GANTLET-ガントレット-

荒木春彦

第一章:覚醒

第1話「俺は誰だ」

 世界に悪魔が現れる時、どこから来るのか?

 ある者は地下から地上へと湧き出ると言った。 地獄の門が開けられし時、悪魔の中でも怨霊と呼ばれる者が死者の身体に取り憑き、この世を地獄に変えるという。

 ある者は空から舞い降りると言った。 数多の悪魔の軍勢が、地上の人間を狩り尽くし、この世を地獄に変えるという。

 人々のそんな他愛もない与太話は、ある時から現実となった。


 悪魔が空から舞い降りたのだ。


 怪しい姿をした悪魔達は、まさに異形。人間の文明でいうところの「船」のような物に乗って、数多の大船団で現れた。空を埋め尽くすような異形の悪魔達の異様な船の数々。

 彼らが船から降りて人間を狩り始めるのに、時間は掛からなかった。

 悪魔――いや、「魔物」と呼ばれた彼らにとって、人間の持つ文明などあまりにも原始的すぎた。

 剣、弓、矢、斧――――そんな原始的な武器を手に持ち、鉄板を重ねた程度の防具を身に纏いながら振り回す人間など、彼らには造作もない相手だったのだ。

 同族同士で領地を求めて争うような未熟な文明の人間を、横から遙かに技術も文明も進んだ魔物が現れ屠る。

 彼ら人間に成すすべはなかった

 領主が数に物を言わせた大軍団で迎え撃つ以外、魔物と対等に戦う方法も存在しない。

 人々から生きる力が失われ、いくつもの国が滅ぼされ、世界は風前の灯火だった。


 そんな時代に、一人の男が目を覚ました。


――――――――――――――――――――


 カビ臭い匂いと、口の中に入る土埃の不快さで咳き込み、男の意識は覚醒しはじめた。

 起き上がろうとしたが、押し出した手に広がる感触は石。意識がだんだんと覚醒すると、自分が石の箱のような物に入っている事を理解する。

 窮屈で不快なこの場所から出ようと、目の前の石の天井に力を入れると、意外な程簡単に動き、隙間から光が差し込んだ。

 眩しさに目が眩みそうになるのを手で防ぎ、中途半端にズレて蓋になっている石版をどかしてから石の箱から身体を起き上げる。

 自分が入っているのは、所謂「石棺」というものだ。

 理由は分からないが、自分はそんなところで寝ていたのだ。

 石棺から起き上がると、後ろには男の石像が讃えらており、全体的に朽ち果ててはいるが、石の祠のような場所にいる事がわかる。

 しかし、ここが祠であろうとなんだろうと、自分がなぜそこの石棺で眠っていたのかが理解出来なかった。

 そもそも何故自分がこんなところにいるのか。

 いや、それよりも自分が誰かも分からない。

 名前も年齢も、今の今までどんな人生を送ってここにいるのかまるで覚えていないのだ。

 まるで今ここで生まれたかのような感覚。

 訳がわからない。

 誰か自分を知っている人はいないだろうか?

 幸いにも貧相ではあるが最低限の衣服は来ており、これで誰かに会っても問題はないだろう。

 他に身につけられるような物や役に立つ物はあるだろうか?

 祠の中心に先程見た男の石像がある。甲冑を纏い、剣を携え、右手を誇らしげに突き上げている。

 大昔の偉人だろうか?

 石像を凝視していると、その石像の足元に埃と蜘蛛の巣が絡んだ白金の甲冑の右の篭手だけがそこに置かれていた。

 無いよりはマシかと考え男が手に取り、埃や蜘蛛の巣を払い除ける。

 埃でよく見えていなかったが、篭手の甲の部分に大きな水晶がはめ込まれている。

 何かの値打ちものだろうか?篭手の形もどこかこの石像の男の甲冑にどことなく似ている気もする。

 何らかの価値はあるだろうと、男はそれを手に祠の出口を目指した。


 祠を出ると、地上の新鮮な空気が男の鼻腔を突き抜ける。

 男が先程までいた祠は、地面を掘った地下に作られており、人の出入りは滅多にないだろう。

 なぜ自分がそんなところで眠っていたのかは分からないが、ともかくどこか人里を見つけて手がかりを得るしかない。

 祠は丘の頂上付近に作られており、出口からは丘の麓まで一望出来る。そしてその麓には小さいながらも村があるのが見える。

 男はその村に希望を求めて歩き出した。

 麓にあるその村は、貧村と言っても過言ではなかった。人気は少ない。村の作物はほとんどが干上がり萎れている。

 これでは例え村人が居たとしても今日を生き抜くのが精一杯だろう。

 所持金が一切無い男では、食事を恵んでもらう事すら絶望的だった。

 ふと、村の中心に人だかりができているのに気付く。

 村に人気がなかったのは、みんなそこに集まっていたからか?

