第3話屋台と婦人と腸詰め屋
時間は少し遡る。
アッシュが歩みを進める人の流れの両側には荷台に積まれた野菜や果物が山のように積まれている。
それぞれの店主が接客をしたり声出しをして大いに賑わっている。
もちろん店主たちはそうしながらも油断のないよう絶えず目を動かしている。
ここの市場のメイン客層は下層民にあたり、窃盗は日常的に行われているためだ。
アッシュは人の流れに逆らわず客の一人に溶け込んでいる。
目当ての腸詰めを置いている店は右手側の次だ。
そしてアッシュの目の前を歩いている婦人は同じ店を目指している。
そのことをアッシュは分かっていた。
彼女の目は対向者などに気にしつつも腸詰店を見ている。
そしてバッグには既に野菜や果物が入っており、他の店に目を奪われる可能性も薄い。
彼女の発する波長は先程から腸詰め店に向いているのだ。
ここまでの人の流れの中で周囲に違和感を抱かせることなく、アッシュは歩く速度を変え彼女の後ろに付いていた。
そして目当ての店で波長通り彼女が止まる。
そこには既に1名の客がいて彼女はその人物の隣で品定めをはじめる。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
スッとそれまでしていた愛想のない険しい顔から、アッシュは買い物を楽しんでいる男の子ような楽しげな表情へと変える。
ここの区画の客層は自立している孤児も多いため、アッシュのような子供が一人で来てもおかしなことではない。
アッシュも目の前にいた婦人同様に腸詰め店で立ち止まる。
さも気になる商品を見つけて立ち止まる男の子という自然な動作だった。
盗人としてアッシュの名は市場で広まってはいても、犯行現場を目撃されたことは数えるほどしかない。
まず顔で警戒されることはない。
重要なのはここからだ。
店主は対応している客も含めさり気なく周囲に視線を送る。
大都市マルセーロの法律では窃盗は現行犯でしか捕まえることはできない。
大抵声を上げれば周囲の人たちも協力して盗人を捕まえることができる。
しかし売上のことを考えるなら、犯人を追いかけて店を空けるよりも、未然に防ぐことができるならそれに越したことはない。
腸詰め屋の台車は野菜や果物も積んであるが、他の荷台と違い客側に面した頭上に棒が橋渡ししてあり、そこに腸詰めが巻きつけてある。
腸詰めは一定の間隔て数珠つなぎになっていて、個数単位で値段が決まる。
アッシュは「盗む」という行為からくる後ろめたい気持ちを心から締め出す。
緊張感が体や表情から抜ける。
腸詰めは店主側からプレーン・ブラックペッパー・ハーブと種類があった。
アッシュの目の前にはハーブの腸詰めがぶら下がっている。
当たり前のように右手でそのハーブを手に取り品定めしようとする。
右手で垂れている腸詰めの中ほどを掴みあげようとした。
「おい!勝手に品物に触らないでもらおうか!!」
すかさず店主から声が掛かる。
その剣幕にアッシュはピタリと手を止め、腸詰めを掴み上げた格好で答える。
「別に盗んだりはしないよ」
無邪気な笑みで店主の警戒を解こうとする。
「悪いがお前みたいな薄汚いやつに触られると値段が付かなくなるんだよ」
諭すように罵倒する店主。
「・・・・・・・」
店主を無言で睨みつけることで気分を害したことを周囲に示す。
そして宙に浮いたままの右手は乱暴に放る。
腸詰めは元の場所に引っかかりブラブラと揺れる。
それを見届けたアッシュは踵を返して立ち去ろうとした。
「おい!!」
再び店主から怒鳴り声があがる。
「・・・・・反対側の左手を見せろ」
警戒心を顕にした店主が慎重な口ぶりで命令する。
アッシュは店主から背を向けたまま、無言で7分丈のローブから左手をかかげヒラヒラと手を振る。
その手には何も握られていない。
「もう行っていいかよ」
横顔から先程とは違い獰猛な笑みを見せ店主を揶揄(やゆ)するように一瞥する。
店主は無言でバツの悪い顔をしている。
アッシュはその姿に満足しゆうゆうと歩き出した。
腸詰め店が見えなくなった頃、彼の左手にはいつの間にか腸詰めが握られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます