第23話 PR13-2
「こんにちは…誰かいませんか…」
紫兎は、鴨宮家の門前で、鍵の掛かっていない引き戸をそっと開け、首だけを突っ込んだ。
「ウチに何か用ですか?」
「ヒぁ…ッ!…」
突然背後から声をかけられ、飛び上がるほどに驚く。
振り向くと、高校ブレザー制服の少女が
あの日、
随分と印象が違うのは、あの時は雨でずぶ濡れになっていたのと、巫女装束だったからだ。
髪の長さも違っていた。
あの日、後ろに
その、まん丸狐の神使獣と目が合って、紫兎は、ペコリと頭を下げる。
「あッ!…あんた…紫兎ちゃんや…」
鴨宮あずきは、唐突に思い出した。
自分ことを覚えていてくれたことが、紫兎には堪らなく嬉しかった。
「はい。引波紫兎です。あの時は、わざわざありがとうございました」
改めて深々とお辞儀をする。
「…ぁ…ウチは、あずき……鴨宮あずき、言います」
「ごめんなさい。これ、押したのですけど、誰も返事がなくて」
紫兎は、門の横の呼び鈴を指差す。
「それ…壊れてんねん。お金がもったいない言うて、おとんは直す気もないみたいやけど…」
「ちょっと、診てもいいですか?」
「は?」
あずきが返事をするより先に、紫兎は、背負っていた大きなリュックの横のポケットからドライバーを取り出して、呼び鈴のケースを開け始めていた。
「…えーっと…これかな?」
さらに、持っていた検電器で通電チェックし始めた。
……何でそんなもん持ち歩いてんねん、電気屋か?…
と、ツッコミを入れたくなった鴨宮あずきに、チラリと振り返った紫兎は、微笑む。
「ふふっ、わたし電気屋じゃないですよ、こういうの得意なだけ」
「え?…あ、そーなん?」
……なんやこの子?…人の心を読むエスパーか?
「ちなみに、わたしはエスパーでも超能力者でもありませんよ」
「それ、同じ意味やし」
……あかん、ツッコんでしもた……
「おっ、ここね。断線してる。でも直りそう」
「そうなん?」
「ブレーカー落としてもらってもいいですか?」
「は?…ブレー……何やそれ?」
あずきが、何のことか分からず困惑してると、家の中から、鴨宮はしらがひょっこりと顔を出した。
「あずきちゃん、おかえり。そんなとこで何してるんや?…お客さんか?」
「ただいま…ぁ…えっと…この子は…」
あずきが紹介に戸惑っていると、代わりに紫兎が自己紹介を始めた。
「初めまして。引波紫兎と言います。あずきちゃんのおとーさんですね。あずきちゃんとは、これからお友達になりますので、よろしくお願いします。それと、そこに浮いてるモフモフした白い狐の神使さん、とも」
……この子…ウチの神使獣が見えとるんか?!
これには、あずきは驚いた。もちろん鴨宮はしらも。
「…紫兎ちゃん…あんた、御子なんか?」
そんな話は、
それに、紫兎の神使獣も見当たらない。
「違いますよ…それより、あずきちゃんのおとーさん、5分ほどブレーカーを切ってもらってもいいですか?」
「はっ?」
……なんやおもろい子が来たな……と、鴨宮はしらは思った。
結局、紫兎は、鴨宮家に迎え入れられ、夕食を共にし、一泊することになった。
そこで紫兎は、わざわざ鴨宮家まで足を運んだ
「わたし、御子じゃありません。でも、あんな悲しい思いをするのは、もう嫌なんです。
だから、わたしにも
あの不思議な石、
「……わたし気づいたんです。この子たちが教えてくれたんです。この煌河石で御子さんたちのお手伝いをしたいんです…」
スリーブモードで暗転したPC画面を、ぼんやりと見つめながら。
鴨宮あずきは、その時のことを思い出していた。
……煌河石が教えてくれた…?
