終章 後日談②

 冬が過ぎ、終わりと始まりを匂わせる花の芽吹く季節となった。

 街は相変わらず、日々微量の変化を伴いつつも、いつもと変わらない相貌を呈している。

 街を行き交う雑踏、信号を渡る人々。電車から降りてそそくさと学校に向かう学生。

「宗像さんの誘いだから来たのですが、実はこの時期はあまり外に出たくないのです。出来れば、自宅か大学に篭っていたい」

 太は思わずぼやいた。

「太。またそんなことを言ってるのか。お前は誰かが誘いに来なかったら本当に自宅に篭りきってしまいそうだな」

 太と歩く宗像はやれやれと後頭部を指で掻く。

「いいんですよ、それで。最低限の食料さえ備蓄しておいてこの時期を乗り切るんです」

「何でこの時期がそんなに嫌なんだ、お前。いい季節じゃないか。暖かいし、桜は綺麗だし、気持ちをリフレッシュ出来る時期だと思うんだが」

「それは確かにそうです。だけど、そういう表面的なことに付随する様々なことが憂鬱なんです」

「憂鬱って、例えば?」

「春休みの学生が多いこととか。何っていうか、彼らは輝いていて自分という存在が惨めに思えてくるんです」

「お前ってやつは、全く。そら」

 宗像は太の背中を軽くぽんと叩いた。太は突然のことで困惑した表情で宗像のことを見た。

「これから花見に行こうってのに、そんな景気の悪いこと言ってどうするんだ。ま、他人と比較してちゃきりないぜ。気楽に行こう、気楽に……何故そこで笑う?」

「いえ、宗像さん人生楽しそうだな〜って思うと、何か自然と笑ってしまって」

「つくづくお前の笑いのツボもよく分からん」


 西公園は川沿いにある公園である。桜で有名な所で、例年春になると花見をする客で溢れかえっている。

 太は大学の集まりで宗像と一緒に西公園まで赴いていたが、この日は休日かつ満開ということもあってかまだ午前中だというのに普段では考えられないほどの人の多さで、当然の如くブルーシートを敷ける場所は既になくなってしまっていた。

「しかし何故にわざわざ休日になったんですか」

 太が少し人の多さに辟易しながら、宗像に尋ねた。

「仕方がないだろう。皆の予定を都合したら、この土曜日が一番最適だったんだから。ほら、はぐれるなよ」

 太は歩きながら辺りを見回す。

 若者と壮年の人が混ざったグループが談笑に花を咲かせ、若者が苦笑している。社会人の集まりなんだろう、と別の所に目を向けてみると、白髪混じり、あるいは白髪の男性、女性の集まりが静かに話を弾ませていた。別の所では、若者だらけのグループが油っぽい料理やおそらく酒の注がれた紙コップを片手に写真を取り合ったりしている。

 太は人が多い所はあまり好きではないが、こうした雑多な人が集まるような場所は好きであった。生きてきた年代も送ってきた青春も異なる人達、それが同じ所に集まり、それぞれが思い思いに楽しんでいる。そんな光景が何故だか昔から好きだった。ひょっとすると、それは物語のキッカケになりやすそうな場だと感じるからなのかもしれない。物語というものは得てして静かで平和な水面に石を投げて波紋を呼び起こすようなものだ。そして、そのようなことが起きやすいのは価値観や生きてきた環境が違うような異なるタイプの人間同士が出会った時だったり、ハレの日だったりする。この場は、その意味でまさに物語が起きそうな場所であった。

「あら、はじめ」

 聞き覚えのある女の子の声がした。振り返ると、そこには小学高学年か中学生くらいの女の子が立っていた。

「えと、たまき」

「奇遇ね。こんな所で会うなんて」

「おーいおおの、って、あ」

 いつの間にか横を歩いていた太がいなくなって振り返った宗像も、たまきの存在に気付く。

「結ちゃんか。久しぶりだね」

 どことなく宗像が上機嫌になっている気がする、と太は思った。まあ、そのことは皆には秘密にしておこう。彼の名誉に関わることだろうから。

「ええ、宗像。お久しぶり。二人もお花見に?」

「そうそう。といっても男二人じゃなくて大学のやつらとだけどね」

「ふふ、楽しそうで何よりね」

「結ちゃんは?」

「私? 私はお父さんとそのお友達とよ。同じくらいの子もいるから、それなりに楽しくやってるわ」

「そっか、坂上のおじさんも来てたんだね。おじさんによろしく言っといてよ」

「ええ。分かったわ。代わりと言ってはなんだけど、後でそっちの方にお邪魔してもいいかしら」

「えっと、それは」

「ああ構わないよ。そん時は携帯で連絡してくれ」

 躊躇する太の体をその逞しい腕でがっしりホールドして牽制しながら、宗像はたまきに言った。

「ありがとう。それじゃあ、また後でね、二人共」

「ちょっと、宗像さん」

「ん、何だ?」

「何だじゃないですよ、大学生の花見に子供を巻き込むなんて。もう酔っぱらった状態の佐々木さんとかが絡んだらどうするんですか」

 佐々木さんというのは眼鏡が印象的でおっとりし大学院生の女性であるが、酔っ払うとやたら絡んでくるので有名な人であった。例に漏れず、今回の集まりにはそうした酔っぱらいになる可能性のある人物が何人かいた。

