第29話 PR16 奈須ノ城瑠璃


「…ぅあ!…なんか出よった…」

鴨宮あずきは、奈須ノ城瑠璃なすのしろ るりの結界透視スキルを見るのは、初めてだった。


瑠璃の足下に浮き上がる蒼い魔法陣。

そして、祭壇の上には、映画館のスクリーンのような大きな額縁フレームが出現した。

見ると、膨大な数の扉がドミノのように扇状に広がり、その奥へ奥へと連なっている。

まるでテーマパークの3D映像アトラクションを観ているようだ。


「…くっ…!」……なんて数……


結界の根源に辿り着くには、その無数にも見える扉を選択しながら、一つ一つ紐解いていかなければならない。

瑠璃は、未だかつて、これほど複雑で強力な結界を知らない。


…でも…やるしかない…


この大空洞に並ぶ箱型鬼魔衆きまのすの軍勢。ざっと見渡しても1000鬼はいるのでは、と思える。

その封印が解けるとどうなるのか、火を見るよりも明らかだ。ヤツらは、新たなゲートを抜け、間違いなく日本全土を蹂躙する。

これだけの数に一度に襲撃されたら、いくら50の御子が立ち向かおうと太刀打ちできない。

すれば、日本列島はモンスターパークと変わり果ててしまうだろう。

…笑えない…


この結界を紐解くことは、それを防ぐ何らかのヒントにつながるかもしれないのだ。

そして瑠璃は、とうに気づいていた。

残された時間があまりないことも。

…急がないと…


あずきだけではなく、それを見守っていた御子たちも、初めて見る不思議な光景に息を呑んだ。


「…何あれ…いったい何なの…?」

彗月は、唖然とする。


「あれは、瑠璃ちゃんが、神起環杖かむのきで具象化した結界の姿……」

紫兎は、無数に並ぶ扉を見て理解した。

これはある意味、コンピューターサーバーをハッキングするような感覚に近いのではないか、と。


「扉が?…まさか、あれ全部開ける…とか?」


瑠璃は、神起環杖かむのきたずさえ、祈るように両の手で結んだ印の形を変化させながら、紐解いた扉を次々と開け、進んで行く。


「…す…すごい……」

解錠された扉が、どんどん光塵こうじんとなって消えていく。

そのスピードは凄まじく、静観していた御子たちからも、思わず感嘆がれる。


時折、複数の扉を見比べながら悩む仕草を見せ、ふと動きを止める。


「…どーしたのかな?」と彗月。


「道を選んでいるみたいやな…」

あずきの見立ては、的を得ていた。


そして選んだ扉を開け、再び進んで行く。

そんな仕草を幾つか繰り返した後、突然、瑠璃の動きがピタリと止まる。


立ち並ぶ扉をジッ…と見据えたまま動かない。

魔力の消耗からくる呼吸の乱れを整えながら、これまでになく躊躇ちゅうちょしているようにも見える。


「…道を間違えたらどーなるの?」と彗月。


「さあ…でも、あれが結界の迷宮と考えれば、いったん元に戻るしかないんとちゃう?」


「あるいは、トラップ…」

倉式桃渼くらしき とうみの、その読みは正しかった。


結界を読み解きながら不意に現れる分岐点。

瑠璃は、その先にある、トラップ、を避け、正解、を選んでいかなくてはならなかった。

それは奥に進めば進むほど、より巧妙で複雑になっていく。


このトラップは、ある意味で、結界の安全装置でもある。

もし、悪意を持ってその封印を破ろうとする者が侵入した場合に、それを防ぐため。

ただ、その術者が悪意を持つ者か、善意を持つ者なのかを、結界は判断してくれない。


では、そのトラップを踏むとどうなるか…

踏んでみないと分からないが、侵入術者にとって良くないことが起こるのは間違いない。


……くッ……やはり手強い……


並の術者であればとっくにトラップに捕まってしまっていたであろう仕掛けを、瑠璃はここまで難なく突破してきたのだが…

ここにきて、焦りともとれる表情をみせる。

額から噴き出した汗が、あご先にしずくを作り、それがポタポタと祭壇にしたたり始める。


