第20話 PR11-2


栃木の御子、奈須ノ城瑠璃なすのしろ るりを待って、引波五郎が司令室から指示を送る。


「アルファ機の映像をロスト10秒前から流してくれ」


「了解。映像出します」

小日向がコンソールのキーを叩く。


録画を示す赤い《REC》の文字がモニターの隅に。

そのまま黒塗りの映像が流れ、10秒後に《NO SIGNAL》の文字が浮かぶ。


「…スローで、もう一度」と五郎。


真っ暗な闇の中に何かを見つけようと、皆が瞬きもせずに注視した。

……が…何も無い。沈黙の闇だけ。


「紫兎、そっちは何か見えたか?」

五郎は、御子たちの意見を求めたが、皆揃って首を横に振るだけだった。


「本当にただの故障かも…」と、二條いちみは、結論付けてみた。


「そうかもしれんな」


だが五郎は、次の指示を送る。

「デルタ機の映像を、同じく10秒前から」


先行するアルファ機の緑と赤のナビゲーションランプが、まだ見えている。

そして10秒後、突然それが画面から見えなくなる。


……消えた…


ただ故障して落ちたようには見えない。

やはり忽然こつぜんと姿を消したように感じる。


「スローのまま解像度を上げて拡大してみます」

小日向が五郎の指示を先取りした。

しかし。ゆっくり、はっきり、大きく、で見ても同じだった。


「デルタ機、センサー類に何か反応は?」


「湿度が高いぐらいで、特に目立つ反応はありません」


鬼魔衆きまのすの仕業ではなさそうだ…

では、何なんだ、これは?


五郎は次の指示を送る。


「デルタ、ゆっくり下げてくれ。アルファロスト地点から5メートルまで」


「デルタ、下降します」


993メートル。

深度を示す数字が、アルファ機が消えた5メートル手前で止まる。


「停止」


「そのまま水平に移動してみてくれ」


「了解。原点マーク。水平モードへ」

起点がセットされ、カメラとライトの角度が90度振られて、デルタ機は水平方向へゆっくりスライドしていく。

すると、15メートルほど動いたところで、剥き出しの岩盤のようなものが見えてきた。


「壁?…があるのね…」

いちみは、見たままを口にする。


「よーし…デルタ機、そのまま岩壁に沿って動いてくれ」

「了解。第2原点マーク。壁沿いに走ります」


「小日向、軌道のトレースを」

「了解です」


「瑠璃、よーく見ててくれ、何かあるかもしれん」

「はい、見てますよ」


呼ばれなかった楓子とランが割り込む。

「ねね、五郎さん、わたしたちもしっかり見よっか?」

「いや、いい」

「えーっ…」

五郎のぶっきらぼうな即答に、ぶー、と膨れる楓子とラン。

その後ろで雪音が、ククッ…と噛み笑う。


「…この軌道は、ゲート入口の内周とほぼ同じですね」

小日向が告げる。


「つまり…ストローのように垂直ということか…」


「はい…恐らく」


…1000メートルの垂直の穴だと?

