第5話 ヒーロー気取りな男の子
自分のことを言われたのかと思った少年が素早く周囲を見回す。だが、声の主は近くにはいなかった。
ゴミ箱の影からそっと顔を出すと、路地裏に複数の男女が入ってきていることに気がつく。彼らは少年の存在に気付いておらず、壁際で一人の少女を取り囲んでいる。
いつの間にか、あたりは闇に包まれていた。空腹と疲労に負けて、不覚にも意識が飛んでいたようだ。意識を失っている間に追手に見つかっていたらと想像するとぞっとしないが、今は目の前で起きている騒ぎの方が気になった。
「ねぇ、マルクト? 親殺しのあんたと同じ学校だと、私たちの内申点が下がるかもしれないでしょ。あんたは生きてる価値ないんだから、死ぬか学校辞めるかしてくれない?」
「いやぁ、そう言われましても。きちんと学校に行かないと、ケセド叔父さんに怒られてしまうんすよ~」
大勢に囲まれているというのに、その女生徒はへらへらと緊張感なく話す。その様子が癇に障ったのか、少女への罵倒の声は徐々に大きくなる。
「(……バカか、あの女。
覗き見ながら、少年は呆れに似た感情を抱く。豪胆とも取れる態度だが、彼女を取り巻くのは男女8名のグループだ。豪胆というより無謀と捉えられても仕方がない。
騒ぎを起こしているのは、少年より年上の高校生たちのようだ。どこの学校なのかはわからないが、見覚えのある制服。暗がりではっきりとは見えないが、体格から見て男子4名・女子4名。そして、彼らに囲まれた少女が1人。
自分が見つかったわけではないと知って、ひとまずほっとしたが、あまり穏やかではない。男たちは今にも少女に殴りかかりそうな雰囲気だ。
普段の少年なら、人を呼んで来るくらいの正義感と行動力はあっただろう。だが、今の彼はそれどころではない。
「(まずいな。これ以上騒がれて、人が集まってきたら厄介だ)」
人気の少ない路地裏とはいえ、あの調子で大声を上げ続ければ、誰かが気付いてもおかしくはない。必然、少年自身も見つかってしまう可能性が高いということだ。
後ろ髪引かれる気持ちがないと言えば嘘になるが、きっと他の誰かが気付いて、大事になる前に少女を助けるだろうと自分に言い聞かせる。少年は高校生グループに気付かれないように、足音を殺してその場から離れようとした。
そのとき、足元に黒猫が一匹いることに気付く。
猫は少年を見上げており、ばっちりと目が合った。すぐに逃げ出すかと思いきや、猫は微動だにせずに少年に顔を向け続け、金の瞳でじっと見つめてくる。
「……なんだよ?」
何かを訴えられているようで、少年はつい声をかけてしまう。もちろん、猫が返事をするわけがないのだが、少年は責められているようないたたまれない気持ちになった。
「……しょうがないだろ。こっちにも目立ちたくない事情があるし、俺一人であの人数相手に、しかも年上相手に何ができるって言うんだよ」
言ってしまってから、猫に対して何を話しているんだと舌打ちする。首輪をしていない野良のくせに、まったく物怖じせずにこちらを見つめてくるものだから、まるで人間を相手しているような気分になる。
猫を無視して、少年は路地裏から出た。真横を通ったというのに、猫は相変わらず身じろぎ一つしない。まるで人間のことを路傍の石のように思っているかのようだ。
あまりに猫らしくない様子に、少年は路地裏から出たところで振り返る。おそらく、あの猫がいなければ、そんなことをせずに立ち去っていただろう。猫は少年を見送るように振り返っていたが、目を細めて溜息を吐くと、少女たちの方へと視線を移した。
もはや人間としか思えない動作に、少年は自分のことを意気地なしと言われているような気がしてカチンとくる。血の気が多いのは若さゆえか、もともとそういう性格だったのか。どちらにせよ、プライドを刺激されて、少年の額に青筋が浮いた。
「あぁ、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば!」
腹を決めた少年の行動は速かった。重たい身体を気力でねじふせて走り出すと、高校生グループの中で一番背が高い男に狙いを定める。
「おい、あんたっ!!」
声をかけられた男子高校生が振り返るのに合わせ、少年はジャンプして空中に飛ぶ。突然現れた少年に目を大きく開ける男子高校生の鳩尾に、思い切り飛び蹴りを喰らわせた。
体格差があるとはいえ、不意打ちの攻撃は相当効いたようだ。胃の内容物を吐きだしながら倒れる男子高校生を無視して、少年は次の相手に向かう。
今の今まで少年の存在に気付いていなかった高校生グループは、みな一様に驚いた顔で固まっていた。あまり喧嘩慣れてしていなさそうな彼らの隙を見逃さず、少年は近くにいた別の男子高校生の股ぐらを蹴りあげる。
数でも体格でも負けている相手と喧嘩をする際のコツは、躊躇せずに全力で急所を狙うことだ。少年の経験則を証明するように、二人目も崩れ落ちる。
だが、少年の快進撃もそこまでだった。三人目に殴りかかろうとしたところで、逆に殴り返される。疲労が限界に達していた少年はあっさりとのされた。
「(やっぱ、こう、なる、よ、なぁ……)」
素手での喧嘩では、体格による影響が大きく出る。一発もらっただけで頭がくらくらした。それでも無理やり身体を起こそうとする少年の鳩尾に、革靴の先端が突き刺さる。
「なにしやがんだ、このクソガキがっ!」
「いきなり襲いかかってきやがって! なんなんだよ、てめえは!」
倒れている少年に対して、男たちが各々蹴りあげる。袋叩きにされて、顔を腫らした少年は、それでも力強い目で男たちを睨み、血の混じった唾を吐きつつ吠える。
「うっるせえよ。大勢で女一人囲むなんて、だせえことしてんじゃ、ねえ……」
「なんだ、ヒーロー気取りで助けに入ったつもりだったのか? 中二病患者かよ」
「実際、この子中学生っぽいじゃん。正義の味方のつもりなのが最高にキモっ!」
もう言い返す元気も残っていなかったので、少年は黙ってされるがままになる。最初に蹴り倒した二人は特に怒りが激しく、執拗に何度も殴り、少年は獣のような呻き声をあげる。その様子がおかしかったのか、女の一人が、笑いながらスマホで撮影を開始する。
だが、撮影を始めて少ししてから、突然スマホの画面がブラックアウトした。
「どうした?」
「いや、なんか急に電源が落ちちゃって……」
不思議そうな顔をする女子高生の背後で、何かが倒れる音がする。振り返ると、先刻まで取り囲んでいた少女の足元に、男の一人が白目を剥いて倒れていた。
その少女――マルクトは、やっちゃった☆という感じの笑みを浮かべている。
「はぁい、そこまで。そろそろお姉さん、怒っちゃうっすよぉ」
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