第7話ホームルームがはじまる前の時間
悶々と考え事をしながらも、ホームルームが始まるでの時間を衛は持て余していた。
先程からの答えの見つからない自問自答を延々と繰り返すことにも飽きていた。
ふと結衣から借りた古文のルーズリーフを思い出した。
それを読むことで時間を潰そうと考えた。
机の横にかけてあるバックを取ろうと衛は身を屈めた。
「お前たち画になってたな」
衛の後頭部に向かって声が降ってきた。
ルーズリーフをバックから取るのを中断し衛は振り返る。
声の主ははA組の伊藤志信のものだった。
切れ長の目に厚めの黒縁眼鏡がよく似合っている。
鼻が大きく目立つが決して悪くない顔立ちだ。
身長は衛と違い180センチ後半を超えていた。
体格は空手を幼い頃からしていたこともあり、姿勢が良く引き締まったまった体は細くても迫力があった。
その上根が真面目で勉強熱心なため、テストの成績も学年1位を出会ったときからキープしている。
文武両道を地で行く超人志信とは中学生の時からの付き合いになる。
偶然教室が一緒になったことが縁で、割と気のおけない関係が続いている。
衛が親友と呼べる数少ない友人の一人だった。
「・・・・見てたの?」
内心の動揺を悟られないよう、志信の目は見ずにそっけなく衛は答える。
「ああ、お前が女子と登校しているところなんて初めて見たよ。それが見目麗しい羽柴さんときたもんだからな・・・正直驚いている!?そして俺は女子と2人での登校なんて未経験だからな。・・・嫉妬もしている!」
立っていても20センチほどの身長差がある志信の姿は、いつも以上に大きく感じられて威圧的だ。
「そんな正直に言われても・・・・まぁ、羽柴さんとは家が隣近所の間柄だからさ。逆に今まで交流が少な過ぎたくらいだと思ってるよ。・・・ねぇ俺が女性と一緒で驚くのはいいけど、嫉妬は止めてよ」
「到底無理なことだな!!言っておくが漫画的演出で言えば、俺は今血の涙を流しているところだぞ!」
実際、志信の口元は悔しそうに真一文字に引き結ばれている。
額や首筋には深いシワも刻まれている。
そして声のボリュームは少しずつ大きくなっている。
「いや、どんな表現なのそれ!実際は血の涙どころか涙も出してないんだから分かりにくいよ。本当に偶然登校時間が重なっただけだから、変な詮索しなくて大丈夫だから」
衛は必死に言葉を重ねて弁明をしようとする。
しかし、
「言い訳をするな!」
ピシャリと志信が口を挟み有無を言わせない。
「根本的な問題なんだ!隣近所の幼馴染が大和撫子とは!?生前どんな徳を積んだらそうなるんだ!!家の隣が女の子の幼馴染という時点でバーディー!その幼馴染が美少女という時点でイーグル!!そしてお前がイケメンという時点でアルバトロス!!!」
「なんでゴルフのスコア表現なの!?プラス要素を言いたいのにゴルフはマイナス表現だから分かりにくいって!!」
志信の分かりにくい例えに衛も食い気味に突っ込んでしまう。
「お前の身長が羽柴さんより低いということでワンボギーというところか。それでもイーグルに変わりないがな!これを見ろ!俺の上腕二頭筋を!制服の上からでも盛り上がっているのが分かるだろう。これが嫉妬のパワーだ!!」
志信は腕に力を込めこちらに見せつけてくる。
そこにはシャツの上からでも分かる力瘤が出来上がっていた。
「いや、ストレッチ●ンみたいなこと言わないでよ!ってか、さっきから周りの人から笑われてるよ、俺たち。もう少し声のトーン落としてよ」
衛は周りを気にするように口元に人差し指を当ててシーのポーズをとる。
志信は会話盛り上がると声が大きくなり、言動も暴走する傾向が中学の頃からあった。
普段は気のいい性格の彼も、女性の事となるとついついヒートアップしてしまう。
本来なら長身、真面目、運動できると三拍子が揃っている彼だが、その性格ゆえ恐い印象を女性徒に持たれることが多い。
志信のそんな一面に当初は無難な返答で誤魔化そうとしていた衛も、今は考えを改めて必死に宥め役になっている。
通学途中から感じいる好奇の目が、志信との会話でさらに強くなっている気がした。
それを意識してしまい衛の背中を冷汗がつたう。
