第2話 非モテ男、神様と恋人契約を交わす

「で、それで、神様さんは何者で、何をしに来たの?」

「何者っていうか、昼間も言った通り神様なんだけど……もっと詳しく話した方がいいか」

 親戚が帰って、いつきが自分の部屋に戻ると、巫女服の子は自分の正体について、より詳細に話し始めた。

 この子は呉太天ごたいてんという名前の神様なのだそうだ。元々日本にいた神ではなく、遠い昔には中国のの国、今でいう江蘇省の辺りで信仰されていた神様であったらしい。呉の国が滅亡し、呉人が四散した際に、呉太天を祀る一派が日本のこの地に辿り着いたのがあの神社の発祥なのだと言った。

「だから、僕のことはてんちゃんって気軽に呼んでね」

 目の前の神様、呉太天改め天は媚びるようにウインクした。

「呉っていうと、あの孫権そんけんとかの?」

「違う違う。三国の方じゃない。もっと古い方の呉だよ。呉越同舟って聞いたことない?」

 それは聞いたことがある。仲の悪い者同士が同じ目的のために協力するみたいな意味の言葉だった筈だ。昔、中国に呉とえつという二つの国があって、戦争を繰り返していたらしい。

「まぁ、当時の呉越や楚は中国扱いではなかったけどね……」

 呉、越、楚などの南方国家は、周とその周辺国を始めとする中原ちゅうげん諸国と違って中国として扱われず、蛮夷の地とされていた。呉の始祖である太伯たいはくは周の太王たいおうの子であるが、自ら蛮夷とされた江南の地に赴き、髪を短くし、文身いれずみをして中国に帰らないことを表明したのだ。

 その後、呉は寿夢じゅぼうの時代に、楚の大夫たいふしんに逃れていた巫臣ふしんによって中国の兵法や戦車戦法がもたらされ、中原の国と国交を持った。春秋の五覇と呼ばれる覇者の一人に数えられることもある闔閭こうりょの時代には、楚の出身で呉に亡命した伍子胥ごししょや、「孫子兵法」で知られる孫武などを登用して楚を激しく攻撃し滅亡寸前にまで追い込んだ。闔閭は越王勾践こうせんに打ち負かされて亡くなってしまうが、次代の夫差ふさは父を打ち負かした勾践を破ってこれを服従させた。しかし、夫差が北のせい国に目を向けて戦争を仕掛けている最中に、勾践は呉に平伏しつつ密かに国力を蓄えていたのである。

 伍子胥はそれを警戒して呉王夫差に諫言した。しかし越を服従させたことで傲慢になっていた夫差はそれを聞き入れず、また越から賄賂を贈られていた奸臣伯嚭はくひが彼を夫差に讒言ざんげんしたことで伍子胥はついに夫差に自殺を命じられることとなった。伍子胥は呉の滅亡を予言すると、命令通り、王に与えられた剣で自ら命を絶った。

 その後、はたして伍子胥の予言の通り、呉は越王勾践に滅ぼされ、夫差は自害し果てたのであった。呉の滅亡は紀元前四七三年、孫氏の呉が建国される七〇〇年程前のことである。

「なるほど……勉強になる」

 樹は古文漢文と歴史が大の苦手で、特に世界史の中国史などには全く歯が立たなかった。漢字だらけでちんぷんかんぷんな印象しかなかったのである。唯一、ゲームの影響で三国志だけは少し分かるが、それだけである。

「……で、彼女が欲しいっていう願いを叶えてくれるって言ってたよな?」

「ああ、だから、今日から僕が君の彼女になってあげる」

「いや……流石に子どもは無理だわ……」

 樹に小児性愛のはないし、仮にあったとしても実際に手を出す程倫理観が欠落しているわけでもない。尤も、他人にはこの神様の姿は見えないらしいが……

「ていうか、神様さんは男の子と女の子どっちなのよ」

「え、僕は男神おがみだけど……そんなに女の子に見える?」

「少年だったのか……じゃあ尚更パス。俺にそっちのはないのだ」

 確かに天が可愛いのは認めるが、それでも樹は根っからの異性愛者ヘテロセクシャルであり、同性の恋人が欲しいとは思わない。

「それに、俺は結婚して子どもも欲しいんだ。神様で男じゃそれも望めないじゃん」

「え、だって、可愛い彼女が欲しいとは願っても、結婚して子どもが欲しいなんて願わなかったじゃないか」

 それを聞いて、しまった、と、樹は今更ながらに思った。

「でも彼女が欲しいって言ったのに男が来るんじゃ叶えたことにならないだろう」

 そう反論すると、天は途端にしゅんと押し黙ってしまった。

「まぁ、そうしょげるなって。さっきみたいな不思議な力で彼女作りのお手伝いしてくれればいいから」

「ねぇ……本当にだめなの……?」

 天は正面から這うように迫ってきて、上目遣いに顔を覗き込んできた。その目は涙を溜めているように潤んでいて、泣き出す一歩手前のような表情をしている。

 ヤバい……めっちゃ可愛い……

 間近で見ると、そこらの人ではとても太刀打ちできないぐらいに、整った目鼻立ちのの美少年である。こんなあざとい仕草にさえ陥落させられそうになるのが、童貞の童貞たる所以ゆえんなのだ、と、樹は自嘲した。

「うう……分かった」

「ほんと? やったぁ! じゃあ契約成立! これから僕は君の彼女ね」

 無邪気に笑う天を見ていると、何だか、新しい世界への門が開けるような、そんな気がしてきた。はたして開けていいものなのかは分からないが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る