ああ、そうか、そういうことなんや……
「…そっか…煌河石…」
「せや、そういうことや。と言うても、まだ俺にも分からんことが、ぎょうさんあるけど……紫兎ちゃんは、スペシャルなんやと思う……ほな、先に風呂入ってくるで」
あずきは、「ふっ…」と笑った。
…最初っから分かっとったんやな、このオヤジは…
安定の
五郎は、缶コーヒーを飲み干し、話を続ける。
「紫兎は、鴨宮あずきに会いたいと言った。京都で何を話してきたか知らんが、その夜、はしらさんから電話があって…」
「はしらさん?…鴨宮の?」
「ああ…とにかく紫兎をえらく気に入ってくれたらしく、これからよろしく、とか何とか……」
鴨宮はしらの名が出た途端に、二條いちみの目が据わった。
…あの、クソ狸おやじ…
さては、最初っから知っていやがったな……
いちみが手にしていたコーヒーのスチール缶が、メキッ…!と音を立てる。
その形相が阿修羅のごとく変化したのを見て、五郎は、逃げ出す構えを見せた。
……??…俺はいったい何の地雷を踏んだのか…
「司令。まだ話は終わってませんよ」
無表情で、抑揚のない声音で。
…こ…怖い…
「…ぁ…そ…そうでした…」
「それで?」
「…ぁ…まあ、それで、京都から戻ってきた紫兎は、煌河石を使って色々と実験を始めた。MFレンズやMCリング…」
「なるほど…つまり、神祓天との出会いと失踪が紫兎ちゃんを変えた……と?」
まるで二條いちみの方が上官のような威圧感。
「…ぅ…まあ…そういうことになるな…」
ガタッ!と席を立つ二條いちみに、ビクゥッ!と
飲み干したコーヒー缶を捨てに立っただけだったので、五郎は、ホッと胸を撫で下ろす。
「…よくある、自分を責める、ってやつですね?」
カラン…とゴミ箱で缶が鳴る。
「そうだな……これは俺の見たてだが、紫兎は後悔に囚われた。あの時、もしも、自分が煌河石の力にもっと早く気づいていたなら。もしも、御子たちがもっと力を合わせられる環境にあったなら。もしも、国と協力して相互支援関係にあったなら……」
「
いちみは、椅子に戻り、腕組みながらその美脚をスッ…と組んだ。
「ああ、尽きることのない自虐のスパイラルだ」
「つまり、紫兎ちゃんは第二の神祓天を出すまいとしてる」
腕組んだまま、指先をトントンするのが二條いちみの癖だ。
「まあ、あいつにとっては、
「………………」
五郎の、その沈痛な掠れ声に、いちみの指先のトントンは止まった。
「……あいつは、ただ、御子のみんなを守りたいだけなんだと思う」
「わたしの言った、御子に憧れてる、というのとは、違いますね。何といいますか……ある意味、それはもう御子そのもの…」
「でも、あいつは御子じゃない」
「そうでしょうか?」
「それは、あいつ自身でも分かっていることだろ?」
…本当にそうなのだろうか…と、二條いちみは考える。
神使獣が見える、という時点で御子の絶対条件は満たされている。
ただ、紫兎にはその神使獣が憑いていない。
……これをどう解釈すれば……
五郎が続ける。
「だいたい御子と呼ぶには、他の御子たちと違いすぎる。まあ、千歩譲って、あいつが御子だったとしても、あいつに扱えるのはせいぜい煌河石だけだ」
…煌河石……
そうか、煌河石だわ。
あの石を扱う紫兎の能力は、もう魔法と言っても差し支えない。
そうだとすると……
引波紫兎は、生まれながらに覚醒していて、煌河石を使役する御子。
つまり……
…煌河石が紫兎の神使獣だと考えてもいいのでは?
それは、かなりイレギュラーで、特別な存在だけど。
ただ、あの子自身もそれに気がついていないだけ……
では……
あの子自身も語っていた“御子の本質”は?
生まれ育った地のご加護を受け、命を賭しても大切なものを護る御子の本質。
その本質を、すでに紫兎は備えている、としちみは感じていた。
あの子にとって大切なモノ、大切な人……それは御子。
……御子を護る御子……それが引波紫兎……
「どうした?…二條……難しい顔して…」
五郎の声でいちみは、ハッ…と我に帰る。
「え?…ぁ…いえ……何でもないです……」
……では……
あの子は、いったいどこから来たのか?
「…んだば、紫兎ちゃんは立派な御子だべ」
久慈雪音は、優しく微笑む。
「ありがと、雪音ちゃん」
自分を御子と呼んでくれる雪音の優しさに触れて、夜空の三日月も優しく微笑んでくれているように見えた。
手にしていた煌河石も、光の粒子を嬉しそうにフワフワと舞いあげる。
「
「うん、そう…喜んでる」
「きっと、その子たちが紫兎ちゃんの神使獣なんだべ」
「…わたしの…神使…?」
そんな考えは、今まで思いもしなかった。
「んだ。ただ、持ってる力が違うだけで、紫兎ちゃんもわたすたちと同じ御子なんだべ」
……そっか……
わたし、今まで何を見ていたんだろう……
物心が付く前から。
寂しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、わたしの話相手になってくれていた。
それが当たり前で、その存在が近過ぎて気がつかなかった。
心に重くのしかかっていた蓋が外れ、スッ…と軽くなったように感じた。
他の御子のみんなも、それぞれ少しずつ違う。
「そっか……」
……別にみんなと同じじゃなくてもいいんだ……
わたしは、わたし。
「そうだね…ありがと、雪音ちゃん…」
「ん…」と短く、雪音は、三日月と同じような優しい口元を浮かべた。
紫兎は、再び特殊車両の中で、司令本部と繋ぐモニターに向っていた。
「…だからね、五郎ちゃんが心配してくれてるのは分かってる。それは本当に嬉しい……けど、でもねっ、聞いて。大切なものを護りたい、って気持ちだけは、いつも、御子のみんなと同じなの…」
紫兎は、今話すとややこしくなると思い、あえて煌河石の話には触れずにいた。
「………………」
五郎は黙って頷いた。
……知っているさ……
お前の考えていることくらい、分かっている。
「…それに、今回は、わたしが行かなきゃっ、て思うの。そんな気がするの。何だかとっても大事なことのような感じがするの……」
「どうしても……か?」
五郎の掠れ声が紫兎の耳に届く。
「うん、大丈夫。きっと帰ってくるから」
「絶対?」
「うん、絶対よ。だって帰ってこなかったら、五郎ちゃん、泣いちゃうでしょ」
「はぁー〜……」と五郎は、諦めの、長い嘆息を吐き出す。
「分かった…ただし、一つだけ条件がある。あずき以外にも帯同してくれる御子を4人は選ぶこと。1人だけでは少な過ぎる」
……4人…
「ありがと、五郎ちゃん」
ここまで二人のやり取りを、黙って聞いていた鴨宮あずきが告げる。
「決まりやね。ほな、ウチは直ぐに仙台へ飛びます」
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