第八章 目覚め①

「色々と動きがあったようだな」

 腰に手を当て、眼下に夜景を望みながら男は誰にともなく呟いた。そこは御笠山の頂上付近にある開けた平地で、登山用に整備された場所からは離れた所に位置していたが、男はコートにスーツというおよそその場には似つかわしくない格好で、何をするでもなくその場に立っていた。

「本居正一、だな」

 不意に背後から男の声がした。しかしその男、本居正一は自分の名前が呼ばれたにも関わらず、振り返ろうとはしなかった。

「いかにもそうだが、君は」

「秋月洋介という。弓司庁という所に勤めている者だ」

 そこに立っていたのは、秋月洋介であった。彼は本居と同じく、スーツに無地のレッドワインのベストという、およそそこに似つかわしくない格好をしていた。ただ彼の場合、鞘に収まった刀をその手に持っており、余計その場にいることへの違和感を強めていた。

「成程。それで、何の用かな」

「二、三、尋ねたいことがある」

「何なりと、答えられる範囲でなら答えよう」

「先ず、この街へは何をしに来た」

「それは君、決まっているじゃないか。観光だよ。既に仕事を引退して暇を持て余すだけの人間が、観光以外に一体何をしにここへ来るというのかね」

「そうか。それでは、次の質問だ」

「何かな」

「”さやを目覚めさせた”のは、本居、お前の仕業か」

「ああ、そうだ。それが何か」

 そうして、本居はようやく振り向いた。その顔は平然とした面持ちで、薄っすらと笑みを作っている以外は何も読み取れない顔をしていた。

 秋月は徐ろに刀の柄に手をかける。

「何が目的だ。何故そんなことをした」

「さてな。そこまで答える義務はない」

「そうか、では質問は以上だ。さらば」

 横に一直線に跳躍し、刀を抜いて本居目掛けて袈裟懸けに斬り込んだ。

 キン、という音がした。その刀身が斬ったものは肉と骨ではなく、それは、金属であった。

 銃声が二、三と鳴った。秋月は体の向きを変え、刀を以て”そこ”から飛んでくる鉛玉を何度も弾いた。

「む」

 一つが剣撃の隙間を縫って秋月の体に到達した。

 しかし、

 そこから飛び散ったのは赤い液体ではなく、

 無数の小さなコウモリのシルエットであった。

 秋月の体に何度も銃弾が命中する。その度に無数のコウモリが飛び散り、六つ目の銃弾が命中した時、そこにもはや秋月の体と呼べるものは無くなっていた。

 やがて、そこに残っていた秋月の体の残骸も何十ものコウモリへと形を変え、それら無数のコウモリは数メートル外れた場所へと一箇所に集まり、そして、秋月へと形を変えた。

「へえ、貴方吸血鬼ってやつかしら。こんな所でお目にかかれるなんて思いもしなかったわ」

「誰だ」

 秋月は、刀を横一文字に構えたまま、唐突に割り込んできた乱入者に問いかけた。木々の向こうから、夜でも分かるくらい華やかなブロンドの髪の女性が、チェロかコントラバス程もある大きな銃を歩いてきた。

「他人に名乗らせる前に、先ず自分から名乗りを上げるのがこの国の礼儀じゃなかったかしら。まあいいわ。私はバルバラ・クズネツォフ。さっきの”挨拶”で分かったように、ショウイチの協力者よ」

「成程。しかし何故協力をする。金、か」

「失礼ね。こんなことに手を出さないといけないほど切羽詰まってないわよ」

「君は部外者の筈だ。解せないな」

「それを言うなら、貴方の方がよっぽど部外者よ。貴方、東欧辺りから流れて来た口でしょう。そんな人よりは私、よっぽど関係者よ」

 バルバラは本居の方を振り向いた。本居は相変わらずその柔和な笑みを崩さず、バルバラの方を向く。

「ごめんね、ショウイチ。もう少しで真っ二つだったわね」

「ああ、構わないよ。こうして私は無事なわけなのだから、むしろ感謝したいくらいだ」

「流石。人の上に立つだけのことはあるわ」

「少し肝は冷えてしまったがね」

「もう、そこはご愛嬌ということで許して。さて」

 バルバラは銃口を秋月に向けた。

「大人しく退いてくれないかしら」

「断る。それより君は、まさか一人で私に決闘を挑むつもりか」

「ふふ、それも良かったのだけど、実はまだ協力者がいるわ」

 秋月はふと後ろから気配がするのを感じた。

「うううう」

 低い、人が物真似で出す獣のような唸り声。そこから感じる異物感に、秋月には覚えがあった。

「公園の時のあれか。ああ、そうか。ではあの時の銃も君の仕業か」

「ご名答よ、吸血鬼さん。ほんと、貴方速いから逃げるの苦労したわ。さて、もう一回聞くけど、退いてくれない?」

 秋月はその問いには応えずに、迷わずバルバラに向かって一直線に駆けた。

「やれやれね」

 バルバラは既に目の前に迫り斬りかかろうとする男に向けて、引き金を引いた。


       ○


 御笠山の中腹に立っている打ち捨てられたホテル。かつては人で賑わっていたであろうそこは、今や滅びを待つだけの廃墟となってポツリと山の中に静かに佇んでいた。

「は~極楽極楽」

 ホテルのテラスで澄んだ夜空を眺めながら、勘解由小路は水筒に組んだお茶で喉を潤していた。

「わざわざ神社に行って交渉事だなんてほんと気乗りしなかったけど、いやあ、私はなんてついてるのでしょう」

 横には、黒衣の人型をした影がのたうち回っていた。その腹に当たる部分には短い樫の木で出来たステッキが刺さっている。

 勘解由小路はその場でしゃがみ、その黒い影の頭にデコピンを当てた。

「ありがとねー黒子さん。貴方がいなかったら私、今頃ストレスで胃に穴が空いてたかもー」

「ギイイイ」

 影はどこからともなく呻き声を上げる。

「えへへ、貴方、秋月さんの報告にあった子でしょう。分裂されても困るし、ちょいと動き封じさせてもらいました。それにしても廃墟とはね、ま、貴方のような子が住み着くのには丁度いいのかね」

