第16話 PR10 –2


まるで戦場ような地獄絵図を眺めて、伊達楓子は、呆然と立ち尽くす。

ほんの数分前まで、人々の笑顔で満ち溢れていた光景が一瞬で奪われた。


「……なんてことを…」

…よくも……

あたしの大好きな街を、大好きな人たちを、こんなに……こんなに滅茶苦茶にして……


怒りで両の拳を握り始める楓子の、“御子の本質”が目を覚ます。

……赦さないから……鬼魔衆キマノス


「詠唱省略!……畏み……畏み申す!」

石畳から巻き上る魔光の粒子が、一過いっかの渦となって楓子を包みこむ。


茜と亜希子は、その眩しさに目を覆った。

逃げ惑っていた人々も、一瞬、何事か?と足を止める。


大きな繭糸のように紡がれた光条が拡散し、そこに巫女装束の伊達楓子が顕現する。

白地にミヤギノハギの花模様は紫で、紺青こんじょうのフレアスカートに白ブーツ。

手にする神起具かむのきは、金色こんじき槌矛メイス


「…ふ……楓子……なの?」

路上にへたり込んでいた茜と亜希子が、唖然と、御子になった楓子の背を見上げる。

その髪は蒼く、長く。高い位置で、赤鞠のついたリボンでひとつに束ねられていた。

スッ…と返り見せるその横顔の瞳までも、蒼玉サファイアで。


あまりにも現実離れした出来事の連続に、二人は悪夢でも見ているような感覚に陥った。


茜は思った。

これは、きっと、何かの悪い夢だ、と。

わたしは、ずんだシェークを飲みながら、いつの間にか寝ちゃったんだ、と。

青葉城址に浮かぶ得体の知れない黒い化物も、崩れ落ちたビルも、街を焦がす炎も、そして、目の前で光って変身した楓子も……

きっとそれは、タチの悪い夢で。わたしは、まだあのお店の中でテーブルに伏せたまま、すやすやと寝ちゃっているんだ。きっとそうなんだ…と、後ろを振り返る。

……どうして燃えているの…?

つい先ほどまで、3人で笑い合っていたお店のガラスは割れ崩れていて。その奥は業火に包まれ、黒煙を吐き出していた。


茜は、焦げる化学臭に顔をしかめ、手で鼻を覆った。

……嫌な臭い……

夢に臭いがあるはずもなく、これは現実だと思い知った茜は、頭を抱え、恐怖に泣き叫ぶ。

「いやぁぁぁ……!!」


「茜、亜希子……わたし、あいつをやっつけてくる」


「…へ?…楓子?」

茜は、目を見開く。


「だから、今はお願い…すぐ逃げて」


「楓子…ダメだよ…無理だよぉ……楓子が死んじゃう…」

だだをこねる子供のように、茜は、膝を抱えてボロボロと泣き出す。


楓子は、知っていた。

普段は勝気で陽気な茜だが、意外にメンタルが弱いことを。


「茜……大丈夫。御子は強いんだから、死なない。きっと戻ってくるから」


「ええぇぇぇ、嫌だよ……楓子ぉ~…」

泣き喚く茜の頭に、ポンと軽く手を置き、楓子は、亜希子を見た。


楓子は知っていた。

いざとなると、普段はおっとりしている亜希子の方が肝が座っていることも。


「亜希子……茜をお願い」

うん、と強く頷く亜希子と視線を交わしてから。

楓子は、青葉山公園に浮かぶ黒球の怪異を睨みつけた。


そして、あけに染まり始めた西空に向かって音もなく飛んだ。


金糸を蓄えたような夏雲に、吸い込まれるように昇っていく楓子のシルエットを。

茜と亜希子は、茫然と涙目で見送っていた。



「どこだ?!!」

知らせを受けた引波五郎が、特0司令室に駆け込んできた。


「仙台です!」


「引波司令、どうやら市街地が攻撃を受けたようです」

通信ヘッドセットを片耳に、二條いちみが振り向く。


「攻撃だと?…被害状況は?」


「まだよく分かりません、かなり混乱してまして……ただ……まるで砲撃を食らったみたいだ、と…」


「砲撃ぃ?」

…そんな鬼魔衆きまのすがいるのか?