「・・・それで?幼馴染との久しぶりの邂逅はどう思ったんだよ?」
暴走が収まり冷静になった志信は、顔をずいとこちらに近づけてくる。。
外見だけでなく内面もしっかりしている志信には、出会った当初から衛は頼りにすることが多かった。
しかし恋愛話はこれまでお互いに口にすることが無かった。
そのため気恥ずかしい気持ちの方が勝ってしまう。
「幼い頃を思い出して懐かしく感じたよ」
とついつい慎重に言葉を選んで返答してしまった。
「そうだよな~。よくよく考えてみたら、お前の外見で今まで浮ついた話が無かったことの方が、不自然なんだよな~。クソっ!!いつの間にかお前を俺たち側だと錯覚してしまっていたよ!そんな自分が情けない!」
「っちょ、また暴走しないでよ。それに俺たち側って何の話?」
自分の話を全然聞いてくれない志信に内心落胆する。
当の志信は両手を膝に乗せ項垂れている。
暴走がまたも始まりそうで衛は冷や冷やしてしまう。
衛としては正直外見のことはあまり言われて欲しくなかった。
「・・・俺たち側とは奥手で童貞のことだ。つまり草食系ということだな!」
顔だけこちらに向けて志信は静かにポツリと言う。
かと思いきや最後は音量が大きくなっていた。
朝からとんでもないことを口走る友人に、衛は若干引いてしまう。
(こんな暴走を繰り広げず大人しくしていれば、勉強もスポーツもできる将来が有望な人物として絶対モテるはずなのにな・・・・)
どこか諦めにも似た気持ちで衛は志信を見ていた。
実際志信の周囲からの評価は高い。
特に空手部の先輩や先生には気に入られている。
よく双方から話しかけられるのを校内で何度も目撃している。
中学生の頃から気が合い毎日のように顔を合わせてはいるが、志信の友人がなにも衛だけという訳ではない。
むしろ衛よりよっぽど顔が広い。
気難しく話しかけにくい自分なんかよりも、よっぽど懐が深く優しい男だと衛は志信のことを尊敬している。
ただ・・・もう少し性格を自重してくれればな~などと先程から過剰でコミカルな動きをしている彼を見てふとそんなことを衛は考えていた。
その時。
「なにが奥手の草食系よ。そんなこと誇ってんじゃないの!まさか漫画みたいに女子から積極的にアプローチしてくる、そんな都合の良い展開なんて期待してんじゃないでしょうね。夢見てんじゃないわよ。みっともない!」
突如捲し立てるような口調で志信に対しド正論が浴びせかけられる。
志信はまるでメデューサに睨まれたように動きを止めてしまう。
衛も耳の痛いことを言われ隣で身の縮む思いになった。
声の主は衛の前の座席からだ。
今日の衛は思いも寄らない場所から突如声を掛けられるようだ。
厳密に言えば今回声を掛けられたのは志信をの方だったが。
衛とは高校からの付き合いである朝比奈椿がいつのまにか座っていた。
軽くパーマのかかった髪を肩の長さにし、色はオレンジ色と派手だ。
その髪の色とは反対に顔には薄く化粧がしてあるのみ。
顔の作りは瞳以外が小ぶりな美人である。
そして彼女の一番の魅力的なポイントである目は、少しつり上がり気味の大きなものだった。
動物に例えるならば口々に猫と言われることだろう。
身長は衛に少し及ばないものの女性としては大きい方だ。
椅子の背もたれを抱えるようにして衛と向き合うように座っている。
衛と同じクラスだが彼女は本来の座席とは違う席に今は座っている。
席の主に許可は取っていないだろうが、彼女にそれを気にした素振りはない。
”おはよう”と衛・志信がそれぞれおずおずと椿に挨拶を返した。
椿の挨拶がてらのセリフは、まるでボディーブローのように2人にじわじわ効いていた。
イニシアティブを一瞬で彼女に完全に握られてしまっていた。
挨拶が済むと衛と志信の2人は、自然と正面から彼女を見る格好となる。
椅子を跨ぐように座っているため、椿の短いスカートから覗く健康的なふとももかが艶かしい光を発している。
ブラウスのボタンも校則で許されているよりも一つ多く開けている。
そこからは辛うじて胸元が隠れている状態だ。
上下ともに危うい格好だった。
「・・!・・・!!」
志信は衛が次に何を椿に言うのか知っている。
それゆえ細い目をメガネ越しに見開き、必死に止めるよう合図してくる。
