第12話 PR08 大和路紅葉
「
引波紫兎が、それだけ伝えると。
「おお、任せんかいな。と…言いたいところやけど。みかんの“アレ”を喰らって、まだ浄化されんとは、ぶち恐ろしかぁ……じゃけん…」
「紅葉姉さん、来るっちゃよ!」
「けむり、シールド頼む!」
「了解っちゃ!」
そして自らは、その後ろで、まるでキャッチャーがミットを構えるように両の手を突き出し、腰を落とした。
けむりの全身から魔光の粒子が、ブワッ…と立ち昇る。
「おいおい、お前ら何をする気だ……まさか……」
引波五郎は、嫌な予感しかしない。
そして大和路紅葉は、線路上を突進してくる“能面”新幹線に対して半身に構え、イチローのように片手を前に出すと。
続いて、大きく足を開いたスタンスをとり、両の手で握り締めた
「さあ、来んしゃい。ウチの
紅葉の全身からも、魔光の粒子が、ブワッ…と朧立つ。
「なっ!…あいつら、正面で止める気か?…無茶だ……死ぬぞ……」
五郎は、MFC席に振り返ったが。
紫兎は、コンソールに両の肘をついたまま、祈るように静かに瞼を閉じてるだけだった。
紅葉が
…3…2…
コンソールの上に、オブジェのように置いてあった
時速200キロで、弾丸のように迫る“能面”新幹線。
「紅葉さん!!今です!」
!!…
「しゃぁ!…必殺の…一撃じゃけぇぇぇぇぇーー!!!」
紅葉が腰の入ったダウンスイングで
ドン…ッ!!!!!
ドンピシャのタイミングで能面にヒット。
「「ぐっ!!」」
受けた衝撃で、紅葉の足元の地面が、重力で押し潰されたようにズンッ…!と沈み込む。
まるで20トン
そんな爆心地さながらの衝撃波が、地鳴りのようなうねりを伴い、付近一帯に同心円状に広がっていく。
3キロ離れて防衛ラインを引いていたバックアップ部隊の陣営にまで、ビリビリと震える大気が大波のように押し寄せてきた。
「うぁ…!」
隊員たちが身を
空中で旋回していたSMT914ですら、その波動に
「なっ!!……ん……だ……」
望遠の双眼鏡を覗き込んでいた特0隊員が息を呑む。
静岡の御子が放った大技も、思わず声をあげるほどに凄まじかったが。
たった今、線路上で二人の御子がしていることは、人の想像を遥かに超えていた。
200km/hが一瞬で
車両が岸壁にノーブレーキでぶち当たったようなもので、そこにどれほどの荷重がかかるのか計り知れない。
……それを……
それを、たった一人の少女が、バットスイングのように振り出した大きな
行き場を失くした“能面”新幹線は、車両と車両の連結部でジグザグに潰れ出し、線路から浮いた車輪が、火花を散らして金属の悲鳴を上げる。
軽量アルミ合金の車体が、薄紙のように
それら無数のもろもろの破片が小さな凶器となって2人の御子に襲いかかり、けむりが張る
想像を絶するインパクトに。
紅葉たちは、その体勢のまま、ズズッ…と後ろに
ギリギリッ…と奥歯を
……くぅぅぅっ……足場が持たん……
じゃけん!!ここで引いたら、ウチもけむりも月まで吹き飛ばされるけんね……
グッ…と腰を入れ直し、衝撃に耐える大和路紅葉。
「んんんのおおおおおぉぉぉぉぉーーー」
キャッチャースタイルで、紅葉の体ごと支える由布ノ原けむり。
「んんん、くううぅぅぅぅー…きっつぅぅーー」
「ノノちゃん!乙葉ちゃん!…後ろです!撃って!!浮かせて!!」
突然、紫兎がコンソールから立ち上がり叫んだ。
その声に、ハッ…と反応した
「乙葉ちゃん!」
「は…はい!」
遅れて反応した
僅かな時間差で放たれた二条の魔光弾が、浮き暴れていた最後尾車両と線路の間で弾け。
行き場を失っていた新幹線の後方が、海老反るように大きく浮き上がり始めた。
「もっと!…もっとです!撃って!」
紫兎の声に応えるように、立て続けに光を放つ埜乃と乙葉。
すると…先頭車両にかかる荷重が分散され……
……よっしゃ!!これなら……
その全身全霊のフルパワー。
「消えろ!!斬ッ拔ッ!!」
それをゼロ距離でまともに喰らった蒼白能面は、蒸発するように黒塵となって吹き飛んだ。
……ふひ…ひ…ぃ……
その断末魔まで
勢いのついた新幹線の浮上は止まらず。紅葉が潰した先頭車両を支点に、ついには弧を描き始めた。
そして、まるで観覧車のように丸くなりながら、その最後尾車両は、紅葉たちの頭上を通り越していく。
背後でズン…と鈍い着底音がすると、富士川の田園地帯に巨大なアーチ状のオブジェが出来上がった。
……ぅぁ……
その光景を目撃した誰もが皆、言葉を失った。
一体誰が想像できただろう、線路上で裏返しになって、虹のようなアーチを描く新幹線の姿を…
京都の鴨宮あずきも、その
「…ク……ククク……」
そして笑った。
ハァ……ハァ……ハァ……
「……どんな……もんじゃい……」
持てる全ての魔力をこの一撃に賭けた紅葉は、片膝をつき、その場にへたり込んだ。
その後ろで同じく、尻もちをついたようにへたり込んでいたけむりだったが、ヨロヨロと紅葉に近寄り。
「紅葉姉さん……大丈夫?」
「…腹減ったし…富士の焼きそばは、ぶち美味しいらしい…」
ギシギシ…と金属が擦れるような頭上の音を見上げる。
「…ぁわわ…紅葉姉さん、えらいことになっとるっちゃ……上……」
「ん?…上?」と紅葉も空を仰ぐ。
「なんじゃ、こりゃ……」
虹のように半弧を描いていた新幹線は、ギシギシと音を立てながら絶妙なバランスを保っていたが。
ついには自らを支えきれなくなり、ユラッ…と横倒しを始めた。
「ヤバイッちゃ!」
慌てたけむりは、底力で紅葉の肩を担ぎ上げ、空に飛び上がった。
ことの顛末を見届ける御子たちの足下で、田畑に叩きつけられた新幹線が、ズウウン…と重い音を轟かせ、土埃を舞い上げた。
シ…ン……と静まり返っていた特0指令室。
電子機器類の静かな
「…す……ごい……」
やっと二條いちみが呟くと、
「うおおおおぉぉぉっ……やったーー」
引波五郎は、頭の後ろをポリポリと掻きながら、微妙な嘆息を落とす。
「はぁー……これなら橋を落とした方が良かったんじゃないか?」
「…いえ、ここで食い止めたのは正解やと思います。富士川付近は市街地でしたし、あんなごっつい妖力を持った
富士川バックアップ部隊の隊員たちは、6つのカラフルな巫女装束が抱き合って歓喜に踊る姿を、双眼鏡の望遠レンズを通して覗いていた。
「なあ…俺たち、ひょっとして夢でも見てるのか?」
「…かもな…でも、これは悪くない夢だ…」
「富士川A地点からG地点まで、穢れ反応ありません」
特0司令室のオペレーターの
「そうか……みんなご苦労様、よくやってくれた。後の処理は各機関と連絡を……」
そこまで言いかけて、引波五郎は、振り返った。
席を立った紫兎が、コソコソと忍び足でドアに向かうところで。
「おい、紫兎!…どこへ?」
「おっと…五郎ちゃん、後はよろしく。MFC代表、引波紫兎は、ただ今より現場検証に行って参ります。ではでは…」
おどけた敬礼をひとつ見せ。
紫兎は、逃げ跳ねるように指令室から飛び出して行った。
「あっ、紫兎!…コラ、待て!……くっそ…逃げ足がいつも速い」
苦味を潰したような顔の五郎の横で、二條いちみは、ククッ…と笑いをこらえていた。
公安部特務0課司令本部の空挺ハンガーは、SMT914の垂直離陸に対応して、円筒形の吹き抜けだ。
離着陸時には、高天井のドームが二つに割れ開く。
SMT914のツインティルトローターは、すでに暖気運転を終えていた。
その開口扉にピョンと乗り込む紫兎。
「行けますか?」
「ぉっ紫兎ちゃん、どちらへ?」
ちょうど機内の計器類をチェックしていた操縦士が振り向く。
「富士川までお願いしまーす」
引波紫兎専用機は、通称パープルラビット。
機体低側面には、特務0課の文字と紫色の
それは、紫兎が首から下げているペンダントと同じデザインだった。
「紫兎ちゃん、待って!…私も行くわ!」
二條いちみが、後ろから追いかけてきた。
水平飛行を始めたパープルラビットの機内で、いちみが紫兎の顔をジッと覗き込む。
「ん?何?…しちみさん」
「あれ?…見間違いかな…」
「ん?」
「さっきね、紫兎ちゃんの目が赤かったの」
「そう?…目、強く擦っちゃったのかな?」
「…………」
そんな感じじゃなかった。
あれは、瞳だけが
紫兎が埜乃たちに、撃て!、と叫んだ時だった。
皆がモニタースクリーンに集中していた中で、たまたま、いちみだけが気がついた。
御子は変身すると、髪の長さが変わったり、瞳の色が変わったりもする。
……ひょっとして……でも……
気になりながらも、いちみは、能面の鬼魔衆の話題に切り替えた。
「紫兎ちゃん。“アレ“は、いったい何だったの?」
「うーん…まだ分からないですね。でも、出雲のちひろちゃんの話だと、大昔、神様の時代の鬼魔衆なんじゃないかって」
「日本神話?…なんでそんなモノが今頃…」
「さあ……」
「“アレ”が、前に紫兎ちゃんが言ってた、近い将来に訪れる危機?」
「…の始まりかも」
「始まり?」
「はい。なんか最近、特に感じるんです」
「穢れの強さを?」
元御子のいちみも、そのあたりには敏感な方だった。
「っていうより……“ほころび”、かな?」
「綻び?…何の?」
「さあ…そこまでは……」
「…そう……まあ、とにかく、忙しくなりそうね」
西からの斜陽は、まだまだ夏の色を濃く残している。富士川の現場では、汗かく軍用服の隊員たちが、自後処理で忙しそうに走り回っていた。
そんな中で、異様に華やかで浮いている一角は、御子たち。田んぼ脇の草っ原の上で、激しく消耗した様子でへたり込んでいた。
「あー…お腹空いたっちゃ…」
「みかん、もう動けにゃい」
特0の静岡支部の部隊長がやって来た。
「みかん様、と御子の皆様、お疲れ様でした。“補給”の準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
そうして急ごしらえの野外テントへと。
「何か…いい匂いが…」
「ほんまや、ヨダレが止まらん」
そこで地元静岡の特産物を使った料理の大皿が並ぶのを見て「わあっ…」と目を輝かせる御子たち。
「きゃー、すっごい、ご馳走」
「地元のご好意で集まりました。魚介類は遠州灘で獲れた新鮮なものばかりです。刺身もいいですが、焼いたり揚げたりしても旨いですよ」
「おおお…」と御子たちは、込み上げる唾液をゴクリと飲み下し、嬉しそうに唸る。
「どうぞお召し上がりください」と促されたのだが。
「あっ…でも、その前に……」
安曇埜乃が冷静に皆を制す。
「みかんちゃん、お願い」
「そうだった…お祈りが先だにゃ」
御子たちが神妙な顔つきで背筋を伸ばして一列に横並ぶと、小夜山みかんが一歩前に出た。
「おい、始まるぞ…」
忙しそうに動き回っていた隊員たちが手を、足を止め、並ぶ御子たちに静かに向き直った。
特0の新人隊員は、訳が分からず隣の先輩隊員に尋ねる。
「何が始まるのですか?」
「シッ……いいから黙って見てろ」
地元静岡の御子、小夜山みかんが開口する。
「皆様、本日の御霊の浄化活動にお手伝い頂きましてありがとうございました。でも、東京では、たくさんの尊い犠牲があったとも聞き及んでおります。お救いできなかったことをお赦し下さい…」
沈痛な表情で深々と、頭を垂れるみかんに合わせて、他の御子たちも礼拝を示す。
「…願わくば、かの御霊たちに高天原のご加護がありますようにと、お祈りさせて頂きます…では……」
御子たちが、一礼二拍手を打ち、声を揃えての
「
…舞伏しつつも拝みも奉らくと白す…
畏み…畏み申す」
周りの隊員たちが、御子に合わせて黙祷を捧げるのを見て、新人隊員も慌てて真似をする。
犠牲者がなかったとしても、たとえ厄災をなす鬼魔衆だとしても、それを浄化した後は、その御魂の
黙祷から直ったまつりが続ける。
「かのような御供物を頂きまして誠にありがとうございます」
「ありがたく頂戴いたします」と他の御子たちも揃って感謝の礼を捧げる。
静岡の部隊長が「さあ、どうぞ」と促した。
「…っと…その前に一言よかですか?」
大和路紅葉がおずおずと手を上げた。
「はい、なんでしょう?」
「…あの…色々と壊してしまって、ごめんなさい……」
申し訳なさそうに俯く紅葉。
隊員たちは、つい、無残に破壊されてそり返った新幹線の方向に視線を投げた。
……壊した、と言うより、崩壊レベルなのだが……
静岡支部長が笑い飛ばす。
「ははっ、そんなことは気に病むことはないですって。あんなもん、また作ればいいんですから」
乙葉が割って入る。
「紅葉ちゃんの馬鹿力、とんでもないじゃんね」
「馬鹿力、言うなっ!」
カァ…と、紅葉は、その名に負けない赤面を見せる。
ハハハッ…と周囲が笑いに包まれる。
新人隊員は思った。
こんな無邪気な笑顔を見せる御子さんたちが、つい先ほどまで、あんなに恐ろしい“物の怪”と、激しい戦いを繰り広げていたなんて信じられない。
でも…
こうして向き合ってみると、普通の女の子にしか見えない。
謙虚で素直で、そして、可愛いらしい。
そして…
この御子さんたちとなら、俺も命をかけて戦える…
そんな若気の気概が込み上げてくる中で、一気に御子の魅力に虜にされてしまったのを認める。
そうして、お腹が満たされ始めた頃、御子たちが揃って、薄桃紫に染まり始めた空を見上げる。
上空からSMT914のツインモーター音が降りてきた。
「…あ…紫兎ちゃんだ…」
周囲にいた隊員たちも、同じように空を仰いだ。
……あれは……パープルラビット機だ……
MFC代表、引波紫兎専用機。
着陸したSMT914から1人の女性と1人の女の子が降りてきて、出迎えた隊幹部たちが敬礼を見せる。
その様子を遠巻きに眺めながら、隊員たちは、ヒソヒソと小声を寄せる。
「あれがMFCの引波紫兎か…若いな…」
「さすが、雰囲気あるなぁ。しかも、凄え美人じゃん」
全国の御子を取り纏めるMFCの代表者は、どの組織にも属していないが故に、滅多に表舞台に出ることがないと聞く。
一兵卒の隊員たちの間で、どんな人物なのだろう、と噂が絶えなかった。
黒いパンツスーツに白いブラウス。後ろ髪を高めに束ね、颯爽と歩く二條いちみを、彼らは、勝手にMFC代表と思い込んだ。
「後ろの女の子は?」
「さあ?どこかの御子さんかな?…見たことないけど、可愛いな」
瞳がクリクリと大きく。横跳ねしたショートカットのセーラー服。
すると、その少女がいきなり、トットットッ…と跳ねるような足取りで、ヒソヒソ話しをしていた隊員たちに向かってきた。
