第一章 白い髪の少女②

「ん、ここは」

 少女は目を覚ました。

 知らない天井だ。ここは一体?

 少女が身を起こして辺りを見渡すと、そこはどうやら一人部屋だった。窓から柔らかな日が差し込んでおり、今がどうやら朝であるらしいことは分かった。部屋の一角にはテレビ、中心にはテーブルがあり、そこには充電器につながれたノートパソコンが無造作に開かれている。どうやら電源は付いていないようで、そのディスプレイは未だ虚ろな面持ちの少女の顔を映していた。

「あ、よかった。気がついたんだね」

 声がした。その声のする方を振り向くと、明かりの付いた廊下の方から背丈の小さな男の子がやってきてテーブルにコトリと黒い液体の入ったカップを置いた。それから部屋の電気を付ける。

まぶしい。少女は思わず目を細めた。

暗がりに溶け込んでいた物も鮮明になり、部屋の詳細がより一層明らかになった。それにしても、明かりの付いた部屋は明かりの付いていない部屋とは違った部屋のようだと少女は思った。

「どう? 体調は?」

「あ、はい。大丈夫、です」

 少女は答えながら、自分が何故ここにいるのか、その記憶を辿り始めた。

「えっと、私は何故ここに……」

「ああ、覚えてないのか。君は昨日の夜、道端で倒れてたんだ。警察に保護してもらおうとも思ったけど、起き上がった君は何故か断るし、それで、とりあえず僕の家で休ませることにしたんだ」

 そうだ、自分はこの男の子の家にあげてもらえないか頼み込もうとした、そして、多分途中で気を失ったのだ。少女は昨日の出来事を思い出した。

「一応言っておくと変なことはしてないよ。誓ってしてない」

「いえ、それは大丈夫です、えっとー」

「そう言えば名前言ってなかったね。僕は太一。おおのでも、はじめでも、どっちでも好きな方で呼ぶといいよ」

「はじめ、うん。では、はじめって言います」

 そう言って少女は無邪気な微笑みを浮かべた。

「君の名前は?」

「私ですか? 私の名前は、えっと」

 少女は少しだけ逡巡した後、こう告げた。

「さや、って言います」

「ふうん、さやちゃん、か」

「さやでいいですよ」

「うん。じゃあ、さや。いい名前だね、フィーリングだけど君にピッタリかも」

「えへへ、そう言われると嬉しいです」

 少女は自分の頭を撫でながら頬を少し赤くする。

 ギュウウウウウ、と音が鳴る。

「えっと」

 その音が自らの腹部から出ていることを理解し、少女の頬の紅潮は一層深くなった。

「あはは、朝ごはん食べる? 大したものは出せないけど」

「い、頂きます」

 少女は俯いて答えた。


「さやは何処の子?」

 カップに注がれたコーヒーを飲みつつ太は尋ねると、フレンチドレッシングのかかったサラダを美味しそうに頬っていたさやの顔が少しだけ強張った。

「じ、実はですね。少し変なこと言うかもしれないですが、いいですか?」

「別に構わないよ。僕もあまり人のこと言えないし」

「私、多分記憶喪失なんです」

「へ?」

 太は思わず変な声をあげてしまった。

「あ、やっぱり変なんですよね。言うんじゃなかった」

「ああいや、別に変じゃないよ。少し驚いただけ。記憶喪失って言っても、全部が全部忘れるわけじゃないと思うけど、何か思い出せない?」

「うーん、それがですね、以前の出来事がごっそり抜けてしまってて、手がかりも何もないんです」

 困りました、少女はカップに注がれた牛乳を見ながら呟いた。

「あ、でも昨日倒れてて、はじめさんに助けられたことは覚えています。いえ、本当にありがとうございます」

「どういたしまして。そっか、昨日のことは覚えてるのなら、何で彼処に倒れてたのかくらいは覚えてたりする?」

「いえ、記憶があるのは昨日はじめさんに助けてもらったところからです」

「それじゃあ手がかりはないに乏しいか」

「すみません」

「さやが謝ることじゃないよ」

 言って、太はジャムがのったトーストにかじりつく。

 実は記憶喪失が嘘という可能性があったりするだろうか? 太はふと思った。彼女は何か特別な事情を抱えているのであって、例えば、家族や友人関係で何かを抱えているのであれば、警察などに連絡を取られたくないのも頷ける。