「大丈夫だって。流石に佐々木さんも子供に絡んできたりしないよ。それに、俺がそこら辺見張っとくからさ」

「一人だけじゃ心許ないですので、僕も一応協力します」

「そうか。悪いな」


 あれから数ヶ月経った。

 あの日あの時港で消失した人達は何事もなく戻ってきた。当事者達の意見を聞くと、その間の出来事は何も覚えておらず、気が付いたら朝を迎えていたのだという。そもそも消失した時点で寝ていた人達に至っては何かが起きたことすら認識していない。望月氏曰く、人が消失したのは「異界化」という現象のせいとのこと(橋や岩壁などに門を築いて神様の世界に繋げるのではなく、その空間ごと神様の世界に持ってくるのを「異界化」というらしい。そしてそれは、「神隠し」の一種であるとのこと)。その間の出来事がすっかり抜け落ちているのは、「異界化」が解ける時の反動によるものだという。

 港の出来事は弓司庁の働きかけもあり、結局外部には防災訓練中の事故ということに落ち着いた。しかし、上空に発生していた華の件や集団忘却・睡眠の件のこともあり巷では妖怪だとか妖精だとか魔女の仕業だとかいう都市伝説がまことしやかに囁かれていた。

 何れにせよ、今回の騒動は幕を閉じた。今回の件で生じた痕跡など、傍から見れば広場の惨憺たる有様だけで、それ以外は元のままである。これからも人々はこの事件の真相など知らぬまま、その表面に貼り付けられた都市伝説を見続けるのだろう。しかし、知る必要もないのであろう。そもそも、これはもう忘れられた者達の物語なのだから。ただ、私はそれを記録に、記憶に留めておこうと思う。例え結果が滅びであったとしても、彼らは確かに存在し、泣き、笑い、歴史を積み重ねてきたのだから。彼らの存在した証を、残さねばならない、残しておきたいのだ。

 だが、断っておくとこの記憶と記録は中途半端なものになるだろう。何故なら私は、異変の中心人物だった者のことをどうしても思い出せないでいるからだ。確かにその人物がいたことは覚えているのだが、それが何者であったかが分からない。何かが、圧倒的に欠落しているのだ。それについて、客士であるとある女性はこう言った。「代償が代替でもされたのかもしれないな。”目から関係性の消失”へと」。欠落の真相は不明だが、もしある時このことを思い出せたなら、この記録ももっとマシなものに出来るだろう。


 シートは川岸へと降りる階段付近に長方形の形に敷かれていた。そこで十数人がピーナッツやポテトチップスなどのつまみを頬張りながら紙コップにビールを注ぎ、思い思いに話をしている。

「皆さん、お疲れさ――」

「おおのぉ、おっろぃぞ〜」

 太と宗像が集まりに着くなり、眼鏡をかけた女性がよろよろと太の方によってきた。

「あの佐々木さん。まだはじまったばかりだと思います。っていうか、出来上がるの早くないですか」

「なんのこれしぃき〜」

 ひっく、としゃっくりをしながら佐々木さんは虚ろな目で太を見る。まだ午前十時を過ぎたくらい、三十分も経っていない時間なのにどうしてこの人は酔っているのだろうと太は思う。

「それはね、この人は先日丁度失恋をしてしまったからだよ」

 まるで太の心を読んだかのように、中肉中背で短髪の男がシートから立ち上がり太に言った。

「惣領さん」

「だから着いて聡早々で申し訳ないんだけど、彼女を慰めてやってくれないか」

「は、はあ」

 やけ酒。それで酔うのが早いのかと、太は納得した。彼女は常々から酔いやすい人だが、いつもそんなに早くに酔うことはなかったからだ。

「じゃ、そういうわけでちょっと俺は席を離れる。おーい皆、宗像と太が来てくれたぞ」

 シートの中に迎えられた太と宗像は飲み物を振る舞われ、つまみをもらい、そして佐々木さんに絡まれた。

「はあ、大変だ」

 頃合いを見計らい、太は「ちょっと買い出しに行く」などと言ってブルーシート席を離れて公園の手すりに寄りかかって休憩していた。花見とは言うけれど、花を観てる余裕なんてないなー、などと太は心の中で一人呟く。

