第3話「巨人はお尋ね者」

 目の前に置かれた木製の深皿に乗せられた大麦のオートミールが、木製のスプーンと一緒に目の前の人物に食べられるのを待っている。男にとっては目が覚めてから初めての食事だ。

 ――思わず腹が鳴る。


「我々の村を救って下さって英雄のあなたに、このような粗末な食事しかお出し出来ず、申し訳ない……」


 対面に座っている村長が申し訳無さそうに頭を下げる。その後ろにいる村人も何人か同じように下げていた。


「よしてくれ! 昨日一晩介抱してくれただけでなく、飯までくれるなんて、こっちが礼を言いたいんだ。ありがとう」


 男も自分の面倒をみてくれた村人達に頭を下げて感謝すると、すぐにオートミールに飛びつき、胃に流し込む。大麦のオートミールは塩などの調味料でもかけないと美味くもない味だが、男にとっては最初の食事であり、空腹なのが何よりの味付けとなっていた。


 巨人として巨大な魔獣と戦い、勝ったあの日、身体の全てのエネルギーを使い果たして男はその場で眠り込んだ。魔獣に負わされた傷はそのまま巨人から男に戻った身体にもハッキリと残り、村人達は村に残っている物を使って男を手当した。

 この時代、この世界の医療はほとんど迷信と伝承によるもので、科学的根拠など一切無いものばかりであったが、その中の幾つかは実際に効果はあった。といっても、煎じた薬草を傷口に塗ったり、布で傷口を覆ったりといった程度で、戦いによる倒壊を一部免れた集会所で寝かされたぐらいだ。

 だが、男の回復力は尋常の人間とは比べ物にならない程であった。一晩寝ただけで、傷はほとんど塞がり、疲労も回復していた。後は空腹だけという時に、村人達にオートミールを差し出されたのだ。


「うまい……。目が覚めてから、初めて食ったけど……こんな美味い飯食った事がない……」


 村人達は男が涙を流す程感動している事に、若干戸惑う。所詮は味の貧しいオートミールなのだ。


「いやはや……あと巨人殿にお出し出来るのはこのような物しか……。我が村は貧村ゆえ、他にろくな食事もなく……」


 村長がそういうと村の女性が現れ、頭を下げながらライ麦パンを差し出した。


「こんな物しか用意出来なくて、すみません……」


 パンを受け取った男はそれを割いてみると、なるほど硬かったし、断面にライ麦が混じっていた。だが、それをオートミールに付けて食べてみると、これは美味い。あくまで、男の主観に基づいた感想ではあるが。

 男はパンを次々にオートミールに付けて食べると、どちらもあっという間になくなってしまった。食事としては量は少ないし、味も本来粗末なものではあるが、男にとっては初めての食事である。感動を覚える程満足していた。


「……美味かった。みんな、本当にありがとう」


 男は改めて頭を下げた。


「なんと、恐れ多い! 村を救って下さったあなたが礼を言うなど。我々を救ってくださった恩に比べればこんなもの……」


「だが、あの戦いで家を壊してしまった。もっと俺に力があって、上手に戦える事が出来てたら、あんな事には……」


「気にすんじゃねぇよ!」村長の後ろで村の若い衆が声を上げた。


「家なんかまた作りゃいいんだよ。生きてればそれが出来る!アンタのおかげでな!」


 村の人々が口々に言う。


 そうだそうだ。

 あんたのおかげだ。

 助けてくれてありがとう。


 人々の感謝が男の胸をうつ。

 俺が戦った事は間違ってなかった。そう思えて心が救われる。

 だが、男がした事の影響はそれだけではなかった。


 ドタン!と強く扉が開かれると、甲冑を着けた兵士がぞろぞろと我が物顔で入ってきた。村人達の表情は一気に強ばる。


「昨日、見たこともないような巨大な『巨人』が現れた。目撃した者によると、ここの周辺だったそうだ。……貴様ら、見覚えはないか?」


 厳つい角張った顔の巨躯の兵士が誰に聞くでもなく、自分の質問に誰かしらが当然答えるつもりのように聞いてきた。

 聞かれたら答えるのが当たり前だと思っていたのだろう。村人の誰もが答えない事が、自らの尊厳を傷つけ侮辱する行為だと受け取った。


「聞かれたら質問に答えんか貴様らァーッ! 農奴の分際で吾輩に逆らう気かァーッ!?」


 兵士は手近なにいた村の男に、甲冑の篭手が着いたままの手の甲で頬を打ち払う。

 あまりの痛さと衝撃に他の村人に受け止められる程吹き飛ぶ。


「吾輩の言葉は領主様の言葉! 貴様ら農奴は領主様の所有物! 故に、農奴風情が吾輩の言葉を無視するなど、領主様への反逆も同然! 今ならまだ許してやる……吾輩の心は寛大であるからな。今直ぐ答えよ! 貴様らァ! 巨人に見覚えはあるかァ!?」


