第2話 ハッカーガール
ピアノを奏でるように滑らかに、少女の白い指先がキーボードを打ちこんでいく。電光石火の速度で綴られていくコマンド群が、眼鏡に映りこむパソコン画面を目まぐるしく変えていった。
それを金と碧の瞳で追いながら、眼鏡をかけた少女――マルクトは、昨日の夕食時に師匠と一緒に見たニュースを思い出していた。
『近年、サイバー犯罪は増加の一途を辿っており、与党はサイバーセキュリティの強化を政府主導で実施する政策を打ち出しましたが、具体性がないとの指摘が――』
サイバー犯罪を飯の種とし、今まさにハッキングを行っているマルクトからすれば、他人事ではない。珍しくニュースを真剣に観ていたのだが、マルクト以上に世俗に関心のない師匠にチャンネルを変えられた。
師匠は頭がいいくせに、テレビはアニメしか観ない。子どもが観るような魔法少女ものだ。スカートが翻るシーンでは、真顔でテレビの下から覗きこもうとする。ゴキブリを潰す感覚で、その頭を踏みつけることでその日のチャンネル争いはマルクトが勝利した。
チャンネルをニュースに戻したが、残念ながらすでに話題が変わっていた。
『先日、セフィロトコーポレーションのデータベースから、製薬情報が盗まれるという事件があったばかりであり、サイバー犯罪対策は今後も注目が集まりそうです。続いて、ライフ市の路地裏で見つかった射殺死体の――』
現実世界の事柄には興味がなかったので、それ以降の内容は覚えていない。政府主導で動いたところで、電子世界のセキュリティ事情はあまり変わらないだろうなと思った。
サイバーセキュリティというのは、匙加減がとても難しい。強化することは簡単なのだが、やりすぎれば金がかかるし、使い勝手も悪くなる。
そのあたりの発想は、サイバーセキュリティも現実の警備も変わらない。例えば、家のセキュリティを完璧にしようと考えた場合、すべての出入り口や窓に、完全武装の警備員を一人ずつ常時配置すればいい。だが、そんなことをすれば、尋常じゃない大金が必要になり、住人のプライベートもあったものじゃない。
だからこそ、警備員の数を減らしたり、監視カメラなどで代用することで対応するのだが、そうしてできた隙につけこむのがクラッカーだ。セキュリティ事情をよく知らない者は、もっとセキュリティを強化しろと無責任に声を上げるが、セキュリティの強固さとコストの最適なバランスを考えるというのはとても難しいのだ。
「……はい、ハッキング終了っす」
最後のエンターキーを押すとともに、ゲームのアバターステータス画面が現れる。マルクトの背後で見守っていたゲーム開発者陣から悲鳴が上がった。
「レベル・能力カンスト。スキル全種類習得。アイテム全種フル取得。NPCからの好感度MAX。NPC全員と結婚状態で、子どももあり。エトセトラっと……」
「うーん、異世界転生もののごときチーレムぶりですな。システム上、重婚はできないはずなのですが、そのあたりのバグも含めて見直しましょうか」
「……えーっと、男同士で子どもができてる上に、男女のカップリングが成立しないんすけど。これはバグじゃないんすか?」
「あぁ、それは仕様です。『フォーモーエムブレム~薔薇雪月~』は戦略シミュレーションもできるギャルゲ『フォーモーエムブレムシリーズ』の新作です。ご安心ください。女性同士ならくっつくことができるので、
とりあえず、某ゲーム会社に土下座して来い。あと、ノーマルという言葉の意味を辞書で引き直してから千回書き写せと心の中で思いながら、マルクトはセキュリティ改善案をメモに書き記していく。
メモを報告用フォルダに保存すると、少女は眼鏡を外して席を立った。
「とりあえず、簡易だけどセキュリティ改善案をまとめておいたっすから、どうするかは会社の方で決めてください。詳しい説明が必要なら、別料金で請け負うっすよ」
「いやいや、十分ですよ。徹夜作業お疲れ様でした。これから学校だって聞いてますけど、大丈夫ですか?」
「授業中に寝るから問題ないっす」
欠伸をしながら出ていくマルクトと入れ違いに、出社してきた社員が開発室に入ってくる。反射的に会釈を交わしたが、社員としては若すぎる少女に男は首をひねる。
周囲の反応からして不審者ではないのだろうが、あまりに場違いな存在である彼女を見て、気にするなという方が無理がある。
「あの、今の子は?」
「あぁ、マルクトちゃん? セキュリティチェックの時だけ臨時で雇ってるアルバイトだよ。まだ高校生だけど、大人顔負けで優秀な子さ。あと、かわいい」
「つ、つまり、リアルJK!? 実在したのか!?」
「混乱はわかるけど、落ち着け? 君も数年前は高校生だったんだからね? ここで仕事してると、女っけのなさのせいで女子に過剰反応してしまうのは理解できるけど」
ハッカーを雇って、実際にクラッキングが可能かどうかをテストする事例は存在する。ただ、マルクトほど若い女性がそれをするのは極めて稀だ。
「クラッキング技術なんて、普通に身につくものじゃないのに、あの年齢でどうやって手に入れたのやら。……すごいことはすごいんだけど、学校で浮いてなければいいなぁ」
マルクトの残したメモに目を通しながら、開発員の男は少し心配そうに呟いた。
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