 勘解由小路は立ち上がり、手足をバタバタとさせるその黒い影をそのまま放置して室内へと入っていく。

 そこはホールになっていた。奥の方に舞台があり、かつては何か余興でも出来るような場所だったのだろうことを窺わせるそこは、今では壁面が所々剥げ落ち、隅には小さな瓦礫が散乱していた。

 その中心、そこには魔法陣のようなものが赤い光を放っており、その中に、さやが仰向けに倒れていた。

「ふーむ、やっぱり擬装してるってわけじゃなさそうだね。これは、本物の魔術か」

 やれやれ、勘解由小路は腕を組み、自分の不学を後悔する。これは、基礎知識くらいでもちゃんと学んでおくべきであったか。魔術の真似事をしている手前、多少は自信があるつもりだったが、実際にこういうものを目にするとこれがどういうもので、どうすれば解除出来るのかが今いち検討が付かない。

「あれが一体何者か気になるけど、それにしても迂闊に手を出すべきじゃないよねー。呪われたらたまらんし。あー、そうだ秋月さんに頼むかー」

 ナイス私、などと言いつつ勘解由小路は魔法陣に背を向け、再びテラスの方へ向かった。

「はあ、身から出た錆とはいえ色々と酷い目に遭っちゃったけど、これで後はこの子を連れて戻ればお勤めは終わり。そうとなればこの街ともお別れか。ま、今度はプライベートで行けばいっか」

 倒れた石柱の上に乗せたアンティーク調の籐鞄から、黒い折り紙を取り出す。勘解由小路が息を吹き込むと、その折り紙は見る見るうちに形を変え、蝙蝠となって宙を羽ばたき始めた。

「秋月さんに、さや運び出すためにここに来てって伝えて」

 蝙蝠はそれを聞くと、空高く飛び上がり、山の方へ飛んでいった。

「ま、急ぐもんでもなし。気長に待ちますか」

 勘解由小路は鞄からデジタルカメラを取り出し、テラスから見える夜景を撮りだした。

「おおー。こいつは中々絶景ですな。ネットにアップしても大丈夫かな。でもここ廃墟だからな。色々とまずい気がする」

 ぶつぶつと独り言を言いながら、最初数分間は写真を撮ることに熱中していた。しかしそれもやがて飽きてしまい、ただ変わることのない夜景をぼーっと眺め続けた。

「こんなことなら漫画も持ってくるんだったな。携帯も電池切れそうだし。ああー暇だ暇過ぎる」

 ぶつくさと文句を言いながら、勘解由小路はデジタルカメラをしまいに鞄の置いてある石柱の所まで歩いて行く。

「他に何か持ってきてなかったかなー。あ、小説見っけ。これ前積んでたやつだ。何処に行ってかたと思ったら、ラッキー」

 がさごそと鞄の中を物色していた勘解由小路はピクとこめかみを動かした。

「あーれ、何で起きちゃってるのかなー」

 鞄を覗いたまま中を漁る手を止め、勘解由小路は”少し離れた所にぼーっと突っ立っているその女の子”に向けて語りかけた。

 そこにいたのは、さやであった。

「おっかしいね。あの魔法陣が私の見立て通りだとすると、貴方はこんな所に突っ立ていないで、今も彼処に王子様のキスを待つお姫様みたいに寝てなければならない筈なんだけど」

 勘解由小路はさやの方を振り向きつつ言った。しかし、その独り言のような問いかけにさやは何の反応も示さず、ただ虚ろな眼差しをあちらこちらへと向け続ける。

「ここはとある山の中腹にある、廃業したホテルの残骸。ああ不思議だよね、神社にいた筈なのに、気が付いたらこんな人気のないうら寂しい所だなんてさ」

 やはりさやはその言葉に応えず、ゆっくりと虚空を仰ぎ見た。勘解由小路も相手の出方を窺っているのか、その月明かりに映える白の髪の少女を見据えたまま動かない。

 冷たい風がテラスに吹き渡り、ただ朽ち果てるばかりのその建物の崩壊を手伝うかのように中へと侵入していく。

 不意に、その白髪の少女の唇が動いた。

 ……なんだって? 勘解由小路は怪訝な顔をして、断片的に拾い取れたそれを元に言葉の意味を構築しようとした。

「まだ、足りない」

 今度はハッキリと聞こえた。足りない、確かに彼女はそう言った。

 足りない。何が? いや、分かっている。それは、多分。

 さやは裸足のまま、ゆっくりとテラスの壁際まで歩き出した。一つ、また一つと勘解由小路との距離も狭まっていく。

「何処へ行くつもりなのかな。危ないよ、下はガラスとか瓦礫の破片とか一杯あるから」

 さやが勘解由小路とすれ違った時、勘解由小路は嫌に腹の底に残るような声音で言った。その言葉に反応したのか、さやはその歩みを止めた。

「悪いことは言わないから、大人しくここでじっとしててほしいな。じゃないと、私」

「疾く、失せるがいい」

 さやは初めて勘解由小路に対して口を開いた。それを、彼女は宣戦布告と受け取った。

「……ああそう。じゃあ遠慮しないよ」

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