第二章 素性②

 夕焼けが道を照らしている。大学近くの曲がりくねった通り、大学側はコンクリートの石垣、その反対側には民家などが立ち並んでいるが、人の往来は驚くほど少なく、聞こえてくるのは時折道路を走る車の音と鳥の鳴き声ばかりである。

「はあ、だるいな」

 天野は思わずそう呟いた。本来であれば、彼の仕事はこれにて終わりであり、何か責任を求められるような営みは求められる筈はなかった。しかし、新宮から聞いた異界騒ぎの解決のため、これから調査に向かわねばならなかった。

 記憶が吸われる。今回の件を端的に表すとそういうことであった。「ここ一週間で既に件数は十数件だ。始めは何かの悪い冗談だと皆思っていたが、流石に薄気味悪くなってきたようだな」新宮は事も無げに言った。「随分余裕だな。お前も下手すると吸われるんじゃないか」と天野は言ったが、「だからこそ、君達がいるのだろう」とまたさも他人事のように言ってのける。「記憶が吸われたと判断出来る理由は二つある。一つ目は誰かと一緒にいる最中に倒れ、持ち直した時には記憶が失われたこと。二つ目はその際に当事者の知人が黒いもやもやした影を目撃していたことだ。この黒いもやもやとした何かがその記憶を吸っているのだろう。というわけだ、さっさとこの件を解決してくれ」

「簡単に言ってくれるぜ、全く」

 天野は大学の門を出て、最寄りの駅まで歩いて行こうとした。若干距離はあるが、いつもやっていることだし、特に今日はそうしたかった。

 ふと向かいのバス停を見やる。そこには、ブレザーの制服の女の子がポツンと立っていた。メモ帳に何かを書き込んでいる。

 女子高生がこんな所で何をやっているんだ、天野は心の中で呟いた。こんな辺鄙な所に来た所で、何も楽しいことはないというのに。

 天野のその不可思議な女の子に対する関心は消え、夕食をどうするかということに興味は移っていった。その筈だった。

「あの~、すみません」

 背後から声をかけられ、天野は振り向いた。そこにいたのは先程まで向かいのバス停にいて、熱心に何かを書き込んでいた女子高生だった。天野は最初勘違いかと思ったが、他に誰もいないことを認めると、「どうしたんだい?」と無難な返事をした。

「いえいえ、人を探していましてですね。お時間あれば、少々お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「構わんが。一体、誰を探しているのかな」

 恐らくこの大学の学生の妹か、教職員かの娘といったところだろう、天野はそんなことを考えながら、目の前にいる少女を見た。栗色のボブに黒縁眼鏡をかけているその姿は一見すると知性に溢れた少女のようだが、そのどことなくごまをするような表情はその印象を全く別のものへと変えていた。

「ええ、実はですね。ちょっと変わったことを言うかもしれませんから、驚かないで聞いてほしいのですけど」

「はあ、そうか」

「髪が長くて綺麗で、それでいて髪が白い女の子を見なかったでしょうか?」

「……いや、特には見なかったな」

 咄嗟にそう答えた。髪を白くするというのは、今の時代不可能ではない。事実、時折髪を白くしている若者を見掛けることはある。だから、目の前の女子高生が探しているのが”あの子”とは限るまい、思わず見なかったと答えた天野は自分にそう言い聞かせた。