「っていうか皆花見てるのかな」

「一応観てるんじゃないか」

「そうなんですかね」

 聞き覚えのある男の声。聞き覚えのある声だったので、太も自然と返事をしてしまった。

「つっても、メインは集まって飲み食い話すことだろうけどな」

「ですよね」

 ちょっと気だるげそうなこの声は誰であったか。春の陽気で思考が鈍っているせいか、太はその声の主がすぐに出てこなかった。

 誰であったか。大学生ではなかった筈だが。

 ぬっ、と顔が横に出てきた。うららかな天気のせいか、気だるげそうな顔が一層気だるげそうである。

「すまん、あまりに自然に受け入れているが、そろそろ何か反応してほしい」

「……天野、さん!?」

 太は勢い良く後退る。目を見開いて凝視しながら人差し指で自分を指差す太に天野は少し顔をしかめる。

「リアクションは嬉しいが、少しオーバーだ、太君。まるで俺がここにいるのがさもおかしいみたいじゃないか」

「い、いえ。すみません。でも何でここに」

「まあ単純に大学の集まりだ」

「そ、そうですか」

「おいおい、何だその顔は。俺だって祭りの一つや二つには顔くらい出すぞ。割と嫌いじゃないしな」

「へえ、そうなんだ。意外」

「うおっ!」

 仰け反る天野。そこに立っていたのは望月であった。

「いきなり耳元で囁くのは止めろ望月。心臓がビクついちまったじゃねえか」

「も、望月さんまで」

「どーも、太君」

 望月は呑気そうに手を振る。

「なんか分かりきってること聞きますが、やっぱり花見ですか」

「ま、桜の季節だからね。私も古くから付き合いがある人達と来たってわけ。ああ、小梅ちゃんも来てるわよ。ね、小梅ちゃん」

 そう言って望月の背から弓納がひょっこりと出てきた。

「おはようございます。いえ、こんにちは? ですかね」

「おはようございます、かな。小梅ちゃんは高校の友達と?」

「いえ、望月さんの集まりに参加させてもらってます。お酒は飲めないのですが」

「そんなこと気にしなくていいのよ。あと無理してノンアルコールを飲まなくてもいいから」

「いえ、そんな」

 弓納は慌てて手を振る。

「それにしても、まあ揃いも揃ったな」

「あら、言われてみればほんとね」

「こういう偶然重なるとちょっと怖えな。もしかしたら何か起きたりとかしねえよな」

「天野さん。縁起でもない」

「いや、悪い。太君」

「いいんじゃない、たまにはこういうことがあっても」

「あの子にも見せてあげたかったな」

「太君。何か言った?」

「あ、いえ、何でもないです」

 そう言って、自分がさっき「あの子」と言っていたことを思い出した。

 あの子? あの子って誰だ。

 何か、大事なことを忘れている気がする。

 太の携帯が鳴る。確認すると、それは宗像からだった。

「あ、すみません。そろそろ行かないと」

「そう? じゃあまたね」

「はい。ではまた」

 コンビニで宗像から頼まれたものを買うため、太は雑踏を掻き分けて公園の外へ出る。

「ふう」

 公園の外はほぼいつも通り。さしづめ、この公園の外と内を分けてる柵は結界だな、と太は思った。公園の活気を外へと出さないための結界。

「さてと」

 太は道路向かいをちょっと行った所にあるコンビニに向かって歩き出した。

 ……の。

「?」

 気のせいか、と太は思った。懐かしい声がした気がした。

 あの!

「え」

 太は思わず振り返った。

 そこにいたのは、淡い黒髪、絹のような髪が特徴的な、笑顔が似合いそうな女の子。

 黒? でも何処かで。

「すみません。ちょっとお伺いしたいのですが」

「……はい、何でしょう」

「北野神社の行き方って分かるでしょうか?」

 その女の子は言った。

「ああ、北野神社でしたら――」

 太は少女の持っていたガイドブックの地図を見ながら道を教えようとする。


 ……ああ、何だったかな。

 何か大切なものを忘れている気がする。

 でも何でだろう。

 何となくそれを聞けば、その大切なことを思い出せるんじゃないだろうかって。


「丁寧にありがとうございます」

 女の子は元気よく深々とお辞儀をする。それから何か思い付いたかのように「あっ」と言って肩にかけていたカバンの中に手を突っ込む。

「あのう、持ち合わせがこれくらいしかなかったのですが、よかったら飴は如何ですか?」

 そうして女の子は手を差し出した。その手の平には透明な袋で包まれた抹茶色の飴玉がちょこんと転がっていた。

「あー、やっぱ要らないでしょうか?」

「ううん。そんなことない、ありがとう」

 太はその飴玉を女の子から受け取る。

「では、私はこれにて。本当にありがとうございます」

 そうして、女の子は踵を返してその場を跡にしようとした。

「あ」

 行ってしまう。

 聞いてみないと。

 それは、大事なことだから。

「ごめん。ちょっと待って」

 気が付いたら声が出ていた。女の子は歩みを止め、振り返った。

「はい?」

「こんなことを聞いていいのか分からないけど、君の名前を教えてほしいんだ」

「私の、ですか?」

「うん。嫌だったらいい」

「いいですよ」

 女の子は朗らかに笑った。

「私の名前は」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る