感じた。
今朝のことを必死で思い出してみる。
その一方で目力ってこういうことを言うのかなと冷静に衛は思ってもいた。
因みに志信も箸を止め綺麗な姿勢をより一層正し両手は膝の上に拳は軽く握り、2人の会話を聞いている。
はたから見れば教師から説教されて、それを傾聴している真面目な2人の生徒のように見えたことだろう。
「朝比奈さんごめんなさい!今朝は色々あって話半分で聞いてたみたいなんだ!あの・・それで・・・・」
「”それで?“」
朝比奈の強調された”それで”の迫力に、衛の次の言葉が引っ込んでしまいそうになる。ぐっと我慢し
「よろしければ、スカートの丈を整えていただけませんでしょうか?俺たちには目の毒」
「目の毒な・の?」
「いえ、魅力的で刺激が強すぎてしまいますので!」
衛は妙な緊張感の中、意を決して言い切ることができた。
その言葉遣いは決して同世代に使うものではなく何故か敬語になってしまっていた。
「スカートの件は分かったわ。食べ終わったら直ぐに整えてくるから」
衛は椿のそのセリフに安堵した。
「・・・・・・・」
その隣にいる志信は椿の含みのある言い方に気付き、喉を鳴らし緊張を継続させた。
この場合は衛が鈍いといえるだろう。
その証拠に
「分かってもらえて良かった!さ、トイレに行く時間が無くなっちゃうから、急いで食べようか!」
と口調も明るく平然と言い放つ。
隣の志信は戦慄した。
こいつ自分から地雷を踏みに行ったなと志信は思った。
「ねぇ、あたしはスカートの件としか言ってないんだけどな?・・・まだ、今朝あたしの話をろくに聞いてなかった件が残ってよね?・・・・マモったらおっちょこちょいなんだから」
「・・・・・」
全然可愛らしくない抑揚のないおっちょこちょいの一言に、衛だけでなく身構えていたはずの志信まで再び汗が噴き出す。
衛に至ってはまだ話が済んでいないことを今さ悟り、瞳孔は開き口はあんぐりと開けている。
もはや衛には首をだらりと垂らし、ひたすら平身低頭で椿の機嫌が収まるのをただ待つしか選択肢が残されていなかった。
「・・今朝、色々あったって言ったけどどういうことかしら?」
2人のやりとりはもはや尋問ようであった。
「朝比奈それはだな、衛が」
衛の姿を哀れに感じたのか、勇気を振り絞りすかさず親友の志信が援護射撃を放とうとするも。
「黒メガネうるさい!あたしはマモに聞いているの!」
「はい、すみませんでした!!」
椿の放つ毒舌というミサイルに志信はあえなく撃沈した。
そして心に傷も負った。
衛は隣で心の優しい親友が負傷する姿に目を背けたくなった。
申し訳ない気持ちで一杯になった。
「えっと・・大したことじゃないんだけど、今朝A組の羽柴さんに借りたノートを返しに行ったんだ。慣れないことをするもんだからしばらく動揺しちゃったみたいでさ・・」
「それであたしの話が入ってこなかったと」
「おっしゃる通りです。ごめんなさい」
「昨日も確認したと思うけど羽柴さんとは仲がいいの?」
「家が隣同士で彼女とは幼馴染なんだ」
「それは昨日聞いた。な・か・は・い・い・の?」
志信は椿の冷淡な言い方に悲鳴を上げそうになった。
そしてオリンピックの総会でどこかのクリステルが言ったセリフを思い出していた。
「!・・・・昨日中学生の時以来久しぶりに通学時間が重なって一緒に登校しただけで・・これも昨日言ったか・・他の女性よりは少し仲がいいと言えるかな」
「そう、マモとしては少なからず意識する相手ということかしら?」
「付き合いが長いから、そういうことになる・・と思います・・・」
「そのくらいならまだ私にもチャンスは・・・・」
まるでドラマの被告人質問のように椿から矢継ぎ早に繰り出され、それに衛は答えた。
椿の最後の言葉は自分に言い聞かせているようで、衛たちには聞こえなかった。
衛は椿の表情が先ほどよりも柔らかくなっていることに安堵した。
「分かったわ。許してあげる。もうお弁当を食べる時間も短いしね。最後にマモ・・」
「はい」
「人の話はしっかり聞くように」
「はい!」
「はい!」
椿の最後のセリフは、なぜか志信も勢いよく返事をし衛とハモることとなった。
そして2人とも椿の「人」の部分が「私の」を指すことに気付いていた。
これには鈍い衛にも流石に気付くことができた。
その後3人とも弁当箱を空にし椿はスカート丈を直しに別れ、志信たちもトイレへと向かうことにした。
そこで
「それにしても何であんなに朝比奈さんは怒ってたのかな?志信は分かった?確かに俺がしっかりと朝比奈さんの話を聞かなかったのが原因なんだろうけど、あんなに怒ることないんじゃない?朝比奈さんにしては珍しいよね?緊張して何食べてたのか全然分かんなかった。志信もそうだよね?」
「・・・衛、お前本気で言ってるのか?」
「・・?」
と用を足しながら隣でつぶやく衛の様子に志信はドン引きした。
こいつは本当に恋愛に関しては小学生レベルでしかないのか?それともと自分の興味ある人の機微にしか気づけ無いのか?と志信は衛のことが心配になった。
そしてそんな羨ましいポジションにいることに嫉妬し、自分と比較して心の中で涙した。
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