…どっち?…


ジッ…と見据えての数十秒。

そして動く…


その選択を抜けた直後、険しい表情の瑠璃が下唇を噛む。

「くっ…!…しまった……」


紫兎が声を掛ける。

「瑠璃ちゃん、どうしたの?」


「罠にかかりました。というより、ここにきてその罠にかかっているのに気づかされました…恐ろしく巧妙です…」


「無理しないで、瑠璃ちゃん。ここで、ストップ、でいいです」


「…それが、もう手遅れみたいです」


「手遅れ?」


「残念ですが、もう抜け出せません。ここで止めると、覗いてる術者の“全て”が持っていかれます」


ーー覗いている術者、つまり奈須ノ城瑠璃ーー


「…そ……んな…」

至妙しみょうに仕掛けられた無慈悲なトラップに、絶句する御子たち。

「チィィッ……えげつないトラップやな」

あずきは、いきどおりを見せる。


「道を間違えている訳ではないので、進むしかないですね」


「瑠璃ちゃん…」


「みんな、そんな顔しないで。まだ、そうなると決まったわけではありません。さあ、いきますよ。奈須ノ城瑠璃の真髄は、ここからです」


あえて気丈に振る舞い、結んだ印に霊気を込める。

瑠璃のからだから魔光の粒子がブワッ…踊り咲く。




「穢れ反応消失、鬼魔衆きまのすの浄化を確認しました」


「各自、被害状況を確認してくれ」


「人的被害はありません。民家が二棟、半壊程度のようです」


「五郎さん、お疲れ様でした」

徳島の御子、沫波あわなみすだちがモニタースクリーンにひょっこり顔を出す。


「すだち。助かった」


「あの…五郎さん、元気だして下さいね。まだ諦めちゃだめですよ」


「…ああ…ありがとう…」

五郎は、疲れ切った嘆息を吐きながら、司令長官席に身を沈めた。

…ここ3日で7件か……


ここのところ鬼魔衆の出現が多発していた。

小型から中型程度だが、こうも立て続けに出現されると寝る間もない。

…まあ、どうせ眠れないのだから問題ないが……

五郎は首を回し、MFC代表の空席を眺める。


…また、見てるわね…

二條いちみは、そんな五郎を見るのがつらくなってきた。

やつれ果てた司令長官は、ああやって日に何度も、紫兎の空席を振り返る。


ゲート調査隊が消息を絶ってから、もう10日。


…そろそろ、限界かも…


いつまでも、このままで、という訳にはいかない。

さすがにこれだけの日数、神隠しにあった人間が、御子といえども、そして多少の食料を持っていたとしても、生き延びていると思える方が難しかった。

どこかで、ソレを受け入れなければならない時が来る。

そして、ソレを告げるのが副官である自分の役割だと思うと、いちみは、やはり気が滅入ってくる。




…はぁ…はぁ…はぁ…

瑠璃の荒い呼吸だけが祭壇で響く。

扉の数も、あと10枚ほどに。


そして…

「…見つけました……これが最後の扉ラストです…」

これを突破すれば、“覗く”ことができるはず。


しかし…

無慈悲な結界は、そう易々やすやすとはゆるしてくれないらしい。


……くっ…

「そんな…あと一歩なのに…」


「どうしたの?」紫兎が声掛ける。


ルートが3つあります。でも、これは……ここまでと違って、完全に勘に頼るしかない扉のようです」


「ただ、選べ、って言うことね…」と紫兎。


「はい…」

最終試練は、シンプルに、侵入した術者の“運”のみを問われている。


「ここで間違えたらどうなると?」と煉花。


「封印が解けてしまうとか?」と桃渼。


「その可能性は、まずない、と考えます。そんなトラップがあったら、結界を張っている意味そのものが失われますから…でも…」


…ッ……と、顔を伏せる瑠璃。


…ここでの選択ミスは、間違いなく、わたしの命に関わるもの…

恐らくは、取り込まれてこの結界のいしずえにされる…といったところだろう…


その確率は…


「…うん。今のうちに言っておくね……みんな、今までありがとう」