 何も知らないし覚えていない男にとっては、現状を知る何か手かがりになるかもしれない。

 無意識に走り出していた。


「村の男はこれで全員か!?他に戦える者は残っていないのか!?」


 銀色に光る甲冑を纏った男が数名、村の男達を馬車の荷台に載せていた。

 その光景に、おそらく村長だろうか、年老いた男が甲冑を着た男ー兵士に縋り付く。


「お、お願いです!男手を取られてしまっては、この村は冬が越せません!せめて、全員連れていくのだけはご勘弁ください!」


「ええい、黙れ!領地が攻められなくなるやもしれんという一大事なのだぞ!?今はひとりでも兵が必要なのだ!」


「後生でございます!どうか……どうか!」


「離せ、じじい!」


 纏わりつき嘆願する老人を、兵士は引き剥がし、足蹴にする。

 蹴り飛ばされた老人は倒れ込み、蹴られた痛みに悶絶。

 心配して駆け寄った女衆に、兵士はさらに追い打ちの言葉を放つ。


「女共を慰安用に徴収しなかっただけでも充分、領主様の温情なのだぞ?今は魔王軍との戦に勝つ事が先決!仔細なぞどうでも良い!」


 なんなのだ、これは?

 男は遠くからこの光景の一部始終を目撃していた。

 貧しい村から男を兵士に無理矢理徴収だと?