 兵士のあまりにも凄まじい暴論と怒声に、集会所の空気は静まり返った。村人達は兵士の恐ろしさに、つい答えてしまいたい衝動に駆られる。

 だが、その沈黙を破ったのは、あまりにも兵士の神経を逆撫でするような言葉であった。


「……うるさいな、アンタ。大声で喚いてて、何言ってるかさっぱり分からなかったぞ? 今度はもう少しハッキリと言ってくれ。人が分かる言葉でな」


 右手に白金の篭手をしっかりと確かめるようにはめた男だった。


「……ほ、ほぉぅ……? 貴様、なかなか度胸がある農奴だな? 面白い奴だ!」


 椅子に座り、身体の具合を確かめている男に向かって、兵士は文字通り鉄の拳を振りかざしてくる。

 が、その拳は男が寸前で頭を避け空を舞う。勢い余って男の後ろまで移動して前のめりになっていると、男の追撃の蹴りが兵士の尻を捉える。兵士は男の蹴りで集会所の壁際の樽に頭から突っ込んだ。


「だ、団長!?」


 他の兵士達が、大きな音を立てて倒れこんだ兵士を『団長』と呼び駆けつけて肩を貸す。


「……き、貴様……! この我輩を誰だと思ってこんな狼藉をはたらく!?」


「悪い。記憶喪失なもんで、何も知らん。アンタ誰だ?」


 団長は頭の血管が切れそうな程激昂し、叫んだ。


「ふざけるなァーッ! 吾輩は、由緒正しき黒鷲鉄十字騎士団団長、ユリウス・アグニエルである!」


「黒……? え? なんだって? うるさくて聞こえないぞ? もうちょっと滑舌良く喋ろ」


 怒髪の団長・ユリウスは白目を剥き顔を真っ赤にしてかすれるような声で叫んだ。


「やかましい! 貴様は何者だァ!」


 男は目の前の巨躯の兵士に向き直る。


「俺は自分の名前は分からないが……これだけは答えられる。俺が巨人だ」


 その答えに、無駄に汗をかいていたユリウスは笑みを浮かべる。


「なるほど……貴様が巨人かッ! どうせ貴様もあ奴らと同じく魔物の類であろうッ! ひっ捕らえ領主様への手土産にしてくれるわッ!」


 兵士達が男の首元に剣先を突きつける。その意味するところは連行だろうが、男は特に慌てた様子もなく落ち着いていた。


「きょ、巨人殿に何をなさいます!? この方はワシら村の者をあの魔獣から救ってくださった英雄ですぞ!?」


「フンッ! おおよそ、魔獣相手に小芝居をしていたのであろう。そうすれば信用を得られるとでも思ったか?小賢しいッ! 魔獣などッ! 我が騎士団の敵ではないわッ!」


 男は篭手を取り上げられ、後ろ手に縛れる。特に抵抗などする事はなかった。おそらくそんな事をすればただでさえ立場の弱い村人に矛先が向く。


「巨人殿!」


「俺がこの村にいたら皆の迷惑になる。俺はもう行くよ」


「この村を……この村を助けて下さって、ありがとうございます!」


 兵士に縄で引っ張られ、騎士団の馬車の前まで誘導される。

 一度、名残惜しそうに後ろを振り返ると、村人が大勢集まって連行される男を心配し見ていた。

 目が覚めて一日しか経っていないが、この村で人々に感謝された事、ご馳走になったオートミールとパンの味は忘れない。

 男は後手のまま、親指を上に向けた。

 使い方、これで合ってるかな?