瑠璃の、その遺言めいた言葉に、彗月が慌てる。

「ちょっ!ちょっと待ってよ!瑠璃ちゃん。何言ってんの!!…何かないの?…何か方法があるかも…ね……あずき、ほら何か考えなさいよ!」


「……………」

こればかりは、他者が介入できないのを知って。

あずきは、つらそうに首を横に振る。


「そんな…じゃあ、わたしが……わたしの魔力も合わせれば…」

彗月が、瑠璃の肩に触れようとすると。


「彗月ちゃん、だめ!」「彗月、あかん!」

瑠璃とあずきが同時にそれを止めた。


「…どうして……?」


「瑠璃ちゃんに触れたらあかん!…もし何かあったら、彗月も一緒に持っていかれる」


うん、と瑠璃も頷く。


「じゃあ…どうすればいいのよ!!このまま黙って見てろって言うの!?…そんなの…そんなの……ひどい…」

ついに彗月は、ボロボロと泣き出す。


「ありがとう、彗月ちゃん…でも…まだ失敗すると決まったわけじゃないですよ。1/3の確率です」


…そう…1/3もある…


スーーっ、と息を、勇気を大きく取り込む。

「では…いきます…」


「待って、瑠璃ちゃん」


紫兎は、思うところがあって、リュックに駆け寄り、煌河石を1塊、手に取って戻ってきた。


える…


その瞳が真紅を帯び、煌河石からは魔光の粒子がフワフワと湧き立つ。

そして…

「ムラサキよ…瑠璃ちゃん、紫色の扉を進んでみて」


「紫って…わたしには、どれも同じにしか見えないのですけど…」


「じゃあ、こうしましょう」

紫兎は、スッ…と瑠璃の横に歩み寄り、その肩に手を置こうとする。


あずきが慌てる。

「あかん!…紫兎ちゃん…」


「あずきちゃん、大丈夫。わたしを信じて」


紫兎は、瑠璃の肩にポンと手を置き、キュッと掴む。


そして、瑠璃は驚愕する。

「すごい…ほんとうに色が視える…」

並ぶ扉の一つだけが紫色を帯びている。


「…紫兎ちゃん…あなたは…」

…いったい何者なの…?


瑠璃の困惑を読み取った紫兎は、力強く頷いた。

…なるほど、と瑠璃は微笑み返す。


…あなたもやはり、わたしたちと同じ…ということね…


「では…いきますね」…この身、託します…


大結界の最終試練に向き直った瑠璃は、決意を込めて神起環杖かむのきを振る。


「畏み、畏み申す!」


パァン…!!

と、まるで硝子ガラスが砕け散るかのように、最後の扉が粉々に弾け飛んだ。


すると…

祭壇の中央一帯が、神々しい白き輝きに包まれ。

御子たちは、その眩しさに目を覆った。




……ここは……どこ…?

いきなり真っ白い空間に、紫兎は、独りぼっちだった。

…みんなはどこ?、と、誰もいない空間を見渡す。

…わたし、死んじゃったのかな…?


そう思えてしまうほどに、ここは、白き無機質な空間だった。


と、その時、紫兎の意識に、大量の思念が流れ込み始めた。


宇宙空間に浮かぶ二つの青い天体。

大きな星と小さな星。

小さな星に降り注ぐ数々の隕石。

死に絶える人々。


…これは…何?…わたしは何を視てるの…?


暗転。


海と空…風に雲…

汗をかき、稲を刈る人々…

鬼魔衆…能面の…

逃げ惑い、血を流す人々…

そして、空を飛ぶ…―――あれは…?

…御子…?

日ノ御子ひみこ……卑弥呼…


日蝕…

鬼魔衆の軍勢……血を流す人々…

そして日ノ御子たち…

祭壇…結界…煌河石…


…ぁぁ…そうか…

…そうだったのね…


暗転。


暗闇の中で、ぽつり、ぽつり、と灯る淡い光り…

煌河石の魔光…

紫兎の足元から絨毯のように広がっていく煌河石の輝きが道を示す…


紫兎はその上を歩き出す。


…ん?…泣き声…


足を止める。


…赤ちゃん?…ふふっ、可愛い…女の子ね…


フワッと何かに包まれた。


…ああ…温かい……

…誰?……泣かないでお母さん…

……ん?……お母さん…?