しかし衛はそれを無視した。
「・・・えっと、毎日言ってるけど朝比奈さん制服整えてね。いい加減毎度目のやり場に困ってるこっちの身にもなってよ」
と衛はやんわり訴えた。
朝の挨拶時に衛がするこの指摘はいつものことであり、それに対して”意識してくれてありがと”と軽やかに返すのが椿との一連の流れだった。
因みに志信は椿のこの服装に肯定であり、自他共に認めるオープンスケベだったりする。
そんな男らし過ぎるところも女性徒から避けられる原因となっていた。
「ん~、男子って皆こういう格好好きなんじゃないの?マモは興味ないの?」
半眼でニヤリとこちらを見てくる。
内心ドキッとしつつも、
「もちろん男なんだから興味が無い訳じゃないけど、それは時と場合とお互いの関係が大切でしょ!朝比奈さんも服装には慎みを持たなきゃ」
蠱惑(こわく)的な笑みに思わず顔が赤くなってしまう。
咄嗟に正直な気持ちも喋ってしまい衛は余計恥ずかしくなる。
「私も馬鹿じゃないんだからTPOくらい弁えてるよ?見られたくない相手には見られたくないし」
当たり前でしょと得意げな顔をする。
「・・・・・?」
それはつまりどういうことだ?と考えようとした時だった。
「・・・納得がいかない!!なんだこの対応の差は!?確かに衛はイケメンだ。それは認める!しかしあんまりじゃないか。俺が一体何をしたって言うんだ!!何が悲しくてお前らのイチャイチャ話を隣で聞いていなければいけないんだ!俺にも優しくしてくれて良いじゃないか!?そうだろ椿!!」
志信は鼻を膨らませて両手であれこれと訴えていた。
衛にはまるでどこかの塾講師の「今でし●」を彷彿とさせるポーズと重なっていた。
「あんたも悪くないんだろうけどさ・・・・目・・視線がエロい。邪な感じがビンビン伝わってくるから嫌。そんなことよりもさ、ようやくマモにも春が来たんだって?」
半眼で睨み志信の発言は拒否された上に、顔の批判までされてしまう。
開いた口が塞がらない志信。
「馬鹿な!?俺の目は視線が分かるほど開いてないぞ・・・・自分で言ってて悲しくなるな・・・・」
辛うじて反論した志信であったが、自分で傷口を広げることとなった。
志信の一連の暴走は見ていて哀れにすら衛は感じられた。
後で優しく接しようと心の手帳に刻むものの、その対応が志信の傷口をより深いものにすることに、衛は気付いていなかった。
ちなみに椿の衛に対する愛称はマモだ。
何時の間にやらそう呼ばれるようになっていた。
結衣の異性に対する態度を消極的と思う衛だが、彼もまた異性には及び腰だった。
話し掛けられても直ぐに会話を切り上げてしまい長く続かないクセがあった。
そんな衛だが誰とでも会話が弾み、人付き合いの良い彼女の性格もあって、椿とは割と抵抗なく話すことができた。
できるようになったという方が正確かもしれない。
しかし比較的仲のいい椿とであっても、衛から話しかける頻度は少なく、椿からの方が圧倒的に多かった。
「いや、ちょっと待って!?話が飛躍し過ぎだから。たまたま登校時間が重なっただけの話だよ。家が隣だから一緒に来ただけだよ」
志信にも説明した通り椿にも弁明する。
衛としては朝の結衣との通学は嬉しい出来事に違いないが、本人のいない所で勝手なことは言えないと思うと口を滑らせることはできない。。
「なんだつまんないの~」
椅子の背を抱きかかえる両腕に顔を乗せ、嘆息のこもった椿の呟きに
「衛にこの手の話を期待する方が間違っているのかもな!」
と立ち直った志信が合いの手を入れる。
満面の笑みを向ける志信の表情には”抜け駆けは許さない”という熱い想いが込められていた。
しかし、
「あんたが言えたことじゃないでしょ!偉そうに!童貞メガネ!」
と椿も朝からとんでもないセリフを口にし、容赦のない冷静なツッコミを入れる。
志信は肩を震わせプルプルと体を揺らすこととなった。
両腕に力がこもっている。
衛の目には志信の背まで縮んで小さく見えた。
そして俯く彼の瞳からは血の涙が流れているような錯覚を今度は衛が覚えた。
今朝の志信はどこまでも哀れであった。
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