第9話

虫に噛まれた痛みで目が覚めた訳では決してない。

そうタイヨウは結論付けることにした。

しかし自分の視野が狭まっていたことは確かだ。

ここは自分の知らない世界。

そしてこの柄杓の水はどこから汲んで来たかも知れないものなのだと再認識する。

日本の水道水は飲むことができるが、この水の中にはどんな微生物がいるか分かったものではない。

すると途端に他所の家の瓶の水を飲むという行為に強い抵抗をタイヨウは覚えた。

死にはしないだろうが、腹を壊す危険性は拭えない。

しかし喉の渇きは尋常ではない。

それにもう手や足をこの水を使って洗浄してしまったのだ。


(飲んでしまいたい!!)


強い欲求と集落から感じた不気味さとの間で葛藤する。

タイヨウは強く目を瞑り歯を噛み締めて、柄杓の水を瓶に戻す。

トクトクトクと瓶に水が注がれる音が聞こえる。

その魅力的な音は大きな喪失感をタイヨウに抱かせる。

まるで大好きなおもちゃを取り上げられた子供の心境と言えるだろうか?

柄杓の中の水を全て流し終えると、瓶に背を向けて土間で横になることを決めた。

残りの6棟の家や集落の状況を確認したい気持ちもあった。

しかしそれよりも疲労による体の不調に耐えられそうにもなかったのだ。

いざ覚悟を決めると早いもので、タイヨウは土間に上がり最奥にあったござに体を横にすることにした。

そして角にまとめて丸めてあった藁をかぶるようにして姿を隠すことにした。

正直蜘蛛や百足のような虫がいたらと思うと抵抗があったが、身を隠したい気持ちの方が勝った。

それに気温の低下、汗が引いたことによる冷え、出血による寒気に藁は大いに役にたった。

奥に向かう途中、壁に横たえてあった鎌を見つけ護身用に携帯することにした。


「とりあえず今は体を休めよう。食べ物や家に帰る方法は後で考えよう」


そう呟くとタイヨウはもう何も考えることができなくなった。

深く深く底のない深海へと沈むような心地で眠りについた。

どれくらい寝ていたことだろうか?


「ここは・・・?ああ、やっぱり夢じゃないのか?」


覚めても藁の中ということに強い失望を覚える。

ひょっとしたら・・・という淡い希望を眠る前に考えていた。

『ひょっとしたら自室のベッドで起きるのではないか』と。

寝ぼけ眼で藁の合間から見える入り口には月明かりが差し込んで見える。

どうやらまだ夜中のようだ。


「俺はどれくらい眠ったのかな?まさか丸一日以上ってことはないだろうし」


ここに来たのが9時頃だどして、5時間寝たとしたら深夜2時頃か?

何の根拠もない推測で現在時間を想像してみる。

体の疲労は眠ったことで幾分和らいだように思えるが、中途半端な休息はかえって体の不調を鋭敏に知覚させることになった。。

右足の傷は熱を持ち始め依然としてズキズキと痛む。

どうやらタイヨウも熱を出したようだ。

額が熱く呼吸も荒い。

当分の間ここで体を休める必要をタイヨウは感じた。

喉の渇きは寝る前から深刻な状態であり、空腹も感じ始めている。。

チラとここからでは少し遠い月光に映し出される瓶を眺め、いい加減飲む覚悟を決めねばならないと思った。


(・・・・・・?)


ふいに振動を感じた気がした。

最初、疲れでめまいかと思ったが少しずつ振動は大きくなっている。

こちらに向かって来ているようだ。

床に耳を付け意識を集中する。

どうやらぞろぞろと複数人の歩く音のように思える。

しかもそれらは集落を後方から、真っ直ぐにこちらを目指して来ているようだ。

どうやらタイヨウの寝ている間に集落に来ていたらしい。


(どうしよう!?今さらここから動くことはできない。逃げ出しても捕まる可能性の方が高いだろうし・・・謝るしかない)


緊張で体が固くなり上体を持ち上げようとするものの、腕に力がはいらない。

荒い息をどうにか沈めやがて来る人物を見逃すまいと入り口を見つめる。


(・・・・・・・・ゴクリ)