その女性の首からぶら下がる、薄紫に輝く煌河石のペンダント…


土砂降りの雨のように降り注いでいた思念が、その一つだけを残して消えていく。


兎のモチーフ…

…わたしと同じペンダント…



そして…真っ白い空間が収縮していく。




…ハッ!!

気の遠くなるほどの長い夢の旅から戻ってきたような感覚だった。

紫兎は、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。

が…

青白く照らされている空洞の景色が、今立っている場所の記憶を呼び戻した。

握る掌に、瑠璃の肩の丸みと体温を感じ、自分がたった今何をしていたのか、を思い出した。


後ろを振り返り見る。

…ああ、よかった。みんな、ここにいる…


唖然と、そして心配顏を浮かべている、あずき、彗月、煉花、そして桃渼。


「…紫兎ちゃん…大丈夫?」


「ぇっ?…うん…大丈夫…」


「なんで、泣いてるん?」


そう言われて初めて、自分が涙を流している事に気づく。


「…ぁ…あれ?なんでかな?…でも、大丈夫よ」


「…なら、ええけど…」



拍子抜けた彗月が騒ぎ立てる。

「ええっ!?これで終わり?…何だったのこれ?」


「終わりみたい」と桃渼。


「呆気ないわね。あれだけ覚悟したのに、パーッ…て光って終わりなの?」


「ウチには何も見えへんかったけど…」


「同じたい…瑠璃ちゃんは?」


「…ちょ…ちょっと待って下さい。わたしは視えました…けど頭が混乱してて……」

瑠璃は、力尽き、腰が抜けたように祭壇にへたり込んだ。


「紫兎ちゃんも顔色が良くないで…少し休んだらええ…」


「…うん…ありがと……」


…今のは何だったの?

夢?…幻影?…あるいは思念?記憶?

…でも…誰の?


紫兎は大空洞を仰ぎ見る。

淡く青く輝く煌河石に…

…ひょっとして、あなたたちが視せてくれたの?


立ち尽くしたまま、頭の中を整理し始める。

……でも……待って…そんなことって……


と、その時だった。

突然、空洞内の空気が陰を帯びる。


!!…

邪気を察知した御子たちが、神起具かむのきを具現化したのは早かった。


…これは、かなりヤバイ奴や…どこや?

鴨宮あずきは、大空洞内を見渡す。


ふらふらっ…と立ち上がった瑠璃が告げる。

「話しはあとです。すでにここの結界はほころび始めてます。今は、とにかく、逃げましょう」


遥か遠くの方で、箱型鬼魔衆の黒い瘴気が立ち昇り始めるのが見えた。

一つ、二つ……四つ……

封印が解け、鬼魔衆が次々と目覚め始める。


「煉花!…瑠璃ちゃんを」

「了解たい」

煉花が瑠璃に肩を貸す。


まだ、ボーッ…と立ち尽くしている紫兎に、あずきが叫ぶ。

「紫兎ちゃん!はよう、ウチの背に!」


「えっ?…ぁ…っと」

リュックに向かって走り出した紫兎は、勢い余って派手に転がった。

「きゃぁ!」


「何してんねん、大丈夫?」


「ご…ごめん…なんかフワフワしてて…」


「いや、ええし。ほな、奴らに見つからんうちに、とっとと逃げるで」


「うん、じゃ、お願い」

リュックを背負いながら紫兎は、あずきの背にギュッと掴まった。


御子たちは、急いで大空洞の天壁に向かって飛びながら、鬼魔衆の群れを見下ろす。


弱体化した封印の鎖を解こうとしているのだろう。

目覚めた数体の鬼魔衆は、黒い瘴気を纏いながら、ゆらゆらと不気味に横揺れている。


そして、そのおぞましい目玉模様が、飛ぶ御子たちを捉える。


御子たちの背筋に、ゾクゥッ…と悪寒が走る。

…やばい…見つかった!

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