 しかし……太はさやを見る。彼女が嘘をついているようにも見えない。そこに根拠はないのであるが、やはり嘘をついているというのにはどこか違和感を感じるのだ。

「あの、何か付いていますか」

 太はハッとして、慌てて手を振る。

「いや、ごめん。ただ、髪が綺麗だなーって思っただけ」

「ああ、これですか?」

 さやは自分の髪の毛に触れる。真っ白な髪は絹のようにさらさらとしており、まるで絵に描かれたかのような美しさである。

 しかし、さやはその髪を見て目を伏せる。

「ちょっと目立って変、ですよね」

「さやは自分の髪が嫌? 僕は綺麗だと思うけど」

「え、いえ、そんなことないです。我ながらよく出来てると思いますよ。でもこういう色ってイメージ悪いですよね」

「うーん。そう、なのかな」

「いえ、気にしないでください。それより、早く朝食を食べてしまいましょう」

 そう言って、さやは残りの目玉焼きの目の部分を箸でつまんで口に運んだ。


       ○


「以上が、経緯です」

 広間のテーブルの前で太はふう、と軽く息を整えた。広間の中には太の他、その真向かいに望月、テーブル端に天野、そして太の隣にさやが座っていた。さやは、所在なげにキョロキョロしている。

「それで、このまま太くん家で預かるわけにはいかないからと、ここに来たわけね」

 望月は言った。

「はい。見ての通り僕は男で、さやは女の子です。さやにとっては何かと不都合でしょうし、それだったら、望月さんに預かってもらった方がいいのかなと思いここまで連れてきました」

「なるほどねえ、そういうことなら分かったわ」

「おい、望月。いいのか」

「何が?」

「そんな安請け合いしてしまって、ここは神社で、おまけに客士院だぞ」

 客士院、というのは北宮神社に置かれている組織である。

 この世界には異界の住人が潜んでいる。科学が発達し、明かりの消えなくなった現代でこそ数は減ったものの、そうした人ならざる者によって起こされる事件や怪異、通称”異界騒ぎ”がしばしば巷を騒がせていた。客士院、というのはそうした不可解な出来事に対処するために設けられた組織であり、望月や天野、太はその一員である客士と呼ばれる存在であった。

「そんなことは分かってるわよ。じゃあ天野君、行く宛のない女の子を街中にほっぽり出すのかしら」

「いや、そんなつもりはないが」

 天野はチラとさやを見ると、不安そうな面持ちでこちらのやり取りを見ている。

「まだ、納得いかない? じゃあちょっと耳貸して」

 望月は天野にゴニョゴニョと耳元で何かを伝えた。それを聞いていた天野は、やれやれとばかりに頷いた。

「ああ、分かったよ。だが、余計なことに巻き込まないよう気を付けろよ」

「もちろんよ。とりあえず、小梅ちゃんにも事情を話さないといけないけど、まあ、それは彼女が来てからでいいでしょう」

「あの」

 望月が振り返ると、太が少し心配そうにテーブル向かいの望月の方に身を乗り出していた。

「さやはここで預かってもらっても大丈夫なのでしょうか」

「ええ、大丈夫よ。お姉さんに任せなさい」

「そっか、よかったね、さや」

 太はさやの方を向くと、さやは少し緊張した面持ちで「うん」とだけ答えた。


       ○


 弓納小梅は市内の進学校に通う女子高生である。その日は生徒会の仕事や友人の部活の手伝いなどで忙しく、校門を出た時は夜の八時を回っていた。

 辺りには下校の途に着く生徒もほとんどおらず、ただ寂しく街灯が人のいない道を照らし続けている。

 穏やかな風が吹く中を歩いていた弓納はふと空を見上げる。空は既に暗く染まっており、月明かりが薄く夜空を照らしている。そういえば今日は降水確率が九十パーセントと言われていたのに、蓋を開けてみればなんてことはない、うっすらと雲がたなびいているだけで、快晴といっても差し支えないほどであった。

「傘、無駄になっちゃったな」

 そんな他愛のないことを呟き、弓納は再び歩き出した。

 本来なら校門を出てすぐの所にバスがあったのだが、八時ということもあってか必然的に本数が少なくなっており、弓納がバス停に来た時に次のバスが来る時刻は二十分後という有様であった。バス停を待つ間、本を読むのも悪くないとも思ったが、その日は何となく歩きたい気分だったので、次のバス停に向かって歩くことにしたのだ。

「あ、おばあちゃんに連絡しておかないと」

 弓納はふと気がついて携帯を鞄から取り出して、徐ろに電話をかけ始めた。やがて一分くらいの短い電話を終えて携帯を鞄に仕舞うと、「おーい!」と後ろから夜に似合わぬ快活な声が弓納を呼び止めた。