「こんにちは。可愛いって言ってくれてありがと」
「うわあっ!」と、隊員たちは飛び跳ねる勢いで驚いた。
…聞こえていたのか…「…ぇぇっと……」
ばつの悪そうな顔を並べていると。
「ところで、お兄さんたちは、あの御子さんたちの中で誰推しなのですか?」
逆に、少女がヒソヒソ声で尋ねてくる。
「えっ?それは……」
意表を突かれて戸惑った。
「…ぁ…あの…失礼ですが、どちらかの御子様ですか?」
迂闊に答えないように警戒する。
「わたしは、御子さんじゃないですよ。ただのお手伝いです。だ、か、ら……大丈夫ですよ、誰にも言わないですから」
そんな無邪気な雰囲気に、ついガードを緩めてしまった若い隊員が。
「そ…そうだなぁ…あのピンクの子かなぁ、山梨の御子さんだっけ?」
「ふむふむ」
すると、他の隊員もこの話題に乗ってきた。
「…俺……長野の御子様がめっちゃタイプなんだけど…」
こういう話題は、男同士では欠かせないものだ。
コソコソと輪になっていると、いつの間にやら近づいてきていた紅葉が、後ろからヒョイと覗き込む。
「何しとるん?」
「うわわ…!」
慌てた隊員たちが後退る。
「ん?…ちょっと、情報収集」
紫兎は、悪戯っ子のようにペロ…と舌を出す。
「みかんが全部平らげてしまいそうな勢いじゃけん。紫兎ちゃんも早よ来んと、なくなってしまうよ」
そう言う紅葉もモグモグと、富士焼きそばが山盛りのお皿を片手に持つ。
…ぇっ!?…今何て…?…紫兎ちゃん…??
隊員たちが青褪める。
「うん、今行く」
そして、いきなり敬礼。
「隊員の皆さん、御霊浄化のご支援ありがとうございました。ふふっ…じゃあね」
……うぇぇ……マジか……
その女の子がMFC代表と知り、隊員たちは固まったまま、その華奢な背を唖然と見送っていた。
特0部隊との報告ミーティングを終えた二條いちみが、特設テントを覗き込む。
「みんな、お疲れ様」
「いちみさんもどうですか?安倍川餅」
安曇埜乃がお皿を差し出す。
「ありがと、戴くわ。美味しそう」
ふと、紫兎の姿が見えないことに気づき。「あれ?…紫兎ちゃんは?」
「紫兎ちゃんなら、“新幹線だったモノ”を見に行ってると思いますけど…」
西空を茜色に染めながら、夏の陽が富士の裾野に隠れ始めていた。
引波紫兎は、歪に横たわる新幹線を、線路上から眺め見てから、手を合わせて黙祷を捧げていた。
どこからか摘んできたのだろう。
その足元には、名も知らない野草の花の束が、そよそよと、遠州灘からの海風に吹かれていた。
「現場検証なんて嘘なの」
黙祷から直った紫兎は、遠く
背後の二條いちみに、そう告白する。
「嘘?」
「うん。こうして手を合わせたかっただけ…」
「そうね…」
歩み寄ったいちみも、紫兎と肩を並べて手を合わせる。
「救えなくって、ごめんなさい……って……」
紫兎は、震える声で。
その瞳から溢れた涙粒が、ッー…と頬を滑り落ち。
夏茜の斜陽に照らされ、一条の光となって反射する。
どこか遠くで、ツクツクボウシたちが、その生命の限りを尽くして
「…でも…それは紫兎ちゃんのせいじゃないわ」
「分かります……でも…だからこそ、ここに来たかったのだと思います。この光景を、わたしは、忘れません…」
亡骸も血糊も、骨すらもない。
でも、そこに確かにあった数百にも及ぶ魂たちが、迷わず天に導かれることを祈って。
「そうね…」
いちみは、それだけ言うと。
横で、夏蝉にも負けずに泣きじゃくり始めた紫兎の小さな頭を、そっと抱き寄せた。
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