第3話 スクールライフ

 会社から出たマルクトは、太陽の光に目を細めながら大きく伸びをする。

 パソコン作業は苦ではないが、一仕事終えて緊張が解けると、どっと疲れが押し寄せてくる。この感覚はあまり好きではない。

 肩を回しながら駐輪場に向かうと、自分のスクーターの上に黒猫が寝そべっているのが見えた。少女は手鏡を取り出して、徹夜作業で乱れた髪を簡単に整え、一つ深呼吸してから改めて猫の方へと向かう。

 少女が近づいてくる気配を察したのか、黒猫はすっと頭を上げた。黄金を思わせる瞳に、理知的な相貌。『彼女』に見つめられただけで、徹夜の疲れなど吹っ飛んだ。


「ケテルちゃん、お待たせっす! 相変わらずイケ猫っすねぇ!!」


 ケテルと呼ばれた猫に手を伸ばすと、彼は抵抗もせずに持ちあげられた。少女は宝物を扱うような丁重な手つきで、黒猫をスクーター後部の荷台に移す。ケテル用に取りつけられたものらしく、荷台の中は毛布が敷かれて快適そうだった。

 携帯で時間を確認すると、始業に間に合うかどうかギリギリのラインだ。だが、少女は特に慌てた様子もなくエンジンを起動させると、安全運転でスクーターを発進させる。

 マルクトはあまり学校というものを重要視していない。師匠に勧められて通ってはいるものの、すでに手に職がついている彼女にとって、学校の授業は非効率的なものにしか映らなかった。だから、出席日数も卒業に必要な分で十分だと考えている。


「今回の仕事なんすけど、あのゲーム会社、また変なゲーム作ってて……」


 スクーターを走らせながら、マルクトは独り言のように雑談を始める。一応ケテルに対して話しかけているのだが、黒猫は聞いているのかいないのか、鳴き声一つ発さない。だが、そんなことおかまいなしに少女は話を続けた。

 だんだん暑くなってきた気温の中、向かい風が気持ちいい。ケテルも荷台から顔を出して、心地よさそうに目を細めている。真夏は日光が辛いし、真冬は風が辛いが、スクーターを走らせている時間は楽しかった。

 やがて学校の敷地近くまで来ると、マルクトはスクーターを止めて有料駐輪場に駐輪する。カバンからヘッドフォンを取り出して装着し、登校路を歩き始めた。

 学校が近づくにつれ、制服を着た生徒たちがちらほらと見えてくる。道が空いていたこともあり、思ったよりも余裕を持って登校することができたようだ。

 悠々と歩くマルクトに気付いた生徒が、びくりと驚いた顔になって少女から距離を取る。ひそひそとやり取りされる会話に気付きながらも、マルクトは特に気にした様子もなく歩を進めた。何を言われているかは想像がついている。

 玄関口に到達したマルクトは、自分の下駄箱の前に立つ。ここだけいろいろ書かれているため、非常に目立って間違えることはない。


『親殺し!!』『学校に来るな、殺人鬼!』『雷に打たれて死んじゃえ!』


 油性マジックで書かれたさまざまな罵詈雑言。この狭いスペースによくこれだけ書けたなと感心する。さて、今週は何が入っているだろうと下駄箱に手をかけた。


『止めておいた方がいいでしょう。大量のアオムシが入れられています』


 ヘッドフォンから響いた声に、少女の手はピタリと止まった。

 軽く気配を探ると、少し離れたところにいる生徒たちがクスクス笑いながら、マルクトの様子をちらちら見ているのがわかった。


『女性はそういうものを嫌がると聞いたことがあります』

「……女性じゃなくても嫌だと思うっすよ?」

『ふむ、女性だけではなく、人間全体の特性ですか。脅威になるわけでもない生物を嫌がる理由が理解できませんが、覚えておきましょう』


 こんなことのために、わざわざアオムシを集めた努力にマルクトは呆れる。画鋲くらいなら取り出してから上履きを履けばいいのだが、仕方なく、来客用スリッパを手に取る。


「ちょっと! 上履きがあるのに、なんでスリッパなんて履いてるのよ!」


 教室へと向かおうとすると、背後から女生徒が怒鳴ってきた。先刻、クスクス笑いながら、こちらをちら見していた一人だ。


「いひひひひ。私も女子なので~。アオムシ入りの靴なんて履きたくないんすよ」

「あ、開けてもないのに、なんでそんなことわかるのよ!」

「開けなくても私にはわかるんすよ。疑うなら、あんたが開けてみるっすか?」


 顎で下駄箱を指すが、女生徒はぐっと詰まって何も言えなくなった。それ以上会話を続ける意味もないので、マルクトはそそくさと教室に向かう。


『虫を入れたのは彼女のようですね。発言の際に

「見なくても、それくらいわかるっすよぉ」


 からの声に苦笑で応えるマルクト。だが、周囲からは彼女が独り言を言っているようにしか見えないらしく、すれ違う生徒たちは不気味そうに彼女を見送った。

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