「寺山さん」

 声をかけたのは弓納のクラスメイトで友人である寺山であった。栗色のおさげの髪をなびかせていた彼女は乗っていた自転車を降り、弓納と歩を合わせて歩き始めた。

「珍しいね、こんな夜に一緒になるなんて」

「ほんとだね。お互いこんな遅くまで学校に残ること少ないもの」

「だね。ってあれ、小梅ちゃんってばバス通じゃなかった?」

「うん、バス通だよ。でも次のバスまで時間があったし、折角だから次のバス停まで歩いてみることにした」

「ああ、なるほどねえ。いいな、私もたまには文明の利器に頼りたいよ」

「いいじゃない、寺山さん家近いんだし」

「よくはないよ。そのお影でこうやって毎日足繁く自分の足で通わねばならないならないのです。はあ、坂道が辛い。いっそ原付きが欲しいな」

「あはは」

「そいえば、下宿先には今日遅くなるの伝えたの?」

「うん、連絡した。はあ、今日は遅くなっちゃうなあ」

「え?」

「ううん、何でもない。一人言」


 弓納は寺山と別れた後、バス停に乗って帰宅の途に着く、筈だった。しかし、彼女は下宿先近くのバス停には降りず、そのままその先にあるとある神社近くのバス停に降り立った。

 北宮神社、その鳥居の前に弓納は来ていた。腕時計を見てみると、時刻は既に九時近くを回っている。「やっぱり今日は止めておけばよかったかな」弓納はそう言いつつ、神社の階段を登っていった。

 百段程ある階段を登り終え、境内の脇にある明かりの付いた社務所の戸を開ける。

「こんばんはー! 弓納です」

 玄関先で声をあけると、すぐに望月が来て出迎えてくれた。

「ごめんね、遅い夜分に来てもらっちゃって」

「いえ、別に大したことじゃないです。おばあちゃんも私が”客士をしてる”の知ってますから」

「でもま、あまりおばあちゃんも心配させるのも悪いから、早めに用件を片付けてしまいましょう」

 望月は弓納をあげて広間へと赴いた。

「それで話って、何なのでしょうか?」

 弓納は明かりのついた広間に座りながら望月に尋ねる。最初に連絡が来た時は生徒会の仕事で忙しくて内容を聞く事が出来なかった。そのため、弓納は何も知らないままここに来ていたのだ。

「そうね、簡単に言うと、これからしばらくここで女の子を預かることになったの」

「はい?」

 弓納は首を傾げた。女の子を預かる? それは、文字通りの意味であろうか?

「文字通りの意味よ、小梅ちゃん。もう一回言うけど、ここで女の子を預かることになったわ」

「えっと、一体どういうことでしょうか? ここって神社ですよね」

「ええ、紛うことなき神社よ。託児事業を始めたわけでもないわ。でも、色々事情があって預かることになったの。そうね、実際に会った方が早いかしら。ちょっと待っててね」

 そうして望月は広間を後にする。

 女の子って、一体どんな子なのだろう。弓納はその子に思いを馳せる。弓納は北宮神社に四人いる客士の一人である。なのでその稼業柄、彼女がすぐに思いついたのは女の子が人間ではない、という可能性であった。

 人ならざるもの、妖異。これには様々なものがいる。噂や伝説といったあやふやなものから生じたもの。野生動物であったものが何らかの要因で霊長を帯びたもの。神が落ちぶれたもの。人間から生じたもの。

 そして、時に妖異という存在は人の世界に溶け込み、人間と何ら変わらぬ生活を送っているものもいるし、戸籍を持っているものすら存在することがある。

 今回預かることになったというその女の子もそんな類の子ではなかろうか? まるで人間のような妖異。それであれば、この神社で保護したことにも合点がいく。

 そんなことを思いながら二人を待っていると、とんとんと戸が軽く叩かれ、それから戸が開いて望月と、もう一人弓納の知らない女の子が入ってきた。

「紹介するわ、こちらがさやちゃん。まあつまり、今回こちらで預かることになった子よ」

 弓納は「よろしくお願いします」と深々とお辞儀をするさやを凝視する。

 綺麗だ。最初に生じた感想はそれだった。驚天動地の美しさ? 筆舌に尽くしがたい美しさ? 弓納は思いつく単語でそれを形容しようとしたが、やがて言葉で表現するには無理があると感じた。

「で、さやちゃん。こっちが弓納小梅ちゃん。色々と事情があってウチに来てる子。まあ理由は聞かないであげて。そこら辺色々と事情が複雑だから」

 弓納もさやに対して「よろしくお願いします。弓納です」と軽く頭を下げた。

「それでその、さやさんを預かることになったというのは、一体どういった経緯なのでしょうか?」

「そうね。じゃあ順を追って話すわよ」

 そうして、望月はさやを預かることになった経緯を話し始めた。道端で倒れていたこと、記憶をなくしていること、所々さやに補足をしてもらいながら弓納に伝えていく。

「なるほどですね、事情は理解しました」

「一応確認だけど、貴方はここで預かることには反対?」

「いえ、反対なんてことはないです。そうですね、気になることはありますが、私は賛成です」

「そう、良かった。さやちゃん、というわけなので少しの間かもしれないけど、ここを貴方の家だと思って過ごしなさい」

 といっても神社だから、決まりとかあるけどね、望月は付け加えた。

「よろしくね、さやちゃん」

 弓納が言うと、丁寧にお辞儀をした。

「はい、これからよろしくお願いします!」

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