第13話 PR09 引波五郎


東京の特0司令本部へと帰還するパープルラビットの機内で。


「あー…ほんまついとらん。あのキモい“能面”が現れんかったら、今頃、けむりと二人で夢の国で遊び倒しとるはずじゃったのに…」

と、大和路紅葉。


「新幹線が止まって、紅葉姉さんと静岡駅で降ろされて、途方に暮れとったら、紫兎ちゃんに呼ばれたっちゃ」

これは、由布ノ原けむり。


「でも…二人が、たまたま静岡にいてくれて、とってもラッキーでした」

そして、引波紫兎。


広島と大分の御子がそこにいた理由は、ただの偶然だった。

聞いて、いちみは、心底拍子抜けをした。

てっきり、展開を先読みした紫兎が、あらかじめこの二人を呼んでいたのだと思っていたから。


「舞子ちゃんの見立てでは、あの蟲鬼どもは、“能面”のガソリンだったらしいわ。ほんと、とんでもないわね…」

いちみが知る限り、そんな鬼魔衆は見たことも聞いたこともない。


「また出たら、ウチが滅しちゃるけん」


「次は、滅するのは鬼魔衆だけにして欲しいっちゃ…」

けむりが面白がって、紅葉のキズを深くえぐる。


「……ぅ……ごめん…」


「まあまあ…どのみちあの新幹線は、富士川に沈む運命が決まってたから、紅葉ちゃんは、気にしなくていいのよ」

…どころか、よくぞ滅してくれた、と言いたい。


もちろんその日は、新幹線の運行再開の目処が立っていなかったので、紅葉とけむりは、行くも帰るもできなかった。

広島か大分からSMT194の迎えを寄こしてもよかったのだが。

「何ならわたしの家に泊まります?」と誘う紫兎に。

「わあ、ええんか?」と、二人が飛びついた。



特0司令本部のハンガーに、パープルラビット機がヘリモードで垂直降下をする。


紫兎たちが降りると、腕組みをした五郎が、ムスッ…と不機嫌そうな表情で出迎えていた。

「おかえり」


「ええーと…ただいま…」

「こ…こんばんわ…五郎さん」

「ぉ…おじゃましまーーす」


ここでも、潰した新幹線の件で怒られると思い。

二人の御子は、いちみの背に隠れるようにして申し訳なさそうな顔を覗かせる。


「五郎ちゃん、松本のおじさんに怒られちゃった…とか?」


「まあ…そうでもない。どのみち橋を落としていたら、あの新幹線は潰れていたからな。

MFCは、よくやってくれたって褒めてたよ。お前と御子さんたちにも、ありがとう、だとさ……」


派手にやらかした二人は、ホッとする。


「じゃあ、なんでそんなに怒っているの?」


「お前が急に飛び出して行くからだ。あの現場だってまだ危険かもしれんのに…」


「五郎ちゃんは、心配し過ぎよ。過保護よ。そんなんだから禿げちゃうんだよ」


「…ん…なッ!」

別に、髪が抜けたりしていないのだが、五郎は、つい頭を押さえてしまう。


ククク…と、いちみと二人の御子が噛み笑う。


五郎は「はぁ…」と脱力した嘆息を見せ。

「…で?…そちらのお二人さんは…なぜここに?」


「今夜、ウチに泊まってもらうから、五郎ちゃんは、司令室で泊まってね」


「ちょ!…ちょい待て、紫兎。御子さんと言えども年頃の女の子3人だけだと危険だ。よって、俺も家に帰る」


「大丈夫、おばあちゃんがいるから。五郎ちゃんは、可愛い女子高生JKと話がしたいだけなんでしょ?」


「うっ……」

……そんなことは……ないこともない…


「さっ…行こ行こ…」

紫兎は、紅葉とけむりの背を押し、ハンガーから出て行ってしまった。


いちみがクククッ…とまだ笑う。

「…司令、振られましたね」


「うるへー」



引波家の隣は、年季の入った昔ながらの銭湯だった。

「ハーッ…生き返るっちゃ~」

「ほんましんどい一日じゃったし、ぶち疲れた…」

紅葉とけむりは、広々とした湯槽で、腕も脚も大いに伸ばしてリラックスする。


今日の一連の騒動と閉店間際で他に客はいない。

亀の湯のおばさんは、「ゆっくりどうぞ」といつものように優しい。


「五郎さん、ちょっとへこんでたね」

と、紅葉。


「いいんですよ。あれぐらいの扱いで」

紫兎は、冷たく言い放つ。

よくある思春期の反抗期ってやつだ。


「な?…紫兎ちゃん。訊いてもええかな?」


「どうぞ」


「何で、お父さんじゃなくて、五郎ちゃん、って呼んでるん?」

「それ、けむりも気になっとった」


「んー…何でだろ?…小さい頃からずっと、そう呼んでたし」


「ほな、お母さんは?…何て呼んでるん?」


「五郎ちゃん、独身ですよ」


「ええっ!?…どー言うことなん?」


「養子なの、わたし。んーと、五郎ちゃんの話だと、赤ちゃんの頃、わたしのお母さんは事故で死んじゃって。で、五郎ちゃんがわたしを引き取ったらしくて、おばあちゃんがお母さんみたいなもので……んっ?二人ともどうかした?」


