第二章 素性①

「外に出かけましょう」

 休日の早朝を過ぎた頃合い。弓納は北宮神社に来るなりさやに言った。

「は、はい?」

 突然の申し出に困惑するさやをよそに、弓納はウキウキとしている。

「望月さんに聞いたよ。さやちゃん、あまり外に出てないんだって」

「え、ええ。そうね。そう言われると出てないかも」

「では外に出ましょう。家の中というのは落ち着くけど、それだけじゃ気がふさぎ込んじゃうもの」

「え、えっと、でも詠子さんに確認を取らないと」

「それなら、もう了承は取ってるよ」

「い、いつの間に」

 確か望月は何かの用事で外に出払っていて、会って居ないはず。なのに、何故了承が取れているのか。

「昨日だよ。電話で了承もらった。さ、支度して行こう」

「え、ええ」

 そうして、半ば強引にさやは街に繰り出すことになった。


 街路樹が色づき始め、ほんのりと化粧を始めている。ようやく秋らしさというものが感じられる時頃になってきてはいたが、ふらりと夏が忘れ物を取りに来たのかとでもいうように、突然気温が逆戻りすることがあり、街をゆく人々もこの混沌とした時期に合わせたかのように半袖、長袖の人など色とりどりの様相を呈していた。

 市内の駅前ロータリーはバスを待つ人の列が出来ていた。列の構成は様々で、もっぱら私服の若者がその多くを占めてしたが、中にはワイシャツにスーツを着込んだ男性も混じっている。彼らはその手持ち無沙汰な空き時間を携帯をいじったり、本を読んだり、何を思っているのかボーッと上を見上げたりしている。

「さてと、どうしたものか」

 駅前の人間模様を何の気なしに観察していた太はそう小さく呟いた。目の前のバス街の列、二人連れ立っている人達もいるのに関わらず彼らは互いに会話に興じず、めいめいの文明の利器に食い入っているのは何故なのだろうか、などと他愛のないことも考えながら、彼は待ち人を待ち続ける。

「ま、考えても仕方ないか」

「太さん、すみません!」

 駅の方向から元気な声が聞こえてきた。太が振り返ると、そこには弓納とさやがこちらの方に歩いてきていた。

「ちょっと遅くなっちゃいました」

「ううん、遅れてないよ。時間内だもの」

「あはは、そういえばそうですね。五分前行動で考えてしまってつい」

「五分前行動か、なんだか懐かしいね。でもやっぱり時間内だし全然問題ないよ」

「恐縮です」

「ところで、今日行く所は決まっているの?」

「大雑把ですが、それとなく予定を組んでみました」

「そっか、それはよかった。それにしても急にしては万事手際がいいね」

「頑張りました」

 少し得意気に弓納は言った。太はふと横のさやを見る。さやはしきりに辺りを見回している。

「どうしたの、さや?」

「どことなく色々な所から私達に視線を感じるのだけど、気のせいかな?」

「ああー。それは気のせいじゃないかも」

 実際、行き交う人は十中八九の確率でこちらの方を見ていた。だがそれも仕方のないことだろうと太は思った。よかれ悪かれ、彼女の存在感はおよそ見たものを引きつけずにはいられないものなのだから。

