第16話A組にて
そのまま衛は学校まで志信と登校し下駄箱で靴を履き替える。
そして2階の階段を上り終え、右折した最初の教室へ向かう。
つまり羽柴結衣のいるA組へと2人で進んで行く。
伊藤志信は下駄箱でそれぞれの靴に履き替えたあたりから、隣の小柄な相方の様子が明らかにおかしくなっていることに気づいていた。
正確に言えば結衣からルーズリーフを借りた話題を口にしたあたりから、いつもと様子が違っていた。
いつもなら通学路の道のりを大切な物を愛でるような調子で、歩く癖が彼にはあったはずだ。
それが今日は学校が近づくにつれ俯き気味になり、思いつめた表情が険しくなっていっていた。
今も階段を上がりながら何気ない会話を自分と続けてはいるものの、石田衛の思考は完全にどこかへ行っているようだ。
その証拠に彼の言葉は先程から「うん、そうだね」しか言っていない。
こちらの話が全然頭に入っていないようだ。
彼のこんな姿を見ることは、志信にとって珍しいことであった。
中学生の頃からの付き合いだが、彼が異性のことで舞い上がることなど今までなかった。
身長170㎝に足りないものの、その容姿について10人に質問したところ少なくとも8人は整っていると答えを返すことだろう。
それほどまでに優れた容姿をしていると志信は思っている。
にも関わらず女性には奥手で所謂草食系だ。
話題として口にするのすら珍しい。
その上、自分の長所である外見について触れられるのを、本気で嫌がるのだ。
最初、彼と知り合ったばかりの頃は彼のそんな反応を、冗談や周囲への遠慮だと思っていた。
しかし話題に挙がる度に表情が硬くなるのだ。
そんな時、彼の瞳に宿る光は完全に失われており、落ち込んでいるのが分かる。
そんな友人を何度も見て直ぐに志信は考えが変わった。
どういう訳か容姿を褒められて彼は傷付くのである。
身長はあるものの切れ長の目にコンプレックスのある志信には、衛のこの反応は理解し難いもののように思えた。
しかし、秀でた1つのことを延々と言われ続けるということは、虚しいのかもしれないと衛を見て思うようになった。
高校生にもなって小学生のように純朴で優しい性格をしている衛にしか、分からないこともや見えない景色というものがあるのだろう。
そしてそんなところが彼の外見以上に魅力でもあるのだ。
そんな彼はバッグから羽柴結衣から借りたルーズリーフを取り出すと、A組の教室の前で躊躇していた。
その様子を志信は青春していて羨ましいような、急に遠くに行ってしまったようで寂しいような感情で見ていた。
衛の呼吸は自信でも分かるほど上気していた。
脈拍も鰻登りに上昇していた。
ただ借りたものを返す。
それだけのことなのにえらく緊張している自分に衛は気付いていた。。
それは羽柴結衣が自分の行動に対してどんな反応をするのか分からない不安によるものだった。
また多くのA組の生徒たちに目撃される恐怖心もあった。
志信に用があってA組に顔を出すことはこれまでに何度もあった。
それに昨年同じクラスで知り合いになった友人もA組にはいるため、手に額に汗をかくほど抵抗を覚える必要はないと、頭では理解している。
しかし、衛にとって女生徒に用があって他のクラスに足を運ぶことは初めてのことであった。
ただでさえ目立ったり噂話の標的にされたくない性格であるのだ。
できればこのタイミングで結衣のもとに行くのは腰が引けた。
昨日の結衣との登校時は“家が隣同士の幼馴染”という言い訳があったことで、気にする必要がなかった。
しかし“借りたノートを返しにわざわざ教室まで会いに行く”というのはそれとは全然別のことである。
そこには"主体性”があり”石田衛は羽柴結衣に会いたくて来た”という明確な意思表示が含まれている。
“偶然”と“能動的行動”には大きな違いがあり、人はそこに敏感だ。
また教室に行くというのも衛と結衣の関係上マイナスであった。
何故ならことを大げさにしたくないのであれば、家が隣なのだからそこで済ませばいいだけの話であるからだ。
敢えて周囲に関係を見せつける行為と思われても、何も言い返せない。
大げさかもしれないが、周囲は衛の行動を”特別な出来事”として見るだろう。
そんなことをあれこれと考えていると、後ろに控えているノッポの志信に急かされている気配を感じて我に返った。
そしてすごすごと大人しくスライド式のドアを開けた。
こんなことなら昨日、スマートフォンで事前に結衣に連絡しておくんだったと引き伸ばされた意識の中で衛は思った。
スライド式のドアを開け放ち、教室を見渡す。
(ここまできたら、堂々と渡してやる!俺は直接結衣に感謝を伝えるんだ!!)
と鼻息荒く衛は乗り込んだ。
しかし直ぐにひょっとしたら教室にはいないかも?という不安が頭をよぎった。
しかしそれは杞憂で目当ての人物はすぐに見つかった。
170㎝後半の長身な女生徒は、少し早めの登校時刻でまだ生徒数の少ないこともあり目立っていた。
ひょっとしたら、A組の生徒が全て揃っていても目立っていたかもしれないが。
羽柴結衣はこちらに背を向け膝立ちの姿勢だった。
彼女は机に座っている女生徒と談笑していた。
両手は組んで話し相手である女生徒の机に乗せ、頭を斜に寝かせるようにして会話をしている。
結衣に向け歩き出した衛は、その姿勢で膝は痛くならないのかな?と思った。
しかし、小柄な話し相手が自分を見上げて首が疲れることを気にしてるのだと思い至った。
憶測だが彼女のことだから多分間違ってはいないだろう。
自分の隣にいる時も身長差を気にするのだから。
机に座る女生徒がこちらに来る衛に気付き、少し驚きの視線を向ける。
先程からずっと笑顔で活発そうな印象を衛は持った。
髪を両サイドでまとめている女生徒だった。
彼女の名前を衛は知らなかった。
その女生徒の視線ににつられて結衣も笑顔を向けてこちらを向く。
多分、同じクラスの友人が登校してきたと勘違いしたのだろう。
想像した相手と違い衛であることに気付くと目を見開き驚きを表す。
衛は脇目も振らずにつかつかと結衣に向かって一直線に歩いた。
いつの間にかAクラスで生じでいた会話も水を打ったように静かになっていた。
「羽柴さんおはよう。昨日借りたルーズリーフを返しに来たよ。このタイミングしかなかったから・・・。会話の邪魔してごめん!参考になったよありがとう!」
靴を履き替えてから考えていたセリフをまるで機械のように読み上げる。
そして同時に予め用意しておいたノートを突き出すようにして差し出す。
「う、うん、こちらこそわざわざ返しに来てくれてありがとう・・・えっと・・」
結衣も弾かれたようにノートを受け取ると、衛を上目遣いに見て次の言葉を紡ごうとする。
「あの、それじゃ!」
しかし衛は早口に用件だけを言うと結衣の返事もほとんど聞かず、気もそぞろに足早でA組の教室を後にした。
衛にはノートを返すという一連の動作が永遠にも感じられるほど長く感じた。
隣の自分の教室で席に着いてしばらく経っても心は落ち着かなかった。
ホームルームが始まる直前、少し冷静になった頭で結衣が何を言おうとしていたのかが、無性に気になった。
そして伊藤志信はというと完全に衛の意識からいなくなっていたことで取り残されてしまい、なぜかコソコソと目立たないように自分の席へと向かう羽目になっていた。
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