「うう…何か、ごめん。変なこと聞いてしもうたみたいやね…」


「ううん…全然。ふふっ、覚えていないし。五郎ちゃんも、おばあちゃんも優しいし」


「なら、お父さんって呼んだったら、きっと大喜びで朝まで踊り狂うで」


「えー……今さらなのです」


「じゃ、パパでも良いんちゃう?」


「…ぅっ…けむりちゃん、それはやめて……」




「お疲れ様です。お休みにならないのですか?」

二條いちみは、誰もいない薄暗い特0の食堂で、引波五郎を見つけた。


ズズッ…と紙カップの熱いブラックコーヒーを啜りながら。

「疲れてるはずなんだが、何だか妙に目が冴えてな。二條こそ、帰らなくていいのか?」


壁の時計の針は、夜の10時を回っていた。


「何なら、添い寝して差し上げましょうか?」


五郎は口に運んでいたコーヒーを、ブッ!と噴き出した。

「ば…馬鹿…」


「ふふっ、冗談どすえ」


「……っ……たく……」


「ところで司令、紫兎ちゃんのことなんですけど…」

いちみは、五郎の向かいの椅子を引きながら、話しを切り出した。


「ん?…紫兎がどうかしたか?」


「ご心配ですか?」


「そりゃ、な。できればこんな仕事に巻き込みたくなかった」


「司令が巻き込んだわけじゃないと思いますけど。強いて言えば、そうなる運命だった、としか」


「運命か。くそくらえだ。俺はあいつに普通の幸せな生活を送ってもらいたかっただけなんだがな…」


「幸せかどうかは、本人次第やと思いますけど。私には、今の紫兎ちゃんは決して不幸には見えへんですし」


「そうか…なら、いいんだが…」


「でも、たまに寂しそうな目をすることもありますね」


「寂しそう?」


「ええ。何て言うたらええんやろ?…遠くを見つめているような……」


「なら、俺は父親失格だな」


「そうは言うてません。何か自分の居場所を探しているような感じ、の」


「なおさら、父親失格だな」


「……ホンマ、面倒くさい人ですね」


「紫兎の母親は、な……鬼魔衆に殺されたんだ」


「……そ…っ……そう…なんですか…?」

五郎のいきなりの告白に、いちみは次の言葉が見つからなかった。


「ああ。あれは俺がまだ20そこそこの時だった。当時の俺は、情報部の駆け出しでな。まだ鬼魔衆なんて、なーんにも知らんかった。

そんな俺が、とある調査をしていた時に、熊野の山奥で、初めて鬼魔衆なるものに遭遇した……」


ーーうわあぁぁぁ、

何だこの化物は!?逃げろ!逃げろ!ーー


「…角の生えたデカイ百足ムカデのような鬼魔衆に、同僚たちは、次々に血にまみれて倒れていった。仲間が食われている間に、俺は必死に逃げ出した。

月明かりだけを頼りに、道なき山道のどこをどう走ったのか、全く覚えていなかったが、とにかく息の続く限り走り続けた……」


…ふぅ…と、ひと息入れ、五郎は、コーヒーを一口啜った。


「……かなり離れたと思ったんだがな。ヤツはしっかりと俺を追ってきていやがった。もうダメだと覚悟した時に現れたんだ…御子が…」


「御子?」


「そう、御子だ。もちろんその時は、あれが御子だなんて知らなかったが。今なら分かる、あれは御子だった…」


五郎は、その場面を思い起こしているようで。

虚空を見つめるような双眸そうぼうで語り続ける。


「…俺は、腰を抜かして木に背を預けていた。御子が化け物を浄化するのを、まるで悪夢でも見ているように茫然と眺めていただけだった。…あれは…女神様に見えたなぁ、ははっ……」