 男はそう思いながら、兵士によって馬車に乗せられ、世話になった村を後にした。


 馬車に大きく揺らされながら、どんどん高台を目指して馬車は進んでいく。

 

「どこに向かうんだ?」


「フンッ! 知れたことッ! 我ら黒鷲鉄十字騎士団の根城、『黒鷲砦』よッ! そこで領主様に引き渡されるまで、せいぜい残りの余生を楽しむが良いッ! ヌハハハハハハハッ!」


「そうか、じゃあ着いたら起こしてくれ。俺はまだ疲れてるんだ、寝かせろ……」


「なッ!?」


 ユリウスに聞きたい事だけ聞いて、男はさっさと寝てしまう。食欲はある程度満たされたが、睡眠だけはまだ不足している気がしたからだ。巨人の時に大きく身体のエネルギーが消費されるのだろう。体感では数分間だけだった気がするが、おそらくそれが巨人でいられる限界の時間なのだろう。


 石造りの大きく古めかしい砦が岩肌が露出した高台に建立されていた。作りは古く100年は経っているだろうか。砦としての機能は現在の現役らしく、四方を見渡せるように死角のない見張り台、また設置型のクロスボウ――『バリスタ』も各位置に配置されており、外敵からの防衛の準備は完璧に整っている。――その外敵が通用する相手であればの話だが。


「起きんか貴様ッ!」


「痛って」


 ユリウスの足蹴が左肩に当たり、男は目を覚ました。

 あくびをしながら顔を上げると、兵士や職人が忙しく砦の防衛準備をしている。来たるべき魔物との対峙に備えているのだろう。


「魔物など恐るに足らずッ! それも動きの遅い魔獣などッ! 我が砦の兵器で一網打尽であるわッ!」


 ユリウスはそう言って、バリスタや大筒を指差す。特に大筒の数は尋常ではなく、設置し位置を固定しなくてはいけないバリスタに比べ、攻撃箇所を移動出来る大筒はバリスタより多く配置出来た。

 野戦でも持ち運び運用出来るこの大筒は戦いの歴史を変えつつあり、またそれがこのユリウスの謎の自信の源でもある。


 砦の中に連れてこられた男は途中廊下から地下へと降ろされる。取り上げられた篭手はユリウスが持ったままだ。

 地下の奥深く進まされると、鋼鉄の檻がいくつか並んで設置されており、奥は光が届かず暗く見えない。


「ここがお前の家だ、化け物めッ!」


 ナイフで縛られた縄を切られ、奥からひとつ手前の空いた牢の扉が開くと、後ろから蹴り入れらてしまう。

 

「っ……!化け物には化け物らしい扱い方ってわけか……?」


 縄の食い込んだ手首や倒れて打ち付けた肘をさすると、男の白金の篭手を弄んでいるユリウスが言い放つ。


「ケダモノは人間に服従する。それがルールだ。せいぜい領主様に引き渡される日まで鳴いて過ごすんだな」


「おい、それは俺の物だぞ!?」


 牢に入ってもなお、自分の身を案じて動揺するより、自分の物であるこの篭手に執着する事に、ユリウスは意味が分からなかった。


「この砦の主はこの我輩だ。この砦に落ちている塵一つでさえな。故にッ! この砦でこの我輩が手にしているコレもッ! 既に吾輩の物であるッ! 大した値打ちは無さそうだが、水晶は良い輝きをしている……。取り出して宝石商にでも売り払うとしよう」


「返せっ!」


 檻にしがみついてでも奪い取ろうとした男を兵士が槍の柄で殴りつける。男は腹に痛いのを喰らい、しばし悶絶した。


「寂しいだろうが心配するな。お仲間がお前の相手をしてくれるぞ?ヌハハハハハハハハッ!」


 ユリウスの憎たらしい笑い声が牢の床でうずくまる男の耳に響く。

 仲間だと……?だが、あいつの言う俺の仲間というのは、つまり魔物……?

 男は腹を擦り、檻で遮られた隣の牢、奥で暗くなってみえない最奥の廊に意識を向け、構えた。

 どんな魔物がいるかは知らないし、巨人にもなれない状態で勝てるかは分からないが、それでも攻撃ぐらいは当てて、生き延びられるように心の準備をする。

 すると、最奥の暗闇から黒い影がこちらに少しずつ近づいてきた。

 心構えを済ませると、その影がどう動いても良いように拳を構える。

 が、こちらに近づき、部屋の光が当たり姿を現すを、男は思わず拍子抜けした。


「……女……の子?」


「……あなた、誰?」


 金色の長髪の少女だった。

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