第6話 PR03 緋越彩乃


北方より、東京駅上空に近づく1つの機影。


角度可変ティルト回転翼軸ローターを持ち、ヘリコプターの垂直飛行と固定翼機の水平飛行を可能とした、最新鋭の輸送航空機SMT914。

主に運ぶのは物資や人。


今この機は“特0部隊ユニット”と“御子”を運んでいる。


最大航続距離997km。

沖縄を除く日本の半分を無給油でカバーできる性能を誇る。

最高速度は水平飛行時で585km/h。

東京から京都まで約1時間。映画をゆっくり鑑賞する時間もない。

そして、ヘリモード時の最高速度は202km/h。


このSMT914が、ヘリモードで埼玉県大宮市を飛び立ったのは、ほんの10分前だった。

機体側面と底面に日の丸と特務0課の文字。

所属を示す埼玉県章の赤いマーク。

そして、緋色の狼のロゴデザインが大きく誇示されていた。

この機の通称は、緋色狼の牙スカーレットファング


特務0課から応援要請を受けた埼玉の御子、緋越ひごえ彩乃あやのは、機内で愚痴をこぼしていた。


「んーもうッ!暑っい!何でエアコンが付いてないのかなぁ」


運悪く横に居合わせた特務0課戦闘服の若い隊員が、彩乃をなだめる相手をする。

「ははっ、彩乃様、仕方ないですよ。軍用機ですから」


「夏休みよ」

彩乃は17歳の高校2年生。


「…ええっと…そうですね」


「冷房の効いた家で、アイスを食べながらゴロゴロするのが最高なの」


わがままで面倒くさがりの彩乃が言いそうなセリフだったので、隊員は、ぷっ、と軽く吹いた。


「何よ…」と彩乃がめつける。


睨んでも才色兼備の美人である。

隊員はその視線に内心ドキッとした。


「…ぅっ…ま…まあ、それも仕方ないですよ。緊急応援要請を受けたのですから。神奈川と千葉からも来るらしいですよ」


大袈裟おおげさよね。ねえ知ってる?…東京だけで3人も御子がいて、しかも、2人はかなりの手練てだれなのよ。

そこにさらに近隣3県の応援がいるほどの鬼魔衆きまのすなんて、聞いたことがないわ。着いたら終わってるんじゃない?」


「んー…そう言われましても」


「まあいっか。ここで東京組に貸しを作っておくのも悪くないかもね。夏休み中は埼玉もカバーしてもらおっと。で、わたしは、残り少ない夏休みを満喫するの。どう?」


「どう?って……ダメですよ彩乃様。きちんと埼玉の御子としての責務を果たして……」


「……んっ?…」と彩乃が片手を上げ、隊員の言葉をさえぎった。

「…前言撤回するわ。とんでもないかも…こいつは……」


尋常じゃない妖気が彩乃の脳髄を鷲掴みにした。

ゾクゾクする悪寒を、首の後ろに感じながら、彩乃は眉根を寄せた。


「…どうしました?」


隊員をスルーし、安全ベルトを外した彩乃は、機体側面扉のロックを勝手に解除。


「…ちょ……彩乃様、危ないですよ」


「大丈夫よ…」

大気解放された扉から機内に流れ込む強風に乱れる肩までショートの髪。

それを片手で押さえながら、彩乃は、地上を見下ろした。


ちょうど高度を下げ始めた機体が、東京駅の丸の内側からアプローチしていた。


「…見て……すごいことになってる」


物々しい緊急車両の赤色灯レッド ライトが明滅する中で、まるで水を掛けられた蟻の大群のように、黒塗りの群衆が右往左往に逃げ惑っていた。


「…大混乱カオスですね……」


「でも、きっとあの3分の1は埼玉県民よ」


「ははっ、そうかも…」


「……ねえ……あれは何?」


隊員は、彩乃の横顔からその視線の先を追った。

「うわッ!」


東京駅の一部に掛かる禍々しい暗雲と、きのこ雲のように立ち昇る土埃つちぼこりの柱。

そこから上空に向かってうねうねとうごめき伸びているのは、あり得ないほどの長さと太さの鞭状の物体。