「あー、そうですか。とほほ、じゃあまた振り出しかな」

 女の子は大げさにがっくりと項垂れた。

「ところで、何で俺にそんなことを」

 言った後で、天野は後悔した。そんなことを聞かずに、さっさとこの場を後にすればいいのに。

「えーと、それはですね」

 顔をあげて天野を見た。そして、にやりと不敵な笑みを浮かべてこう言った。

「単純に直感なんですが、貴方なら知っていそうだなと思ったからです」

「……そうか。いや、悪かったな、結局力になれなくて」

「いいえー、却ってありがとうございますというものです。こんな見ず知らずの女の子の質問に答えてくれるなんて」

「じゃあな。探し人、見つかるといいな」

 手を振って足早に天野はその場を後にした。

 天野が去っていくのをじっと見つめながら、女の子は言った。

「うーん、これは意外や意外。大変上等な掘り出し物ですねえ」

 その口元にはうっすらと笑みがこぼれていた。


       ○


「誰かが解決したのかね」

 朝日の差し込む北宮神社の社務所の広間で、天野は誰にともなく呟いた。

「あら、学校はいいのかしら? 先生」

 望月が尋ねると、天野は気だるげそうに振り向いた。

「今日は講義が入ってないから、別に行く必要はないんだよ」

「ふうん、そうなの」

「それより、聞きたいことがあるんだが」

「何?」

「この辺りに最近客士が入ってきたことがあるか?」

「いいえ。プライベートでこっちに来てるならまだしも、”お勤め”でこちらに誰かが来たなんて話はないわね」

「ふむ、そうか」

 客士というのは北宮神社にのみにいる特異な存在ではない。日本各地に彼らは存在し、中には個人でやっている者もいるが概ねはその地域の客士院に所属していた。そうして彼らはお互いに自分達のテリトリーのようなものを築いており、他人のテリトリーの中で行動を起こすには、先ずはそこの客士院ないし客士に連絡を入れるのが慣習であった。

 しかし、今回についてはそれがなかった。通常は他の地域の客士が無断で異界騒ぎを解決するということになれば、正当防衛などそれなりの理由がない限り罰則の対象となることである。にもかかわらず、それが行われたということは、

「素人か、心得はあるが、そもそも客士ですらない者かね」

「天野君、さっきから話が見えないのだけど、どういうこと?」

「ああ、この前言ってた異界騒ぎの件だよ。俺が調査を始めた辺りからパタリと被害がなくなってしまった。だから、もう誰かが解決してしまったのかもしれんと思ってな」

「そういうことね。でも、さっきも言ったように誰かがこちらでお勤めするなんて話、聞いてないわよ」

「そうか。一応、協会にでも相談するか。ああ、話がこじれていくな」

 協会というのは客士達によって結成された協会である。正式には”霊地保全協会”と呼ばれるそれは客士による異界騒ぎ解決の円滑化を目的として設立されたもので、客士同士の間を取り持ったり、いざこざを調停したりする他、客士のテリトリーの管理や調整なども、ここが担っていた。

「しかし、こういうトラブルって本当に面倒臭いぜ。何と言っても、元々想定されてない事態だからな」

「でも、もし誰かがやったのならやっぱり対策はするべきよ。天野君、むしろ私が協会に連絡しましょうか?」

「ほお。お前が俺に優しいなんて、どういう風の吹き回しだ」

「あら、別に大したことじゃないわよ。単純な話、人の敷地内で勝手気ままにされるのは困るってこと」

「確かにな。じゃあ悪いな、頼むわ望月」

「はいはい」

「おお、そうだ。さやちゃんは今いるか?」

「いいえ。さやちゃんなら、今出かけているけど」

「なんだ、そうか」

「あの子、最初は家からあまり出なかったけど、元は結構活発な子みたいね。小梅ちゃんと出かけた日から、外に出るようになったわ。でもどうしたの? 貴方そんなにあの子に関心はなかったじゃない」

「いやな、先日大学前で女子高生に話しかけられてな。その子が”髪の白い女の子を探している”なんて言ってたから、つい気になったんだ」

「それほんと? じゃあ、さやちゃんのことは話したの?」

 望月は思いの外食いついた。おそらくさやの身元特定が一向に進んでいないのだろう、そう天野は思った。

「まさか。素性が知れない奴に話したりするものかよ」

「それはまあそうね。じゃあ、その子の名前とか、連絡先は聞いてみればよかったじゃない。それは聞いてないの?」

「それもまさかだ。こんな見ず知らずの男がそんなこと聞いてみろ。あっという間に公僕の厄介になっちまうよ」

「確かにそうね」

「それにしても、何か嫌な予感がするな」

「嫌な予感って、具体的にどんな?」

「いやな、具体的なものじゃないんだが、こう、俺の第六感とやら告げているんだ。曰く”お前はロクでもないことに巻き込まれつつあるぞ”ってな」

 それを聞いた望月は「はあ、馬鹿馬鹿しい」と呆れたように言った後、広間を出ようとしたが、それを天野が呼び止めた。

「今回は割と真面目だ。俺も手が開いた時にさやちゃんについては調べてみる」

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