第2話「白金の巨人」
不思議な感覚だった。
目線が一気に高くなり、平衡感覚が狂う。
空気が薄くなったような感じもする。
そして何より身体が大きくなった事で身体全体の重量が増し、動きが鈍くなったような感覚。
それでも、身体から溢れてくる力強さは、目の前のもはや同じ体格差となった魔獣を倒せる自信になる。
白金の甲冑を纏った巨人は腰を落として重心を下げる。
魔獣がどのような攻撃をしようとも、対応できるように。
魔獣は予期出来なかった攻撃に、怒り心頭であった。
おそらく、今まで自分を攻撃したものなどいなかったのであろう。
身体を震わせ呻き声をあげ、目の前の憎っくき敵を威嚇する。
巨人も魔獣を常に捉えられるように正面を向き、決して背後は取らせない。
魔獣は鋭い爪のついた両手と牙をむき出しにした口を向け、巨人に襲いかかる。
巨人は魔獣の伸びる両手の手首を掴んで防ぐ事は出来たが、牙までは防ぐ事は出来なかった。
襲い掛かる牙は巨人の首を狙ってくるが、巨人が寸前に首を大きく逸らし、牙は空を食らいつく。
狙いが外れた事を知ると、魔獣は執拗に巨人の首を狙い噛み付いてくる。
行動原理は獣と変わらない。
獲物に執拗に喰らい付き、息の根を止めてから食う。
二足歩行だろうと四足歩行だろうと、獣の本能と変わらないのなら読みすい。
だが……。
巨人は足元に注意しながら、魔獣をいなし倒すタイミングを見計らっていた。
村の中央の開けた場所で巨人は魔獣と組み合っている。
だが、ここで戦ったら、周りの家や建物に被害が出てしまう。
その建物には魔獣の脅威に怯え立て籠もっている村人達がいる。
彼らがいる限り、十二分に戦う事は出来ない。
魔獣の力を抑えるにも限界はある。
村人達に避難を促したいが、魔獣の攻勢を防ぎきるのが精一杯だった。
当然、一向に攻撃しない巨人の行動に、村人達が疑問を懐き始める。
「な、なんで戦わないんだよ?早くソイツを倒してくれ!」
「オイ!離れろって!巻き添え食らっちまうぞ!」
集会所の男衆が、目の前の光景に右往左往していると、村長は巨人の真意を把握した。
「あの巨人殿は、まわりにワシらがおるから満足に戦えんのだ……。今すぐ村を捨て巨人殿から離れなければ、このままでは巨人殿は負けてしまうぞ!」
村長の言葉をやっと理解した男衆は集会所を飛び出し、口々に村から出て離れるように村中に大声で叫ぶ。
「みんなー!村を捨てるぞー!はやく巨人と魔獣から離れて避難するんだ!」
「避難って言ったって、どこに避難すればいいんだよ!?」
逃げ惑う村人が困惑し聞き返す。
避難を誘導していた男衆は、急いで辺りを見回と、適度に離れた場所にこの村を見渡せる高台があるのに気付いた。
「高台だ!あの高台に避難しろ!」
避難場所が決まり、村人達は巨人と魔獣を大きく迂回して高台に集まりだす。
先導を切って避難誘導をしていた男衆が避難してきた村人の数を数え、全員集まったのを確認すると、親指を上へ高く突き出した。
よし、ようやくだ!
巨人は掴んだ魔獣の手首を離すと即座に、その胸元に逆水平チョップを叩き込む。
篭手で覆われたチョップは素手よりは痛そうではあるが、魔獣相手にはあまり差は無さそうではある。
休む間もなく打ち込むチョップのほんの僅かの披露による繰り出す速度の低下に付け入れられ、繰り出したチョップは魔獣の鋭い口で捕捉された。
篭手の金属の隙間に魔獣の歯が喰い込む。
『ぐぁっ!?』
巨大化し大きく響く声で痛みを叫んだ。
あまりの痛みに手を引き抜こうとするが一向に離さない。
獣の歯は口から抜けないような形状をしている事が多く、この魔獣も例外ではなかった。
『離せ!コイツ!!』
魔獣の顔や首筋に左手で拳を叩き込むが、それでも執拗に離さない。
それどころか、腕を振り回し、その爪で攻撃を仕掛けてくる。
手に噛みつき、絶対離れる事ができない状態ではインファイトの状態だ。
魔獣の爪は巨人の胴体を何度も切りつける。
甲冑のおかげで深刻な深手にはならないが、それでも隙間からダメージを受ける。
巨人は呻きながらも、攻略方法に知恵を巡らせる。
『いい加減にしろ!』
巨人は噛み付いている魔獣ごと掴み、腰に乗せながら足を払い、大きく地面に投げ落とす。
投げ飛ばされた瞬間、口を開いた魔獣からその手が離れた。
大きな振動が地面を揺らし、近くの家は魔獣の巨体と尻尾で潰される。
投げる瞬間、魔獣の予想以上の体重の重さに、魔獣のタフネスさが想像出来る。
倒れ込み朦朧として呻く魔獣に体力を回復させる間を与えないように、馬乗りになってマウントを取り、容赦なく篭手で覆われた拳を叩き込む。
慣れない巨大化した状態での戦いのうえ、予想以上に攻撃をくらい、疲労で身体が悲鳴をあげていたが、それでも攻撃の手を緩めなかった。
噛まれてズタボロになった右手が魔獣を殴りつけるたびに、その拳から血のような赤い液体が吹き出る。
魔獣もただ殴られるだけではなかった。
馬乗りになってなぐりつける巨人に対し、寝転がってそのバランスを崩すと、巨大な尻尾をそのまま巨人に叩きつけた。
『うわぁっ!』
巨大な尻尾に叩きつけられ吹き飛ばされた巨人が立ち上がろうと、ダメージが深刻な身体に鞭打ち起き上がろうとすると、右手の篭手の甲に嵌め込まれた水晶が赤く点滅し輝き甲高い音を出し始めた。
それは明らかに警告であり、時間の猶予がない事を教えていた。
おそらくこの点滅が消えたら……。
この次の攻撃で倒さなければ全てが終わりだ。
どうする?
