第22話 PR13 神祓天


その日、五月雨さつきあめの降りしきる中、引波家の前で、傘もささずに立ち尽くす一人の少女がいた。


紫兎は、その気配を感じ、玄関から家を出ると。

頭からずぶ濡れになっているその少女に歩み寄って、赤い傘を差し出した。


紫兎には、その少女が御子だとすぐに分かった。

神使獣しんしじゅういていたからだ。

そして、その少女が自分に何か伝えたいことがあることも。


まるで喪に服したような、黒鴉カラスのような巫女装束。

ずぶ濡れの御子は、差し出された傘に目もくれずに口を開いた。


「あんたが、引波紫兎ちゃんやな?」


頷く紫兎に、御子は、その手に握っていた一つの煌河石こうがせきを差し出した。

「…ごめん……」と、雨音に打ち消されそうなかすれ声を、喉の奥から絞り出しながら。


その煌河石は、紫兎が神祓天かみはら そらに渡したものだった。

禍抓マガツと呼ばれる手強い鬼魔衆との決戦に向かうそらに、お守りとして。

ありがとう、と、滅多に見せない笑顔で、そらがそれを受け取ってくれたのは、つい昨日のことだった。


差し出された煌河石に、そっと手を伸ばしながら、紫兎は気づく。

その御子のほほが濡れているのは、雨のせいだけではないことに。


……ぁ……


そして一瞬で理解した。

大好きだった神祓天は、もうここには戻ってこないのだ、と。


あの時、自己転移魔法で姿を消す神祓天を見送りながら、紫兎には、すでにそんな予感があった。


まるで捕まえた蝶か何かを逃がさないようにして、その煌河石を、両の手でそっと包み込む。

すると、白くはかなげな光の粒子が、フワッ…とおぼろ立ち、紫兎の指の間からすり抜けていった。


「……そらさん……は?」


「…消えてしもうた……ヤツを道連れにして……」


涙は出なかった。

代わりに、全身が、そして心の芯までもが、鈍色にぶいろの鉛と化したように重くなり。

紫兎の周りの世界が色と音を失った。


その御子は、淡々と言葉をつなぐ。

「……それと、そらちゃんからあんたに伝言があるんや……」

御子は、グッと下唇を噛んでから、神祓天が紫兎に残した言葉を、そにまま伝えた。

「ありがとう、楽しかった……」


「……………………」


瞳の色を失ったまま、茫然と煌河石を見つめているその少女、引波紫兎に、その言葉が届いたのかどうか。

鴨宮あずきには、分からなかった。

…が、他にかける言葉も思いつかず。

「…ほな……」と背を向けた。


雨は、降り続いていた。

どれぐらいその場に立ち尽くしていたのだろうか。

ふと顔をあげると。煌河石を届けてくれた御子は、もう姿を消していた。


手に持っていたはずの赤い傘は、開いたまま足元に転がっている。

自分は泣いているのだと気づいた。

無機質な雨音に打たれ、消えてしまった神祓天を想いながら。

紫兎は立ち尽くし、ただただ静かな涙を流していた。


胸の前で祈るように握っていた煌河石は、すでに光を失っていた。




二條いちみは、誰もいない食堂の自動販売機の前で、ボーっと幽霊のように突っ立っている引波五郎を見つけた。

すでに消灯されていて、自動販売機の明かりしかない。


…あれは、そうとうへこんでいるわね…

まあ、無理もないか…


「司令…」


「…ぁぁ…二條。何か飲むか?」


ユラ…と振り向くその動きだけ見ても、魂が抜けているようだった。

いちみが来るまで、ずっとそうして小銭を指先に持ったままだったに違いない。


「…ほな…頂きます」


手にしていた小銭を、やっと自動販売機に放り込んでから、五郎はしちみに、自分で好きなボタンを押せ、と身振りする。

いちみは、無糖のコーヒー缶を選び。ガコン!と吐き出されたそれを、五郎が取り出してくれた。

そして五郎も、いちみと同じものを選んだ。


カシュッ!…と缶を開けながら。

五郎は、手近なテーブルの椅子を引き、腑抜けた体を投げ出すように腰掛けた。


「…言い過ぎ…だったよな…」


「ご心配なんですよね?…紫兎ちゃんのこと」


「まあな」