「それで?」


「…化け物は消えていた。ところが、御子が急に倒れたんだ。俺は、這うようにして恐る恐る、その御子に近づいた…」


今でも、瞼を閉じたその裏にまざまざと蘇る。

月明かりだけしかない樹々深い山中ですら、その白く透き通るような頬肌の、その御子の儚くも美しい顔立ちが。


「…何て声を掛けたのかは、まるで覚えいない。ただ…その御子の、命の灯が消えかけていることだけが分かった…」


「………………」


「…息も絶え絶え、俺の手を取り、あの子を頼みます、と言う。見ると、布に包まれた赤ん坊が木の根元に置いてあった。

……正直、訳が分からないことだらけだった。訊きたいことも山ほどあった。

だがな…御子に目を戻すと、もう、眠るように死んでいた。

知らぬところで深手を負っていたのかもしれんが、その時は検分している余裕などなかったよ。

俺は、また走り出した。赤ん坊を抱え。とにかく、あんな恐ろしい場所から一刻も早く離れたかった。

運良く道路に出て、運良く車が通りかかった。で…生き延びた」


「その赤ちゃんが?」


「そう……紫兎だ…」


「施設に預けようとは、思わんかったんですね」


「もちろん思ったさ。色々と調べもした。該当しそうな赤ん坊の行方不明の届けと照合したり。でも梨のつぶてだった。まるで手掛かりなし……」


五郎は、紙カップの中で冷えていくコーヒーを飲み干した。


「…で、数日後、仲間の死体、というかバラバラになった白骨とボロボロに引き裂かれた衣服だけが発見された。御子は消えていた。

誰も俺の話を信じなかった。

事件は雲の上でうやむやにされ、というかこの事件ファイルそのものがどこかへ消えてしまった。その理由は、今なら分かるが……

当時の俺は精神鑑定を受けさせられ、そして他の部署へ飛ばされた。まあ……よくある話しだ……」


「そんなことがあったんですね…」


「で…手放せなくなった」


「は?」


「紫兎のことさ。可愛くてな……

そんな散々な目に遭って、頭のおかしな奴だと白い目で見られ、周りからドン引かれ、棄っぱちになりそうだった俺を、無邪気な笑顔一つで救ってくれた。

だから…養子として引き取った」


五郎は、目を閉じ、そのクリクリとした可愛い瞳を瞼の裏に映した。


「……名前は、司令がつけはったんですか?」


「ああ。兎をモチーフにしたような紫色のコインみたいな石を、小ちゃな手で握っていたんだ。

ほら…紫兎が首からぶら下げているやつ」


「ああ、アレですか?…十円玉ぐらいの」

しちみが指で丸を作る。


「色味は違うが、あれも煌河石こうがせきなんだと思う。あの石は、その時、紫兎の傍らに袋詰めされていたのを一緒に持ち帰ったものだ。

その夜は月夜で、光る煌河石で足元を照らしてたのを覚えているよ。なぜ、とか、何か、を考える余裕は、なかった。使える物は、使え、だ。

それに、あの石を夜泣きする紫兎の枕元に置くと、スヤスヤとよく寝てくれた」


「そうですか…」


「それと、その袋には、煌河石の他に丸い御盆おぼんのようなものが入っていた」


「お盆?」


「ああ、たぶんそれも煌河石だろう……ちょうどコーヒーショップで使っていそうな丸いトレーの大きさで。

裏側なんか顔が映り込むほどツルツルで、幾何学的な透かし模様が入ってる。縁取りも綺麗な装飾で……そうそう、その装飾にも兎のモチーフが入ってたな…」


「…その“お盆”は今どこに?」


「大きさも手頃で、軽いし、見るからに御盆だから。家で御盆として使ってる」


「今度見せてもらってもいいでしょうか?そのお盆」


「ああ、構わんが」



その頃、引波家。

紫兎と御子たちが夕食、いや夜食を囲んでいた。

「いっただきまーす」

「はいはい、沢山お食べ」

「おばあちゃんありがとう」

「そのお盆、オシャレやね」

「なんと煌河石よ」

「へー…すごい」



二條いちみは、訊いてみた。

「ところで…その消えた御子が、本当に紫兎ちゃんの母親だったのでしょうか?」


「それな…、そうかもしれんし、違うかもしれん。結局、本当のところは何も分からずじまいさ。

まあ…すくすくと怪我もなく、元気に育ってくれて良かったよ。学校の成績も良いし。俺には、でき過ぎた娘だ」


「頭の回転の早さもですが、それより、あの直感力には驚かされますね」


「まあ…そうだな」


「司令……」


「ん?」


「もし…もしも、ですけど。紫兎ちゃんが御子として覚醒したとしたら。やはり…ツライですか?」


「ああ、つらいな。でも、二條の言おうとしてることは何となく分かる……」


「なら、今は何も言いません」

いちみは、ふーーっ…と長い嘆息を放り出す。

「今日はホンマに疲れました。司令も早う休んだ方がええですよ」

と席を立ちながら。


「あれ?…添い寝してくれるんじゃなかったのか?」


「それ。司令から言うと、セクハラになります」

いちみは、クク…と意地悪な笑みを見せ。


「はいはい…お疲れさん」

五郎は、犬でも追い払うようにぞんざいに手を振った。



コッ…コッ…と、パンプスヒールの硬い踏み音が反響する通路を歩きながら、いちみは考える。


御子は、血筋から覚醒するケースが多い。

京都五家、出雲は既知だが、他にも、神薙舞子や小夜山みかんの祖母、神津珊瑚の母は元御子だったとの調査報告もある。

引波五郎を救った御子が、本当に母親であれば、つまり、引波紫兎がこの先、御子として覚醒する可能性はかなり高い。


……でも……何か、違う……

そんな違和感を覚えながら、いちみのヒールの音は、深夜のエントランスロビーを抜けていく。

「お疲れ様」と思案顔のまま、特0の立哨警備員に声をかけた。

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