しかもまだ底が見えない。

「いったいなぜ、突然こんなものが…」


…鬼魔衆の国に繋がっているとか、よしてくれよ…

五郎は、それを言葉にするのを躊躇ためらった。

黄泉比良坂よもつひらさか”…

日本神話において、生者の住む現世と死者の住む黄泉よみとの境界。

そんな妄想を掻き立てられるほどに、この“ゲート”の存在そのものが不気味だった。


デルタ機が円軌道で一周を終え、第2原点まで戻ってきた。


「瑠璃、何か見えたか?」


「……うーん、微妙ですね…もっと近づいて、下げれます?」


ここで紫兎が出張る。

「デルタさん、わたしに、カメラ操作をやらせて下さい」


「おい…紫…」

呼びかける途中で、五郎は、いちみに腕を掴まれた。

見ると、二條いちみは、唇に人差し指をあて、“静かに”、とジェスチャーしている。

「…分かった」と五郎は小声で返した。


紫兎の指示が続く。

「もう少し寄せれますか?……はい、ストップ。で、そこから下げて下さい…できるだけゆっくり…」


デルタオペレーターは、左右から瑠璃と紫兎に身を寄せられ、両手に花状態なのだが、繊細すぎる操作でそれどころではない。


「瑠璃ちゃん、よく見てて」

「はい、わかりました」


深度を示すデジタル数字が変わっていく。

994…995…996…997…


…ちょ…越える…

「…し…紫兎様…もう…」

もうロストラインだ。

デルタオペレーターは息を呑む。


「はい、ストップ」

紫兎がポン…とその肩を叩き、デルタオペレーターは、ふーーーーっ…と止めていた息を吐き切る。


限界だった。あと30cmも下がれば、アルファ機のロストラインを越えてしまうだろう。

こうなるとドローンの位置を静止キープするだけでも大変で。デルタオペレーターの額に大粒の汗がいくつも浮かび、それが目に入り、顎先まで流れ落ちる。


ここまでジッ…と黙って見ていた久慈雪音くじ せつねが、彼の額にそっとハンカチを当てた。


「…ぁ……」


「ええから、集中だべ」


「…ありがとうごさいます……」

デルタオペレーターは、モニターを注視したままで頷く。


紫兎が次の指示を告げた。

「デルタさん、そのまま壁際に沿って、さっきのように一周回ってくれますか」


「えっ……」…マジか…

簡単に言ってくれるが、先とはまるで条件が違う。

無茶振りもいいところだ。ほんの些細なミスで、アルファ機の二の舞いになるかもしれないのだから。

緊張で、ステックに置く指先が強張こわばる。


「大丈夫。デルタさんなら出来ます。落っこちてもかまわないですから、頑張って下さい」


そう無邪気に、紫兎に微笑みかけられ。

何だか出来るような気がしてきた。

フーーーッ、と長い深呼吸で覚悟を決めると、デルタオペレーターは、告げた。

「第3原点座標マーク……セット。デルタ機、壁際に沿って周回します」


その横で…うわっ!光ってる…と、静かに驚くのは、アルファオペレーター。

腰折って、モニター画面をジッ…と見つめる奈須ノ城瑠璃の全身から、魔光の粒子がフワフワと舞い立ち始めたからで。


そして、んっ?…と雪音だけが気づいた。

その時、紫兎の瞳が真紅に染まっていることに。



厳しい指示の二周目は、やはり倍以上の時間が掛かった。

それでもデルタ機は何とか起点まで戻ってきた。


「デルタさん、凄~い」

緊張の糸を緩め、ホッと息吐くデルタオペレーターの肩や背を、楓子とランがバンバンと叩く。


だが…

まるで変化の無い岩盤の画しか映らなかった結果を受けて、五郎が残念そうに呟く。

「…何も無かったな……」


「そうみたいですね」

二條いちみにも、やはり何も見えなかった。



「瑠璃ちゃん、どうでしたか?」


蛍火のように舞っていた瑠璃の魔光の粒子は消え、紫兎の瞳は元の色に戻っていた。


「そうですね。モニター越しですので自信は持てませんが……でも、“ある”というより、“あった”と感じました」


「わたしも…そんな気がします」と紫兎。


「ねえ、“何が”あったの?」と羽幌ラン。


「結界です」


「結界ぃッ!!?」


その言葉に皆が驚く。


「正確には、その残滓ざんしらしきものですね。恐らく、その効力を失った結界の残像……」


「…だそうです。司令、どうします?」

いちみは、五郎に振り返る。


…結界だと!?…

ますます謎は深まるばかりだった。

いったい誰が、何のために、そんな地中深くに…


「バッテリー残量は?」

思案しなければならないのは、このままデルタ機を進めるか、どうか……


「今ので結構消費しましたから…そうですね、あと300ほどは進めそうです」


「…そうか……」

決断した五郎が告げる。

「作戦中止。デルタ機を地上に戻してくれ」


「了解。デルタ、帰還します」


この日の調査はここまでとなった。

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