第4話 PR02 神薙舞子
改札から最奥まで飛んだ舞子は、壁際で身を低くして、ホームへ続く階段を見上げて息を呑む。
……ひどい……
ここにも多くの人々が毒気に冒され、倒れ伏せていた。
階段の傾斜に沿って緩やかに流れ落ちてくる黒紫の霧状流体が、舞子の張った浄化の
「この上ね……」
舞子は、
確か、ホームは地上のはず。今日の空は晴れている。
それなのに、すごく暗い。
手首の
「舞子です」
「舞子ちゃん、どんな状況?」
リングが淡く
「ホームへ上がる階段の下まで来ました。状況は……」
そこで言葉を止め、倒れ伏せている人々のもとに駅務の救急隊員がドヤドヤと駆けつける様子を、遠くに見る。
「……とにかく
「えーっと…何だか上の方でごたごたしてたみたいだけど、間もなく現着する……みたい。警戒レベル最大でオールユニット出動中……みたい」
リング通信の向こうで、その女の子の語尾が妙なのは、いちいち誰かに確認しているからだと舞子は知っている。
東京には全部で7つの
「それで?…どんなヤツ?」
「まだ本体は
…この穢れの強さと毒気の量からすると…
「…かなりの大物ね…」
「レイアちゃんと珊瑚ちゃんもそろそろ現着します。無理は禁物ですよ」
東京を守護する御子は、
リングからの声が続く。
「それと、近隣3県にも応援要請しました。あっ、そうそう、みらいちゃんが、舞子ちゃんと肉まんが食べられないって泣いてましたよ」
「うん…わたしも泣きそう」
ここに、このタイミングで
「この浄化が済んだら、舞子ちゃんの大好きな
「ふふっ…やる気がでた。ホームに上がってみます」
「舞子ちゃん…」
「ん?…何?」
「……気をつけて…」
司令室でもその邪気の大きさを感じているのだろう。そしてやはり、心配してくれているのだろう。
こうして独りじゃないというだけでも心強い。
「うん、分かった。気をつける」
…よし、覗いてみよう……
意を決して立ち上がったのはいいが、舞子は、膝が震えていることに気づいた。
無理もなかった。
それ程の得体の知れない
かつて、代々木公園で対峙した
あの時と同じか、考えたくないけど、それ以上…
…でも…わたしは“
スゥッ…と短い息ひとつで覚悟を決めた舞子は、階段上まで結界を広げながら、まるで
上り詰めると、舞子は、反射的に巫女装束の袖口で顔下半分を覆った。
「…クッ……」……何て濃さ……
立ち込める毒気の濃さに息を止めたくなる。
いくら特殊な巫女装束が鬼魔衆の毒気にも耐性を備えているとは言え、これほどの濃度にあてられ続けると、御子といえども、どうなるか分からない。
いきなり
ここが陽光が届く地上であることを忘れるほどに、ホーム上一帯は黒紫の霧に覆われていた。
視界の悪さに目を凝らす。
そのホームの一面に、いくつもの黒い影がゴロゴロと転がっていて、それが意識を失って倒れ伏す人々だとすぐに知る。
何かから逃げようとする途中で、毒霧に冒されて力尽きたのだろうか。全ての頭が舞子が上ってきた階段の方を向いていた。
……酷すぎる……
これほどとは思っていなかった。いや、思いたくなかったのかもしれない。
まさに地獄絵図。
いつ襲いかかってくるか分からない鬼魔衆に、全方位警戒をしながら、息を潜め、ジリっ…ジリっと前に出る。
が……
……来ない……なら、今のうちに……
先ずは、頭上に掲げた双槍を、ブン…と回して身の周りの毒気を
新鮮な空気を確保し、ふ…と足下を見ると。
幼稚園児ぐらいの女の子が倒れ伏しているのが目に入った。その小さな背を守るように母親が折り重なっている。
……こんな、小さな子供まで……
もう、事切れてしまっているのだろうか?
