非モテ男性と美少年神様

武州人也

第1話 非モテ男、美少年神様と出会う

 林樹はやしいつき、二十七歳、独身、彼女いない歴イコール年齢。

 山眠る時候の寒風にその痩せた体を吹かれながら、この男は一人住宅街の細い路地を歩いている。

 やがて樹は、小さな朱塗りの鳥居をくぐってその向こう側に進んでいった。住宅街の真ん中にあるその小さな神社は、元日だというのに閑散としている。というのも、ここから少し離れた場所に名の知れた大きな神社があって、地域の人は皆そっちに吸収されてしまうのだ。

 樹は昔、肺炎が重症化して危機に瀕したことがあった。その時に、当時存命中であった樹の父方の祖母がこの神社に願掛けをしたことで、樹の肺炎は快方に向かった。それ以来、樹は毎年、この神社にお参りしているのである。それは樹が就職して実家を離れて以降も続いている。

 樹は、この狭い境内と小さなやしろに似つかわしい小さい賽銭箱に小銭を入れると、二礼二拍手一礼の後に、心の中で願った。

「可愛い彼女が出来ますように」

 樹はその朴訥ぼくとつさと冴えない容姿故に、生まれてこの方、恋人というものとは無縁だった。樹自身も、彼女が欲しいとは思っているのだが、中学時代に女子から汚らしいもの扱いをされていたことで自信を喪失してしまっており、自分からのアプローチなど女性にとっては迷惑ではないか、と思ってしまい、具体的な行動を起こせないでいた。故に、女性の方から接近してくるという万が一の可能性に賭けて、じっと座して待つ以外のことをしてこなかった。そのような、百年河清ひゃくねんかせいつようなことを続けている内に、無為に年を重ねて今日こんにちに至るのである。

 河に臨みて魚を羨むは家に帰りて網を織るに如かず、という言葉を、祖父から聞いたのを思い出す。昔の中国の書物が出典の成語らしい。そんなことを言われたとて、今の樹には詮方せんかたないことである。自身には、女性を惹きつける武器が何一つないのだから。

「こんなこと願ったって、しょうがないよな」

 そう心中で呟いた樹が、帰ろうときびすを返すと、そこに、誰かがいた。

「初めまして、かな」

 そう言いながら、鳥居の真下にいたそれは、樹に向かって微笑んだ。

 そこにいたのは、紅白の巫女服を着た、小学校高学年ほどの背格好の少年であった。いや、もしかしたら少女かも知れない。一見してどちらであるか分からない程度には中性的な容貌をしている。額に垂らした前髪を横一文字に切り揃えた、所謂おかっぱ頭をしていて、その髪の色は空のように青い。そして、それ以上に目を引くのが、頬に入っている赤い菱形文様の黥面いれずみであった。

「それ、俺に言ってる?」

 自分は目の前の子どものことを知らないし、別の人に挨拶をしたのだと思って左右を見回してみたが、自分以外に誰もいない。

「そう、その通りだよ」

 目の前の子どもは、その円らな瞳で、真っ直ぐ樹の方を見つめている。

「ええと……君は誰?」

「僕はね、この神社の神様だよ」

「……え?」

 樹は一瞬、耳を疑った。

「面白くない冗談はやめてほしいんだけど……」

 どう対応したらいいのか、樹は分からなかった。新年早々、自称神様に絡まれるなんて、まさか想定できる筈もあるまい。

「信じない? そりゃそうだよね……君たちは神様のことなんか信じちゃいないのに、好き勝手願掛けなんかする」

「そりゃそうだけど……」

「喜んでよ。僕は君の願いを叶えに来たんだ。君、彼女が欲しいんでしょ」

「……え? 何故それを?」

 もしや、心の声が漏れていたのだろうか。樹は穴があったら入りたい程の羞恥に心を苛まれた。

「もしかして……聞こえてた? そのことは黙っててほしいんだけど……あっそうだ、何か欲しいもの買ってあげるよ」

「そうじゃない。僕は君の彼女になりに来たんだ」

 またしても、樹は耳を疑った。これ以上、悪い冗談には付き合いきれなかった。

「もうそろそろ帰らせてくれ。ってか帰る」

 巫女服の横を通り抜けて鳥居をくぐろうとしたその時、その子どもは樹の左腕を両腕で抱えるように掴んだ。

「僕を置いていかないでよ……」

 子どもは潤んだ目で樹を見上げる。そのあまりの可愛らしさに、樹の心中に罪悪感が芽生え、それが鬼薊おにあざみの棘のように樹の良心を刺した。

「そもそも、君は何者? 何で俺のこと知ってるの?」

 そう、そもそも、向こうはこちらのことを知っているらしいのに、樹の方は目の前の子どものことを何一つ知らないのだ。

「僕はこの神社の神だって、さっき言ったじゃないか」

 そう言うと、子どもは不機嫌そうに頬を膨らませた。子どもっぽくて可愛らしい。

「どうしても信じてくれないなら……こうだ」

 途端に、社の傍に植わっていた木の枝がむくむくと変化し、やがてそれは、信じられないことに、一匹の青大将になった。それは地面にぼとりと落ちると、木をよじ登って元の枝の位置に戻った。そして、その青大将は木の枝へと元通りになった。

 信じられない光景であった。こんなのことが、現代社会で起こっていい筈はない。樹はただそれを、唖然とした表情で眺めるしかなかった。

「これでもまだ信じない?」

 どうやら、信じるしかないようだ。神様が目の前に姿を現すなんて、俄かには信じがたいことであるが、しかし、目前で超常現象を起こされてしまえば、今更疑いようもない。

「……で、俺はどうすればいいの?」

「取り敢えず、君の家に連れて帰ってくれないかな?」

「え、無理無理、知らない子どもなんて」

「大丈夫。君以外には見えないようになってるから」

 斯くして、樹はこの子どもを連れて帰ることになった。


 樹は実家に戻った。実家の両親は、傍にいる巫女服の子どものことに何も言及しなかったため、「君以外には見えない」という言葉が真実であると分かった。

 普段と違って、実家にいれば自分で飯を作る必要がない。それは楽ではあるのだが、二十九歳独身ということもあって、両親は結婚はまだか、とか、孫の顔、とか、そういった望むべくもないことを樹に向かって詰め寄り始めた。おまけに夜は親戚一同がやってきてそういう話をするものだから、樹の居心地の悪いことは甚だしかった。時々、巫女服の方を振り返ると、隅の方でその様子をじっと眺めていた。

 今日日きょうび男の一人っ子では、子孫が残る方が珍しいというものである。彼らにはそれが分からないのだ、と、樹は内心溜め息をついた。

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