第7話 少年連行

「……皮肉かよ。そんなに強いなら、放っておけばよかった」


 半分以上本心だ。少女がもっと早く連中を倒していれば、こちらも無駄な怪我を負わずに済んだ。頼まれてもいないのに助けに入ろうとしたのは自分の意思だが、文句の一つも言いたくなるというものだ。

 少女の手を掴もうとして、自分の手が汚れていることに気付いた少年は、握手を拒否して自分の力で身を起こす。足がふらついたが、壁に手をつくことで何とか自力で立てた。

 手を差し伸べた状態で放置されたマルクトは、目をぱちくりさせる。少年はマルクトより背が低く、年下なのは一目でわかったが、ホームレスかと思うような汚れた格好をしている。しかし、服自体は安物ではなく、少なくとも中流家庭が身につけるものだ。

 着の身着のままで飛びだした家出少年――少年の第一印象をあげるならそれだろう。


「余計な手出ししたな。じゃあ、俺はこれで」


 元よりただの寄り道。事が済めば立ち去るのみとでも言うように、少年はマルクトに背を向ける。しかし、蹴られた場所を押さえながら消えようとする少年の肩を、マルクトは逃がさないとばかりにがっしりと掴んだ。


「ちょっと待つっす! 女の子一人に負けるような雑魚にボロ負けしたことが恥ずかしいからって、ふてくされなくてもいいじゃないすか~」

「……この人、なんで無邪気に煽ってきてんの? ねぇ、殴っていい? いいよな?」

「『この人』じゃないっすよぉ。私の名前はマルクト。気軽にマルクトお姉ちゃまって呼んでくれていいすよ。君のお名前は?」

「呼ばねえよ、バカ。酒も飲んでねえのに酔っ払ってんのか」

「ほほぉ、それはつまり、お姉さんの魅力にメロメロに酔っているという暗喩――」

「んなわけあるかっ!」


 粘着質的につきまとってくるマルクトに業を煮やした少年は、彼女に掴まれている腕を振りほどこうとする。しかし、なぜか外すことができない。

 柔術や合気道で抑え込まれているのとは違う。どれだけの達人であったとしても、そういう格闘術を使われているのなら感覚でわかるはずだ。だが、今掴まれている腕は、抑え込まれているわけでもないのにピクリとも動かない。

 振り払おうと身体に念じても、なぜか反応しないと言えばいいか。それ以外の動作は普通にできるので、まるで狐に化かされている気分だ。


「で、君のお名前は?」


 にっこりと笑顔を浮かばているが、目の奥に有無を言わさぬ気迫を感じる。言うまでこの手は離さないぞと瞳が訴えていた。


「……イェソドだ」


 根負けした少年――イェソドが名乗る。マルクトは笑みを深くした。


「じゃあ、イェソドくん。か弱い乙女を助けてくれたお礼をしたいんだけど、どうすか?」

「俺の目の前には強靭なゴリラしかいないんだが?」


 割と強めの膝が鳩尾に入り、イェソドは身体をくの字に折る。的確に急所を突かれたため、先刻男子高校生たちに蹴りあげられたより痛かった。


「えぇ!? こんなにかわいいJKと一緒にお食事ができるなんて幸せで昇天しそう? いやぁ、まるで天使のようだなんて、そんなこともあるっすけどぉ」

「ひと、こと、も、言って、ねえ。別の、意味で、天使が、見えた、ぞ!」


 痛みで言葉を詰まらせながら、少年は涙目で睨む。こいつ、さっきの高校生グループよりよほど性質が悪いじゃないかと思った。


「大体、礼って何の礼だよ。結局、俺は何もしてないし、自分一人で解決したじゃねえか」

「んー、助けようとしてくれたのは事実っすし。お礼が嫌なら、巻き込んじゃったお詫びってことで。ほら、さっき殴られたせいで、イェソドくん、ふらふらじゃないすか」

「いや、これは先刻あんたに蹴られたから――」

「さぁさぁ、行きましょう! このあたりだと『タヴパス・ワールド』がいいっすね! 動物OKのお店なんで、ケテルちゃんも一緒に夕飯にするっす!」


 ケテルの言葉に被せながら、マルクトが彼の腕をぐいぐいと引っ張る。


「……ケテル?」


 疑問に答えるように、黒猫が二人の前に姿を現す。イェソドがマルクトを助けようと思うきっかけになった猫だ。ケテルは相変わらず無言で、すり寄るようなことはせずに先を歩く。しかし、ある程度距離が開くと、二人を待つように振り返った。


「……あの猫、おまえのなのか?」

「あれ、ケテルちゃんとお知り合いっすか? いえいえ、ケテルちゃんが私の物なんて恐れ多い。私がケテルちゃんの物になるのなら望むところっすけど」


 うっとりとした顔になるマルクトを見て、やっぱり変な女だなとイェソドの目が白くなる。だが、変人であってもこちらの都合に巻き込むのは気が引ける。どうやって手を振りほどいて撒こうかと考えたところで、イェソドの腹が鳴った。


「いひひひひ、身体は正直っすねぇ。我慢は身体の毒っすよぉ?」

「……一食だけなら、奢られてやってもいい」


 顔を赤くさせながら、イェソドは不承不承といった感じで言う。素直になれない少年を見て、マルクトは花のような笑顔を浮かべた。

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