体の小さな子供には、この量の毒気は特に危険だ。
舞子は、膝を折り、女の子の首筋にそっと手を当ててみた。
肌の温もりと弱い脈拍を指先に感じ、ボウッ…と白淡く光る
そうして浄化の気を送り込む。
凄惨過ぎる状況に憤りを感じながら、続いてその母親にも同じことをしていると。
「舞子さん!」
いきなり背後から呼ばれ、驚き振り返ると。
白いマスクを当てた駅職員の斎藤
「サイトーさん!?…ここは危険です」
「…ぁ…っと…すいません…でも…うっ!…こんな…」
ホーム上の凄惨な状況に言葉を失う。
「この人たちをお願いします!」
「分かりました…」
斎藤は、階段下にいる救急救命士に向かって声を張り上げる。
「おーい、こっちもだ!」
スッ…と立ち直した舞子は、改めて地獄絵図を見渡し、下唇をグッと噛み結んだ。
もう膝は震えていなかった。
“御子の本質”が舞子の魂を
「
ブワッ…とオーラのような
……どこにいるの…?
禍々しい穢れをすぐ近くに、そしてこの一帯に感じるのだけど。視界の悪さと邪気の広がり方で、その本体がどこにいるのかまるで掴めない。
これほどの濃度の毒気を大量に吐き散らす鬼魔衆は、一体どんな”物の怪“なのか?
嫌な予感しかしないけど、急いで本体を
……先ず、この毒気を何とかしなきゃ……
厄介な毒の霧を祓うため、舞子は神起槍を頭上に掲げ、そのままヘリのように高速で回転させ始めた。
そして、開けた視界の先に見えたものに驚愕した。
……なッ…!!……
舞子は、双槍を身の前に持ち直し、ザッ…と腰を据え、臨戦態勢をとった。
ブーン…と共鳴するように
その
それは舞子が見知っているホワイト&ブルーのスリムな車体ではなく。
大きな
……何……これ……?
そんな
モゾモゾと
…
開けた視界で4車両分ほどだろうか。
ざっと見渡しても100鬼以上いるのではないか。
鬼魔衆は単鬼とは限らない。
これまでの浄化経験から、そんなことは頭の隅のどこかにはあったが。これほどの数の鬼魔衆など想定外。
それに…
……何て……気持ち悪い……
別の意味で舞子の背筋にゾッ…と冷ややかなものが走った。
ぶよぶよと呼吸するように蠢くこの鬼魔衆は、同時にドロドロとした体液のようなものを垂れ流している。
そしてその
目に見えているだけでもこれだけの数なのだから、毒の霧がこれほどに濃いのも頷ける。
…な……何だ!?…これ……
舞子の背後で救助活動をしていた救急救命士や駅職員の斎藤も、その
臨戦態勢をとったまま、鬼魔衆の動きを見据える舞子の
そのまま沈黙の数秒が流れた。
…が、どうやら
舞子は、その場でジッ…と、
蟲鬼の群れの隙間に、13という数字を見つけて、その車両が13号車だと理解した。
もし、この群が先頭から最後尾まで全てを覆っているのだとしたら。この場に一体どれほどの蟲鬼がいるのか…?
想像すらしたくなかった。
「……サイトーさん…?…そこにいますか?」
前を見据えたままで舞子が尋ねる。
「は……はい…います」
「新幹線は何号車までありますか?」
「…じゅ…十六号車です」
「分かりました」
…これだけの数に、まとめて向かってこられたら、きっと一人では
見るからに
知能はない代わりに、こちらから仕掛けると、その防衛本能で一斉に襲いかかってくるかもしれない。
でも……
ホームで倒れている乗客の救助も急がなければならない。
……どうすれば…?
車両の中にいた乗客はどうなったのだろう?
びっしりと張り付いた蟲鬼の群れで窓が覆われていて中の様子が全く見えなかった。
状況から見て、新幹線車両で発生して、先に中の乗客から捕食されているのかも知れない。
…もう手遅れかも、と思ったその時。
舞子はその車両のドアが開いたままになっていることに気づいた。そして、なぜかそのドアから蟲鬼が侵入していないことを知る。
……結界…?!
誰が?…と周りを見渡してもそれらしき人物はみあたらない。
つまり、車両の中から結界が張られている、ということだ。
それはすなわち、助けを待っている人たちがまだ中に……
……急がなきゃ!