「でもあまり気にしなくてもいいよ。だって、皆さやに見とれてるだけだろうから」

「え、そ、そうなのですか?」

 さやは途端に髪をいじりながら、目を泳がせて所在なげに問いかける。どうやら彼女は自分が衆目の興味の対象であったことには気付いていなかったようだ。

「変装するべきだったかな、落ち着かない」

「だ、大丈夫だって、別に悪いことしてないんだから」

 弓納が諭すように言うと、さやは俯いて「そう、よね。落ち着け私」と自分に言い聞かせ、バッと上を見上げた後、駅の中へと颯爽と歩き出した。

「さあ行きましょう! 二人共」

 何処へ行くつもりなのだろうと太と弓納は一瞬だけ考えたが、すぐに考えるのを止め、とりあえず、さやを引き止めることにした。


       ○


 菅原市に住みたがる人間は数多くいる。それはこの街が大都会だからではない。かといって、田舎だからというわけでもない。規模としては、日本を代表する都市群より一つ格落ちする程度の規模の街であり、その観点からだけで言えば中途半端な街であった。しかし、それでもなお人がこの街に住みたいと唱えるのは、その日常生活の快適さ故であった。しばしば山海郷などと喧伝されるように、背には五百から千メートル程度の登山に適した山々、目前には見晴らしのよい湾があり、その間に挟まれるようにして街は存在していた。そうして成り立っている街にはそこそこの博物館や図書館などもあれば、一方では外周二キロメートル程度の公園もある。それだけでなく、繁華街に行けばデパートがあり、商店街があり、港地区であるベイシティには小さな遊園地もあった。

 要するに、これだけコンパクトにそれなりのものが集まっているこの街は観光や贅沢を好む人間には今一つ物足りない街だが、それなりに充足で快適な生活を送れればよいと考える人間にとっては、理想的な街であるのだ。そして、多くの人間というものはそれなりに人生を楽しめれば差し当たって問題はないという生き物なのだから、必然的にこの街に住みたがる人間は数多いのだ。

「だからと言って人を案内するには、今いちこれといった強い名所は存在しないのは中々痛いところだね」

「でも、さやちゃん喜んでそうで何よりです」

「ごもっとも」

 繁華街である一宮の一角に佇む喫茶店。店内の奥まった場所のウッドチェアに太と弓納は腰かけて談笑に興じていた。

 市内の商店街や博物館、遊園地などを探訪した後、一息をつくために入った喫茶店だが、さやはお手洗いのために一時的に席を外していた。

「弓納さん」

「はい、何でしょう?」

 頼んだコーヒーフロートのアイスをスプーンで無心に突くのを止めて、弓納は顔を上げた。

「さやについて何か分かったことはあった?」

「そうですね。とりあえず、いくつか分かったことがあります」

 別にそんなつもりは毛頭なかったが、まるでさやを調査するつもりで街に連れ出したみたいで、なんだか悪い気がしながらも弓納は自分の考えたことを太に伝え始めた。

「まず、彼女は記憶喪失ですが、見た目相応、もしくはそれ以上の社会的な知識を持っているように思えます」

「それは、確かにそうだね」

 確か、一般的に記憶喪失というものは脳にしまってあるエピソード記憶が何らかの理由で引き出せない状態だと太は理解していた。パソコンや携帯で例えるならば、保存されていたメールや画像、動画のデータなどが破損してしまった状態であろう。データが取り出せないだけで、文書ソフトや画像編集ソフトを使うことは出来るし、新しい文書や画像を作成しても何ら問題はない。だからこそ、彼女は日常生活に支障をきたすことはないのだ。

「でも一般常識に疎い所があるかも。これあまり人のこと言えた義理じゃないのですが」

「あはは、それを言うと僕もだね。ところでさ、弓納さん。この街歩きのチョイスって一時に滞在する場所が少なくて、色々動き回っている気がするけど、それって何でなんだろう? 実は何か考えがあってこうしてる?」

「実はそれとなく考えてはいました。あえて街の人間が休みに行きそうな場所を中心に予定を組んでみたんです。そうしたら、何か思い出してもらえるのかもしれないと思って」

「なるほどね」

 太は頷く。もしさやが市内の人間であるのなら、幼い頃の記憶なり、最近の記憶なり、何かが甦る可能性があるだろう。専門的なことは分からないが、記憶喪失といっても必ずしも記憶がまっさらになるわけではあるまい。破損した記憶が残っていて、何らかの補足情報が外部から付与されることによって記憶が修復され、思い出すことがあるかもしれない。