「MF映像はまだか!?」


「まだ届きません!」


「ノーマルでも、遠くても、構わん。街の様子を出してくれ」


「了解!」

オペレーターがパネルを操作し、幾つかの防災用高設定点カメラを選び、スクリーンモニターに並べた。


「3番、拡大」


「うわっ…ひでえ…」

驚きを洩らしたオペレーターの横で、

「なっ…!」と五郎も言葉を失った。


ほんとうに爆撃か砲撃を喰らったみたいだった。

仙台市街地から、幾本も立ち昇る黒煙と燃え盛る炎。

加えて、崩れて内部をさらけ出す高層ビル。


「ひどい……」

戦争が始まったのか、と勘違いしてもおかしくないその光景に。

二條いちみも呆然とモニタースクリーンを見上げた。


「引波司令!他にも火の手が上がっているようです。青葉山公園」


「見せてくれ」


市街地から望む遠景の映像がスクリーンに上がる。

その小高い山の上から、同じように、灰黒色の煙条が黄昏たそがれる空に上がっていた。


二條いちみは、ゾクッ…背筋を震わせる。

……これは……本当に鬼魔衆の仕業なの?



……無事に逃げてね…

楓子は、上空からゴマ粒のように見える茜と亜希子のことが心配で、一度だけ振り返った。

……でも…と、すぐに目の前の敵に気持ちを切り替える。


……もうこれ以上、お前の好きにさせない!!


もう迷いはなかった。やるしかない。

そして不思議だった。

あの弱気だった自分がどこかにいってしまった。


もし、東京に現れたみたいな恐ろしい“物の怪”を前にしたら。きっと自分は、逃げ出したい気持ちでいっぱいになり、恐くて震えているだけしかできないと思っていた。

それが今、こうして巫女装束に包まれ、神起槌矛かむのきを手にしていると。躰の根底から、この地の守護者としての使命感だけが溢れてくる。


手首のMCリングが菫色パープルに光る。

……それに、わたしは一人じゃない…


「楓子ちゃん!!大丈夫!?」

心配そうな引波紫兎の声音が頭に届く。

「紫兎ちゃん、わたしは大丈夫。それより、街が攻撃されて燃えてるの……特0は?」


「大慌てで避難誘導を展開中みたい。ね、どんなヤツ?」


「とにかく真っ黒で、丸くて、恐ろしくでっかいわね。ガスタンク?…それぐらい。感じる妖気も半端なくて、青葉山公園の上に浮いてるの…」


「応援を呼んだから、なんとか持ちこたえて」


「うん、やってみる」



「MF映像…出ます!」

うおっ、と、どよめく司令室内。


特0ヘリからの遠景。

燃える青葉山公園から立ち上る黒煙と、その中に隠れるように浮かぶ真っ黒な球状の浮遊体。


「こいつは、でかいな……」

唸る五郎。


「あそこから攻撃してきたのかしら?」

いちみが呟く。

「鬼魔衆から被害地までの距離は?」


サブモニターに仙台市の3Dマップが投影された。

「約2000メートルです」


「そこまで届くのか…くそっ、迂闊うかつに近づけんな…」

……いったい、どうやって攻撃しているんだ…?

五郎は頭を掻きむしりながら指示を送る。

「とにかく街の避難を優先しろ!」


スクリーンの中で、モヤモヤとほのお立つような黒い球体から、長い突起がニョキニョキと生えてきて。

それが音もなく、ミサイルのように発射された。


「あれか……」


その巨大な黒い槍のようなものが、緩い弧を描きながら市街地の方に飛んで行くのを。

今は黙って指を咥えて、モニタースクリーン越しに見ていることしかできない。

五郎は、「くっ……そ…」と奥歯を噛みしめる。


すると、突然……

空中で花火のような光円がまたたき、黒きミサイルの行く手を阻んだ。


……あれは、御子の防御シールド…

「楓子か?」


「…みたい……ですね…」


「拡大してくれ」


モニタースクリーンが最大限にズームされ、その中央に浮く伊達楓子の姿を捉えた。


そういえば、と五郎は、違和感を覚え。

MFC席を振り返り、そこが空席だと気がついた。

「紫兎は?」


「すぐに飛び出していったわ」


「紫兎ちゃんでしたら、パープルラビット機で仙台に向かって飛んでます」

チーフオペレーターの小日向こひなたが補足する。


「また、あいつ、勝手に……」


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