「舞子様!」
数名のブーツ音がドカドカと階段を駆け上ってきたらしい。
振り向かずとも、その呼ばれ方で、その声の主が現着した特0隊員のものだと分かる。
チラッと目端で確認し、自動小銃を手にした隊員が3人。黒スーツの結界師が2人。
「うおっ!…何だこれ!」
彼らも、この異様な光景に驚きの声を上げる。
通常の銃火器では鬼魔衆を浄化できない。
しかしこれまでの
足止めの時間稼ぎぐらいの役には立った。だから特0隊員は武装許可されている。
そして結界師は、御子ほどではないが、呪力の強くない鬼魔衆なら浄化することも、その場に封じ込めることもできた。
もちろん各人の技量と相手にもよるのだが。それは、最低限ではあるが、一般の人々や特0の隊員達を守ることができる。
カシャッ…と安全装置が外された銃口が車両に向けられるのを、慌てて舞子が制する。
「待って!撃たないで!」
自動小銃のトリガーに掛けられた指が外された。
「まだ中に人がいます!」
銃弾が窓や車体を貫通すると大変だ。
……もうやるしかない……
すぐにレイアも珊瑚も駆け付けてくれるはず…
「
そう告げた舞子の背後で、特0隊員たちはバックアップ態勢をとった。
舞子は、車両に張り付いた蟲鬼の群れに向け、
すると、その切っ尖から、まるで自動小銃のように浄化の閃光弾が放たれ始めたのを見て、駅職員の斎藤は驚いた。
…ぇっ…そんなのあり?…
てっきりその槍で斬り払うか、貫くものだと思い込んでいた。
続いて、桜色した光弾がいきなり横一線に高速連射される。
その弾道が連続した光条のようにも見え。
それに撃ち抜かれた蟲鬼は、殺虫剤でも撒かれたように悶え
乱暴に言ってしまえば、まるで泥で汚れた車両を高圧洗浄機で清掃しているみたいにも見える。
「す…すげえ……」
斎藤は棒立ちで唸る。
初めて見る……これが御子の浄化の力……
政府が言っていたことは本当だった。
閃光を放ちながら、舞子は蟲鬼が剥がれた新幹線の窓の奥に目を凝らす。
中の乗客がまだ無事なのを知って、ホッとした。
不思議とパニックを起こしたりしていないようで。それぞれの席に着席したまま、中から窓を通して舞子や特0隊員の姿を、驚きの表情で見つめている。
……いた!
舞子は、車両内でただ一人だけ立っている人物を見つけた。
黒いスーツ姿の男が、胸の前で両の手で結界印を結んでいる。
……出張中の特0の結界師かしら?
きっとたまたま乗り合わせたのね。
その結界師は、ホームにいる舞子に気づき、大きく頷いた。
……誰だか知らないけど…
「がんばって……」
舞子もその男に頷き返す。
見える範囲の蟲鬼の群れを一掃し、車両の裏側まで張り付いている蟲鬼たちに反撃してくる気配がないのを見て、舞子は特0隊員に告げる。
「この場をお願いします!今のうちに乗客の避難を」
そして、自らは双槍を旋回させながら毒霧を祓い、前方車両の方に向かって低く飛行する。
彼の結界が、どこまで侵入を防いでいるのか、を知りたい。
…11…10…9…8…7……6……
浄化の閃光を連射しながら大雑把に蟲鬼を蹴散らし、車両番号を数えていく。
そして、5号車の開いたドアから蟲鬼が溢れているのを知り、ホームを滑るように着地した。
……くっ……ここまでなのね……
5号車の蟲鬼を祓い落とし、窓越しに中を見ると、すでに蠢く蟲鬼で充満していた。
であれば、中にいた乗客はもう生きてはいないだろう。毒気で意識を奪われ、生きたまま肉と魂を喰われる。骨すらも残さずに溶かされるのだ。
もちろん先ほどの女の子のような小さな子供もいただろうに。
だって今は夏休みだ。
……ごめんね……救えなくて、ごめんなさい……
舞子が自責の念にかられ消沈していると、不意に空から浄化の閃光が矢のように降ってきて、5号車の屋根の蟲鬼を一掃した。
……えッ?……と驚き、見上げると。
車両の上、薄い江戸紫色のショートヘアーで銀灰色の巫女装束。
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