「でもまさか…ホンマに、あそこに潜る、なんて言い出したのには、わたしも驚きましたけど……」

言いながら、いちみは、五郎の向かい側の椅子を引いた。


「あいつは、ああ見えてもかなり頑固でな…言い出したら聞かん」


「紫兎ちゃんは、御子に憧れているんですね」


「憧れ、と言うより、後悔……だな…」


「後悔?」


「二條は、神祓天かみはら そらという御子を知ってるか?」


「もちろんです。わたしは、直接うたことはないですけど、あずきが知ってますし。噂は色々と。でも今は、行方不明と聞いてます」


「ああ、どうやら手強い鬼魔衆きまのすと戦った後に、姿を消してしまったらしい。琵琶湖の津波、アレだ」


「…そう…だったんですね。ソレにあずきが関わっていることは、知ってましたけど…」


「紫兎も色々と知っているはずなんだが、その話をあまり話したがらなくてな。そらは、紫兎と仲が良かったんだ…」


「それは…初耳です」


「なんだ、二條は、聞いてなかったのか…」


「ええ」


「初めてだったよ、紫兎が友達をウチに連れてきたのは。あいつ、どうやら、学校では一人でいることが多いらしくてな。俺もその時は嬉しかったのを覚えてる」


「そうやったんですか…」


「ああ。そのうち、ほとんど住み込みみたいになって。何ていうか、俺には、そらと紫兎が姉妹のように見えてくることさえあった。

口数が少なくて、もの静かな子だったが、いい子でな。たまに笑顔を見せるんだが、それがまた可愛くて…」

五郎は天井を見上げて、神祓天の、はにかみ笑顔を思い起こした。


「司令は、知ってはったんですか?神祓天が御子だということを」


「ああ、知っていた。そもそもそらがウチに出入りするようになったのは、紫兎を鬼魔衆きまのすから救ってくれたことがキッカケでな……」




……うぅ、やばい…スーパーで献立メニュー悩んでたら遅くなっちゃった…


その日は、おばあちゃんが町内旅行でいなかったので、紫兎が夕食を作ることになっていた。

食材を買うために学校帰りにスーパーに寄り、思いのほか、時間がかかってしまった。


辺りが暗くなってきていて、紫兎は焦っていた。

近道の、公園の中の樹々の間を抜けながら、足を早める。

変質者の出没が多いので遅い時間は絶対に通るな、と五郎に釘を刺されていた公園だったが、急いで抜ければ大丈夫、と思い、足を踏み入れた。


実は、ものすごく嫌な予感もあったのだが、そして紫兎の嫌な予感は、だいたい当たるのだが。


かくしてその嫌な予感は見事に当たり。

紫兎は、鬼魔衆と出くわした。

一ツ目で、口裂け。腕が6本。大きさは熊ほどの異形の物の怪もののけ

変質者の方がよっぽどマシだと思えた。

お約束のように周りには誰もいない。

初めて見た化け物に、紫兎は悲鳴を上げることもできず、恐怖で立ちすくんだ。


そこに、神社の巫女服のような紅白の衣装で、長い銀髪の少女が突然現れた。

そして、長い槍のようなもので化け物を斬り裂き、手から放った光の球で、それを塵に変えてしまった。


あまりの突然の出来事に、紫兎は放心しきって、銀髪の少女をボーッと見つめていた。

……誰?…何もないところから急に出てきた…

すごい髪色…外人の巫女さん?…でも綺麗な人…


「あなた……大丈夫?」

少女の、透き通る孔雀青ピーコック ブルーの瞳で覗きこまれ、紫兎はハッ…と我に返った。


見ると、その少女の頭の上に、何かが浮いているのに気づく。

……何だろ?…ぬいぐるみ?……でも何の動物だろう…


プカプカと浮いている、そのぬいぐるみらしきものを見つめていると、声が聞こえてきて驚いた。

「えっ?!…しゃべった…」


今度は、銀髪の少女が驚く番だった。

「あなた…もしかして神使獣が見えてる?…あなたも御子?」


……しんしじゅう?……みこ?……

紫兎には、その少女が何の話をしているのか分からない。


「それより、何ですか?それ。その浮いてる変な…ぬいぐるみ…」


変な、と言われ、ぬいぐるみらしきものがプリプリと怒り出したのだが。

