第8話 タヴパス・ワールド

 カフェ&バー『タヴパス・ワールド』は、洒落た雰囲気でカップルに人気の店だ。

 昼は喫茶店。夜はアルコールも出すが、昼夜共にメインは料理だ。質より量の格安メニューから、桁が一つ間違っているのではないかと思うような高級料理まで。フードメニューだけで何十ページもあるという豊富さである。

 店長が美人なことでも有名で、彼女目的で通う常連客も少なくない。夜の間はバーテンダーをしているので、カウンター席はだいたいいつも満席だ。マルクトとイェソド、そしてケテルは、テーブル席の方に腰を下ろす。

 マルクトがこの店を気に入っている理由は、飲食店としては珍しく、ペット同伴可なところだ。メニューには載っていないが、注文時に店員に言えば、ペット用の食事や食器も用意してくれる。

 こういう店に入るのは初めてなのか、イェソドは物珍しそうに店内装飾を見ていた。所詮中学生。まだまだ子どもだなと思いながら、高校生おとなの余裕を見せるために、マルクトはふふんと鼻を膨らませながら指パッチンで店員を呼ぶ。


「鳴ってないぞ」

「…………」


 指パッチンは意外と難しかった。

 呆れた目線を向けられて、顔を少し赤らめながら、マルクトは呼鈴を鳴らした。イェソドは遠慮して何も注文しなかったので、マルクトは彼の分もまとめて注文する。もちろん、ケテル用の食事も忘れない。

 注文を終えて冷やを受け取ると、イェソドはそれを一気に飲む。口の端から零れるのも構わず、貪るようにコップを空にして一息吐いた。よほど喉が渇いていたようだ。

 少年は、マルクトと対峙している間も、店内に視線を巡らせていた。それは先刻までのような好奇心によるものではなく、入ってくる人間や出入り口の確認などを観察するためのものだとマルクトは察した。

 強気に振舞っているが、何かに脅えている……そんな感じだ。それが何かはわからないが、見ず知らずの女子を助けるために危険に飛びこんで来るような子だ。根は悪い子ではないはず――と、信じることにした。

 なにより、マルクトは、こういう訳ありの少年少女に弱い。普段は他人にあまり構うことのない性質だが、イェソドのような少年は放っておけないのだ。

 そんな彼女の内心に気付いているのか、ケテルがやれやれといった感じで首を振った。


「まぁ、まずは食事にするっす。満腹になれば、ちょっとは落ち着くでしょ」


 あからさまに警戒している少年の前に、店員が料理を並べていく。

 キノコサラダの特製アンチョビソース和え。蟹と卵の中華スープ。自家製ローストビーフとマッシュポテトの盛り合わせ。鳥肉と香草の包み揚げ。海老味噌の黄金炒飯。……少年の好みがわからなかったので、和洋折衷だがお勧めメニューを適当にチョイスした。

 カフェの料理とは思わない豪勢さに、イェソドの目に驚きが浮かぶ。食欲を猛烈に刺激する香りに、胃が早く食わせろと悲鳴を上げた。


「ちょっと頼み過ぎちゃったけど、残しても持ち帰り可能だから。好きなものだけ食べればいいっすよ。遠慮なく召し上がれ」


 言い終わるが早いが、イェソドは料理にかぶりつくように襲いかかる。若さと空腹による旺盛な食欲に加え、こんな料理を見せられては抑えられるはずはなかった。

 マルクトはあまり食事にこだわらないし、料理もしないが、味覚が鈍感なわけではない。普段は腹を満たせればそれでいいが、おいしいものを食べようと思った時は徹底して店に拘る。『タヴパス・ワールド』は、そんな彼女のお眼鏡に叶った店の一つだ。

 少年の反応を見て、自分の見る目は間違っていなかったと鼻を高くしながら、別皿で用意された猫用の食事をケテルに差し出す。黒猫はイェソドの食べっぷりを見ながら、優雅に食事を開始した。これではどちらが獣かわからない。


「いひひひひ。美味しいかどうか聞こうと思ったけど、聞くまでもなさそうっすね」

「……料理、は、うま、い」


 口いっぱいに放り込んだ肉を咀嚼しながら、途切れ途切れに言葉を発するイェソド。素直に認めるのが嫌で、微妙に意地を張っているあたりが子どもっぽいなと思いながら、マルクトもサラダを突き始める。


「ここの店長さんは変わった人でね。フランスで料理修業をした後、三つ星レストランからの勧誘を蹴って、このお店を建てたらしいっすよ。安価でおいしいこだわりの料理を大勢の人に食べてもらいたいっていうのがコンセプトなんだって」


 料理に夢中で話を聞いていないイェソドを見ながら、独り語りのように話すマルクト。

 先刻までギラギラしていて、店内の人間すべてを疑っているかのような警戒ぶりだったが、今だけは頭から抜けてしまっているようだ。

 少ないよりはいいだろうと思って多めに頼んだが、結局皿のほとんどが空になってしまった。猛烈な勢いで動いていた少年の手が緩やかになったところで、そろそろ頃合いだろうとマルクトが口を開く。


「イェソドくん、聞きたいことがあるんだけどいいっすか?」

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