そこに現れたのは3人の老人であった。

1人が老婆で2人が老爺であった。

月光を背に分かりにくいが背格好で判断できた。

3人とも麻で編んだ簡易な服を着ており、足は草履を履いている。

顔の作りはタイヨウと似ており、欧米などのくっきりした凹凸がない。

タイヨウはやっぱりここは昔の日本なのか?という疑問を抱く。

三人とも身を屈めるようにしてこちらを見つめる

その姿にタイヨウはいたたまれなくなる。


「ごめんなさい!疲れていたのでここを借りてしまいました。どうやら熱があるらしく動くことができません。しばらくの間この場所を使わせてくれませんか?」


一息で言ってしまおうと思った。

こちらに悪意がないことを分かってもらうことが一番だと感じた。

スッと息を吸い込み口に出そうとした。

ーーーしかし太陽の口からは声が出てこなかった。

ずっと注意深く観察していた3人の老人の内、1人の老爺の手に縄が握られていることに気付いたからだ。

その縄は人間を巻き付けて拘束するのに十分な長さだと思えた。

急に怖くなり声が引っ込んでしまった。

静寂を破ったのは中央に佇む老婆の声であった。


「おかしいねぇ・・・ここにも来ていないよ。別の家に隠れていたのを見逃したかね?」

老婆のしわがれたか細い声が聞こえてきた。

そこにはどこか楽しんでいるような余裕がうかがえる。

セリフの内容もそうだが獣が罠に掛かるのを楽しむような口調がタイヨウを一層恐怖に包む。


(・・・・!?俺のことを言っているのか!?俺がここに来ることを知ってる?俺を探してる?・・・なぜ?)


次々と疑問が湧き上がる。

この世界で初めて人に会えたというのに、言葉の内容が明らかに敵対的なことに愕然となる。

タイヨウは声を出さなかったことに安堵するものの、緊張が一気に加速する。


「それはないだろうおばば。どの家にもいた痕跡が見られなかったじゃないか」


右側にいた老爺が反論する。


「そうだよねぇ。なら、まだ森を彷徨っている最中かね?それなら今回のはとんだ愚鈍なミギテだよ」


「ちがいねぇ」


老婆の言葉に左側の老爺が愉快げに頷く。

ミギテという聞き慣れないそしてどこか不気味な響きの言葉にタイヨウの不安は募る。


「・・・うん?どうやらここには来たみたいだね。瓶の水が減っているよ」


「・・・・・・!!」


老婆の一言に太陽は息が止まる。


「本当だ随分減っている。これは水を口にしたな」


「まちげぇねぇ」


右側の老爺の意見に左側の老爺が頷く。


「それなら我々にもミギテがもう見えるはずだよ。ひょっとして水だけ飲んで村から出ていったのかねぇ」


「それはできねぇ」


左側の老爺が老婆の言葉を否定する。


「喉に入れたらこの村周辺から出られねぇ」


「ひぇひぇ、そうだよねぇ」


老婆の蚊の鳴くような笑い声にタイヨウはゾッとする

まるで勝ちの決まったゲームを楽しんでいるように感じる。

水を口にしなかったことにひとまずタイヨウはホッとするものの、彼らの次の言葉に不安が押し寄せる。


(村の周辺から出られなくなるってどういうことだ!?水に何かを含ませてたのか?)


じんわりと嫌な汗を背中にかき、近くに置いてある鎌をチラと見る。


「・・・・でもそれなら理屈に合わないねぇ。瓶の水は減っている。でもミギテは見つからない。そうなると水は使ったが飲まなかったちゅうことかい?」


「・・・おばばの推測通りかもしれんの。だが果たしてこの水の魅力に逆らえるもんかの?」


「ちげぇねぇちげぇねぇ」


右側の老爺が意見し左側の老爺は先程から同じことしか言わない。

右側の老爺はかまどの方へと移動し両手を上にかざす動作をしだす。


(・・・?何かをくくりつけてる?ここからじゃよく見えない)


タイヨウは必死に目を細めるが何かまでは判断付かない。


「・・・・・それならよぉ」


一息間をおく老婆


「この近くにおるっちゅうことかな?」


『ちげいねぇ』


両側の老爺たちの声が合わさり怪しく響いた。

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