…アレが鬼魔衆きまのす?…ほとんど怪物モンスターじゃない…


さらに…

あれは?…と彩乃は、双眸そうぼうすがめる。


小さな人影がひとつ。

空をヒラヒラと蝶のように舞いながら、その二本の鞭怪物とたわむれているようにも見えた。


追う鞭。逃げる御子。


……舞子ちゃん!?…たった一人で無茶よ…

急がなきゃ……


緋色スカーレットレッドに光る煌河石こうがせきリングに声を乗せる。

「彩乃よ…鬼魔衆ターゲットを視認。状況は?」


「彩乃ちゃん。舞子ちゃんを手伝ってあげて」

直ぐに、司令室からそう返ってきた。


「ここでいいわ、止めて」

彩乃が隊員に告げる。

「了解」と受けた隊員は、インカムを通じて操縦士パイロットに指示を送る。


スカーレットファング機は、ヘリモードのままホバリングに。


「彩乃様、お気をつけて!」


「いい?…危ないからアイツから離れているのよ」

ウインクを投げ打ち、彩乃はいきなり、スカイダイビングでもするかのように、背から機外にその身を放り出す。


「えええっ?!あっ!……ちょ……ちょっと!」

隊員が慌てたのは、彩乃がまだ“御子”になっていなかったからで。


背から大の字で落下しながら、制服の女子高生JKは、機外に半身を乗り出す隊員に向けてVサインと笑顔を投げる。


かしこみ…畏み申す!」

すると…

パァ…と彩乃が発光し、緋色の髪に変わる。


難なく御子姿に変身した彩乃が、駅に向かってすっ飛んでいくのを見送って。

隊員は、フーーーッ…と安堵の息を吐く。


その一連の様子に、操縦桿を握っていた隊員は、「ハハハ…」と声高らかに笑う。

「相変わらず、うちの御子さんは面白いねぇ。やる気があるのかないのか……さて、うちの結界師さんたちを下ろす場所を探すとするか…」


緋色狼スカーレットファング機は、高度を下げていった。



……これ以上壊されたら大変だわ……


舞子は滑空飛行しながら、すでに半壊したホームを見下ろしていた。

駅の周りには高層ビルが建ち並ぶ。

あの破壊力でぎ倒されでもしたら、とんでもないことになる。


節触手を持つ鬼魔衆キノマスの全容は、未だ黒霧で覆われていてよく分からない。

が、やはり、その生え際は先頭車両のようだった。


節触手はクネクネと自在に曲がって、伸びたり縮んだりで、予測出来ない動きを見せていた。

まるでナマズの髭みたい、とも思った。


あの時、先頭車両から舞子のいた位置まで、ざっと100mはあったはず。

恐らくは、舞子がその射程範囲に入ったから攻撃を仕掛けてきたと思われる。


煌河石のリングが菫色パープルに光る。

「舞子ちゃん、どう?…引きつけられそう?」

節触手からの距離を測りながら、舞子は車両の前方に迂回する。

「ねえ、紫兎しとちゃん。あれは一体何?…鬼魔衆だよね?」

…だって、あんなの見たことがない……


「間違いなく鬼魔衆です。来ます!」

節触手が、飛ぶ舞子を追いかけ始めた。

……そうそう、こっちよ……

「さて…しばらくわたしと遊んでもらうわよ……」


攻撃モードに入ったらしい変幻自在の2本の節触手が、鞭のようにしなりながら、高速で舞子に向かって伸びてくる。

注意を引きつけるため、ひらひらと蝶のように舞いながらそれをかわし、今できる救助の時間を稼ぐ。

唸る風圧に圧倒されそうになりながら、隙をみて浄化の閃光弾を小出しに放ってみるが、これがなかなか当たらない。

周りの高層ビルに被害が出ないよう、逃げるコースやポジショニングも限定されてくるので、避けるだけでもかなりの神経をすり減らす。


…と……

……3本目!!

突然に、黒い霧の中から別の節触手が、長槍のように伸びてきて、舞子を突き狙う。

…クッ……!

