第七章 襲撃②
望月は息を切らし、膝をついて地面に手をついていた。御幣は砕け、側に無残に転がっている。
「ちょっと天野君。貴方何やってるのよ!」
それは彼女を知っていたら困惑するであろうほど、普段の彼女からは考えられない程の語気を強さだった。
「何をやってるも何も、こっちの爽やかな兄ちゃんに加勢しただけだ」
しかし、それに答える声はあくまで落ち着いたものであった。望月はその答えに余計眉間にしわを寄せる。
「貴方は自分が何をやってるのか分かってるの。さやが、連れていかれちゃうのよ」
「ああ、そうだ。だからこそだよ」
「え」
望月は顔をあげて天野を見た。天野は少し離れた所に立っており、望月を見下ろしている。
「あっちのお仲間さんからさやの嬢ちゃんのことを色々聞いたんだよ。それを知ったらな、まあなんていうか、これは大人しく彼らに任せた方がいいって結論に至ったってことだ」
「天野君」
望月は天野を憎々しげに睨む。今にも掴みかかりそうな気迫であるが、天野は特に動じる様子もない。
「二人共待ってください。貴方は一体」
蚊帳の外になりかけていた日向が二人の間にあるピリピリした雰囲気を打ち壊した。天野は日向の方を振り向く。
「俺か。俺は天野幸彦。勘解由小路の嬢ちゃんから何も聞いてないか」
「そうですか、貴方が。いえ、申し訳ございません。彼女に代わり改めて謝罪を――」
「ああいいよ、別に。後な、彼女の粗相は不問にしてやってくれ。今回の件で反省したろうし、もう俺に攻撃することは出来なくなったからな」
「いえ、ですが」
「もう済んだことなんだ。それでもって言うなら、今回の件が終わったら方術とやらをしばらく使えなくしてくれ。そうすりゃ流石にあの嬢ちゃんも反省する質だろうし」
「はあ」
少し困惑しながらも日向は頷いた。
「それよりあんた、何か用があるんじゃないか」
「ええ、そうですね。何故貴方は私に加勢したのでしょうか」
「ああ、だってあんた。弓司庁の人だろ。菅原市に来た目的も”さやの保護”だって言っている。だから協力したまでだ」
「そうですか。ですが、今の協力はいただけません」
「何だって」
天野が訝しげに聞き返す。望月もその返答にキョトンとしている。
「日向さん」
「望月さんと約束しました。先ほどの押し合いに勝てばさやの居場所を教えると。しかし今、貴方の助力が入ってしまった。悪逆非道の輩ならいざ知らず、こんな不公平な方法で聞き出したとあっては弓司庁の名にも傷がつきましょう」
「あんたそれは個人的な理由じゃ」
「いいえ。それに実のところ、さやの居場所については大体目途がついているんです。だから何も心配はないのですよ。ただ、望月さんを納得させておきたかった」
「日向さん、貴方」
「貴方の健闘に敬意を表して、差し支えない範囲でさやについてお教えいたしましょう」
「いいのかしら。とても大事な秘密なのでしょう。それに私、さやの居場所を教えるつもりはないのだけれど」
「ええ、それで問題ありません。先程も言いましたが、いずれは分かる問題です」
「そう。何か引っかかる物言いだけど、折角大盤振る舞いしてくれるのでしたら甘んじてお聞きしましょう」
そう言い終わるや否や、懐に忍ばせていた携帯が小刻みにバイブレーションする。
「どうぞ」
日向は言った。望月は携帯を取り出して呼び出し人を確認する。それは、弓納からであった。
「もしもし、小梅ちゃん。何かあった?」
「……ごめん、なさい」
電話の先の声は、ひどく息が荒れていた。
「ねえ、小梅ちゃん。今すぐそっちに向かうから、そのまま休んでなさい」
「さやが」
「え」
「さやが、連れていか、れまし、た」
「何ですって」
「何とか、止めようとはしました。けど、駄目、でした」
「分かったわ。今すぐそっちに向かうから、もうちょっとだけ我慢してね」
そう言って望月は電話を繋いだまま、日向の方を見る。
「日向さん」
「何でしょうか」
「さやについての話は後程。私は一先ず神社に戻りますので」
「承知しました」
「天野君はどうするの」
「近くに車を止めてあるから、それで俺も神社に戻る」
「そう、分かった。でも悪いけど、貴方のスピードに合わせてる暇なんかないわよ」
「へ、言ってなよ」
唐突に告げられた日常の終焉。それは、甘い夢に浸るなと冷水を浴びせ掛けられたかのような感覚を望月に与えた。
○
「小梅ちゃん!」
神社の境内に入るなり、望月と天野はその姿を探した。あたり一面を見回してみたが、何処にも彼女の姿はなかった。
移動したのだろうか。そう思った時、ふと、その一点が目に飛び込んだ。社務所の入り口、その脇の壁と地面には血が飛び散っていた。
背筋を汗が伝っていく。望月は天野を境内に残し、戸を開けて中に入った。
中はこれといって荒れた様子はない。ただ、ぽつぽつと血痕がまばらにあるくらい。その血痕を辿るように廊下を行くと、それは広間へと続いていた。
障子を開けた。いつも聞いているその戸を開ける音が今は嫌に耳に響く。
「小梅ちゃん」
目に飛び込んだのは、ボロボロに崩れた壁に力なくもたれかかっている弓納であった。
下腹部の辺り、そこに大きな染みが出来ている。それを見た望月は自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。
望月が側によると、それに気付いたのか、弓納が声の方を振り向いた。その顔には飛び散ったと思しき血が貼り付いていた。
「う、望月さん。すみません。神社、汚しちゃいました」
「そんなこといいから、今は治療よ」
「いえ、大丈夫、です。応急処置はやりましたから、後は自然治癒で。それより、すみません。どうしても眠気に勝てないので、先に伝えておきたいこと、あります」
「そんなこと言ったって」
「私は大丈夫です。信じて、ください」
「……分かったわ」
「さっき伝えましたが、さや、攫われちゃい、ました」
「ええ。そのようね」
こんな状況にも関わらず、さっきからさやの気配が全くしない。それは、さやに何かあったということの証左であろう。
「攫った、のは、多分、昨日さやを襲った、黒い化け物、です。境内で迎え撃った後、一旦追い払ったと思ったのですが、その後、太さんに変装した、その化け物に不意打ち受けちゃい、ました」
「変装?」
「はい。声も容姿も、全部その人のままでした。気を付けて、ください。妖怪か人か、よく分からなかったのですが、少なくともあれはきっと、外面だけなら、何にだってなれちゃいます」
「ええ、ありがとう」
「後、もう一つだけ。上手くないなりに、尾行用の呪術紙で、どっちに向かったか、は掴めました。途中で気付かれて燃やされてしまった、から、正確な位置は掴めませんでした。でも、山、御笠山の方、行きました」
御笠山。そこから眺める街の夜景が美しいことで知られる標高七百メートル程度の山。今でこそ市民の憩いの場や絶景観光スポットとして知られているが、ここはかつては霊峰として崇められており、修験道などの修行地で有名な場所であった。
「ごめんなさい、望月さん。さやを、助けて、あげてください」
「そのつもりよ、小梅ちゃん。こんな形での別れなんて認めない。別れるにしたって、最後はちゃんとあの子に決めさせてあげないと」
「ありがとうございます。すみません、もう、駄目。一旦休み、ます。何日かくらい、起きないか、も」
そう言って、弓納は目を閉じてすやすやと寝息を立て始めた。
「おやすみ、小梅ちゃん」
着替えと布団を持ってこないと、そう言って望月は広間を出た。
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