「ですが、さやを見る限りそんな様子はなさそうです。何となくといいますか、やっぱり市外の子なのかもしれないです」

「隣接した市や町から来たということもあるのかな。この街はこの辺りでも一番発展しているし」

 太は顔を伏せて口に手をあてて思案を始める。それを見て、弓納は少しだけぷっと笑う。

「太さん。探偵みたいですね」

「え、ああいや、これは癖みたいなものだよ。何か考える時って、やっぱりそれらしい姿勢をしていた方が考えやすいんだ」

「犯人が逃げるわけじゃないですし、そんなに差し迫って考えなくてもいいですよ。私は、少なくともさやちゃんが喜んでくれたらそれでいいです」

「ごめんごめん。ミステリもかじってる手合だから、そういうのが現実にあるとつい気になってしまって。よくないよね、ほんと」

「でもそんな太さんは面白いです」

「面白いって、はは」

 ふと太が背後の店内を見やると、お手洗いからから戻ってきたらしいさやがこちらに向かって歩いてきていた。店内にはもちろん明かりは点いていたが、丁度お手洗いの場所は光量の少ない場所で、その相対的な光量の違いによって生じる暗さはどこか異界じみていて、そこを白い髪をなびかせて歩いてくる少女はさながら異界からやってくる妖精のようだった。

「どうしたんですか、はじめ? 私に何か付いてました?」

「ううん、何でもないよ」

「そう? ならよかった」

「ねえ、小梅ちゃん、はじめ。そういえば、さっき街歩いている時に気になるスポット見つけたの。ちょっと寄っていいかな」

 少女は無邪気に笑いながらそう言った。


       ○


「ええ、そうですか。分かりました、ありがとうございます」

 ガチャ、と望月は据え置きの電話機を置いた。

 さやを保護してからというもの、少しずつではあるが望月は彼女のことを調べていた。望月本人としては彼女がいてもらうことに何ら問題は感じていなかったが、やはりいつまでも保護するわけにはいかない。第一、両親ないし保護者、友人が心配しているだろう。いや仮にそうでなかったとしても、少なくとも彼女の身元は確かめておくべきである。もし彼女が望んで今の状態に至ったのなら、新しい保護者が見つかるまではこちらで保護しておけばいい。だが、もし新しい保護者が見つからなかった場合はどうするべきか。

「私の方で預かるのでもいいか。それにしても」

 望月は手に持ったリストを苦々しげに見つめる。それは、さやの身元への手がかりを掴むために望月が洗い出した連絡先であった。

 手始めに児童養護施設などを当たってみたりはしたが、さやのような子がいたという話はなかった。他、知り合いの坂上という刑事に事情を話して、行方不明者にさやのような女の子がいないかをそれとなく探してもらったが、やはりそんな子はいないということであった。

 市内、隣接の街で手がかりが掴めそうな所をしらみつぶしに当たっていったが、全くもってさやへの手がかりは掴めなかった。

「まさか、妖精とか森の精って言うんじゃないでしょうね」

 望月はさやを人間だと考えていた。だからこそ、少なくともまずは人間であるであろう証を探していた。

 第一に、さやは人間らしいと感じたからである。第二に、不可解な事象に対して、兎に角にも異界の住人の仕業だというスタンスで行くことを好ましく思っていなかったからである。

 世の中には、不可解な事象というものは確かに存在する。そして、それらはやはり妖異や神、あるいは呪術師ないし魔術師などと呼ばれる者の仕業である。しかし、人間というのは悪知恵を巡らせる生き物で、実現可能な範囲内で”不可解な事象のようなもの”を起こす輩がいる。むしろ、”不可解な事象とされるもの”の半分以上はこれである筈である。蓋を開けてみればなんてことはない、只の人間の仕業であったということがままあるのである。だからこそ望月は、先ずは世間一般的に起こりうる範囲で、事象を捉えるようにしていた。

「でもちょっとお手上げね。はあ、ちょっとお茶でも飲んで落ち着こうかしら」

 そう言って、望月は徐ろに台所へと歩き出した。

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