 村人の都合などお構いなしに。

 魔王軍とか言っていた奴らと戦う為に集めているらしいが、だからといってこんな横暴が許されるわけがない。

 男は自分では気づかない正義感に突き動かされ、そのまま何の考えも無し横暴な兵士達に向かっていった。

 怒りが込み上がる。

 男は先程手に入れた右手の篭手を装着しその感触を確かめる。

 まるで自分の身体の一部かのようにぴったりと心地良く右手にはまる。

 そして一部始終を見ていながら何も出来なかった村人達を押しのけ、老人と兵士達の前に出た。


「…………」


「なんだ、貴様……?貴様も兵士になりたいのか?よく見れば兵士向きの良い体格をしているな」


「…………」


「……なんだ、その反抗的な眼つきは?不服ならここで切り捨てやるぞ?」


 兵士の最後の言葉は、男の耳には聞こえていなかった。

 気付いた時には、篭手をはめた右手で兵士の顔面を腰に力を入れて殴り抜いたからだ。

 顔面に篭手がめり込んだまま、兵士は空中で一回転し、帯剣を抜刀する間もなく頭から地面に叩きつけられた。


「た、隊長!?き、貴様何者だ!?」


 突然の事態にパニックになった他の兵士が二人、剣を抜いて男に向け、叫んだ。

 その問いに、男は応えた。


「……それは俺も知りたい。俺は誰だ?」


「!?ふ、ふざけるなーっ!」


 兵士の一人が男に斬りかかるが、男に恐れはなかった。

 太刀筋が大雑把で読みやすい。

 男は避けるでもなく、右手の篭手だけで防ぐ。

 振り下ろされた剣は男の篭手に触れるとあっさりと折れ、空のあさっての方角へと飛んでいった。

 兵士は自分の剣が折られた事実に心を奪われ動揺しているスキに、男の篭手を腹部に打ち付けられ、押しつぶされた内蔵から吐瀉物を吐き出しながら悶絶し倒れ込む。


「俺が誰かはわからんが、俺の前で非道は許さん」


 男の眼光が残った最後のひとりに向けられると、最後の兵士はあっさりと戦意を失い、その場から慌てながら去っていった。

 逃げた兵士に構わず、男は牢屋のような馬車の荷台の扉の錠を篭手で殴り壊し、村の男達を開放していく。

 荷台から降りていく男たちは口々に感謝を述べて家族と再会を喜ぶが、何人かは納得していかなかった。


「おい、アンタ!なんて事してくれたんだ!領主に逆らったらこの村はタダじゃあ済まないんだぞ!?」


 男に食って掛かる村人に、村長が慌てて諌める。


「よさんか。この方は良かれと思ってワシらを助けて下さったんじゃ」


「別に俺たちは良かったんだ!兵士になったって……それで村が領主に守られるなら」


「だが、その保証もない。男手のいない村はどのみち未来はない。……変わらんよ」


 事情はよく分からないが、男にとって良かれと思ってした事は裏目になったのかもしれない。

 正直、ほとんど衝動で動いたようなものだから、後先がどうなるかまでは考えつかなかった。


「……すまない。俺が余計な事をしたみたいだな」


「いや、良いのです。どのみち、村が終わるのなら家族が揃って最後の時を過ごせる方が……」


「一体何が起きているんだ、この村に……?」


「この『村』……というより、『国』……『世界』……そう言い変えた方が良いですな」


「どういう事だ?世界全体で何かが起きているのか?」


「……?あなたは何も知らないのですかな?この世界で起きている事を……?」


「……?」


 その時、あたり一面を振動させる程の大きな生き物の咆哮が響き渡った。

 そして地面を一定間隔で揺らす地響き。


「っ!?なんだ!?」


「ついに……ここにまで……」


 村長はその咆哮を聞いた途端震え上がり、固まっている。

 村の男達は村中に伝わるように大きな声を張り上げた。


「来たぞーっ!『魔獣』が来たぞーっ!」


「ま、魔獣?」


 村の鐘楼がけたたましく鳴らされ、村人は続々と自分たちの家へ閉じ籠もっていく。

 男衆は村長を担ぎ上げると、男の腕を引っ張る。


「アンタも来い!命は惜しいだろ!」


 男は戸惑いながらも村長と共に男衆にひっぱられて、村の集会所に立て籠もった。

 村人達は各々の家で震え上がり、その脅威が過ぎ去るのを待っている。

 集会所の窓から、男はこっそりと外の様子を伺う。

 皆、何を怯えているのか?

 ふと、巨大な影が視界を暗くする。

 凝視していると、だんだんその影の輪郭がはっきりとしてきた。


 それは巨大な生き物であった。

 茶色のゴツゴツとした岩のような肌。

 二足歩行で巨大な尻尾を地面にこすりつけて歩いている。

 鋭い眼、口、二本の角。

 そしてどんな物でも掴み上げそうな4本指の手。


 何度見ても間違いない。

 全長は40メートルはありそうな巨大な生き物が村に進行していた。


「あれが……魔獣……」


 村人が恐れているものが何か理解した時、心臓を鷲掴みにされそうな恐怖が男を襲った。


「そうだよ……。領主が村々の男たちを徴兵したがる理由さ。もっとも、あんなデカイ化け物じゃ焼け石に水だけどな……」


「っていうか、なんでコッチに来てんだよ!?この村はもうなんもねぇだろ!?」


「理由なんて無いのかもな。化け物が何考えてるのか、分かるわけないだろ」


 村人達は恐怖から意識を反らす為か、だんだんと饒舌になっていく。

 だが、だんだんと振動は大きく近づいていく。


「バカ!静かにしろ!気付かれる!」


 他の村人がたしなめて、初めて男たちは自分達が魔獣に居場所を知らせてしまっている事に気が付き、口をつむぐ。

 静寂が集会場を、そして村を包む。

 が、次の瞬間には外で大きく崩れるような音が響く。


「まさか!?」


 魔獣が村人の家を破壊し、そこから一人の女性を掴み上げたのだ。

 あまりの強い握力と恐怖に女性は悲鳴を上げる。


「いやぁあああああ!助けてえええええ!!」


 魔獣は女性を大きく裂けた口へと運び込もうとしていた。


「やめろぉおおおおお!!」


 男は無意識に飛び出した。

 自分に何が出来るか、何も分かっていない。

 それでも目の前の命を救いたい。

 記憶を一切無くしても、それだけは男の心の中にあった。

 篭手の甲に埋められた水晶が白く輝き、大きな光に包まれた。


 白い光に包まれながら、篭手から白金の鱗が広がり、身体全体を覆い始めた。

 鱗は身体の各部位で甲冑のように姿を変えつつも、男の身体にフィットするように吸着する。

 光の中で、白金の騎士に、その姿を変えたのだ。


 男の拳が魔獣の左頬に叩き込まれる。

 思わず魔獣はよろめき、掴んだ女性をこぼれ落とす。

 男は即座に左手で受け止めると、女性の様子を見る。

 気を失ってはいるが、胸の鼓動から生きている事を確認し、安堵した。

 女性をゆっくりと魔獣から離れた集会所の入り口付近に降ろすと、村人達によって保護される。

 村人達は女性を集会所の中に匿いつつも、呆気にとられた顔をして彼女を救出した男を見上げるしかなかった。

 よろめき倒れた魔獣が体勢を整えて、こちらに強い怒りを向けているのは言葉が通じなくても男は理解出来る。

 男は魔獣に向かって対峙し、戦う構えをとった。


 村人達は目の前に広がる光景に驚き呆けるしかなかった。


「村長……これは現実なのでしょうか?」


「わからん……。魔物……魔王……魔獣……。そんなものが存在するのなら、これもまた間違いなく存在するのだろうな……」


「あの男は……我々の敵なんですか?味方なんですか?」


「あの娘を救ってくれた……。間違いなく、味方だ……あの巨人は」


 男は白金の巨人になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る