銀髪の少女が「もう…うるさい!」と、ソレを引っ叩いた。


その様子が可笑しくて、紫兎は、プッ…と吹き出した。

…が、再び孔雀青ピーコック ブルーの瞳にジッ…と見つめられているのに気づき、笑いを止めた。

「…ぁ…ごめんなさい…」


その時、銀髪の少女のお腹がグー〜と音を出す 。


そうだ、と紫兎は、提げていた食材の中からガサゴソとコロッケを取り出し。

「…あの……良かったらどうぞ」


揚げたてのコロッケの美味しそうな匂いが鼻先に漂い、その少女は、ゴクッと喉を鳴らした。

「…ぇっ…いいの?…あ……ありがと……」


変なぬいぐるみが、俺も食べたい、と要求してくる。


「え?…君も欲しいの?…はい、どうぞ…」

…へえ…コロッケ、食べるんだ…

紫兎には驚きだった。


銀髪の少女とぬいぐるみが顔を見合わせた。

「…あの…あなた、少し時間ある?…わたしは御子の、神祓天かみはら そら


「カミハラ…ソラ…さん?……わたしは紫兎しと、引波紫兎と言います。あの、今さらですけど、さっきは、助けてくれてありがとうございました」


そのまま公園のベンチで、並んでコロッケを食べることになって。

紫兎は、不思議な少女と不思議なぬいぐるみに心を奪われ、夕食のことなどすっかり忘れていた。


「…あなた、饅頭まんじゅうが見えてるのね?」


「まんじゅう…?」


「…ぁ…この変な、可愛くないヤツの名前」

神祓天は、喋るぬいぐるみを指差す。

あげたコロッケを、パンパンに口に詰め込みながら、ソレはまた、プリプリと怒り出す。


「…文句垂れ流してるけど、気にしないで。饅頭は、放っておいて大丈夫だから」


…何それ?…変な名前……

紫兎は、可笑しくなって、クククッ…と笑い出すのを抑えられなかった。


「ねえ、引波さん…」


「紫兎でいいよ」


「…ぁ…じゃあ、紫兎ちゃん……あなたの神使獣しんしじゅうは?…どこ?」


神使獣しんしじゅう?…って、何ですか?」


「本当に知らないのね。でも不思議、神使獣が見えるのは、御子だけのはずなのに…」


……この人、さっきから、いったい何の話しをしているんだろう?

「さっきのアレは?……お化け?」


「うん、そんなようなもの。鬼魔衆きまのすって呼んでる。わたしは御子。鬼魔衆を浄化している」


……浄化?…って言うんだ。魔法みたいだった。飛んだり、綺麗な光を出したり……

でも何だろ?…不思議…この人と初めて会った気がしない…


紫兎は、勇気を出して訊いてみた。

「…か…神祓かみはらさんは…」


そらで、いい」


「…そらさんは…その……魔法少女なの?」


「うん、そう。御子は、魔法少女みたいなもの」


……否定しないんだ…

「どうして……御子をやってるの?」


「それが…わたしにもよく分からない。記憶が無い」


「えッ?!…そうなんですか?」


神祓天は、説明が上手くない、ということで、代わりに、饅頭がペラペラと喋り出した。

どうやら、神祓天も饅頭も記憶を失っていて、鬼魔衆を浄化しなければならない、という使命感だけ覚えているらしい。

そして全国を回り、他の御子と知り合いになりながら、とある強力な鬼魔衆を追っている、と。


「じゃあ、そらさんみたいな御子さんが、他にもいるの?」


「そう…だから、あなたも御子だと思った」


…わたしが?…御子?

「でも、違うと思う…だって、わたしには神使獣がいないよ」


「そうね…だから不思議。でも、紫兎ちゃんから不思議な魔力を感じる」


「魔力?」

…煌河石ののことかな…?


紫兎は、手をかざすと光の粒子を舞い浮かばせる石を持っていた。

五郎ちゃんからは他の人に絶対に見せるな、と言われているけど…


「…どうしたの…?」


横顔を覗き込んでくるそらに思い切って打ち明けてみた。


「…あの……わたし、不思議な石を持ってます。煌河石こうがせきと名付けました。その石を、そらさんにも見て欲しい」


「うん、いいけど。お家の人は?…いいの?」


時刻をみると夜の8時を回っていた。

……しまった!!