身を翻して、かろうじてそれをかわすが。

その鋭利な爪の先端が、ザクッ…と巫女装束の袖を引き裂いた。


……ズルい、もう一本あったのね……

!!っと……


息継ぐ間もなく、もともと見えていた2本の節触手が続けざまに舞子に襲いかかる。

が、その動きを読んでいた舞子は、これもアクロバティックにいなす。


休ませない、とばかりに、次々と3本の節触手が舞子を叩き落とそうと執拗に襲ってくるのだから大変だ。


「くぅっ!……しつこいわね…」


流石に一度に3本相手はきつい。

もう反撃どころではなく、かわすだけでも一杯一杯になる。


……でも…それでいい。

今はとにかく時間を稼がなきゃ……



東京駅周辺の大パニックは不思議と治まりつつあった。

その切っ掛けは、誰かが空を飛ぶ人の姿に気づいたからで。

「お…おい……あれ、何だ?」

最初は大きな翠玉色エメラルドグリーンの鳥にも見えた。

「…人…?…が……」……空を飛んでる!!


連鎖で、皆が上空を見上げ始め、その光景に唖然としながら足を止めだした。

「御子?……あれが?…」

騒然とした中で、その言葉が波紋のように広がっていく。


空中をひらひらと逃げ回る一人の少女と、それを執拗に追い回す物の怪の白い節触手。

人々は、その攻防戦を地上から見上げ、高層ビルの窓から見下ろす。

「おい、アレが御子だってよ……」

「マジか…凄い……」

でも……と人々は思った。

その光景は、例えるなら、巨象の鼻に無謀な戦いを挑む、ひとひらの蝶。

……無理ゲーだろ……

あんな怪物にかなうわけがない。

すぐに叩き落とされて踏みつぶされるのがオチだ、と。


それでも人々は、恐怖に逃げ惑うことをひと時忘れ、その場で足を止めていた。

やかましく避難誘導を促していた警察や自衛隊の拡声器からの声も、いつの間にかんでいた。

そう、彼らもその時ばかりは職務を忘れ。

群衆と同じく空を見上げ、息を呑みながら御子と鬼魔衆の戦いを見守り始めていた。


3本目の節触手が出現し、ざわめく。

一瞬貫かれたように見えて青褪あおざめたが、それをギリギリで躱した御子に、群衆は、「オオオッ…」とどよめく。

落とされそうでなかなか落とされない御子に、人々は知らず知らず、拳を堅く握りしめていた。


「…なあ、いっそ、ヘリとか戦車とかで攻撃できないのかよ?、あれ……」

ある男が、たまたま横にいた自衛隊員に話しかけた。


「…聞いてませんか?我々の銃火器はほとんど鬼魔衆やつらに効かないです」


「…ああ…そう言えば、そんなこと言ってたな。でも、それって本当なんだ」


「はい。結界師もいますが、あくまでサポートで、今のところ御子だけが唯一対抗できる手段と、我々も聞いてます」


「……でもなぁ、あんな怪物でかぶつにどーやって?」


「御子は浄化の光で鬼魔衆を攻撃できるらしいです。ほら、さっきまで時々光ってたでしょ…きっとアレのことです」


「…ぁぁ…そう言えば…」


「…でも……」

自衛隊員の先の言葉を聞かずとも、男は察した。

あんな豆鉄砲のような攻撃しかできないのなら、まず勝ち目は無い。


無理ゲーだろ?と思いながらも、誰もその場から動こうとしない。

人々は、この戦いの行く末をその目で見届けようとしていた。

希望か……絶望か……


その刹那。

「ああっ!!」と誰もが思わず声を上げた。

さらに増えた触手が、翠玉色エメラルドグリーンの御子に襲いかかる。


!!…4本!!…って……

「くっ!……ぅぅ……ぅ……」

咄嗟にひるがえった舞子の黒髪がパラパラと宙に散った。

それほどのギリギリだった。

バランスを崩しながらも舞子は、それを神起双槍かむのきで受け流し、これも躱す。


……いったい何本あるの…??……


獲物を取り逃がした4本全ての節触手が、いったん上空で伸び切ると。

その鉾先ほこさきを返して、舞子の頭上から襲いかかる。

……ッ…!…体勢不利。

よけられない!!


