第八章 目覚め②

 廃墟を夜風が吹き荒び、ひび割れたコンクリートの隙間からその生命力の強さを見せつけるかのように生えている植物はその度に揺れる。

 最早光が灯されることも無くなったその建物の中、その結末が訪れるまでにさして時間はかからなかった。

「あ、が」

 少女の呻きが漏れる。その呻きしかし、まだ必死に抵抗を試みようとする意思が宿っていた。

 勘解由小路は自分の首を締め付けるものを振り払おうと、目の前にある筈のそれを掴もうともがいていた。

「随分と活きがいいな、小娘」

「は、それは、どうも」

 何とか言葉を絞り出しつつ、勘解由小路は背筋を汗が伝っていくのを感じた。服が体に貼り付く。ああ、なんて不快なんだ。あと、苦しい。

 全く通じなかった。よりにもよって眼にやられてしまうなんて。

 勘解由小路は何度か実体化した神霊の類と対峙したことがあるが、その時に知ったことがある。眼だ。やつらの中には眼で人を射殺し、呪い、縛る者がいる。それはほとんどの場合、眼を合わせなければいいというものではない。視界に捉えられることが問題である場合が多いのだ。

 よく眼を合わせてはいけないと言われる。しかし、そうやって防げるものはあくまで相手の内部に入り込むことで作用する類の魔眼のみである。実際のところは相手の体を捉えるだけでよいものも存在する。単純に、眼を合わせてはいけないのは多量の情報を体の内に取り込む眼が力の流入口として最も適しているからに過ぎないからだ。

 神話・伝説に登場するような英雄ならば、おおよその魔眼の力をその頑強な肉体で跳ね返してしまうのだろう。

 しかし、勘解由小路はそこまでの耐性など有してはいない。だからこそ、眼による力の作用を阻むために魔力で生成した強固な膜を自分の周りに貼り付けるようになった。

 しかし、その防御壁はいとも容易く破られてしまい、今、さやは手も出さずにその眼だけで勘解由小路の一切の命運を握っていた。

「このままお前を捻り潰すのは簡単だが、これ以上この身を穢したくないんだ。だから降参したと言いなさい」

「なん、だって……」

「私に頭を垂れればいい。そうすれば私に牙を向けた不敬も赦しましょう。どう、簡単なことでしょう。さあ、そうと分かれば早く」

「ふ、ふふ」

 息も絶え絶えな少女から微かに笑い声が漏れた。さやは怪訝な顔をする。

「気でも狂ったか、娘」

「大魔大伐」

「ん?」

 さやは勘解由小路の眼を見る。そこには確かにまだ、強い光が宿っていた。

「舐めてくれちゃあ、困るね。腐っても、煮ても、焼かれても、私は弓司庁の一員。貴方のような、過去に成り果てた神様なんかに、へいへい頭を下げちゃあ勘解由小路の名が廃るっての」

 絞り出した言葉。しかし、その言葉には確かに強い意思がこもっていた。

 さやは目をぱちくりとさせた後、少しだけ口角を上げる。

「そう、か。では仕方がない。その意気に免じて、このまま絞め殺してあげましょう」

「か、あ、あああああ」

 目を大きく見開き、宙に浮いた足をバタバタさせる。首を締め付けるものを捕まえようとするが、両手で掴めるものは自分の首だけで、まるで自分で自分の首を締めているようであった。

「これで終わりだ」

 止めを刺すために首を締め付ける力を更に強めようした。

「さや」

 聞き覚えのある声がした。さやは声のした方を振り向く。

「あ、はじめ」

 勘解由小路を絞めていた力が弱まり、彼女は地についてそのままその場に倒れ込んだ。

「さや、何でこんな所に」

 太の問いに、さやは応えない。ただ、困惑した表情でその少女は太を見ていた。

 太はさやの横に倒れ、必死に失った酸素を取り込もうと息を荒げている少女を見る。魔女? 異様な風体をしていたが、その子は今さやの手にかかって命を断たれようとしていたらしい。

 太は首を振った。

「駄目だ、さや。そんなこと」

「う、五月蝿いっ!」

 さやは首をぶるぶると振った。それから、静かに太に背を向ける。

「はじめ、今までありがとう」

 そう言ったかと思うと、さやの体は青黒いもやに包まれて消えていった。

「さや」

 太はただそこに立ち尽くした。

 たまたま大学からの帰り際、上空に黒衣に包まれた人影のようなものと白い何かとが飛翔していたのを目撃していた彼はそれを追い、この廃墟へと辿り着いた。結果がこれである。さやは、最早さやではなくなっていた。

 いや、あれが本来のさやだったのだろう。今まで自分達が知っていたさやは仮初めの――

「違う」

 あれも間違いなくさやだ。本来だとかそんなもの関係ない。

「だって、楽しそうに笑ってたじゃないか」

 ハッと我に返ってその倒れている少女を見た。

「大丈夫ですか」

 太は駆け寄って抱き起こす。呼吸は落ち着いてきているようだったが、依然、胸を大きく上下させている。

「いっちおう、だいじょーぶかな。ありがとね、少年」

「よかった。すぐに救急車を」

「その必要はない」

「え」

 背後から声がした。振り向くと、そこには秋月が立っていた。思わず見とれてしまうような、浮世離れした容姿をしたコート姿のその男は、少女を抱きかかえて立ち上がる。

「彼女を介抱してくれたのか」

「あ、いえ、自分もさっき来たばかりで」

「そうか。まあ何にせよ礼を言っておこう。君のお陰で彼女は助かった」

「……そう、ですか」

 秋月は街の方を見やる。

「いよいよ事態は切迫してきた。どこまで君が知っているかは分からないが、これ以上こんな下らない諍いに関わり合いになるべきではない。自分の身を大事にしなさい」

 そう言ったかと思うと、男はテラスから飛び上がり、夜の闇の中に消えていった。

「忠告ありがとうございます。でも、もしそうだったとしても、まだ出来ることはある」

 それを見送った太は、誰もいなくなってしまった廃墟の中で一人呟いた。

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