慌てた紫兎は、鞄に入れっぱなしだったスマホを取り出した。

五郎からの着信履歴が10回以上も。

「うわー…まっずい…」


電話をかけると、「バッカモーン!!」と五郎から怒鳴られた。

もう少しで警察に電話するところだった、とも。


「すぐ帰るから、事情は後で」と強引に通話を切った。


「大丈夫?」と心配顔を見せるそらに、紫兎は勢いでこう言った。

そらさん、お願い。一緒にウチまで来て!」




「…と……まあ、そんな感じで神祓天かみはら そらがウチに転がり込んだ」


「ちょ…ちょっと待って下さい!…司令!」

二條いちみは、前のめりになる。


「ん?…どうした?」


「紫兎ちゃんは……神使獣しんしじゅうが見えているんですか?!!」


今にも飛びかかって来そうな勢いの二條いちみに、五郎は思わず仰け反った。

「あ…あれ?…言ってなかったか?」


「初耳です!!」

いちみは、ドカッ!と椅子に座り直し、腕と脚を組んでから五郎を睨みつける。


「や……すまん、俺には当たり前だったんで…」




「なんや、ただの親子喧嘩か……」

五郎と紫兎の一部始終を、あずきの肩越しから覗き見ていた鴨宮はしらは、呆れ声をあげた。


あずきは、頭の後ろで腕を組み、ふと考える。

「…なあ、おとん、一つ訊いてもええか?」


「なんや、あらたまって」


「何で紫兎ちゃんは、神使獣が見えるんやろ?」


「なんや、そんなことか。そんなん考えんでもわかるやろ。あずきちゃんもついさっき、その答えを自分で言うとったやないか……」


「え?…それって…」

…紫兎ちゃんは御子?……でも……




二條いちみは、どこをどう見ても不機嫌だった。

まるで尋問しているような捜査官っぷりで五郎に迫る。

「それで?!…司令はいつ知りはったんですか?!」


「何を?」


「何を?…じゃないです!!…紫兎ちゃんが、神使獣が見えていることに、です!」


「ああ、そのことなら、その日に紫兎がすぐに話してくれた。饅頭という名の変なぬいぐるみが浮いているってさ。そらも一緒に食卓を囲んでいたから、色々と教えてくれた……ははっ…」


「笑い事やないです」


「…ま…まあ、そう睨むな、二條」


いちみは、呆れ切って「はーーーっ…」と大きな嘆息を放り出す。

「…と言うことは、会ったその日に神祓天が御子だと知った、ということですね?」


「ああ、まあな」


「驚かなかったんですか?」


「もちろん驚いた。でも、それほどでもなかった。もうその時には、俺流で、御子と鬼魔衆ことを調べていたからな。なんちゃって知識だけはあった。

…まあ…想像と実物は、色んな意味で違っていたが、どちらかと言えば感動の方が大きかった。

ずっと探してたからな…

御子は、本当に存在するんだ…ってな。ははっ…」


呑気に笑う五郎を、二條いちみは、ジロリと睨みつける。


「……っと…まあ、そんなんだから、紫兎に神使獣が見える、というのも、それがどれほどレアなことか、俺にはピンときてなかったわけだ」


「…話を戻します。紫兎ちゃんの、後悔、は、神祓天と関係あるっちゅうことですね?」


「まあな。紫兎は、そらが帰ってこなかったことが、よほどショックだったらしくて、一週間ほど部屋に閉じこもってた。

まさしく天の岩戸だ。

何も知らなかった俺は、もちろん心配だったが、ドアの前に置いためしには手をつけていたんで、まあ、そのうち出てくるだろう、と見守ってるだけだったが…」


「なんか、そういうところ…司令らしい、ですね」


「褒め言葉と受け取っておくよ。で…引きこもりから出てきた紫兎から開口一番、煌河石を調べてくれ、とお願いされた」


「…ぁぁ…それで、東雲しののめさんの所で石を調査したんですね」


「その結果は、二條と初顔合わせした時に話した通りだ。もう一つ、紫兎は、京都に行きたいと言い出した」


「京都?」


「ああ、鴨宮家だ。おれのPCパソコンの情報から知ったのだろうな。紫兎にしてみれば俺の暗証コードを盗むクラックすることなど朝飯前だし、他にも色々と、御子や鬼魔衆に関する各機関の機密事項にもアクセスしてたらしい。俺のPCからなら怪しまれないからな…」


「……で、行かせたんですね?」


「ああ、一人で行く、と言って聞かなかった」


「それで?…鴨宮家には何が?」


「鴨宮あずき……紫兎は、あずきに会いに行った」

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