…クッ……「ハァッ!」

空中で仰向けになっていた舞子は、咄嗟に神起双槍を前に突き立て、そのまま傘のような防護障壁シールドを張った。


桜色を帯びた半球状の盾に、ガツン…!!と鋭い爪が食い込み。

その激しい衝撃に耐える舞子の奥歯が、ギリッ…ときしむ。


「ぐぅぅっ!」

……何て、馬鹿力……


その場に留まろうとすることを許さない、とばかりに。束になった4本の節触手は、舞子を上から押し潰そうとして加圧し始めた。

このまま強引に地面に叩きつける気だろうか。


……でも、束になってくれた……


ここまで舞子が放っていた攻撃が豆鉄砲と酷評されていることを、もちろん舞子自身は知るよしも無かったが。

逆に、舞子がえて魔力を抑えていたことを、人々は知らない。


舞子ほどの手練れの御子が、フルパワーの浄化の魔力を、こんな街中で解放したらどうなるかわからない。

だからこの機会チャンスを待っていた。

狙う節触手の後ろには、青い空と白い雲があるだけ。


……よし!…乾坤一擲けんこんいってき、ここで叩き込む!!


舞子の全身から魔光の粒子が、ブワッ…と湧き立ち始めた時だった。

まさかの5本目が、黒い霧の中から地面スレスレを這うように伸びてきた。


……くっ……挟撃はさみうちッ!!


狡猾な鬼魔衆は、アッパーカットで、無防備な舞子の背を貫くつもりだ。

前の4本を潰したとしても、背後からの串刺しは避けられない。


……でも…それでもいい……と、舞子はかまわず、前の4本に大砲を撃つ構えをみせる。


自分が倒れてもレイアも珊瑚もいる。

たとえを命をしてでも“この地の人々”をまもる。

それが“御子の本質”。


…と…その時。

舞子の視界の端に緋色ひいろの鳥が見えた。


…えっ?…と思ったのは一瞬で。

背後を高速で横切った赤い影が、5本目の節触手を一刀両断した。

切断された節触手が黒塵と化していく。


煌河石リングを通じて、緋越彩乃の声。

「舞子、一つ貸しよ!」

そのままVサインの指を立てながら高速で離脱していく。


勢いに任せた彩乃らしいやり方に、舞子は、フッ…と口角を上げる。

……よし!…これなら……


勢いに押されて舞子の背後に迫るのは線路の地面。

……急げ!!

舞子は、有りったけの魔光気を神起双槍かむのきに注ぎ込む。

…んんんっ…

「…江戸っ子を!!…ナメるなァァァーーー」


神起双槍かむのきの切っ尖が、こうッ…と発光し、舞子の周りで魔法陣が花のように咲き乱れる。

魔煌が円状に膨張し、それが一瞬の収縮を見せた。


ドンッ…!!

大砲のような、桜色の閃光柱が上空に放たれる。


その波動で大気が、ゴォ…と震えた。

それは高層ビル群の強化ガラス窓に、ピシピシと亀裂を走らせるほどの衝撃。


赤い彗星のように飛んできた御子が、翠玉の御子の背後を横切った直後。

大空に打ち上げられた桜閃光の柱に。

「うおおおっ……」

見守っていた群衆は、おののきながらそのまぶしさに目を覆った。


束になっていた4本の節触手は、一瞬で炭のように黒化し、塵となってハラハラと崩れていく。


…ああ、でも……

落ちる…

翠玉色の御子も、撃たれた鳥のように力なく落下していく。


祈るように両の手を握りめる人もいた。

上空で折り返した緋色の御子は、間に合うのか…


…が…それより早く、白紫の御子が、まるで燕のように低空を滑空してきた。


二つの色が地上ギリギリで一つに重なり、再び空に昇って行くのを見て。

群衆は、「ホォォォ…」と安堵の息を吐き出した。

中には、興奮のあまり拳を突き上げ、歓声をあげる者も。


すごい…

…あれが御子…あれが浄化の力…


人々は、舞子が放った桜色の閃光に、希望の片鱗を見た。

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