次の攻撃に全てを込めて決着をつけなくてはいけない。
魔獣は立ち上がり、こちらの攻撃を受け止め反撃する用意が出来ている。
だが巨人には、有効な攻撃方法が思いつかない。
どうすれば良い?
「お、おい……あの巨人大丈夫だよな……?負けちまったら俺たち……?」
避難した高台で戦いを見守っていた村人達は不安だった。巨人が負ければ全てが終わる。蹂躙し食われ尽くされる。
誰もが不安と恐怖に包まれていたが、ひとりの子供が巨人に向かって大きく叫んだ。
「がんばれー!」
「……っ!?」
「がんばれー!まけるなー!」
村の数少ない子供達が口々に巨人を応援し始めた。
明日の生活もままならぬ貧村での貧しい生活で笑顔も情熱もなかった村の子供達が、元気強く巨人を応援している。
村人達に出来る事はない。
ただ毎日を魔物と魔獣の脅威に怯え、未来の見えない生き方をするしかなかった。
確かに今も何も出来ない。
だが、それでも出来る事があった。
村の人々を守る為に戦ってくれているあの巨人を応援する事だった。
「頑張れー!巨人ーっ!」
「頼む!勝ってくれ!」
「がんばれー!がんばれー!」
村の男衆に背負われていた村長も手を合わせ、願った。
「巨人殿……どうか、どうか我々をお救いください」
その声援は小さいながらも、巨人になった男の耳にはっきりと聞こえた。
自分を頼り、信じ、応援してくれている。
ただそれだけなのに、心が暖かくなった。
そして負けられない。
彼らの為にも。
巨人はボロボロの身体に気合を入れて、拳を構えた。
すると、赤く点滅していた右手の水晶が白い光を放ち、拳全体を覆い始めた。
今までにない力強さを右手に感じる。
残った全ての力をこの右手に込めて、魔獣に叩き込む。
『うぉおおおおお!!!!』
巨人は魔獣目掛けて駆け抜け、右手の拳を繰り出す。
右手はズタズタで、この状態で全力で拳を放てばどうなるかは分かっている。
それでもこれが最後ならこの一撃に意味がある。
魔獣は巨人が至近距離になったらいつでも爪を繰り出せるように腕を広げていた。
だが、関係ない。
巨人は魔獣の飛びかかる爪をかいくぐり、光る右手の拳を魔獣の口の中へねじ込んだ。
外皮より柔らかい口の中を、膨大なエネルギーの塊である巨人の右手が突き進む。
そしてそのまま後頭部まで貫いた。
その瞬間、魔獣の生命活動は停止した。
魔獣の貫通した後頭部から飛び出した巨人の右手の光は次第に失われ、先程の赤い点滅へと戻っていく。
拳を引き戻すと、魔獣の亡骸が崩れ落ち、細胞組織の崩壊がはじまった。
それを見て、巨人はやっと終わったと確信する。
ふと、避難した村人がいる高台を見ると、みな不安げにこちらを見ている。
その村人達に、巨人は親指を空に突き上げる。
甲冑の兜で表情は隠れているが、笑顔になっているつもりだ。
全てに決着がついた事で、村人達は歓喜の声をあげた。
村人達がこんなに喜んでいるのを見るのは、この村に来て始めただったと思う。
安心すると、急に疲労が身体全体を襲い始め、意識が朦朧としてきた。
巨人の身体が甲冑ごと光の粒子となって空へと消えていく。
村人達はその光景に驚いて次々と巨人のいた場所まで戻ると、ボロボロに負傷した巨人だった男が意識を朦朧とさせ倒れ込んでいた。
「痛い……疲れた……腹が減った……ね、眠い……」
男は疲労困憊のまま、眠り込んだ。
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